第49話 略奪の悪魔3

 願いを叶えてくれる悪魔のうわさが出てきたのはいつ頃だろうか? 最近、学園内で流れ始めたきな臭いことこのうえないうわさ話について、阿黒きらは少しだけ考えてみる。


 願いを叶えてくれる――それはたぶん素晴らしいことなんだろう。まるでどこかのおとぎ話みたいだ。


 もちろん、きらにだって叶えたい願いくらいある。そんなの当たり前だ。こちらもお年頃の女子高生である。具体的にはお金とか時間とかお金とか時間とか湯水のように使いたい。お金も時間も、あればあるだけいいものだ。少なかったらとても不幸せだけど、多すぎて不幸せになることはない。お金や時間というのはそういうものである。ある意味では誰にとっても平等と言えるだろう。願いなんてものを叶えるのならば、そういうもののほうがいいはずだ。


 女子高生らしくないと言われてしまえば「せやな」と返す以外ない。


 でもいいじゃないかそんなもの。女子高生だって金も時間も使うのだから、欲しがって当たり前じゃないか。女子高生らしくないなどと言われる筋合いはまったくない。なにを望もうがこっちの勝手だろう。他人の望みにまで、余計な口を挟まないでほしい。


 しかし――


「願いを叶えてくれるのがランプの魔神じゃなくて悪魔なのが問題よねえ」


 きらはぼそりと呟いた。誰にも聞こえないくらい小さく言った独り言なので、誰もその言葉には反応しない。教室に広がっているのはいつもの昼休みの光景だ。がやがやと騒がしく、食事をしたりお喋りに興じている。願いを叶えてくれる悪魔のうわさなんて嘘と思えるくらいには平和で日常的だ。


 そもそも――いつから悪魔の噂なんて流れ出したのだろう――そんなことをきらは疑問に思った。


 少なくとも、秋休みの前にはそんな話まったく聞いた覚えがない。悪魔の話が出てきたのはここ最近のことだ。具体的にどれくらいかわからないけれど――たぶん十一月に入ったあたり、だと思う。というか、悪魔の話がいつから出てきたとかそんなのはっきりいってどうでもいい。大事なのは――


「悪魔なんだから、願いを叶えてもらったら絶対なにか対価を要求されるよねえ……」


 かの有名な『ファウスト』のように。


 悪魔に願えば――それが大きいものであればあるほど――要求される対価は大きくなる――はずだ。


 この学園でうわさされている悪魔は願いを叶えるかわりにどんなものを要求してくるのだろうか?


 願いといっても、願う人によってその大きさは様々だ。願いというのはどこまでも相対的である。誰かにとって取るに足らないものであっても、別の誰かにとっては命よりも大切だったりする。


 きらにとって百億円を得るという願いはとても大きいが、使い切れないほどの資産を持つアラブの石油王やIT長者にとってそれはたいしたものではない。願いの価値は個人に依存している。そしてそのどちらも正しい。願いというのはそういうものだ。願いの大きさ、重要さは誰にとっても常に一定ではない。なんだか妙だけど、面白い話だ。


 話を戻そう。

 学園に現れる悪魔は願いを叶えるためになにを要求してくるのだろうか?


 悪魔と言われるくらいだ。とても邪悪で、きらとはまったく違った価値観と判断基準を持ち、人間らしい倫理観など微塵もない――そういうもの、だと思う。羽根とか角とか尻尾とか生えているのかもしれない。


 そんなものになにかを願う――どのように考えても危ないに決まっている。

 それなのにどうして、人間は悪魔に願ってしまうのだろう?


 悪魔に願えば――詐欺師に騙されるよりもひどい未来が待ち受けているかもしれないというのに。悪魔なんて――世に跋扈する詐欺師と変わらないのに。

 どうして、願いを叶えてくれると言われると、人間はその甘言に乗ってしまうのか?


 きらにはよくわからない。悪魔にすがりたくなるほど、すがらずにはいられないほど叶えたい願いが自分にはないせいだろうか?


