第十八話・後:王の真実

「ど、どういう、ことだ……!?」

「国王がジュメレ? アーサー? え?」

「……いやそんなことより、レオン無事か!?」

 三人が混乱でわちゃわちゃとなりながらも、純がインウィディアの手を握り、アカザに肩を貸してレオンの方へと歩き出す。レオンもまた三人の意図を察して、駆け出した。当然怪我人を支えながらの純達より一人のレオンの方が早く、彼は階段を駆け下りて彼等の傍に辿り着く。純からアカザの支え役を受け取って、レオンは頼りなく笑った。

「オレは無事だよ、えっと、どういうことかは……オレもちょっと把握出来てないというか……」

「レオンは先に連行されていったよね……? あの後何があったの?」

 純の質問に、えっととレオンが頬をかく。

「オレもあの時てっきりこう、闇属性バレたし、檻の中にでも入れられるのかと思ったんだけど……冷たい雰囲気は馬車の中だけで、城に着いたらさっきの部屋に案内されて……」

「されて……?」

「国王様と、お茶を……」

 そう言って、レオンは目線を玉座に向ける。そこに立つ、国王の服と寝間着のような簡単なローブ、と服装は違えど同じ顔をした男が二人。国王の服を纏った方はニヤニヤと、ローブを纏った方は申し訳なさそうに苦笑して、こちらを見ていた。

 アカザがその奥に立っているリックを睨む。怒りというよりは拗ねたような顔だった。

「どういうことなんだよ、説明しろよリック。お前なんか知ってんだろ、謹慎はどうした」

 それに対し、答えを返そうと口を開きかけたリックを、ローブを着た男が押しとどめた。

「私から説明しよう。だがまずは、謝罪を。疲労が溜まっているであろう君達に試すような真似をして済まなかった。ジュメレが迷惑をかけたな」

「なんだよ、許可は取っただろ?」

「事後承諾は許可とは言わないんだジュメレ」

 睨まれて、国王服の男は肩を竦める。

 顔と声の同じ二人が並んで会話をしている様は純達を奇妙な気分にさせた。しかも、先程までは厳格な『国王』の表情をしていた国王服の方は一転してニヤニヤと笑んでいるのだからさらに混乱を招く。

 ローブの方に怒られて降参のポーズを取った彼は、マントを翻して純達に向き直る。

「ちゃんと理由はあるんだぜ? 極限状態にこそ人の本音は出る……とまでは言わないが、人が『綺麗事』を抜かせるのは自分に余裕がある時だ。自分が危険になった時、友達だと呼んでいた奴を蹴落として助かろうとする奴もいる。勿論それ自体は悪いことじゃない、人間だものな。何を優先させるかはそいつの自由でもある。

……ただ、闇属性と共にあるなら、そういう奴は駄目なんだ。だからお前らが何を優先させるのか、それを確かめたかった。ま、事件や混乱を利用したのは謝るさ」

 悪かったな、と彼は笑う。軽い口調だがその奥に誠実さが潜んでいて、純もアカザも、もう文句の言葉は出てこなかった。

「ま、詳しい話は場所を変えようぜ。俺はいい加減この堅苦しい服を脱ぎたい。医務室でいいか? 個室の方。アカザ少年の血圧も上げちまったしさ」

「……っうわ!? アカザ、血! 血が!」

 国王服の方の言葉で、レオンはアカザの腹部の包帯の血の滲みに気付いたらしい。それまで気付かなかったのはアカザが服や手で隠していたからだろうが、もう隠す余裕もなくなったのか、その手はぶらりと垂れ下がっている。力と気が抜けたせいだろうか、アカザの顔は血の気が失せていて、ぐったりとしていた。流石に純もそれには焦る。

「ちょ、アカザ大丈夫!? そういえばさっき傷開いたね!」

「アカザぁ!!」

「大丈夫だから……レオンは耳元で叫ぶな馬鹿……」

「お前らとりあえず落ち着け」

 いつの間にか段を降りて傍まで来ていたリックに声をかけられて、とりあえず純とレオンは口を閉ざす。レオンからアカザの身体を預かって、リックはそのままアカザを横抱きに抱え上げた。

 流石に抱えられるとは思わなかったのか一瞬アカザは藻掻く。だがすぐにその力は抜けた。痛みで暴れる気力も奪われたらしい。ひとつ、畜生、と呪詛を吐いて、アカザは目を伏せた。

