第119話 妖精の愛3

 異界にいた二人は、金木つばさと西澤小夢というらしい。つばさが三年で、小夢が一年。薫子は二年だから、両方とも知らなかったのも当然だ。


 薫子はこの人の失せた異界に自分以外の人がいることを知って、心から安心できた。いままで十七年の人生でここまで安心したことがなかったと言えるくらい大きな安堵を得られた――のだが。


「…………」


 つばさは、何故か薫子に対してなにか敵意のようなものを向けている。


 何故なのか――その理由はまったくわからない。つばさとも小夢とも初対面なので、嫌われる要素なんて一切ないはずなのだが――


 あまり気が大きくない薫子は年上のつばさに対して『どうしてそんな敵意を向けているんですか?』なんてずけずけと言えるほどの度胸を持ち合わせていなかった。


 だから――未だに最初に出会ったときのままだ。

 こんなわけのわからない場所に来てしまったわけだし、協力してほうがいいと思うのだが――一体、彼女はなにが不満なのだろうか?


「……なに」


 ぎろり、という音が聞こえてきそうな勢いでつばさは薫子を睨んできた。その鋭さに圧されて、薫子はひるんでしまって「いえ、なんでもないです……」と小さな声で言う。なんともなさけない限りである。


 今度は小夢のほうに視線を向けてみる。


 彼女は相変わらずつばさの影に隠れたままだ。こちらに対して、怯えと警戒心のようなものを向けている。こちらも間違いなく初対面のはずだ。それなのにどうしてこんな態度を取られているんだろう? 向こうに悪意はないとは言っても、目の前でそんな態度を取られるとちょっと傷つく。ただ臆病で人見知りなだけなのだろうか? それならいいんだけど。


「あの……お二人はいつからここに?」


 一度唾を飲み込んで、心を決めてから薫子は切り出した。

 薫子の言葉を聞いてつばさは――


「さあ。あたしのも小夢のもスマホは動かないし、ここにある時計もまったく動いていないから具体的にどれくらいここにいるのかはわからないわ。

 でもまあ、体感として十日はいるんじゃないかしら」

「……十日」


 その言葉を聞いて愕然とした。

 彼女たちはこんな人の失せた場所に十日もいたのか。よく耐えられたなという驚嘆と、自分は大丈夫だろうかという不安がない交ぜになってかき乱されていく。


「でも……十日もよくいられましたね。ここに――食べ物とか飲み物とかあるんですか?」

「そのあたりは大丈夫よ」


 つばさの口調はやけに自信があるように感じられた。大丈夫とは――一体どういうことなんだろう?


「なに……なんか文句あんの?」

「いや……その、ないですけど……どうして大丈夫なんですか?」

「よくわからないけど、ここにいると腹も減らないし喉も渇かないのよ。だから食べ物も飲み物も必要ないの。それに催しもしない。どういうわけかまったくわからないけどね。食べ物はないけど、何故か水は出るから、シャワーでも浴びたくなったら浴びればいいわ」


 腹も減らないし、喉も渇かない……やはりこの場所は普通ではないようだ。一体どういうことなのか不明だが――脱出するまで凌がなければならない以上、そういった生理現象がなくなるというのは助かるのは事実である。


「外はどうなってるんですか?」

 窓から見える街並みは、普段見ているものとまったく同じに思えたけれど――

「学園の敷地内ならどこでも行けるわ。だけど、見えない壁のようなものがあって学園の外には出られない」

「……そう、ですか」


 わかっていたことだが、改めて現実を突きつけられるのは厳しいものがあった。学園の外に出ればもとの場所に戻れる、なんて甘い期待は早くも崩れ去った。ここから脱出するには、なにか他に手段があるのだろう。


「なにか……ここを脱出するためのヒントとかは……」

「ない。あったのなら一週間もこんなところにいないわよ」

「そう、ですよね……」


 そんなの当たり前である。これは脱出ゲームでもなんでもないのだ。ここから出るためのヒントなどあるはずがない。


 本当に――自分はここから脱出できるのだろうか? と、またさらに不安が強くなった。このままずっと――死ぬまでここにいなければならないと思うと、とても恐ろしい気持ちになる。なにかあるんじゃないか、と思うけれど――ここから脱出できそうな具体的な手段はなにも思いつかなかった。実に情けない限りだ。


 ふとそこで、薫子は自分の視線を注がれていることに気づく。小夢が薫子に視線を向けていた。それが感じられて、小夢に視線を向けると、やはり小夢はびくびくと怯えた態度で目を逸らした。


 小夢のそんな態度にどことなく不審なものを感じたけれど、下手なことを言って嫌われたくもないので、薫子はなにも言わずにいるしかない。すぐにここを脱出するのは難しそうだし、そのうち心を開いてくれるだろう。


「そういえば……ここではあの妖精みたいなのっていないんですか?」

「少なくとも、あたしは見たことないわ。小夢、あなたは?」


 つばさの質問に対して、小夢を無言で首を横に振った。どうやら、彼女も見たことないらしい。


「でも、あたしたちはあの妖精を追っかけてたらここに入ってしまったわけだし、こっちで見つけられたらもとの場所に戻れるかもしれないわね」


 ずっと不機嫌そうな顔をしていたつばさの顔が少しだけ笑顔になった。それを見て、薫子は少しだけ安心する。


「えっと、あの一つ訊きたいんですけど――」

「なに?」


 と、つばさが言ったところで、どこかから物音が聞こえてきた。なにかがひっくり返るような音だ。三人ともはっきりとその物音を聞いたらしく、一様に身体をびくりとさせて、音が聞こえた方向を振り向く。


「……また誰か、来たんでしょうか?」

「恐らく」


 少しだけ震えた声でつばさは言った。


「行ってみましょう」


 つばさは立ち上がり、ずっと引っ付いている小夢を促して歩き出す。薫子も慌てて追いかけていった。

 人気のない、静寂に包まれた、いままでずっと暮らしてきた学園とまったく同じ造りの異界を進んでいく。


 先ほど薫子がいた教室につくと、そこには――


「…………」


 異界に現れた者の姿を見て、薫子は硬直する。机と椅子をいくつか倒して倒れていたのはあの――


 かかわると破滅すると言われる、『魔女』であった。


 薫子と同学年の生徒であれば必ず知っている破滅を呼ぶ『魔女』――里見夏穂だ。あの、色の薄い髪の毛と病的な青白い肌をしているのはあいつだけだ。


「……どうしたの?」


『魔女』に視線を注いだまま硬直していた薫子に対してつばさは怪訝そうな声をかけた。三年生である彼女は――『魔女』のことは知らないらしい。


 いや、『魔女』のことは知っているかもしれないが、いま目の前で転がっている娘があの破滅を呼ぶ『魔女』だとは知らないのだろう。


「でも、下手に動かさないほうがいいわね。ちょっと机をどけてくれる?」

「……はい」


 つばさに言われ、薫子は『魔女』のまわりで倒れていた机と椅子をどかし始めた。


 どうしてこうなった?

 よりにもよって――かかわったら破滅する『魔女』がここに来てしまったのだろう。

 薫子は自分の不幸を呪う以外なにもできなかった。

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