 そうかもしれない。きらはずっと幸せな家庭で暮らしてきた裕福な子供だ。幸運なことに、貧困にも虐待にも襲われることはなかった。それは実家を離れ、寮暮らしをしているいまでも変わらない。


 だけど――


 満たされているのなら、同じ学園に通う娘たちだって同じではないのか? なにしろこの学園は全寮制の私立である。中には奨学金をもらって通っている娘もいるけれど、生徒の多くは裕福な家の娘だ。ここの娘たちは、平均的な女子高生よりも遥かに満たされているはずである。なのに、どうして――悪魔なんてものに願ってしまうのだろう?


 いや――

 満たされてはいないのかもしれない。


 裕福であっても、なに不自由なく暮らしてきたとしても――人間の欲望には際限がないから、大昔に提起されたパラドックスのように、永遠に満たされないのかもしれない。もっともっともっと。それが人間社会を発展させた要因でもあり、同時に悪癖でもある。


 たぶん――


 すべて満たされてしまって、これ以上なにも望まないというのは死に近いことなのかもしれない、と思う。


 なにかを望むのは、人として正常に活動している証――かもしれない。こんなことを考えている自分だって、なにかを望みながら生きているのだし。なにかを望むこと自体、それほど悪いことではないはずだ。


 だが――


 悪魔なんてものに願うのはダメだ。そんなことやってはいけない。悪魔に願いを叶えてもらうのは強い依存性のある薬物に手を出すのと同じだ。きらにはそうとしか思えなかった。


 きらがそんなふうに考えているのは、考えるようになったのは――たぶん、自分には『人には見えないモノ』が見えてしまう体質のせいなのかもしれない。


 きらは、昔からたびたび、『変なもの』を見かけて、それを親や兄弟、友人に言ってみると、みんな「なに言ってるの?」という反応を返された。それをどこか不審に思いつつも歳を重ねて――それが『自分以外には見えていない』ことに気づいたには小学校四年生のとき。それに気づいてから、『変なもの』を見かけても、誰かがいるときには絶対に口に出さないように決めていた。


 とはいっても、きらの霊感はそれほど強くない――と思う。


 ただぼんやりと見えるだけで、話すことも触ることもできなかったし、ホラー映画みたいに呪われたりするなんてことも一切なかった。だからそれほど怖いと思ったことし怖い思いもしたことはない。この月華学園に入学するまでは。


 月華学園は、変なものの目撃情報やおかしな体験談がとても多い。入学した生徒は、一度はそれを見たり体験したりするとも言われているほどである。多くの霊感のない娘ですら、そういうものを目撃してしまうくらいなので、弱いとはいえ霊感があるきらは普通よりも遥かに目撃してしまうのは当然であった。


 いまでもきらはほぼ毎日、なにかしら『おかしなもの』を目にしている。あまりにも見かけるので、スクールカウンセラーの三神教諭に相談したこともあった。彼女に相談したおかげである程度緩和されたものの、それでも頻繁に見てしまうのはいまも相変わらずだ。


 幸い、ここでも『変なもの』のせいで怖い目やひどい目や痛い目に遭ったことはない。遭ったことはないとはいえ、この学園で見かけてしまう『変なもの』がいいものだと思えないものまた事実である。


 噂に聞く『願いを叶えてくれる悪魔』が、きらがよく目にする『変なもの』と同じなのかはわからないけれど――『悪魔』なんて言われているものがいいものだとは思えない。いまのところなにかトラブルは耳にしていないけれど――『変なもの』がうようよいるこの場だと外では起こらないことも起こってしまうだろう。クラス委員長として、『変なもの』が見えてしまう体質の人間として、願いを叶えてくれる悪魔をなんとかしたいのである。


