第八章:サイスト島道中

第二十九話:手がかりと道行き

 青い薔薇の髪飾り。

 それを作ってくれた蜂蜜色のライオンは、その花言葉を教えてくれた。

 本来有り得ない青い薔薇は、種に氷属性の魔力を注ぐことで成立する。大概は枯れてしまい、運良く花開けたものだけが、青い花弁を魅せるのだ。

 その花言葉は、『奇跡』と云う。


 ああ。

 ――きっと、私に奇跡は来ない。



第二十九話:手がかりと道行き



 スルドで一晩を過ごした、翌日――インウィディアが消えた。一通の、手紙を残して。


「多分、オレ達が寝たあとに闇属性の睡眠魔術をかけられたんだと思う。でなきゃ全員昼まで寝過ごすなんて有り得ないし、少しウィディの魔力の気配も残ってる」

 ダイニングテーブルを囲んだリビングにて、レオンが苦虫を噛み潰したような顔で声を落とした。

 そう――純達が目覚めたのは昼過ぎである。その頃には既にインウィディアの姿は見当たらなかった。インウィディアの部屋の、もぬけの殻になったベッド脇の机に残された手紙――それをアカザが片手に掲げ、「残ってたのはこれだけだな」と溜息をつく。内容は、既に全員が知っている。それは、別れの手紙だった。

『責任を取りに行きます。今まで沢山、ありがとう』

 そうとだけ、手紙には、彼女らしい小さく丁寧な字で書かれていた。

「責任ッテ、何の事……? ウィディが一人で行かなイト行けないナンて、ソンなノ……」

 涙ぐんだメルエージュが鼻をすする。彼女に抱き抱えられたいぬもまた、『ぎゃう』と寂しそうに鳴いた。アカザもレオンも、答えられずに俯いて唇を噛み締める。

「……とにかくスルドにももう居ないなら、スルドの外に行ったってことになる。……水車を使えば何処にでも行けるんだ」

 アカザが苦く呟いた。

 居なくなったインウィディアを追おうにも、どこに行ったのかが分からない。それが最大の問題である。

 インウィディアの失踪、そして残された手紙を読んだ純達は、スルド中を駆け回って探した。だがインウィディアの姿は見つけられなかった。住人からの目撃情報さえ碌に無い。恐らくは町を出ていった彼女がどこへ向かったのか、何一つわからなかった。

 レオンとメルエージュが沈痛な面持ちで口を噤む。最早、彼等に打つ手は残されてはいなかった。

 ――たったひとつ、純に残された、可能性を除いては。

「……行き先。知ってる人が、スルドにいる、かもしれない」

 それだけ言って、純は家を飛び出した。レオン達が困惑し、誰か、何故かと問う声が聞こえたが、それに答える時間も惜しい。何せ、まだこの町にいるかも分からない。スルド内を駆け回った時には出会わなかったのだ。

 もう手遅れかもしれない。そう思っても、可能性に縋らずには居られなかった。純がインウィディアを探した範囲にいなかっただけであれと、願った。


 ――果たして。その男は、人気の無い町の外れに、一人立っていた。

「……来ると思っていた」

 そう微笑む顔立ちは、相変わらず腹が立つほどうつくしい。蜂蜜を溶かした髪は、薄暗い路地でも上品に煌めく。その瞳に映る感情は分からない。嘲笑か、悲壮か。ただ、純は走り続けて切れた息を整えながら、ぎっと男を睨み上げた。

「知ってるんでしょスペルビア。ウィディがどこに行ったのか、昨日空を横切ったでかいのと関係あるのか――あれは、何なのか」

 男――スペルビアは、形のいい唇を釣りあげて、意地悪く笑ってみせる。

「君の騎士殿は不在か? 一人で僕に会いに来るとは不用心だな。昨日もなんなら、途中で彼が現れてもおかしくないと思っていたが」

 騎士。それはおそらくハザマの事だろう。そういえば、彼は暫く大人しい。昨日の夜は精神世界に行くことも無かったし、彼が話しかけてきたのはエリュファス村に入る前――語り部と別れ、水車から降りた時が最後だった。それ以来――昨日ルクスリアの闇の触手から助けてくれたのはハザマなのではないかと思っているが――心の中で呼びかけても返事は無かった。

 だが、それは目の前のスペルビアには関係がないことだ。彼はルクスリアよりは話が通じるとはいえ、得体が知れないことに変わりはない。だから、警戒は休めずに睨みを強くする。

