第66話 略奪の悪魔20

 俺の目の前に転がっているのは、障害であった里見夏穂だ。

 先ほど調達してきた結束バンドで手足を拘束され、まったく身動きできない状態にしてある。無様な奴の姿を見て、俺は自分の勝利を確信していた。


 里見夏穂の攻撃を受けた際の報復は俺が思っていた通り、奴自身の認識力で制限されている。その仮説は間違っていなかった。


 攻撃を受けた相手を認識できなかった場合、彼女の報復は発動しない――俺が里見夏穂の認識外から攻撃し、昏倒させ、こうやって何事もなく彼女を拘束できていることが紛れもない証拠と言える。


 さてと――

 里見夏穂はちゃんと応じてくれるだろうか?


 ――応じるに決まっている。

 里見夏穂は化物かもしれないが、会話はできる。


 そして、怪異を食らい、怪物的に死なないことを除けば、身体能力はそこらの女子高生と同じだ。


 いや、データを見る限りでは身体能力はかなり劣っているだろう。そんな身体能力の娘が、結束バンドで拘束された手足を解くことなどできるはずもない。彼女の持つ絶対的な力は怪異に対してだけなのだから。


 それに――俺が交渉するのは里見夏穂ではなく白井命である。


 里見夏穂は白井命にご執心だ。その白井命が決めたことであれば、里見夏穂は無下に扱うはずもない。


 そして、無下に扱った結果、白井命に危害が及ぶとなれば里見夏穂は大人しくしてくれるはずだ。


 物理的な排除ができない里見夏穂を材料に使い、白井命と交渉をする――俺がさらなる高みを目指すために決めた一撃は見事に決まったといえるだろう。


「んー」


 地面に転がっている里見夏穂が意識を取り戻したようだ。

 彼女はすぐに自分の手足が拘束されていることに気づき、それから身体を起こして目の前に立つ俺に目線を向けてくる。


「起きたか」

「おかげさまで」


 手足を拘束され、先ほどまでとまったく違った場所にいるというのに、里見夏穂はいつもと変わらぬ様子であった。つくづく化物じみた娘である。


「で、これはどういう真似かしら、阿黒さん」

「…………」

「いや、違うか。あなたは阿黒さんの身体を勝手に借りてるだけだものね。阿黒さんのことを犯人扱いするのはよくないか」


 そう言った里見夏穂はどこまでも人らしさを欠いていた。なるほど。これはなかなか外れている。この学園の生徒たちが忌避するのも当然だろう。


「ほう……どうやらなにか知っているようだな。いいだろう。言ってみろ。白井命が来るまでまだ時間はあるからな」


 俺は仮面を外して、適当に放り投げて言った。

 白井命がやってくるのはいまから三十分ほどあとだ。


 寮のトイレの前で里見夏穂を昏倒させ攫ったときに残していった手紙にそう書いておいた。白井命の性質から判断すれば、しっかりと時間は守ってくれるだろう。


「まず、不審だったのはあなたの気配があったりなかったりしたことなのよね。いくらなんでも完全に気配を消せるわけがない。怪異が生きやすいこの場所ならなおのこと。


「強くなれば強くなるほど、その痕跡を消すのは難しくなるわけだし。あなたがどんなすごい力を持っていても、たぶんそれはできないでしょう。


「だから、ここになにか仕掛けがあるのではないかと思ったのよ。

 それはなにかって考えていたのだけど――つい最近あなたが見ている光景を覗かせてもらってね。


「好きでやったわけではないから、悪く思わないでほしいところだけれど――あなたが見ていたのは、想像を絶するほど多くの情報に満たされた広大な暗黒の空間――宇宙のように見えるけれど宇宙とはまったく違う場所――それでいて外部とは隔絶されているこの学園とも地続きになっている場所――


「インターネットの世界ね。あなたはそこに存在する怪異。電脳怪異って感じかしら。


「この場所に確かにいるのに、本質はそこにはなかったのは、あなたがネットの世界にいる存在だったから。ここは出欠席をはじめ、色々と電子化されているから、あなたにとっても都合がよかったのでしょう。


「怪異であるあなたがどうしてネットの世界にいるのかよくわからないけれど――ここまでネットが発達しているのだし、そこから怪異が生まれても不思議ではないわね。


「ま、とにかくあなたはゼロと一の世界にいる存在ってわけ。


「でも、ゼロと一の世界に生きるあなたは基本的に違う世界に生きている人間には干渉できない。あなたはどんな電子端末にでも移動できるけれど――違う世界に生きている人間に対して無力な存在に過ぎなかった。


「けれど――


「宇宙のごとき広大なネットの世界を飛び回っていたあなたは、自分のことを受信できる存在を見つけた。それが阿黒さんだったわけ。


「阿黒さんは昔から霊感があって、この学園に来てからはその力も強まっていただろうし、できても不思議じゃないわね。


「本来であれば干渉できない人間に対して、干渉できるようになったあなたはそれから動き出した。


「電脳怪異としての力を使って、学園の生徒に願いを叶えるメッセージを送りつけ、願いを叶えてもらった彼女たちから自分が持ちえなかったものを対価として『なにか』をいただいていった。


「本当にあなたが願いを叶えていたのかはわからないし、どうでもいいわ。まあでも、あなたは詐欺師ではなく怪異だから、しっかりと願いを叶えていたのでしょう。それがどういう形なのかは別としてね。


「願いを叶えて『なにか』を奪われてしまった彼女たちが、今日の騒動を巻き起こした。あなたは一体なにをいただいていたのかしら? 暴れている彼女たちにはまるで理性というものが感じられなかったけれど。


