第76話 宇宙からの襲来8

 自分以外の誰かによって自分の身体を動かされる、というのはなかなか奇妙な経験だった。その奇妙さを伝えるのはとても難しい。


 以前、テレビで見た――自分の意思とは関係なく手が動いてしまう『エイリアンハンドシンドローム』を患っている人はこういう感覚なのだろうか、と思った。


 昼間――わたしの身体を使ってヒカリは特殊能力を使った。使ったのは軽い身体強化。


 身体強化をすると、わたしには平均的な身体能力しかなかったはずなのに、一流アスリートのような動きができるようになる。本当に自分の身体なのかと思うほど軽やかに動いていた。


 しかし――


 わたしのずっと病院で過ごしていて、身体がなまっているわたしにとって諸刃の剣であった。身体強化をすると、自分が思っている以上に身体を動かせてしまうため、しばらくすると猛烈な疲労感に襲われて動けなくなってしまうのだ。


 それはきっと、わたしの身体にどこか無理が生じた結果なのかもしれない。ここぞというときにちょっとだけ使う、というのが正しいのかもしれない。


 他にも色々と特殊な力があるようだが、わたしの身体を使って行ったのはこれだけだった。


 果たして――大丈夫なのだろうか。


 いや――前にわたしが見た映像を考えると、普通の人よりちょっと優れている程度の力しか出せないのなら確実に無理だ。ここではないどこかの惑星で行われていたヒカリとダークの戦闘は、マーヴェルの映画だったと言われたほうが納得できるくらいすさまじいものだった。ちょっと身体を強くしただけのわたしの身体で、あんなことができるとは思えない。


 協力するのだから、もっとヒカリの力になりたい、と言ったけれど――


『それは駄目。きみは自分の身体を大事にしなきゃだめだ。きみの身体はきみだけのものだ。本来ならぼくが使っていいものじゃない』


 と、にべもなく言われ、断られてしまった。


 正直なところ、わたしはヒカリに自分の身体を酷使してもらいたかった。


 わたしにはもう――なにもなくなってしまったから。

 価値というものをすべて失ってしまったから。


 ダークを倒すために、自分の身体を使ってもらえば、なにもなくなったわたしにも幾ばくかの価値が生まれると思ったから。


 だけど――

 ヒカリはそのわたしの気持ちを理解してくれない。


 ――違う。


 ヒカリは理解を拒んでいるわけじゃない。ヒカリはただ善良なだけなのだ。まだ命ある存在を、自分の目的のために現場にあったものを使い潰すというのができない――それはヒカリの性分なのだろう。そういったことに躊躇しないタイプだったのなら、二個目の死体を使っていただろうし、わたしとコンタクトなんてとらなかったはずだ。


 ダークを倒す、という目的だけを考えれば――わたしへの配慮など必要ない。


 なのに、ヒカリはわざわざそれをやっている。わたしと楽しそうに会話をし、わたしの身を案じてくれている。何故する理由のないことをやっているのか? それは、ヒカリがそうしたいからに他ならない。


 誰かのためにそうするのではなく、自分がそうしたいからする――そういうふうに考える存在は信用できる――と思う。


 ヒカリの気持ちは――嬉しい。


 それでも――

 それでもわたしは、死というものを未だに強く望んでいる。

 最後に残ったこの身体と『わたし』を壊してしまいたいと強く願っている。


 ――ままならない。

 どうしてこうなのだろう。


 わたしには――もう大事なものなんてなにも残っていないのに。


 どうしてみんな『自分を大切にしろ』なんていうんだろう?

 身体が傷つくと痛いから? 悲しいから? それとも生存本能?


 ――よくわからない。


 痛みはなにか知っている。

 悲しいという気持ちも理解できる。

 だけど――それを自分のものと実感がどうしてもできない。


 わたしは――そういうものを感じる機能まで壊れてしまったのだろうか?