 だけど――


 自分にできるのは見ることだけだ。それでは、願いを叶えるなんて甘言を言ってくる悪魔をどうにかできるはずもない。だから、誰かの力を借りる必要がある。

 ごくり、ときらは唾を飲み込んだ。


 今日こそ話しかけよう――一度大きく息をついてから、何日も実行に移せなかったことをいまこそ実行しなければ――


 そう強く決心して、きらは横を向いた。


 きらの後ろの席では、二人のクラスメイトが仲睦まじくしている。クラスメイトの里見夏穂と白井命だ。


 命は夏穂の膝の上にちょこんと腰を下ろし、片方の手は指を絡めて繋がれていて――他にもクラスメイトがいるというのに、彼女たちはそんなことまったく気にする様子もなく二人だけの世界を作り上げている。


 まるで恋人同士みたいな二人は、それ以上のことはなにもしていないのに、どういうわけか妙に艶めかしく感じられて、いかがわしいことをしているのではないかと錯覚してしまうほどだ。そんな二人の邪魔をするのが申し訳なくて、ずっと声をかけられずにいる。


 それに――悪魔のことなかったとしても、いつかこの二人には話しかけなければいけないと思っていた。


 なにしろこの二人――クラスにまったくなじめていないのである。この二人がお互い以外で話をするのは、たまにやってくるやたらと元気な一年生しかいない。こういうことに対し、あまり口を出すべきじゃないのはわかっているのだけど、やっぱりクラス委員長としてこの二人をなんとかクラスになじませたいと思うのだ。


 声をかける決心ができずにもごもごしていると――夏穂がきらのほうに視線を向けて――


「なに?」


 と、ただそれだけ――焼けるほど冷たい口調で言い放った。まさか向こうから声をかけられるとは思っていなかったので、なにをどうしたらいいのかまったくわからなくなって――出そうと思っていた言葉は出てくれない。


『魔女』――里見夏穂はこの学園に生徒からそんなふうに呼ばれている。どうして彼女がそんなふうに呼ばれているのかも、当然だか知っていた。この娘とかかわると不幸になる。直接付き合いのある娘がそうなったことはなかったけれど、彼女にかかわった結果、目も当てられない状況になった生徒を実際に目にしたから、夏穂が多くの生徒から『魔女』と呼ばれているのも納得していた。


 正直なところ、夏穂のことが怖くなかったのかといえば嘘になる。たぶん、怖くなかったのなら、声をかけることに躊躇なんてしていなかっただろう。声をかけるのを何日も躊躇してしまうくらいには彼女が恐ろしい。


 だけど――


 悪魔をなんとかしたいのなら、その恐ろしさも乗り越えなければいけない。そう思う。『魔女』なんて言われているくらいだ。悪魔だってなんとかできるかもしれない。安直かもしれないけれど、きらはそんなふうに考えていた。


「えっと、その、里見さん、ちょっと相談したいことが、あるんだけ、ど、いい、かな?」


 しどろもどろになりながらも、きらは言葉を絞り出した。


「別にいいけど――相談なら私よりもっといい相手がいると思うよ。阿黒さん、委員長でしょ?」

「いや――そ、その――里見さんじゃなきゃダメなの!」


 思わずきらは机を叩いて大声を張り上げてしまった。クラスの視線のいくつかがこちらに向いてしまって、少しだけ恥ずかしくなった。


「……なんだか知らないけど――私じゃなきゃダメなことってなに?」


 夏穂はいつも通り平然としている。その様子を見れば、彼女がきらに対して拒否や不快感を持っていないのは明らかだ。千載一遇のチャンスである。これを逃したら、もっとやりにくくなってしまう。言え。言うしかない。きらはそう自分に言い聞かせた。


「里見さん、最近うわさになってる願いを叶えてくれる悪魔のこと知ってる? そのことを相談したくて……」


 それを言ったあと、夏穂さんのほうに目を向けてみると――いつも通り、平然と涼しい顔をして命といちゃついているのが見えた。

 本当に、これでよかったのだろうか――きらはそんなことを考えていた。

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