「あなたがなにを奪ったのかはもうどうでもいいわね。なにを奪おうがどうしようが私の知ったことじゃないし。奪ったあなたをなんとかすれば、勝手に戻っていくでしょう。戻らなかったとしても、そこまで責任は取れないわ。知り合いでもなんでもないし。


「願いを叶えるなんてものに軽々しく縋った授業料ってとこね。今後どうなろうが知ったことじゃない。


「で。

 私を取引材料にして、命と取引を行う。その選択は限りなく正しかったわ。

 ただ一つだけ犯した間違いを除けば――になってしまうけれど」


 長々と語ったこの娘からは依然として余裕が感じられる。手足を拘束され、なにもできない状況だというのに。


 この化物は――なにを知っている?

 この俺の選択に間違いなどなかった。

 この回答に行き着いたのは、合理的に考えた結果である。


「だって、あなたの持っていたアドバンテージって、姿を現さないことにあったわけでしょう。ネットの世界に存在し、必要なときにだけ阿黒さんの身体を使う――あなたが私に対して持っていた優位性はそれだったはず。


「だから私は――あなたを私の前に姿を現してもらうために小細工をしたのだけど――それも無駄だったわね。あなたの方から姿を現してくれたのだから。ま、楽だからいいけれど」

「先ほど届いたメッセージは……お前か」


 学園の生徒が持っているPCから送られてきた――何度も見かけた『願いを叶えて欲しい』者が送ってくるメッセージ。別段、それにかんしてなにも思うことはなかった。


「なにが言いたい?」


 俺は手足を拘束され、なにもできないはずの小娘から得体のしれない脅威を感じていた。


 なんだこれは。

 俺は間違えてなどいない。間違えていない――はずなのに。

 いまの俺には、拭いきれない『なにか』あるように思えてならない。


「あなたは私に危害を加えたときに発動する報復を脅威と感じていたのでしょう。うん。その判断は決して間違っていないわ。


「そして、命を交渉の材料に使うと面倒なことになるというのも正しい。


「だからこそ私を拘束して、命と交渉するって回答に行き着いた。リスクとリターンをしっかりと量った合理的な解答なのは事実よ。


「だけど――


「私の中に溶けている怪異は捕食者なのよ。殴られたり殺されたりしなければ、使えないってわけじゃないの。本来であれば私の自由意思で発動できる。


「別に、あなたのことを騙そうと思ってこれを使ってないわけじゃないわ。ただ、面倒なだけ。使わずに済めばそれが一番でもあるし。ま、結局いつもぶっ殺されたりして、勝手に動き出してしまうわけだけど。


「なにが言いたいのかというと――

 捕食者の前にのこのこと姿を現すって慢心しすぎだと思わない?」


 手足を拘束され、身動きができない里見夏穂の身体から溶け出してくるのは、あらゆる怪異を際限なく飲み込む黒い『なにか』――およそこの世に存在するすべてに似ていない存在。里見夏穂から溶け出した黒い『なにか』はこの俺を食らうべく一気に襲いかかって――


「くそっ!」


 気づくと俺は、手足を拘束され――身動きがまったくできないはずの里見夏穂の頭部を爆散させていた。里見夏穂の頭部が吹き飛ぶと同時に、黒い『なにか』の動きも止まる。


 彼女の頭は原型すらも残さずに細切れの肉片に変わり果てていた。噴水のごとく血が勢いよく噴き出し、教室の一角がグロテスクな赤色に染まる。


 その光景を目の当たりにして、俺は反射的に行ってしまった自分の行いを悔いるしかない。頭部を失った里見夏穂の胴体から、笑い声が聞こえた――ような気がした。


 なにがあっても里見夏穂に危害を加えないと決めていたはずなのに――どういうことだ? いや、あのままでは俺は奴に『食われて』いた。身を守るために攻撃したのは判断としては間違っていない。


 だが――

 怪異である俺が里見夏穂の前に姿を現してしまった時点で『詰んで』いたのだ。


 彼女の持つ報復に気を取られるあまり、捕食者という本質を見過ごしてしまったために。


 くそ――

 逃げるしかない。


 阿黒きらの身体にいたら、俺は確実にあの黒い『なにか』に食われてしまう。


 あの人でなしの里見夏穂が、阿黒きらと知り合いだからと言って、手を退いてくれるはずもない。阿黒きらもいままでの娘たちと同じように廃人同然にして、俺のことを『食う』はずだ。あの娘は、人間というものに一切の関心を持っていないのだから。


 俺は阿黒きらの身体を離れ、彼女のスマートフォンを伝って広大な暗黒空間へと逃げ出した。屈辱的な敗走という他にない。屈辱的だが――身を守るためにはこれ以外、手が残されていないのも事実であった。


 くそ――

 せっかく積み上げてきたものがすべて崩れてしまった。


 俺は里見夏穂に対して、所詮小娘と侮っていたのだ。彼女に関する評価を改める必要がある。いままで積み上げてきたものをすべて捨て、態勢を立て直さなければ――


 かかわると破滅する――『魔女』とはよく言ったものだ。この俺ですら、こんなことになってしまうとは――


「え」


 そのとき――ぐさり、と自身を貫く感触が伝わってきた。


「馬鹿、な」


 この電子の世界を満たす暗黒よりもさらに深い暗黒が覆い尽くしていて――

 そのすべてが、この俺を食らうべく一気に襲いかかってきた。

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