#2

第11話 嫉妬の夢魔1

 高校生になって一ヶ月もしない間、私はいじめられていたことがあった。

 私がいじめられた理由はいまでもわからない。


 だが――それがわかったところで、なにがどうなるというのだろう。

 いじめられるのには理由はある――なんてよく言われている。


 いじめられるのにはなにか理由がある――というのについて否定するつもりはない。確かに、明確な理由が存在するいじめもどこかにあるだろう。私だって、自分がいじめられる以前は、いじめには必ず理由がある。いじめられる奴にはそれだけの理由があるのだとずっと思っていた。


 しかし――


 自分がいじめられてはっきりと理解した。理解できた。理解せざるを得なかった。


 人が人を虐げるのに理由など必要ない。人は理由なく誰かを虐げ、ないがしろにして、傷つけて、追い詰める。人間はそれができてしまう生き物なのだと知ってしまった。そして、かかわる数が増えれば増えるほど、人を追い詰めることに対する罪悪感は減っていく。


 私がいじめられていたのは短かったけれど、それでも、それを理解するには充分すぎる時間だった。


 もっと長い間、この悪意にさらされていたらどうなっていただろう。

 それを考えると、恐怖で背筋が凍る。


 私はあまり強くないから、自らの命を絶っていたかもしれない。

 自ら命を絶つなんて、してはいけないことのはずなのに。


 そして、死ぬまで追い詰めた奴らはたいした咎めを受けることもなくのうのうと暮らして、何年かあとに私をいじめていた話を面白おかしく酒の席で話していただろう。


 いじめ? 違う違う。ちょっとからかっていただけだ。たいしたことなんてやってないのに、それで自殺するなんてアホだよなあ――そんなことを言って。


 結局のところ、人間というのは、その気になればどこまでも残酷になれてしまうのだ。かかわる数が増えるに従って、それは加速度的に増大する。

 高校にあがったばかりの私をいじめていたあいつらも同様だ。たいした理由なんてなかったに違いない。


 高校にあがったばかりの私は運が悪かったのだ。

 いじめに遭遇するかどうかなんて、事故に遭うのとそれほど差はない。

 コンビニへ買い物に行った途中で、居眠り運転のトラックに轢かれるのと。

 乗った飛行機が突発的なトラブルを起こしてしまうのと。


 どのように注意していても、巻き込まれるときは巻き込まれてしまう。どれだけ注意したところでどうしようもできない――いじめというのはそれと同じなのだ。そこに、意図的で明白な悪意が入り込んでいる以外は。


 あのときの私は、なにか虫の居所が悪くなっている奴らに目をつけられてしまった。ただ、それだけだ。それ以外なにもない。


 あったとしても、それはなくても構わないものだろう。今日は寝起きが悪かった、というようなどうでもいい理由だって、誰かを虐げるのには充分すぎる。


 それが、どこでも行われているいじめの本質だ。


 事故のような不幸に見舞われた私だが――同時に幸運にも見舞われた。

 とある人が、いじめられていた私を救ってくれたのだ。

 だからこそ私は、いまもちゃんと高校生をしていられる。


 あのとき――彼女が私のことを助けてくれたから、私はそれ以来いじめを受けることはなくなった。


 彼女がなぜ私のことを助けてくれたのかは、いまでもまったくわからない。

 彼女は学園内で有名だけど――彼女の真実を知っている者は私を含めて誰もいない。そう断言できる。それくらい彼女はミステリアスだ。

 一部ではこんな呼ばれている。


 ――魔女。


 魔女――そんな風に呼ばれるようになった原因は不明だ。彼女とかかわった人間が廃人になったとか、自殺したとかいろいろ噂を耳にしたけれど――やっぱり、それらの噂が本当なのかわからない。どこまでいっても謎に包まれている。それがいじめられていた私を助けてくれた人――いじめを脱するきっかけを与えくれた人だった。


 私にとって、彼女は魔女ではなく救世主だ。

 彼女によって、私は間違いなく救われたのだから。


 影があって、色が薄い。双眸はどこまでも冷たく、たぶんそこにはなにも映っていない。動く人形のように空虚なのに、どこまでも美しい。それは、本当に私と同じ人間なのかと疑ってしまうほど、ヒトという形からかけ離れている。その姿にとてつもなく恐ろしいのに、どういうわけか心が惹かれる――非日常という概念が人の形を成したかのよう――そんな風に私は思った。


 私がいじめられているところにたまたま通りかかった彼女は――いじめていた一人を背後から張り倒して、近くに放置されていたモップの柄を倒したそいつの口に突っ込んで――


「なんか、不快な光景が見えたものだから止めたほうがいいと思って」


 と、感情がまるで感じられない平坦な口調でそんなことを言った。

 私をいじめていた奴らも、仲間がそんなことをされて黙っているわけがない。一人倒したといっても、あと三人残っていた。三対一では勝ち目などない。はたから見ていた私はそう思った。それは間違っていなかったと思う。