「アカザは先に医務室に連れて行くよ。お前らもゆっくりでいいから来てくれ。そこのお嬢さんの紹介もその時にしてほしいな」

 リックの目は、純の傍に隠れるように立っていたインウィディアに向けられている。唐突に意識を向けられた彼女はびくりと震えるが、リックはそれに気を悪くした様子もなく優しく笑って、早足で王の間から出て行った。

 同じ顔をした国王達とメイリーは先に行ってしまったらしく、王の間に純、レオン、インウィディアの三人が取り残される。

「……えーと、私達も行こうか?」

「そ、そうだね……」

 そんな会話をレオンとしていると、ふと、インウィディアが純と繋いだ手の力を強めた。振り向くと、彼女は顔を伏せて足元を見ている。

「どうしたの? ウィディ」

 インウィディアは答えない。レオンが首を傾げた。

「ジュン、この子は?」

「あ、そっかレオンは知らないか。この子はインウィディアっていって、新しく友達になったんだよ。ウィディ、こっちはレオンっていって私とアカザの友達。きっとウィディも、」

 仲良くなれると思う、そう言いかけた口は、インウィディアが唐突に顔を上げたことで、思わず止まった。インウィディアの顔は、酷く泣きそうに歪んでいたからだ。

 ぱし、と軽い音が鳴った。インウィディアが、純の手を振り払った音だった。

「――、」

 彼女は何か言いかけたように、口を開いた。だがその喉が震えることはなく、また俯く。

「……私、先に医務室に行く」

 俯いたまま、インウィディアはそう言って、引き止める間もなく走り出した。走って、走った勢いのまま思い切り扉を開き、飛び出してしまう。

「……う、ウィディ……?」

 純とレオンはぽかんと見送るしかない。インウィディアが出て行った扉は開きっぱなしだった。

「お、オレ、何かしたかな……?」

「そ、そんな事ない! ……と思う!」

 呆然と、涙目になってぷるぷる震えるレオンを慰めようとする。が、インウィディアが出ていった理由など純にも分からず、断定は出来なかった。


 インウィディアは普段あまり走らない。だから、すぐに息が切れて、廊下に蹲ってしまう。

「……あれが、レオン。レオン・アルフロッジ……」

 しかし、息が切れたことなど今のインウィディアには問題ではなかった。震えて、その身を抱き締める。

「……嫌、」

 頭を振る。しかし、彼女の脳に響く『声』は止んではくれない。

“羨ましい。どうしてあの人だけが”

“羨ましい。どうして私は、”

 繰り返す。声がそう、繰り返す。それを聞きたくなくて耳を塞いでも、声は止まりはしない。

“羨ましい”

「……違う、嫌、嫌よ、私は違うの……」

“羨ましい”

「私は、私は……ッ」


“――妬マシイ”


「私は、『嫉妬』なんかじゃない……!」


 悲痛な声は、一人の廊下に虚しく響いて、誰にも届きはしなかった。



「あれ? ウィディは?」

 純とレオンが医務室についた時、そこには複数の椅子が別所から持ち込まれたらしいテーブルを囲んでおり、純、レオン、インウィディア以外の全員――即ち、先程王の間に揃っていた人々――が揃っていた。

 インウィディアは「先に行く」と言って出ていった筈だ。走っていたし、既に着いていると思っていたのだが、と、純とレオンが首を傾げていると、リックが「あの子は別の医務室に居るよ」と告げた。

「別の医務室? どうして……」

「廊下で倒れてる所を兵士が発見して、運ばれたんだ」

「倒れて……!?」

 目を見開いた純とレオンに、リックが「大丈夫」と優しく笑いかける。

「体に異常は無くて、眠ってるだけらしい。疲労が溜まってたのかもしれないな。ゆっくり寝かせてやろう」

「俺としてはあの子にも居てほしかったんだがなー、ま、仕方ない。疲労は半分くらい俺のせいな気もするし」

 リックの声にそう返したのは、同じ顔をした二人の国王の片割れである。もう国王服は着ておらず、シャツとスラックスという簡単な格好になっていたが、その雰囲気から王の間で問答をした彼であると察した。そして、彼がそうであるということは、隣に座る国王服の男は先程はローブを着ていた方なのだろう、と純は予測を立てる。

