第121話 妖精の愛5
それにしても――
先ほどここに現れた、あの人間のようにしか見えないのに、人間とは思えないあいつは一体なんだ? あいつが持つそのちぐはぐさがどうしようもなくつばさのことを不安にさせる。
あれは――一体なんだ?
確かに人間のようにしか見えない。
だけど――あれは自分と同じであるとはとても思えなかった。
あいつは――それくらい異質だ。
つばさと小夢の理想郷の邪魔になる――程度ではすまないかもしれない。あんな異質な存在が――二人の仲を邪魔するだけ終わるとはとても思えなかった。薫子はただ邪魔なだけだが、先ほど現れたあいつはもっと大きな障害になる。つばさと小夢の理想郷を破綻させてしまうような……。
どうやってあいつらを排除するか――それが問題だ。
薫子は問題ない。
あの娘はここから早く脱出したいと考えているだろう。表向きそれを手伝ってやって、あいつだけ脱出させればいい。
問題は――
つばさは、こんな異界に来ても飄々としている娘に目を向ける。向けて数秒して、彼女と目が合って――その目を見たつばさは心から冷えた。
あの娘の目には――なにもかもが映っていないことが明らかだったからだ。
その目で見られていると、とてつもなく不快で嫌な汗が背中からにじみ出してくる。
つばさは――やばい、と思った。
どう考えてもあれば普通ではない。あんなものに関わっていいはずがない。あれに関わると――大変なことになる。
そこで――
自分の一つ下の学年にいるという『魔女』のことを思い出した。
小学校からここで暮らしているつばさは当然『魔女』のことを耳にしている。
関わると不幸になる、死ぬ、廃人になる――禍々しい噂は事欠かない存在だ。恐らく、この学園に小中から席を置いている者のすべてそれを知っているだろう。
この学園で幸せに暮らしたいのなら――奴に関わるなとも言われる存在。
その存在が――つばさと小夢の理想郷になるはずだった場所に訪れた。
なんという――ことなのか。
あんなのが現れてしまったら――つばさと小夢の理想郷を作るどころか――私たちのすべてを破滅させられてしまうかもしれない。
そう思うと、背筋が凍る。
どうする?
このまま放っておけば――あの『魔女』によってすべて破滅させられてしまうかもしれない。
薫子は――別にいい。そもそも邪魔な存在だ。奴が『魔女』にかかわってどうなろうと知ったことではない。つばさは、死んでも構わないとさえ思っている。
いや――
そこでつばさは思い至った。
ここで死んだらどうなるのだろう?
もしかして――
死んだら――もとの場所の戻れるのではないか?
可能性は否定できない。
だが――
戻れるかもしれないからといって、「はいそうですか」と殺されてくれるだろうか?
いや、馬鹿な。そんなはずはない。いくらこの異界が逃れるためとはいえ、自分が殺されることを許可する者なんていないだろう。それが普通の感覚だ。いるとしたら、そいつは完全に頭がどうかしている。
「ところで――ここはどこなんですか?」
こちらの心境などまったく気にする様子もなく魔女はのんきにそんなことを言った。その声も、どこか人間でないように感じられて、つばさの心を不安定させる。
「あたしらだって知らないわよ。あんたと同じようにいきなりこんなところに来ちゃったんだから」
「いきなりってことは、あなたも落ちてきたんですか?」
「はあ?」
なにを言ってるんだこの娘は。
「落ちるってなによ。階段ですっ転んだの?」
「私が校舎を歩いていたら、いきなり地面がなくなって、ここまで落ちてきたものですから。あなたたちもそうなんじゃないかと思ったんですけど――違うんですか?」
「あたしたちは――校舎にいた妖精を追いかけていたらここに来ちゃったのよ」
「妖精……」
妖精……かぁ、などと魔女はその言葉をかみ締めるようにしている。なにか、知っているのだろうか?
「あんたなんか知ってんの?」
「いいえまったく。ああ、それと私は二年の里見夏穂といいます。そちらは?」
「あたしは金木つばさ、こっちは西澤小夢。で、あっちにいるのが百地薫子、だったかしら」
夏穂は少し外れた位置に佇んでいる薫子に視線を向けた。
薫子は夏穂の視線に気づいて、慌てて目線を逸らした。あの反応を見る限り、薫子も『魔女』の話を知っているのだろう。破滅を呼ぶ魔女――が自分たちの前に現れたのだ。あの小心者くさい薫子があんな態度を取るのも当然である。
「しかし、困りましたね」
「なにが」
「だってここには食べ物も水もないわけじゃないですか。それにこちらには空腹や渇き以外にも生理現象はありますし、困りませんか?」
「大丈夫よ。ここでは空腹も渇きも感じない。どういうわけか排泄や生理なんかも来ないのよ。だから、そういったことで困ることはまったくないわ。水だけは何故か出るから、困ったらシャワーも浴びられるわよ」
「空腹も渇きはじめとした生理現象はまったく起こらない。シャワーを浴びれるのもありがたいですが――ずっといられるとなると、困りましたね」
魔女はなにか歯の奥にひっかっかった物言いをしている。生理現象も来ない、水は浴びられる、そんな状況で困ることがあるのだろうか?
「なにが困るのよ」
「ああ、気にしないでください。できるだけ他の方々には迷惑をかけないようにしますから」
そう言って、『魔女』は立ち上がって歩き出した。
「ど、どこに行くのよ?」
「先輩もそれ以外の方々も私のこと嫌いでしょうし、少し離れようと思いまして。別に協力したくないってわけでありませんよ。ちょっととした個人的な理由です。気にしないでいただければ。この教室の隣にいますから、なにかあれば遠慮なく呼びつけてください。すぐに駆けつけますから」
「…………」
つばさは『魔女』を引き留めることはできなかった。『魔女』が消えて、しばらく時間を置いたところで――
「これからどうする? あいつ、アテにならないわよ」
と、小夢と薫子に言った。その言葉を聞いて、薫子も小夢も跳ね上がるのが見えた。
あの『魔女』がアテならないのは間違いないだろう。
なにしろあの『魔女』はこのおかしな状況をもうすでに受け入れている。脱出したいとは思っているだろうが、できなかったのならそれでも構わない、なんていう達観すらあった。こちらが協力しろといえば協力するだろうが――はっきりいって、あんな異常な存在に関わるのはごめんである。
それよりも――
つばさは薫子に視線を向けた。
この小娘をどう排除するかのほうが先だろう。
『魔女』は不快だが――自分から積極的に関わってはこないのは、先ほどの態度を見ていれば明らかだ。
しかし――
薫子は違う。
薫子はつばさたちを仲間だと思っている。こいつを排除しなければ、つばさと小夢だけの理想郷は作れない。
どうして、やろうか。
そこで――隣でつばさの身体の影に隠れていた小夢が薫子に視線を向けていた。
「どうしたの? あの娘が気になるの?」
「う、ううん。なんでもない。気にしないで」
小夢は慌てた口調でそんなことを言った。なにか気になるところでもあるのだろうか、と思ったけれど、つばさは口には出さなかった。
「ねえ、つばささん。夜も、その」
「ああ、いいよ。今日も可愛がってやるから」
そうやって頭を抱き寄せてやると、小夢は小動物のようにじゃれついてきた。とても可愛らしい。
やっぱり――
つばさは薫子のほう視線を向けた。
つばさと小夢の――二人だけの世界を作るのなら、あの小娘は邪魔だ。
やはり――排除しなければならない。
未だに脱出のヒントはない。
果たして――『魔女』と薫子を追い出して、自分たちは二人だけの理想郷を作れるのだろうか?
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