 壊れてしまっても、おかしくないけれど。

 そんなことを考えていると――


 病室の扉がいきなり開かれ、誰かが入ってきた。


 わたしの病室にいきなり入ってきたのは医師でも看護師でもない。まったく見知らぬ老人だ。


 それに――


 運動不足のわたし以上に覚束ない足取り。

 白濁し、なにも見えていないのは明らかな目。


 それなのにもかかわらず、老人はわたしに向かってゆっくりと近づいてくる。

 これは――どう考えても、入院患者が病室を間違えたわけではない。


 老人は関節が固まってしまっているのか、足がろくに曲がっていなかった。わたしでも思い切り蹴り飛ばせば転倒くらいはさせられそうだが――


『逃げよう』


 ヒカリの声が聞こえて、わたしはナースコールを押した。ナースコールを押されても、老人は意に介さないで、枯れ木みたいに細くなった腕を伸ばして、わたしに一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。


 あと三十センチで老人の手につかまれるというところで――わたしはその横をすり抜けて病室の外に出る。


 ――あれは? とわたしはヒカリに質問した。


『あれは動く死体だ。ダークが病院の中にあった幽霊とかを集めて、地下の安置室にあった死体に入れて動かしているんだと思う。


『見ての通り、知能はゼロだけど、すでに死んでいるから、下手な攻撃じゃ倒せないし、ためらいもしないからこちらが思っている以上に力が強い。倒すのなら――なんとかして、死体の中に入れられているものを引きはがさないと――』


 背中からどんどんとぶつかる音が聞こえてくる。動く死体が力づくで扉を開けようとしているのだ。わたしは必死になってドアを両手で押さえる。


 しかし――反対から向けられる力は、枯れ木みたいに細い腕とは思えないほどとても強くて、看護師の誰かがやってくるまでとても保たない。わたしの腕は逆側から与えられている力でぷるぷると震えた。


『このままじゃ駄目だ。いくら老人とはいえ相手は男だ。女の子のきみではとても敵わない』


 そんな声が響くと同時に、逆側から与えられていた力がわたしの力を超え、扉が強引に開かれた。強引に開かれたのでわたしの身体は後ろに突き飛ばされ、廊下の壁に頭をぶつけてしまう。


 動く死体はわたしに向かって近づいてくる。その動きはやっぱり遅く重い。ゾンビみたいだ。


 先ほどナースコールを押したのに、誰か来る気配はまるでない――病院の中は静寂に包まれたままだ。


 立って逃げようとして、後頭部を思い切りぶつけたせいで足もとがふらついた。動く死体との距離はあと三メートルほど。


 ふらつくのをなんとか抑えて、わたしはなんとか走り出す。


 ――誰か来るまで逃げたほうがいいかな?


『いや――ダークは偶然通りかかる誰かへの対策はしてると思う。夜の間は何故か、ぼくらのところには誰も近づいてこないようになっているだろうね。


『現にさっきナースコールを押したのに、誰も来ていない。だから、人が多くなる朝まで逃げてるわけにはいかないと思う。


『それに朝になるまで、あと何時間も緊張状態のまま逃げるのは大変だ。しばらく入院してて、体力が落ちてるきみには負担が大きすぎる』


 確かにその通りだ。朝まで逃げ続けるなんてできるとは思えない。

 だけど、逃げる以外になにか手段は――


 ――ねえ、さっき死体から中に入っているものを引きはがさないといけないって言ってたよね?


『うん』


 ――ヒカリになにかできることがあるのなら、わたしの身体を使って。


 わたしは、ヒカリに強く語りかける。


『……それは』


 ――わたしの身体を思ってくれるのは嬉しい。だけど、このままだとわたしはあいつに殺されちゃう。それじゃヒカリがわたしのことを思ってくれた意味がない。だから――


『――そうだね。今回はきみが正しい。この状況であーだこーだ言ってられない。ぼくはきみのことを守るって言ったんだから。その責務をしっかり果たそう』


 少しだけ躊躇を見せたあと、ヒカリは力強い声を響かせた。わたしは、ありがと、とヒカリにお礼を言った。


『できるだけ――きみの身体には配慮する。なにか異常があったらすぐに言ってくれ。それだけは約束してくれないか?』


 ――うん。


『それじゃあ――行くよ』


 わたしの身体はヒカリへその権限が移る。ヒカリの力で身体強化して動く死体に一気に近づいて――


『そこだ』


 動く死体の鳩尾のあたりに手を突っ込んで――

 なにかを思い切り引き抜いて潰したところで――わたしの意識は途切れた。

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