「……さて、人は揃った。話をしたいと思うが――今から話すことは、国内でもリックとメイリー、そしてアイクしか知らないことだ。どうか他言無用でお願いしたい」

 その国王服の男が、閉ざしていた口を開いた。それに純とレオンが頷くと、椅子に座るよう促される。

 ――テーブルを挟んで、アカザのベッドがある方に純とレオンとリック、その反対側に同じ顔の男二人と、メイリー。そんな配置で、場が整った。

「まずは自己紹介をしよう。同じ顔の人間が居るとややこしかろう」

 そう切り出して、真ん中に座る国王服の男は、その服装に相応しい雰囲気をもって、緩く笑う。恭しくその手を自らの胸に添えた。

「私はリシュール王国第五代国王、アーサー・リシュール。

そして横に居る、私と同じ顔をしたこの男はジュメレ――私の盟友であり、影武者だ」

「ジュメレとしてはハジメマシテ、少年少女達。ま、そこのレオン少年とは初めましてじゃないんだけどな」

 ジュメレはそう、にまりと笑う。自然と人の視線が集中したレオン自身は、「オレ?」と困惑の表情で自身を指さした。

「声だけじゃわかんねーかな? んでもまあ、これ見たら分かるだろ」

 ジュメレはそう笑い、懐から何かを取り出した。

 それは、丁度人が被れば首まで隠すことが出来そうな大きさの、紙袋。ご丁寧に目の穴まで開けられている。それを見て、レオンが目を見開いた。

「――あぁあ!? 紙袋お兄さん!?」

「ごめいとーぅ」

 語尾にハートマークでもつきそうな様子で、にっこりとジュメレは笑う。状況を飲み込めない純とアカザの視線を受けて、頭を抱えたレオンは呻くように口を開いた。

「……リシュール祭で……ゴミを捨てに行った時に会ったんだ。そっか、だから……声に聞き覚えがあると思った……」

「よーしよし、覚えててくれて嬉しいよ青春少年」

「忘れるわけないでしょあんな紙袋……」

 がっくりと肩を落としたレオンとは反対に、ジュメレはけたけたと楽しそうである。その横ではアーサーが溜息をついていた。顔は同じなのにこうも表情が違うと全然印象は変わってくるものなんだなぁ、と純は内心で呟く。

「そ、それより影武者ってことは……えっと、今まで国王様として会ってた人がジュメレさんだったってことですか?」

 ぱっとレオンが顔を上げてそう質問をぶつける。それは純とアカザも気になっていたことで、返事を待って視線はアーサーへと向いた。

「ああ。とはいえ全てがそうであった訳では無い。リシュール祭での挨拶や軍の指揮を行ったのは私だ。だが、あの後私は吐血して倒れてしまった」

「それ以降『アーサー』をやってたのは俺。アーサー本人は動ける状態じゃなくてなー、寝室のベッドで寝たきりだった。だからアーサーの指示を受けて、それを俺が代弁してたわけよ。あ、レオン少年とっ捕まえてお前らを騙したのは俺の独断な」

 アーサーの言葉を引き継いで、ジュメレは片手をひらつかせながらそう笑う。言われて純達が見比べると、確かにアーサーは顔色が良くない。心配になるほどではないが健康体のようにも見えず、病み上がりの様相、という言葉が一番近かった。

「……あの時、『私は平気だ』って言ってたのは……」

 そう、レオンは呟く。レオンとアカザが呼ばれた応接室で会った国王――即ちアーサーに扮したジュメレは、確かにそう言った。ジュメレがにっこりと笑む。

「それについては嘘は言っていないぜ。『俺は』健康体だからな」

「……ああ……」

 今度はレオンとアカザが二人揃って肩を落とした。アーサーはその反応は予想していたのだろう、動じた様子もなく隣のメイリーに目を向ける。

「メイリーには憎まれ役を担わせてしまった。すまないな」

「イイエ。ジュメレの独断というノガ腹が立ちますガ、あの場で適任はワタシだけでしたカラ。アイクに演技は無理でしょうシネ」

 メイリーはそう、やはり無表情で答えた。アーサーは有難うと少し微笑む。

 脱力から立ち直ったアカザが片手を上げた。

「あのー、何であんなことしたんすか? 俺達を試したかったって……」

「んー? 王の間で言ったろ? 闇属性と一緒に居るなら危険な時に闇属性の奴を売る人間は駄目だって。

闇属性はそれだけで迫害されるからなぁ、俺のは演技だし言った言葉も真意じゃないが、あーいうことを本気で思ってる奴の方がこの世界には多い」

 ジュメレは一度区切って、息を吐く。

「ガイア帝国なんかは闇属性ってバレるだけで問答無用で牢屋行き、なんて噂もあるくらいだしな。旅人ってんなら尚更、『闇属性と行動を共にする覚悟』ってのが必要だ。世の中そんなに綺麗じゃねぇんだから……メイリーちゃんみてーな理想論者も居るけどな?」

