第65話 略奪の悪魔19

 いつまでも続くかのように思われた混乱は呆気なく終わりを告げた。

 学園の人員だけでは事態を収束できないと判断し、警察に通報され、暴れていた生徒たちはすぐに取り押さえられたのだ。


 その場にいなかった夏穂たちは、暴れていた生徒たちがどうなったのかまったくわからない。暴れていた生徒たちの話など聞く必要もないだろう。どうせ聞ける相手などいないのだし、わざわざそんなことをする必要もない。


 混乱が集結した午後六時過ぎ――夏穂は動き出した。なにからあれこれとやっている『悪魔』とやらをなんとかするために。

 夏穂は扉をノックする。


「あんたたちか……もう一人はどうしたの?」


 扉を開けて出てきたのは、混乱の最中に知り合った先輩――原田志乃だ。

 きっと志乃は夏穂たちがアポを取りつけたときと同じく三人でやってくると思っていたのだろう。相変わらず憮然とした様子で夏穂と命に視線を向けている。


「阿黒さんはどうも都合が悪くなってしまったようで。まあ、別に彼女がいなくても問題はありませんから、特に気にしないでいただければ」

「……ふん。まあいいけど。で、なんの用?」

「ところで先輩、パソコンってあります?」

「一応あるけど――もしかしてそれを使わせろとか言うんじゃないでしょうね?」

「そうですけど。なにか問題でもありますか?」


 志乃は、悪びれる様子なく言った夏穂のことを鋭い目つきで睨みつける。


「まあ、そう睨まないでくださいよ先輩。別に先輩の趣味を覗こうってわけじゃありませんから。というか興味ないですし。安心してください」

「……あんたって嫌われてるでしょ」

「そりゃあもう。汚物とか害虫とかそんなレベルで嫌われていますよ。なに当たり前のことを言ってるんですか?」

「ほんと、やりにくいわあんた。一体なんなの?」


 忌々しげな口調で志乃は言う。


「なんなの、と訊かれますと、小さいときに不幸な目に遭った可哀想な女子って感じですね。ま、先輩には関係ないことでございますし、説明もしづらいので適当に流してくれると私としては助かるのですけど」

「……そう言われるのはちょっと勘に障るけど――まあいいわ。あたしもあんたになんて興味ないし。さっさと上がりなさいよ。ルームメイトには外してもらってるから気にしないでいいわ。なにかやることがあるんでしょう?」

「ありがとうございます。それでは失礼します」


 夏穂はそう言って、志乃の部屋へと上がる。志乃の部屋は受験生らしく、参考書や赤本がたくさんあった。


「右の机があたしのだから。そっちを使って」

「だってさ。命、よろしくね」


 夏穂はそう言って命を促した。命は小さく頷いて、右の椅子に腰かける。彼女には事前になにをやるか伝えてあるから、ちゃんとやってくれるはずだ。


「あんたがやるんじゃないの?」


 志乃は夏穂ではなく一緒についてきていた命が椅子に座ったことが意外だったらしい。


「ちょっと事情がありまして。別に私でも問題ないと思うんですけど、念のために」

「なんなのよほんと……」

「まあそう言わないでください。ちょっとお話しませんか?」

「なによ。話って」

「たいしたことじゃありませんよ。ただ手持ち無沙汰なので暇潰しでもしましょうってやつです」

「それよりも、あんたらに協力したらメッセージの解読方法を教えてくれるってのは本当なの?」

「そりゃあもう。嘘つきは人として最低な奴がすることですから。ちゃんと教えますよ。でも、その前に聞かせてほしいんですけど――どうして先輩は願いを叶えてほしいんですか?」


