第96話 透明人間の逆襲12

 はてさて、どうしたものか。


 夏穂を襲撃してきた怪人が自分には姿は見えない、それどころか気配すらも察知できない透明人間であることが判明したわけだが――


 わかってしまったことで、どう対処したらいいのかまったくわからなかった。


 夏穂にとって、あの怪人は存在しないものに近い――もしかしたら触れるかもしれないが――触れられたとして、姿が見えなければなんとかするのは難しい。


 とりあえず人の形をしている夏穂は、認識能力は他の人間と同じく目に頼っている。目に見えなかったのなら、存在しないのとさして変わらない。


 そして――


 通常、オーエンは夏穂の認識によって制限されているから、夏穂が認識できなければ報復が不可能であることは、昨日の襲撃で明らかになった。


 あの怪人は夏穂以外には無力だが、夏穂が相手のときにだけ絶大な力を誇る。実に面倒くさい。どう見てもあの怪人は自分を狙い撃ちにしたものとしか思えない。だって、自分にだけは見えないのだ。


 怪人の襲撃を防ぐのは簡単である。誰かと一緒にいればいい。夏穂以外に見られると、怪人はその姿を保てなくなる。友達がいない夏穂には――ずっと一緒にいてくれる誰かなど命くらいしかいないのだが――それでも充分だろう。


 そんな性質を持っているから、誰かしらの目が確実にある寮では怪人の目撃情報がなかったのだ。


 夏穂以外には影響を及ぼせないことはわかったので、いまのところ命が被害を受けることはなさそうだが――似たような体質である命にまでそれが及ぶ可能性というのは捨てきれない。


 それに――


「……頼まれてるわけだし、事情くらいは説明しないといけないわよねえ」


 夏穂はぼそりと呟いた。

 この怪人の一件はそもそも志乃からの依頼である。


 被害が志乃に及ばない可能性が高いとしても、そう言って納得するとは思えない。どうやって事情を説明すればいいだろうか……。


「なにか意見とかない?」


 夏穂は自分の裡にいるオーエンに話しかけた。


『あるわけねーだろ。お前がなんとかしろよ』

「つれないわね。こんなに困ってるのに」

『嘘つけ。お前が困ったことなんて一度もねえだろうが』

「……ばれたか」


 確かにオーエンの言う通り、実のところまったく困っていない。夏穂の困ったと言うのは面倒ということである。そもそも、夏穂がこうなってから困ったことなんて一度もないし、困っている余裕などまったくなかった。


「でも、姿が見えないうえにあなたも察知できないのだし、困ってはいなくとも面倒ではあるわよ。あなた、なんとかできないの?」

『なんとかしろと言われてもな……お前が頑張ってその怪人とやらが誰なのかアテをつければいいんじゃないか』

「アテ――ねえ」


 いないと言えば嘘になるが――果たしてそれが真実かどうかは不明である。

 まあ、特になにか問題があるわけでもないし、試してみてもいいかもしれない。

 間違っていたところで、どうなろうが知ったことではないし。


「あ」

『どうした』

「そういえば、ちょっと前に透明人間が出てくるとかなんとかって話、あったじゃない。あれって、いまのやつと関係あるのかなと思って」

『……ほう』


 オーエンは感心するような声を出して唸った。


『確かに関係あるかもな。あの透明人間は――本人にしか見えないものだった。で、今回のあれはお前には見えないという性質を持っている。言われてみりゃ似た性質だ。特定の誰かにだけ見えるのと、特定の誰かには見えないってのは。


『いや――


『もともとは同じものだったのかもな。以前の件も本来は、特定の誰かに認識できなくする性質を持つ怪異だったのかもしれない。


『あの娘は自分が憑かれていることに自覚がなかったようだし――憑かれた怪異を制御できなかった結果、自分の過去を映した透明人間が自分に現れるようになったっていう可能性は充分あり得る。


『そもそも、よくないものに憑かれた自分を止めるために鏡に映った透明人間が現れたなんて馬鹿馬鹿しすぎるしな』


 そう言ったのはお前じゃねーか、と突っ込みたいところだが、それを言っても仕方ないので言わないことにしておく。言うべきは他のことだ。


「じゃ、あなた、あれを食べたら、同じものだったかどうかわかる?」

『わかる。これでも俺はグルメなんだ』


 オーエンは自信満々だ。怪異の捕食者であるオーエンには食った怪異の識別など容易いのだろう。


 とりあえず――

 夏穂は寮の部屋の扉をノックする。

 十秒ほど時間が空いたところで――


「……なに」


 開かれた扉から顔を出したのは志乃である。


「いえいえ。お昼に先輩のクラスを訪ねたのですが、今日はお休みになっていると聞きまして。どうかしました? 随分と顔色が悪いですね。お風邪ですか? それとも――なにか嫌なものでも見たんでしょうか?」

「…………」


 志乃はいまにも死にそうな目つきで夏穂を睨んでくる。


「別に。あたしがどう具合悪くたって関係ないでしょ。つーか、具合悪いのわかってんのなら、その足どけてくれる?」

「ああ、これは失礼。実はこれ癖でして……」


 夏穂は扉の間に差し込んでいた足を引き抜いた。


「とは言ってもですね。私も先輩のことをからかうためにここにやってきたんじゃないんですよ。ちょっとご報告がありまして」

「……なに」


 志乃はなんの報告だ、と言いたげな顔をしていた。心から迷惑そうにしているのが明らかである。また、扉の間に足を入れたほうがいいだろうか、と夏穂は考えた。


「この間ご相談された、最近校舎に出てくる透明人間についてです」

「は? 透明人間?」


 志乃は呆気に取られた顔をしている。


「あ、失礼いたしました。透明人間ではなくて、怪人でしたね先輩にとっては。あれについてなんですけど――」

「なんかわかったの?」

「いえ、そういうことではなく――私には解決無理そうだなって思いまして」

「……は? どういうこと?」


 睨みながら不満げな口調で志乃は言った。


「どうやらあいつ、私にだけ見えないみたいなんですよ。それじゃあ解決するのは難しいかなと思いまして」

「…………」


 ぎり、と志乃の歯が軋る音が聞こえた。


「いやいや、そう怒らないでくださいよ先輩。こう言うのは、私としても心苦しいのです。ですが、解決が難しいことを自信満々にできるというのは誠意が足りないと思いましてですね――それなら、正直に言ってしまおうと思った所存でございます」


 夏穂は言い訳をするセールスマンみたいだな、なんてことを思った。


「じゃあなに。あいつをそのまま放置する気?」


「いえいえ。別に放置しようなんて思っていません。いまのところは私だけでも、明日には私以外にも同じように『見えない』人が出てきてもおかしくありませんから。


「なにを言いたいかと言いますと――解決するのは時間がかかるかもしれないということです」

「……ふん」


 重い肺病でも患っていると思うほどの顔色で志乃は夏穂のことを睨みつけて吐き捨てるように言った。


「好きにすれば。別にあんたができないのなら、あんたのせいになるだけだし」

「そうですか。それはありがとうございます。具合が悪そうなので私はこのへんで失礼させていただきますね」


 夏穂は一礼してから、扉から離れていく。

 しばらく歩いて階段を降りたところで――


『で、どうすんだ?』


 と、オーエンが不思議な声を響かせて質問してくる。


「どうもこうもないわ。なるようになるだけよ」

『なるようになる、ね。ま、そうだろうな』


 いかにして夏穂には不可視の透明人間を騙すか。それがこの件の解決の糸口である。


 これからはその方法を考えなければならない。

 さて――どうしてやろうか。

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