「そんな話、今してない。質問に答えて」

「つれないな」

 スペルビアは睨みに怯んだ様子もなく、冗談めかして肩を竦める。しかしすぐに、再びその目から感情は隠されて、口を開いた。


「聞いてどうする。君に何が出来る? 彼女が何の為に、君達を振り切って居なくなったと思っている」


 ぶわ、と、路地の空気が重くなる。純の背に嫌な汗が伝った。足が、竦みかける。

 ここには味方は自分しかいない。そう、今更気付いた。レオンもアカザもメルエージュも、ハザマだって。目の前に、なにかおもたいものがある。ルクスリアと対峙した時のような嫌悪感、害意――では、ない。もっと研ぎ澄まされた、静かな、だけど『間違え』れば喉笛を噛み切られてしまいそうな、圧。

 純の脳裏に、思考が渦巻いた。一人で来たのは失敗だったかもしれない――いや、レオン達と来たって同じだっただろうか――いや、いや――


 ――いいや。そんな仮定に意味は無い。後退るな。目を逸らすな。


「……ほう」

 純が退きかけた足を踏みとどめた、それを見て、スペルビアが一言落とす。純はただ、目の前の獅子から目を逸らさずに、答える。

「知らないよ、そんなの」

 スペルビアが目を眇めた。その感情は、わからない。ただ、純は怯みを抑えて言葉を続ける。

「私に何が出来るかなんてわからない。だって何も知らないんだ。ウィディがなんで居なくなってしまったか、何を背負ってるのか、私達にどうしてほしいのか。

……言ったよね、スペルビア。ウィディの選択を否定するなって」

 ぴくり、とスペルビアが少し身じろいだ。昨日言われた言葉を反復し、純は拳を握りしめる。


「私はまだ、否定も肯定も、できる場所にすら立ってない。あの子の真意を、背負うものを、知らない。

――知りたい。全部知って、その上でウィディを支えたい。友達だから。私に何が出来るかなんて、知ってから考える。知らないのに、諦めたくなんかない……!」


「ああ、その通りだ」

 返事は、スペルビア――前方ではなく、後方から帰ってきた。振り向くと、そこに居たのはレオン、メルエージュ、そして声を発したアカザである。

「悪いな、追っかけて来て。けどあんな風に突然突っ走られたらさすがに追いかけるって」

「ごめん……、昨日、たまたま会ったんだ、スペルビアに。こいつならウィディの行先知ってるかもって、……まだこの街に居るか分からなかったから、説明してる時間が」

「わかってる、大丈夫だよ」

 アカザが肩を竦めて笑う言葉に謝ると、レオンが優しく純の肩に手を乗せる。それで、少し落ち着いた。存外自分はスペルビアという『敵』を前に、身を強ばらせていたらしい。緊張か、――恐怖か。

「……何とナく分かッタわ。この人ハ、ウィディの……そしてエリュファス村を襲っタ男の関係者なノね?」

 メルエージュが真っ直ぐにスペルビアを見ていた。そういえば、彼女は初対面だ。だが純達の様子から、関係性は察したらしい。

 レオン達の到着で、純の心は和らぐ。そして――暫し、スペルビアは黙っていた。だがやがて、ふう、と息を吐く。

「……やれやれ。騒がしくなってしまったな」

 顔を背けて首を振り、そして、再び彼は純達に向き直る。

「――彼女は。

インウィディアは、おそらくサイスト島に向かったのだろう」

 サイスト島。

 確か、純のよく知る世界で言う日本に当たる島だったはずだ。その島にあるサイスト居住区、そしてリシュール王国とガイア帝国がこの世界における三つの人間の居住集団――国家であると、この世界に来た初日に聞いた覚えがある。純と同じ、黒髪黒目が多いことが特徴の、閉鎖的な国。