 志乃は少しだけ躊躇を見せたのち、口を開く。


「……受験勉強に疲れたから、楽したくなっただけよ」

「受験ですか――私も来年は受験生ですし、他人事とは思えませんねえ」

「あんたがそんなことで悩むとは思えないけど」

「あら、そうですか。先輩、なかなか人を見る目がありますね。ええ、まったくもってその通りです」


 うんうん、と夏穂は頷いた。

 夏穂にとって、受験という近い未来にあることですら他人事である。


「受験が大変というのはわかっているのですが――でもまあ、いま話題の『悪魔』に願うのはやめたほうがいいと思いますよ」

「……どういうことよ」


 志乃は重々しい口調になって夏穂に質問をする。


「今日学園で起こったあの騒動って、その自称『悪魔』とやらに願いを叶えてもらった結果起こったことみたいなんで」

「……ほんと?」


 志乃は眉根を寄せて夏穂に問う。


「ええ。なにをどうされたのか詳しいことはわからないんですけど――願いを叶えてもらった娘たちはなにか奪われてしまったようで。


「先輩はどう思いますか?


「あんなみっともない姿になってでも、願いを叶えたいというのなら私は止めませんけど。私には先輩を強制する権利なんてありませんしね」


 夏穂はスマートフォンを操作し、志乃のIDに姫乃から送られてきたURLを送信して言う。


「いまお送りしたそのリンク先にあるフリーソフトをダウンロードして、あのメッセージを開けば解読できますよ」


 夏穂は志乃を見据えて続けた。


「ま、私には先輩の選択を指図する権利はありませんので、好きにするといいでしょう。なにを願おうが個人の自由ですから。そもそも、先輩がどうなろうと私の知ったことじゃありませんし。私には他人がなにをどうしようと気にしている余裕なんてありませんから」

「あんた……」


 志乃はなにか見てはいけないものを見てしまったかのような目を夏穂に向ける。


「本当に狂ってるようね。もしかして、あんたがひと学年下にいるっていう『魔女』なわけ?」

「私の知らないところでそんなことを言われてるようですね。噂には疎いし、興味もないのでよく知らないんですけれど」


 そんな話をしていると、机で作業をしてもらっていた命が夏穂のもとに戻ってきた。どうやら、作業は終わったらしい。


「それでは、やることは全部終わったので、そろそろ失礼させていただきます。ご協力ありがとうございました」


 夏穂は立ち上がり、恭しく一礼する。それから振り返って歩き出そうとすると――


「待って。あたしのパソコンでなにをしたの?」

「たいしたことはしていません。PC版のトークアプリを入れて、捨てIDを使ってメッセージを送らせてもらっただけです。必要なければ消しても大丈夫ですよ」

「どうしてそんなことを?」

「決まってるじゃないですか。願いを叶えるといって、ここの生徒たちになにか悪さをしている『悪魔』とやらを呼び出すためですよ。


「自分のでやるとうまくいかないかもしれないと思ったので、ちょっとした小細工ですね。うまくいくかは不明ですけど」

「…………」


 志乃はなにも言わない。言えなかったのかもしれない。どちらであっても夏穂にとって同じだ。そんな相手がなにか言うまで待っている義理などまったくない。命の手を握って、夏穂は歩き出した。


「それでは失礼します」


 志乃に引き留められることもなく、夏穂と命は部屋を出て行った。

 さて。

 いまできる手は打った。あとは向こうがどう動くかだ。


 だが――


「どうしたの?」


 しばらく歩いたところで、命は夏穂の制服を引っ張っていることに気づいた。どうやら、トイレに行きたいらしい。


「それじゃ、私は前で待ってるから行ってきなさい」


 夏穂がそう言うと、命は不安そうな顔をしたのちに頷いて、手を離してトイレに向かっていった。命の手が離れてから、今日はなんだかずっと誰かの手を握っていたな、というのを思い出した。


 そのとき――

 からからからと、乾いた音が響いた。


 夏穂はその音が聞こえた方向に振り向き、そちらに歩を進める。

 そこには――


「空き缶?」


 どこにでもある、ジュースの空き缶が転がっていた。違うところは――飲み口を塞がれ、中になにか硬いものが入っていることだけで――


 しゃがんで転がってきた空き缶をどうしようかと思っていると――頭部に強い衝撃が感じられて、夏穂の意識はそこで断絶した。

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