 いじめていた三人は、日本語とは思えない言語で、彼女に向かって喚き立てていた。まともな日本語を喋っていなかったので、なにを言っていたのかまったく覚えていない。まあ、覚えておく価値もないだろう。


「そうね。まだそっちは三人残ってるし、一気にかかられたら私に勝ち目はないかな。私、遠投したらボールが後ろに飛んでく運痴だし。袋叩きにされて終わりでしょうね。遠慮なくどうぞ。好きにしてちょうだい。


「でも、一人は抑えているわけだし――袋叩きにされる前に、口に突っ込んだ柄を押し込むから、大事なお友達が可哀想なことになってしまうけれどそこは覚悟してくださいね。争いごとはあまり好きではないけれど、だからといってただでやられたくないし。


「まあ、一人の尊い犠牲で私を袋叩きにできるのだから、採算はとれてるよね。そうやって、人類文明は栄えてきたのだし。人類の歴史を体感してみるのかいかがかしら?


「ああ――そういえば、お祭りかなにかで串焼きを食べ歩いていた子が転んで、その串が喉を貫通して頭に突き刺さって死んじゃった悲しい事故なかったっけ?」


 彼女は一切の感情を感じさせずに恐ろしいことを言ってのけた。


 その言葉は、助けられた私のほうすらも恐怖を抱いたのだから、あいつらが抱いた恐怖はそれ以上だったに違いない。


 とてもではないが、彼女の言葉はハッタリには聞こえなかった。私も、あいつらも同じように、袋叩きにされる前にあの柄を押し込むという確信を持っていた。


 仲間の一人が、ああなった時点であいつらの敗北は約束されたのだ。


 違う。奴らの敗北が決まったわけではない。

 四人のうち一人の犠牲で一人を倒せるのだから、奴らの勝ちであるのは確かである。彼女の言った通り、人間の戦争はそういうものだったし、なにか革命的なことが起こらない限り、今後もずっとそうだろう。この状況で負けが確定しているのは、人数的に不利な状況である彼女のほうだ。


 だが――殺す覚悟も殺される覚悟もない女子高生にそんな選択などできるはずもない。


 間違いなく、彼女はそれを理解してこの行動に及んでいる。

 人数的に優位だから負けるはずがないと思っていたあいつらは、完全にどうすることもできなくなっていた。


 犠牲を払えば簡単に勝てる。

 しかし、覚悟もない相手にその犠牲は払えない。

 犠牲を払うとどうなるだろう。


 倒されている一人が殺されなかったとしても、仲間の一人を見捨てたとなったら、そのあと彼女たちの友情は完全に崩壊する。

 彼女はそのジレンマを生み出し、勝てなかったはずの場面から勝利を引き出したのだ。

 とても鮮やかに、とても恐ろしい手段を持って。


 いじめていた奴らはしばらく硬直していたが、吐き捨てるようなみっともないセリフとともに、口にモップの柄を突っ込まれている一人を見捨てて逃げ出した。そいつらが見えなくなったのを見計らって、口に突っ込んだモップの柄を抜いて最後の一人を解放したが、そいつはそいつで、見てはいけないものを見てしまったかのように青ざめた顔をしてそそくさに逃げ出していった。


 そのあと、奴らがどうなったのか知らない。知る必要もないだろう。

 だけど、あれが原因で奴らの友情が崩壊したのは間違いない。可哀想に――まったく同情なんてできないが。


 助けられた私は、なにを言えばいいのかまったくわからなかった。


 お礼を言うべきだとわかっていたけれど、目の前で起こったことがあまりにも衝撃的だったせいで言葉がまったく出てこなかったのだ。


「ああいう奴らって、弱みを見せてるとどこまでもつけ込んでくるから、突っぱねないと駄目よ」


 彼女は相変わらず平坦な口調で言った。

 しかし、先ほどまであった彼女に対する恐怖は完全になくなっている。


 代わりにあるのは、言いようのない胸の高鳴り。


 まだ肌寒さの残る時期だったのに、その日だけはとても暑く感じた。

 でも、それはとても心地よいもので――


 私は、「突っぱねるってどうすればいいの?」なんとか声を絞り出して訊ねる。

 彼女は興味なさそうな視線を向けたのち、私の質問に答えた。


「殴れば? 鼻を殴ればそんなに強くなくても派手に血が出るから、大抵の奴はそれでビビるよ。運がよければそのまま退散してくれる。悪かったら――報復されるけど――そのあといじめられることはなくなるし、楽になるよ。試してみたら?」


 と、それだけ言って、彼女は離れていった。

 その姿を、私は見えなくなるまで追い続けた。いままで感じたことのなかった胸の高鳴りとともに。


 私はその日、魔女と呼ばれていた同級生――里見夏穂さとみかほに恋をしたのだ。

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