第44話 春と恋と金と炎12

「なんだけ眠そうだけど……大丈夫、姫ちゃん?」


 心配そうな声を姫乃にかけてきたのはルームメイトの望月朋香だった。朋香の言う通り、ここ数日、いろいろ立て込んでいたせいで姫乃の睡眠時間は足りていない。無理はよくないというのはわかっているのだが、はなのことを早くなんとかしたいと思うと、つい睡眠時間を削って作業をしてしまうのである。


 心配してくれるのはとてもありがたかったけれど――いま自分がなにをしているのか言うわけにはいかないので、ルームメイトには適当な言い訳をしておいた。内容が内容なので仕方ないとはいえ、仲のいい友人にそんなことをするのは本当に申し訳ないと思っている。できるのなら、今後こんなことせず楽しく学園生活を送りたい――それができればいいのだが……。


「大丈夫ですよ朋ちゃん。あたし結構頑丈なほうですから。そんなに心配しないでください」


 姫乃が軽く笑ってそう言うと、朋香はなにか言いたそうにしてはいたものの、それ以上口出ししてこなかった。困った顔をしている朋香を見てしまって、やはり申し訳ないという気持ちが強くなる。


 今日もはなは授業を休んでいる。心配なので毎日はなの部屋を訪ねているけれど、無理に来させようとは思わなかった。なにしろ、自分の目の前で友人が生きたまま燃えて死ぬ光景を見てしまったのだ。そう簡単に立ち直れるとは思えない。


 一番はじめに見に行ったときよりもいくぶんか顔色はよくなっていたが――それでもなにかに追い詰められ、極度に怯えている様子は相変わらずだ。


 友人がそんなことになっているのに、話し相手になるくらいしかできない自分がとてももどかしい。なにかできることはないだろうか――そう思うものの、結局なにもできないとわかって嫌な気持ちになってしまう。


 とは言っても、落ち込んではいられない。その甲斐もあり、はなとその友人たちになにがあったかについて大体把握できた。情報もまとまっている。残された問題は、どのようにすれば最大限の効果を発揮させられるかだ。

 さて、どうしようか。


「それでは今日もお先に失礼しますね朋ちゃん。また部屋で」


 姫乃は朋香に向かってそう言って、教室をあとにした。行き先は二年の教室だ。先輩に準備が終わったこと、これからのことを相談するためである。


 階段を上がって廊下を進んで、先輩のクラスへと足を運ぶ。もうどこのクラスも授業が終わっているらしく、廊下には上級生の姿が多数見える。何気ない顔をして上級生たちをすり抜けながら先輩のクラスを覗く。向かい側から、四人の生徒が駆け足でこちらに向かってきて、そのまま通過していった。


「……あれ」


 いつも教室の隅っこで一人でいるはずの先輩の姿がない。誰かとどこかに行ったとは思えないし、トイレか購買か自販機にでも行っているのだろうか? 探しにいって行き違いになっても面倒だと思って、姫乃はスマートフォンを取り出して、先輩にメッセージを送った。


「…………」


 五分、十分と経っても返信が返ってこない。なんだかんだ言いつつも、先輩はすごく律儀なので、こういった連絡はすぐ返してくれる。それを考えると、なにかあってのではないかと、嫌な予感がふつふつと湧き上がってくるのが感じられた。


 いつも返信が早いからといって、必ず早く返せるわけではないことくらいわかっている。

 しかし――今日の朝に前もって授業が終わったらそちらに行くとちゃんと連絡しているのにもかかわらず、返信が来ないのは不穏だ。

 不安な気持ちになりながらも、もう少し待ってみる。


 だが――さらに五分、十分と経過しても先輩からの返信も来ないし、教室に戻ってくる気配もない。姫乃の不安はさらに大きくなった。今度は通話をかけてみる。繋がったものの、コール音が続くだけで先輩は出てくれない。


 やはり――

 なにかあったのではないか――そうとしか思えなかった。なにかあったとするならば――


 はなと同じグループの誰かから、なにかされたのではないか。それ以外、ほかに心当たりはない。


 姫乃が、はなたちのグループを調べ始めたあと――先輩には彼女たちの詮索を露骨に行ってもらっていた。本命である姫乃から目を逸らすための囮である。先輩にはそれをやってもらっていた。


 はなたちのグループがなにをしていたのかわかってしまった姫乃にしてみれば、そんな詮索をしていた奴に手出しをしても不思議ではない。さすがに殺されるとは思えないが――あの先輩が相手だと、過激なことをしても不思議ではない。


 なにしろ彼女たちはいま、加賀ゆいの幽霊によって追い詰められているのだ。人間というものは、追い詰められると普段なら絶対やらないことだってやってしまう。そんなとき、『魔女』なんて言われている先輩がちょっかいを出してきたのなら――