 そう笑うジュメレをメイリーが睨んだ。

 ――純はといえば、ジュメレがメイリーを理想論者と称したのが意外であった。付き合いと言えるほどのものもないが、どちらかというと彼女からは事務的で機械的なイメージしかなかったからだ。それはレオンとアカザも同じだったらしく、目を丸くしていた。

 その驚きからまず立ち直ったのはアカザで、彼はジュメレに向き直る。

「……なんで、ジュメレさんはそんな風にレオンのこと心配してくれたんだ? まるで……」

 そう、問うて、少し言いずらそうに目線を逸らす。暫し口ごもって言葉を探していたアカザに、ジュメレは笑いかけた。

「……まるで、当事者みたいだ、って?」

 弾かれたように顔を上げた子供達に、ジュメレは相変わらずにまにまと、悪戯っぽく笑っている。

 彼が片手を掲げ、人差し指を突き上げた。その先に、魔力が渦巻く。


「その通りだよ」


 ――その色は、黒。

 ジュメレはレオンと同じ闇属性の魔力を、指先で弄んでいた。唖然とする子供達に愉快そうに笑い、彼は指を鳴らしてそれを消し去る。

「実を言うとだな、ゴミ箱前でレオン少年と会った時から、少年が闇属性だとは気付いてた。闇属性も暫くやってりゃ、なんとなーく『同じもの』の判断がついてくるのさ。あのインウィディアって子、あの子も闇属性だろ?」

「……そう、です」

 言い当てられたことに素直に驚きつつも、純は頷く。レオンやアカザを含め、何人かが驚いた顔をしていた。

「さて、ここからはその闇属性についての話をしたい」

 そう、アーサーが切り出した。彼に視線が集まり、次の言葉を待つ。

「ジュメレが言ったように、闇属性であるということは偏見と悪意の目が付き纏う。広い世界を旅するのならば、それはより多くなるだろう。

――だからこそ、君達には、闇属性についてしっかり知ってもらいたい。とはいえ闇属性にはまだ謎が多く、今から話せるのは『現状の事実』だけしかない。あくまでただの事実であり、君への悪意によるものでは無いことだけは約束しよう」

 最後の言葉は、レオンに向けて放たれた。その凛とした青い瞳がレオンを見ている。

「……分かりました、聞かせてください」

 逡巡の時間は、そう長くはなかった。レオンがアーサーの瞳を見つめ返す。その目を受けて、アーサーがふわりと笑った。

「有難う。……では、話そう」

 きし、と椅子が鳴った。


「闇属性については、多くの分野の研究者達の研究対象でもある。当然『知の都』パルオーロでも例外ではない。そして近年、ある事実と、それによる可能性が明らかになってきた。

……だが、それは闇属性への偏見を強める恐れがある事実だったが故に、私は国民への周知を留めた」

 そう前置きをして、アーサーはまた言葉を続ける。

「その事実とは――200年前付近の『空白の歴史』以降にしか、『闇属性』というものの存在が確認されなかったことだ」

「……確認、されなかった?」

 思わずといったように零したレオンに、アーサーは頷く。

「……約3000年前のものとされる、ラシュク王国の石碑は近年また解読が進んでいる。そして新たに解読された記述に、魔力属性についてのものがあった。

そこに書かれていた属性は――炎、水、雷、土、草、光、その六つだ」

 誰かが息を飲んだ。アーサーはその空気を恐らく知りながらも、話を続ける。

「その他、約1000年前と約400年前の魔術に関する教科書と見られる文献がラシュク王国跡地から見付かっている。そこにも魔力属性についての記載はあるが、やはり闇属性については触れられていなかった。

……勿論、『闇属性は存在したが当時隠されるべきものだった』可能性も否めない。だがここまで証拠が見つからないとなると、『存在しなかった』可能性もまた否めないのだ」

「……それは、つまり……」

 そう、零したのはレオンだ。

「闇属性は……『空白の歴史』を皮切りに出現したかもしれない、ってことですか?」

 アーサーが頷く。レオンが、何かを言おうと口を開いて、しかし何も言わずに俯いた。純には何も声をかけられずに、その背をさする。

 純からレオンを挟んだ向こうの椅子に座っていたリックは黙って眉を寄せていた。それが、アーサーの言葉が正しいことを何よりも示している。

「……闇属性を持つ存在が認識されたのは、闇属性を必ず備える存在――魔物の出現による。『空白の歴史』が開けかけた、190年ほど前から伝えられ始めた物語が最も古い魔物への言及だ」