「昨日この町の上空を横切った魔物は『レヴィアタン』。Aランク特級、だったものだ」

「……だった?」

 訝しげに繰り返したレオンの言葉には答えることなく、スペルビアは続ける。

「あれはお父様にサイスト島に向かわされた。インウィディアは恐らくそれを追ったのだろう。追いたいのならば好きにしろ、だが――」

 お父様。それも、聞き覚えがある。『彼等』がそう恭しく呼ぶ存在。恐らくは、彼等に命令を与え、動かす存在。

 スペルビアはどこか、遠くを見ていた。

「……君達が追うのならば。君達は、『目を逸らしている』推測を直視することになるだろう。

叶わぬ望みを抱えることほど、残酷なものは無い。そう思わないか」

「……それは、」

 ――それは。

 それはきっと、インウィディアが自分達と友達であることが――叶わぬ望みだと、そう言っているのだろう。

 俯いた純に背を向けて、スペルビアは踵を鳴らす。彼の影から伸びた闇の魔力は現実に具現し、高く伸び、門の形状を成す。

 その門に、スペルビアは足を踏み入れた。

「……言ったよね、スペルビア。シュヴァルツで、ウィディが私と行くって決めた時、『後悔するぞ』って。今でも後悔するって、叶わぬ望みだって、そう思ってるなら、」

 スペルビアはまだ、門に片足を踏み入れただけだ。


「なんで、今日、ここで私を待ってたの」


 純の言葉に、スペルビアは何も返すことがなかった。振り向きもせずに、門に身を呑ませる。

 スペルビアを包み込んだ門は、やがて、跡形もなく消え失せた。

「……サイスト島、か」

 純達四人だけになった町外れで、ぽつり、レオンが声を零す。

「ウィディがどういうルートでサイスト島に行くのカわからナイけど……そレナら、ワタシ達も真っ直ぐサイスト島に行くしカないワネ、ウィディに会うためニは」

 メルエージュの言葉に、皆頷いて同意を示す。道中でインウィディアを捕まえるより、目的地を目指した方が確実なのは明らかだ。

「サイスト島に行くなら、基本的に船だな。聖セリアに定期便があんだ、七日に一回、サイスト島と聖セリアを往復してる。今日の日付的に、次に出るのは三日後……明明後日だ」

「それじゃあ次の目的地は聖セリアだね」

 純の相槌に頷いて、アカザは懐中時計を懐から取り出す。時間を確認し、頭を掻いた。

「……今日の聖セリア行きの水車は行っちまってんな。馬車を使おうぜ。水車より時間はかかるが、明日の朝まで待つより今馬車を使った方が早い。船が出るまではまだ余裕があるが、何が起こるかわかんねぇんだ、早めに着いてて損は無いだろ」

「もしかしたら聖セリアでウィディに会えるかもしれないもんね。今朝の水車でウィディが聖セリアに向かってたとしたらもう着いてる頃合だけど、船はまだ出てないから」

 アカザの言葉に、レオンがそう頷いた。

 わからないことは山ほどある。だが、希望は見えた。そう信じていたいと、四人ともが思っていた。



「聖セリアまでの馬車なら今丁度出るのがあるよ、二人ほど先客が居るがね」

 家をトパーズにしまい、いぬはメルエージュがローブの中で抱えて、乗れる馬車を探しに停留所にやって来た。そんな四人に、今まさに出る準備をしていた、人の良さそうな御者がそう言う。

「四人か、ウチの馬車は六人乗りだからギリギリセーフだね。先客がどう言うかによるが」

 御者はそう純達を待たせて、馬車に足早に近付いて客室の窓に顔を突っ込み、何か話し始めた。やがて話し終えたのか戻ってきた御者は「相乗りOKだと」と笑う。

「えと、じゃあお願いします」

「了解だ。ほら乗った乗った、もう出るよ!」

 御者に急かされ、純達は慌てて馬車に乗り込んだ。

 ――中に居たのは、二人。神父服を着た二十歳後半の青年と、シスター服を着た八歳ほどの少女であった。青年の髪は灰白色、肩につくかつかないかの長さを蓄え――と言っても意図的に伸ばしたと言うよりは無造作に放置していた結果といったようで、癖っ毛に加えて寝癖まである――前髪もまた長く、加えて分厚い眼鏡でその目は見えづらい。だがよく見れば、その奥に目尻が垂れた薄紫の瞳がある。彼は純達をその目に捉え、にこりと微笑んだ。

「どうも、聖セリアまでよろしくお願いいたします」

「あ、えと、こちらこそ、ありがとうございます」

「いいえ、困った時はお互い様です!」

 純の返事に元気よく返したのは青年ではなく少女の方だった。黒いベールにほとんど隠されているが、少し覗いた髪は桃色である。同色の睫毛が、意思の強そうな吊り上がった青い瞳を縁どっていた。