 まずいかもしれない。

 姫乃は率直にそう思った。


 どうする――姫乃の焦りはさらに強まっていく。探すにも、どこにいったのかわからなければ探しようがない。もう一度通話をかけてみた。やはり出てくれないし、メッセージも返ってこない。


 動くに動けない状況が続いて、焦りと不安から手に持ったスマートフォンを地面に叩きつけたくなる。


 こうなったら探しに行ったほうがいいだろうか? そう思ったところで――


 手に持ったスマートフォンが震えた。突然のことでスマートフォンを取り落としそうになったものの、しっかりと堪え、画面を見る。


 かけてきたのは先輩だった。


 それを見て、姫乃はやっと安心できた。一度だけゆっくりと深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、通話を取った。


「先輩! 大丈夫ですか?」

『そりゃあそうでしょ。大丈夫じゃなかったら電話なんてできないし』


 先輩はいつも通りの口調でそう言った。どこから話しているのか、がたがたと音が聞こえてきた。それに不審を抱いたものの、あまりにも平然と言うので心配も不安もすべてどこかに吹き飛んでいく。


『もしかして教室に来てる? それならすぐに行くわ。待ってなさい』


 それだけ言って、先輩は通話を切った。なにが起こったのはちゃんと聞きたいところだが、こっちに来てから聞けばいいだろう。


 言われた通り待っていると――すぐに先輩の姿が目に入って、


「あら、どうしてそんな顔をしているの?」


 と、姫乃を見つけるなりそんなことを言い放つ。どういうわけか、先輩の服装はやけに乱れていた。


「連絡しても反応ないし、なかなか戻ってこないからなにかあったんじゃないかって心配してたんですよお……。よかった……なにもなさそうで」

「いや、あったけど」

「……はい?」


 この人はなにを言っているのだろうと姫乃は思った。

 だが、先輩はそんな冗談を言うタイプではない――が、とてもではないがなにかあったとは思えなかった。


「あんたが来る前にトイレに行ったんだけど、手を洗ってる最中に殴られて、数人がかりでリンチされて掃除用具箱の中に押し込まれてちょっと気を失っていたのよ。死ななかったし、大丈夫だから気にすることはないわ。よくあるし」

「…………」


 結構なことをされたにもかかわらず、先輩からはまったく危機感が感じられない。自分が暴行を受けたという事実を淡々と語っている。

 しかも、よくあるって……この人、普段からどんな扱いを受けているのだろう。


「いや、その話を聞くと、全然大丈夫とは思えないんですけど……」

「大丈夫よ。財布も盗られてないし、スマートフォンも壊れなかったしね。たいしたことじゃないわ」


 先輩とそれなりに付き合ってきた姫乃には、彼女が暴行を受けたことを本当にたいしたことではないと思っているのが理解できてしまった。


「リンチされたのは、たぶん私が加賀さんの事件について首を突っ込んでいたからでしょうね。警告のつもりなのかしら。女子高生にしてはなかなかあくどいけれど――詰めが甘いと思わない?」

「詰めが甘いって……」


 普通ならそれで充分すぎるだろ、と姫乃は思った。


「まさかこんな直接的な手段と取ってくるなんて――ちょっと予想外だわ。よほど暴かれたくない事情があるようね、あいつら」


 相変わらず感情も人間味も欠けた先輩の物言いにはどこか妖艶なものが感じられて、姫乃は思わず唾を飲み込んだ。少しだけどきどきしてしまう。


「それとね、あなたのお友達だけど、なんとかなりそうよ」

「え? それは、どういう……」

「昨日、やっと加賀さんの幽霊と話せてね。それでなんとか譲歩を引き出せたわ。私たちがあの娘たちの悪事を暴いたのなら、残りの四人は殺さないでくれるって」

「もし、その望み通りにいかなかったら……」

「残りの四人と同じように、私も燃やされるでしょうね。まあでも、安心してちょうだい。加賀さんの幽霊はあなたには手は出せないから。あなたは加賀さんに殺される心配とかしなくて大丈夫よ――たぶん」


 そんなことを言われて、安心できるはずもない。人間が生きたまま燃やされて死ぬところを見てしまった姫乃には、とても大丈夫だとは思えなかった。


「先輩……怖く、ないんですか?」

「ええ、まったく。とっくに昔に怖いなんてものはなくなってしまったから」


 遠くを見ながらそう言った先輩はどこか悲しげに見えた。この人には一体なにがあったのだろう? 死の恐怖すら感じなくなる――どれほどのことがあったらそうなってしまうのか、姫乃にはまったく想像もつかない。


「ま、これで向こうの望み通りにはならなくても、解決できるようになったわけだし解決は見えてきたわね。ところで、連絡してきたってことはそっちもうまくいったのね?」

「は、はい。それでどういう感じにやったら効果的になるかなと思いまして」

「関係者全員を不幸にさせる悪だくみってわけね。ええ、やりましょう。面談室で大丈夫かしら?」


 姫乃と先輩は、最後の一撃を効果的に決めるために面談室へと向かっていった。

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