「物語……もしかして、英雄伝説ですか?」

 純の言葉にアーサーはまた頷いた。

「そして――闇属性を持つ人間が確認された最古の証拠としては、150年前のものがある。だが今重要なのは年号ではない。

――その記述では、闇属性の人間は、『素性が全く不明なまま、何処からか現れた』とあるのだ」

 目を見開く子供達に、彼は続ける。

「その後、何人か闇属性の人間の存在が確認されている。だがその全てが、親も親族も出身地も何もかも不明な存在で、『闇属性の子供を産んだ』という記録が何処にもなかった」

「そんな……っ」

 ガタンッ、と、レオンがとうとう立ち上がる。テーブルに乗り上がり、喉が張り付いたような声で叫んだ。

「オレは……っ! オレは、じいちゃんの孫です! 血筋はちゃんとある!」

 アーサーは静かな目でレオンを見上げ、ああ、と、零して、目を伏せた。

「……繰り返すが、これは君を追い詰めるためのものでは無い。ただの、事実の一側面に過ぎない。君と祖父との絆を無いものとするものではない。その上で聞いてくれ」

 そう前置いて、彼は口を開く。

「君の祖父……アガシア・アルフロッジは……少なくとも記録上、妻帯をしていない。彼は研究一本の男だった。


――孫どころか、子供さえ居たという証拠が無いのだ」


 ぺたん、と、レオンが椅子に座った。――否、力が抜けて、椅子の上に崩れたと言った方が正しい。青い瞳を見開いて、呆然と空を見ていた。その様子に、アーサーは眉を寄せる。

「……君には酷な事実だろう。だが、あくまで記録上の話だと分かってほしい。アガシア・アルフロッジは確かに君を孫として愛したのだろう。それは君が一番知っている筈だ」

 呆然と俯いて、それでもレオンは静かに頷いた。リックが無言で、その頭を撫でる。

 黙って話を聞いていたアカザがふと顔を上げた。

「待ってくれ。ジュメレさんも闇属性なんだろ? 国王様とは双子なんじゃないのか?」

 その言葉に、アーサーが首を横に振る。

「私達は双子ではない」

「え? そんなに似てるのに?」

 アカザが驚きの声をあげる。純とレオンも目を見開いて、アーサーとジュメレを見比べた。表情は違えど、顔の造形はほぼ同じだ。その上、声質も似ているを通り越して全く同じに思える。

 アーサーが困ったように笑った。

「私とジュメレの人間的な関係でいえば、盟友であり影武者と言える。だが、性質的な関係については、実の所は分からないのだ」

「分からない?」

 アーサーの視線が下を向く。昔を思い出すように、彼は目を伏せた。

「……私が10歳の頃だ。城に賊が入った。私は気絶させられて攫われ、目を覚ますと檻の中にいた。そこで出会ったのがジュメレだ」

 純がジュメレの方を見ると、彼は視線に気が付いて笑う。その笑顔はやはりアーサーのものとは違うが、顔立ちは本当に瓜二つだった。

「目を覚ますと、と言ったが、攫われてから目を覚ますまでどれほどの時間が経っていたかは分からない。私が入れられていた部屋は私とジュメレの檻の他には動物が沢山の檻に入れられていたが、時計などは無かったのでな。時間感覚は無かった。

……唯一の人間同士、というのもあってな。ジュメレに「友達になろう」と言われて、私達は友人になった。闇属性であることや顔がよく似ていることはあまり気にならなかった。気にするような状況でなかった、と言った方が正しいが」

「俺はといえば檻に入れられるまでの記憶が無くてよ、自分の顔も知らなかったからアーサーと同じ顔だなんて知らなかったな」

 ケラケラ笑うジュメレを見て、アーサーが少し笑う。そのまま彼は純達に目を向けた。

「ただ……私がこうも病弱になったのは攫われてからだ。劣悪な環境だったからかもしれないな。昔は健康体だったのだが、少し無理をするとすぐに発作を起こすようになってしまった。