「私はキリュート教大聖堂に所属するシスター、ルリカ・エヴァンズと申します。こちらは同じくキリュート教の神父様で」

「ピエトロと申します。暫しの旅路を共に、良きものになりますよう」

 客室は三人がけの椅子が二つ、向かい合った構造をしていた。先の二人の隣にアカザが、向かいの椅子に純、レオン、メルエージュが座る。四人が落ち着いたことを確認してから、そう、聖職者らしく自己紹介をして、彼等は微笑んだ。

「私は純です、山田純。えーと、純が名前で」

「れ、レオン・アルフロッジ、です」

「アカザ・ジルアークっす」

「メルエージュ・エリトッドよ、よろシク!」

 四人もまた、各々名乗る。ピエトロが微笑んだ。

「サイストの方に、リシュール人お二人、それからエリュファス村の民……個性豊かなメンバーですね」

「はは……」

 サイスト人じゃなくて日本人なんですよ、とは言えず、純は曖昧に笑う。そうしていると、出発準備が出来たらしい御者の男が、客室の窓に顔を覗かせた。

「おーい、そろそろ出発するぞー! 馬車の常識だから言うまでもないが、道中の魔物はあんたらに対処してもらうからな! 防衛代を差し引いての料金なんだからよ。まあスルドから聖セリアにゃそうそう魔物は出ねぇがな!」

 それだけ言って、御者はさっさと顔を引っ込めて馬車の前部、御者台の方まで歩いていく。目を丸くした純に、レオンがそっと耳打ちした。

「ごめん、言うの忘れてた。馬車は列車とかと違って魔物に進行妨害ができるくらいの速さだから、護衛とかがついてない安い馬車は自衛が基本なんだ。まあ、馬車が通るような道に現れる魔物なんて少ないし、大したことないから」

「な、なるほど」

 純は納得して、ひとつ頷く。元の世界ではそもそも馬車に乗る機会すら無く、魔物なんてものもいないから気が付かなかったが、少し考えれば確かに道を馬で走れば魔物に遭遇することもあるだろう、と。そんな二人の様子を、青年――ピエトロがじっと見ていた。

 がたん、と。少し揺れて、馬車は動き出す。少しの後、ピエトロが純に視線を向けた。

「馬車は初めてですか?」

「え、あ、はい。まあ……」

 唐突に問われて、純は少し返事が澱んでしまった。異世界から来たので、なんて、言えるはずがない。

「ワタシも初めテ! 村かラ出たこと無かったモノ!」

 メルエージュが元気よく挙手をした。何の変哲もない感激のように見えるが、フォローを入れてくれたのだと純には理解できる。メルエージュにも、異世界から来たこと、元の世界に戻るために『空白の歴史』を求める旅に同行していることは話していた。ピエトロの目を、純から逸らしてくれたのだ。

 ピエトロは、にっこりと微笑んでみせる。

「まあ、列車の方がよく使われますからねぇ。私達も元々はスルドの水車で聖セリアに帰るつもりだったのですけど」

「神父様が寝坊するから列車を逃したんですよ! 宿に忘れ物もするし!」

 間髪入れずにルリカが怒ったように口を挟む。年齢よりもしっかりしているらしい少女の可愛らしい怒気を向けられ、あははとピエトロが笑った。

「いやはや、早起きとは難しいものですねぇ。そうは思いませんか?」

「神父様がぼーっとしてるだけですよ! もう! 私がいないとだめなんだから!」

「はは……」

 ぽやぽやと笑うピエトロと、ぷりぷりと怒るルリカ。そういうやり取りは日常茶飯事なのだろう。しかし二人の間には確かに深い、家族のような情が感じられて――それを見ていると、どうしても抑えきれなかった不安や焦りが、どこか落ち着いていく。それを、純は自覚していた。きっと、他の三人もそうなのだろう。アカザが先程より柔らかくなった笑顔をルリカに向けた。

