第97話 透明人間の逆襲13

 見えない敵を倒す方法を考えてみよう。


 最近、学園の校舎を徘徊しているという怪人は――夏穂にだけは見えない存在だ。


 見えない――ただそれだけで圧倒的に有利である。人間という生物は外界の認識の多くを目に頼っていて、それは夏穂も例外ではない。見えない=存在しないというわけではないが――外界の認識を目に頼っている以上、そこで見えなければ、対処するのはとても難しくなる。


 だが――


「見えなくとも――こっちに攻撃できるんだから、触れると思うんだけど――どう思う?」


 夏穂は自分の裡にいるオーエンに質問する。


『相手から触られるんだから、こっちからだって触れるはずだ。向こうは触れるがこっちは触れないっていうのは少しあり得ない。触るっていうのは相互作用の結果だからな』


 オーエンは年齢も性別も判然としない声を響かせる。


「でもあなた――こないだ殴られたときは見つけられなかったわよね?」

『それは――あの怪人は怪異――というか俺とはほぼ相互作用しないんだろ。怪異の視点から見た場合、あいつはそこにいるけどほとんど相互作用をしない。

 ほとんど相互作用をしないのなら、存在しないのと同じだ。ニュートリノみてえなもんだな。俺はあいつを食えないし、あいつも俺には攻撃できない。だから俺はあいつを食えなかったわけだ。存在しないわけだからな』

「……面倒ねえ」


 やつはまさしく、オーエンにとって正真正銘の透明な存在なのだ。


 それに――

 特定の怪異と相互作用を起こさないなんて、偶然にしてはでき過ぎている。どう考えても――あの怪人は――夏穂とオーエンを狙い撃ちにした怪異だ。


 夏穂には見えない。

 オーエンには存在すら感知できない。


 この二つが揃っていて、偶然と思うほど夏穂は間抜けではない――はずだ。


「触れるかどうか、次に襲われたら試してみる?」

『いいんじゃないか。触ってなにかありゃめっけもんだ』


 もう一つ気になることがある。

 あの怪人は誰かが変異しているものなのか――

 それとも、誰かによって操られているかである。


 いや――


 夏穂以外の誰かに姿を見られると消えてしまう性質を考えると――誰かが変異しているのなら、消えた瞬間にその誰かが見えるはずだ。


 そんな目撃例は聞いたことがいから――

 なら――あれは誰かが変異した存在ではない。


 もう一つの身体を――遠隔で操作しているパターンが非常に高い。

 遠隔で操作しているのなら――制御できる範囲があるのだろうか?


 あり得るかもしれないが、あったとしても――それなりの距離はあるだろう。少なくとも校舎全体をカバーできる範囲のはずだ。


「一つ気になるのだけど――私があの怪人に触れるとして、怪人に傷をつけたら、動かしている奴にもなにか影響があるのかしら」

『ふむ……』


 オーエンは思案するような声を響かせる。

 五秒ほど時間を置いたところで――


『あり得るな。怪人に傷を負わせたら、動かしている奴も同じように傷を負うとは限らないが、遠隔で動かしている以上、感覚なんかを共有している可能性は高いはずだ。

 感覚を共有せずに別の身体を動かすなんて、なかなかできんしな。運がよかったら、腕の皮とかむしってやれば、動かしてる奴も怪我するかもしれないぜ』

「それだとありがたいわね。わかりやすいし」


 とはいっても、犯人のアテはもうついているのだが。


「そういえば――どうしてあいつ、二回目のときには電気使ってこなかったのかしら」

『ああ、確かにそうだ。殴り殺すより電気のほうがやりやすいのにな』

「バッテリーでも使ってるかしら?」

『さあな。一回使うと疲れてしばらく使えなくなるんじゃねーの。理由は知らないけど、あのときの電流は結構な強力なもんだったし。まだ慣れてないのかもな』


 電流が疲れてしばらく使えないのだとしても――


 最初の襲われたのは三日前の土曜だ。三日あれば、もう使えるようになっていると見たほうがいいだろう。


「殴られるのなら多少我慢できそうだけど――電気はどうなのかしらね」

『さあ。気合と根性でなんとかすりゃいいんじゃねえの?』

「気合と根性、ねえ」


 夏穂は気合とも根性とも縁遠いが――怪人の脅威をなんとかするなら、やってやるしかないのだろう。


 果たして――どこまでできるか。

 今回できなければ、次を考えよう。

 これで死んだのなら――それでもいい。


 どうせ、人として破綻して生きている夏穂は長くないのだ。いずれくる破綻がその日だったというだけである。

 しかし――


「命は――どう思うかしら」


 死ぬのは構わない。


 実際に何度も経験していることだ。死を怖がれるような人間らしさなど夏穂には微塵も残っていない。死が恐かったら、いままでだってもっと死を避けてきただろう。夏穂は自分に迫りくる死を避けたことはまるでない。


 そもそも――


 死ぬよりも苛烈な地獄を味わって――運悪く生き残ってしまった夏穂にとって、死はとても身近な存在だ。


 だけど――


 自分がもし死んだら、命は自身に負った傷を共有できる者がいなくなってしまう。


 それだけは――気がかりだ。


 あの娘はまだ――人でいることをやめていないから。

 やめてほしくないと夏穂も思っているから。

 もし――自分がここで怪人に殺されて――命が一人になってしまったら――


「命は――悲しんでくれるかしら」


 そう思ってくれるのなら――嬉しいけれど。


『そりゃ悲しむだろ。あの小娘はお前のことが大好きだからな。そうじゃなきゃ、お前が怪人にぼこぼこにされてたときに駆けつけてきたりはしないさ』

「そう――なのかしら」


 人でいるのをやめるしかなかった夏穂にはよくわからない。


「一回戻ってプロポーズとかしたほうがいいのかしら」

『いや、自分で死亡フラグを立てるなよ』


 そこで――

 ガン、と大きな音が鳴り響いた。


 夏穂は立ち上がり、音がした方向に目を向ける。

 そこには――


 なにもない。

 ように見える。


 だけど――

 がたがたと机を押しのけているので、なにかが近づいてくることはわかった。


 なにもないところから、視線を感じる。


 確かにあやふやな存在だ。間違いなくそこにいるはずなのに、気配を感じない。空き教室で待ち構えているのは正解だったかな。


 夏穂がいたのはもう誰もいなくなった放課後の使われていない教室である。椅子と机を散乱させ、見えない相手が動いているのが少しでもわかるようにしていた。ここで待ち構えていれば――そのうち怪人はやってくるのではないかと踏んだ。賭けはどうやら当たったらしい。


 がちゃがちゃに散乱した椅子と机を押しのけて進んでいた不可視の怪人はその足を止める。


「どうしたの? さっさと来なさいよ。私のこと殺しにきたんでしょう?」


 夏穂が挑発すると――


 一番近くにあった机が宙に持ち上がって――夏穂に向かって猛スピードで投げつけられた。

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