「まだ小さいのにしっかりしてんだな」

「勿論です! まだまだ未熟ですけど、シスターとして神に仕え、人を助けるのが使命ですから!」

 神父様はおまぬけですし、と付け加えて、ルリカは隣のピエトロを見上げる。相変わらずピエトロは毒気無く笑っていた。

「ははは、ルリカがいてくれて助かっていますよ」

「神父様ももう少ししっかりしてください!」

 ルリカは怒るが、ピエトロに頭を撫でられると満更でもなさそうに頬を赤らめる。「子供扱いしないでください」などと文句は言うが、嬉しいという気持ちが隠しきれていない。

「……ツンデレってやつかな……」

「ジュン?」

「いや、何でも」

 ぽつりと呟いた純に、レオンが不思議そうな顔をする。説明するのも難しいのではぐらかすと、疑問符を浮かべて首を傾げていた。

 ――と。がたん、と馬車が揺れる。

「あんたら! 魔物だ! 追い払ってくれ!」

 御者の声が響く。窓から外を見回すと、確かに数匹のフレイムマウス――その名の通り毛皮の代わりに炎を纏ったEランクの魔物である――が御者台に向かって唸りを上げ、臨戦態勢に入っていた。

 Eランク。成程大したことは無い。純、レオン、アカザ、メルエージュはそれぞれ目を合わせ、頷く。

「ピエトロさん、ルリカちゃん。ちょっと待っててください」

「俺達、割とやるんで!」

 純の言葉に続いて、アカザが笑う。そうして、右の扉から純とレオン、左の扉からアカザとメルエージュが飛び出した。

 飛び出して、御者台を守るようにその周囲に駆けつける。フレイムマウスは前方、左右に二匹ずつ、こちらに唸りを上げていた。

「相手は四匹」

「なら一人一匹、ネ!」

 レオンの言葉に、メルエージュが頷く。異論も無く、四人はそれぞれ大地を蹴り上げる。

 フレイムマウスは体を毛皮のように炎が覆っていることが特徴だ。だが、腹部には炎が無い。そして、フレイムマウスの刻印は腹に、でかでかと存在する。腹を出させてしまえば、なんてことの無い相手なのだ。


囁く風精シルフ・チャット

 アカザが一本の矢を、地面スレスレに射つ。それがフレイムマウスに当たることは無かったが、その矢が巻き起こした風は、フレイムマウスを巻き上げ、浮き上がらせる。腹が、無防備に晒される。

疾風の矢ウイングショット!」

 その瞬間を逃さず、アカザは青緑の風を纏う矢で、フレイムマウスの刻印を貫いた。光の粒が、風に舞う。


「お願いネ、精霊――!」

 メルエージュが数匹の白い蝶を浮かばせ、それをフレイムマウスの周囲に飛び回らせる。フレイムマウスの炎をものともせず、蝶は舞い、炎を吸収したかのような、赤色に染まっていく。

「――弾ケて!」

 声と同時に、赤色になった蝶は全匹爆発する。その中心にいたフレイムマウスも一溜りもなく、刻印も砕け、光の粒になって消えていった。


「おいで、水蛇」

 水の魔道書アクア・グリモワールを片手に、レオンは静かに声を落とす。同時に魔導書から飛び出したのは、水――否、水に形作られた、蛇。それは物言わず、ただレオンの指し示すまま――フレイムマウスに巻き付いて、動きを封じる。

弾丸の水滴ブレッド・アクア

 レオンが片手で銃の形を作り、指先に魔力を蓄える。そして、それを弾丸として、穿った。的確にフレイムマウスの刻印は貫かれ、水蛇と共に消える。


 ――最後の、一匹。

 純は、この世界で戦っていて、ひとつ、気が付いたことがあった。

 緋炎一刀流。剣道とは別に幼い頃から叩き込まれた、『七つ』の型。まだこの世界では一の型しか用いていない。それは、道場で叩き込まれていた頃、型は完璧に行えるまで教えこまれていても、同時に、こうも言われていたからだ。

 ――『二から七まで、意味は無し』。

 型を教えた母はこう笑った。「子々孫々、必ず一人だけに型を教え、途絶えることのないようにと言われてきた。だけど一の型はともかく、二から七までは形はかっこよくても意味はわかんないよ」と。実際に、一の型を除き、確かに実用性を感じられぬ型だった。特に『七』は、居合斬り、のようであるのだが、緋炎一刀流は『鞘を持たない剣』なのである。鞘を持たずに居合斬りなんてものができるわけが無い。

 ――だが。

 純は、この世界で戦っていて、一の型、『光戯』――その威力が、元の世界にいた頃とは段違いに上がっていることに気が付いた。

 威力だけではない、光戯を放つ際の速さも、元の世界で練習していた頃よりも遥かに――『異常に』、上がっている。明らかに、元の世界にいた頃とは、『違う』。ならば、――他の型は、どうだ。

 きっと今しか、試せない。

 彼女を、追わなければならない。藍色の、泣き虫で嫉妬深くて、優しい彼女を。そのために――戦う方法は、増やしたい。

 今。自分に出来ることを、探さなければならない。

「――緋炎一刀流、」

 くるり、掌の中で柄を小さく回す。緋炎一刀流は、七つの型、構えに入るモーションの中に、それぞれ特有の、小さな動きがある。『光戯』もだ。最早癖になって、意識はしていない。小さく、意味を見出せない動きだが、それ無くして緋炎一刀流は成り立たない、らしい。

「五の型」

 姿勢を低く。刀を、地面に並行に、スレスレに、寝かせるように、構え。

 フレイムマウスが飛びかかる。純の顔に、熱気がかかる。今からすることは、元の世界の通りなら、意味が無い。フレイムマウスの炎を浴びて、火傷を負うだろう。

 だが、不思議と恐怖は無かった。

「――土獄ドゴク

 刀を真横に、地面を滑らせ――下から、逆袈裟に切り上げる。元の世界にいた頃、意味を成さない、訳が分からないとされた、型。だが、今、手応えがあった。刀を振る動きに、重みがあった。空振りではない、重み。されどフレイムマウスに当たった訳でもない。


 ――純は火傷を負うていない。

 フレイムマウスは、純の目の前、横並びに隆起した――土の、牢獄の柵のごとき槍に、貫かれていた。


「――じゅ、ジュン、今の何!?」

 まず、ハッと我に返って、純に駆け寄ったのはレオンだった。アカザ、メルエージュもまた駆け寄る。

「凄イわジュン! そんなこと出来たの!? 今の魔術? でもあんな魔術見たことないわ!」

「そもそもジュンちゃん魔術属性わかってねーだろ自分の!? その刀に宝石で属性付与されてるわけでもねーし……けど今、刀の動きに合わせて地面から土の槍が出てきたよな!? グワッと!」

「お、落ち着いて! 私もよく分かってないから!」

 興奮した様子のアカザとメルエージュを落ち着かせつつも、純自身驚いていた。何せ、自身が型通り刀を振るだけで、魔法のようなことが目の前に起きたのである。当然元の世界にいた頃はこんなことは起きたことがない。逆袈裟の前に地面スレスレを滑らすように切る事も、そもそも最初の小さな動きも、全くの無駄だと言われていたし、純もそう思っていた。

 だが――その型が、結果として、目の前の光景だ。牢獄の柵のような槍、もうその先に刺さったものは光の粒になって消え失せているが、土で出来た鋭いそれが、今の光景を現実だと突きつける。

「……緋炎、一刀流」

 ぽつりと、純は、呟いていた。

「一から、七まで……多分、この世界じゃ無駄じゃないんだ……」

 原理は分からない。気にならないわけではないし、知るべきだとも思う。だが、今はただ、光明として受け入れようと、そう思った。


「いやぁ、あんたら強いな!」

 御者が明るく声をかける。いつの間にか避難していた馬車の後ろから御者台の方まで戻ってきていたらしい彼が、手近にいたアカザの背を叩く。

「魔物退治おつかれさん! 馬車に問題は無いぜ、出発するから乗ってくれ!」

「は、はい」

 御者に急かされ、純達は再び馬車に乗り込んだ。

「ありがとうございます、お疲れ様です! お怪我はありませんか?」

 ルリカが心配そうに声を掛けてくる。それに平気な様子を見せて彼女の憂慮を否定してみせると、安堵したように微笑んだ。

「良かったです。私は戦いの様子は見えなかったんですけど、皆さんお強いんですね! ねえ神父様!」

「ええ、大変素晴らしい戦いぶりでした」

 ピエトロが微笑む。それは、恐らく、先程と変わらぬ笑みだ。

 ――恐らく、とは。何故だか、純には先程より、冷たく見えたからである。彼の、分厚い眼鏡越しの瞳は、純を捉えている。

 目が、合った。

 その瞬間、ピエトロはにっこりと笑い、その薄紫を瞼の奥に隠す。そこからは冷たさなどは一切感じられず、純は気のせいかと首を傾げた。何より、レオン達は一切違和感など覚えていないようだったのだから。


 がたん、馬車が再び動き出す。太陽が、やや傾き出して、赤みを帯びていた。

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