……研究者らしい男達が、檻から動物を引き摺り出して連れていくのを見る日々だった。連れていかれた動物はもう帰っては来なかった。私はそのうち発作で死ぬか、研究者に殺されて死ぬのだと思っていたよ」

 そこまで言って、顔が暗くなっていく子供達に気付いたらしいアーサーが「そんな顔をするな」と優しく笑った。

「私はこうして生きている。……そんな日々だったが、ある日研究所が爆発してな。私も死ぬかと思ったが、ジュメレが助けてくれて生き延びた。そうして抜け出して、何とか城に帰ることが出来たというわけだ」

「ば、爆発?」

「どういう事なのかは分からない。城に戻ってから軍がその研究所を調べに行ったが、もう死体以外は残っていなかった。どんな研究をしていたのかも分からない状態で……あれはもしかすると組織ぐるみのもので、上に尻尾切りされたのかもしれないな」

 そう言ってアーサーは苦笑する。その肩に腕を乗せ、ジュメレはにまりと笑った。

「そんでまあ無事保護された訳だが、健康体だったはずのアーサー王子は病弱化。命の恩人ジュメレ少年は謎にそっくりな上に闇属性。アーサー王子に双子の兄弟が居ないことは確認済み。どーするか、ってなった時に、こいつのお父上は俺を王子の影武者って形で受け入れることにしたわけよ」

 まあ公にはできねーから外出は顔出しNGだけど、と言って、ジュメレは紙袋を掲げてみせる。

 彼はアーサーと同じ青い瞳で、レオンを見ていた。

「俺だって記憶も素性も知れねぇけどよ、そんでも何とかなってるぜ。 アーサーがくれたジュメレって名前も、お父上がくれた影武者って立場も、俺を『ジュメレ』にしてくれる。


――だから、お前も大丈夫さレオン少年。お前には、お前を『レオン』と呼んでくれる友達がいるんだろ?」


 ぱちくりと、レオンは瞳を瞬かせる。そんな顔のまま自分の周囲を見渡した。純もアカザもリックも、自分を見て笑っていることに気がついたようだった。

「あ、りがとう、ございます」

 レオンも、漸く笑った。その顔を見て、アーサーが安堵したように微笑む。

「……さて、話すべきことは話しただろう。今日はこれくらいにしよう。城に泊まっていくといい、諸々の詫びではないが、もてなしは行おう。まずは遅い夕飯だな」

 そう言って、子供達が頷いたのを確認してからアーサーは立ち上がる。彼の後について、ジュメレ、リックもまた医務室から出て行った。

 ――しかし。

「……えっと、メイリーさん……?」

 メイリーは立ち上がらない。レオンをじっと見る彼女に圧されて、レオンの顔が引き攣った。演技だともうわかっているとはいえ連行された時の恐怖が残っているらしい。それは純達も同様であり、医務室を微妙な沈黙が支配していた。

 何か用があるのだろうか。自分達は大人達に続いて食堂に行っていいのだろうか。そんな困惑で三人が固まっていると、メイリーが先に動いた。

 ぱさり、と、彼女の髪が揺れて、先の毛がテーブルにつく。

「アルフロッジ殿。演技とはいえ、無礼を働きマシタ。誠に申し訳ありマセン」

 そう、頭を下げたメイリーに、一番慌てたのはレオンだった。

「えっ、あ、いや……っ」

 顔を上げてくださいと言う事すら出来ずに慌てふためくレオンに、メイリーは続ける。


「貴方は人前で闇の力を使うことを酷く恐れていたのでショウ」


 その言葉に、レオンの動きが止まった。不自然に硬直した彼の目が震える。ベッドの上のアカザも、目を見開いて、拳を握りしめていた。

 純にはその理由はわからないが、空気が変わったことだけは分かる。メイリーは顔を上げ、レオンの目を見ていた。

「見ていてなんとなく分かりマシタ。何か、嫌な思い出でもあったのかもしれナイ。闇属性というダケデ、迫害されることの方が多イ世の中ですカラ……

……デスが。デスが、確かに貴方は我々を救ッタ」

「……!」

 続いた言葉に、レオンは目を見開く。その目を真っ直ぐに見るメイリーはやはり無表情だったが、何故かもう、機械的には見えない。

「Aランクの魔物を相手に死人なく帰ることが出来たのは奇跡と言ってもイイ。そして、それは貴方の功績デス。貴方が、闇属性として迫害されることを恐れなガラ、それでもその力を奮ったカラ、我々は生きて帰ることが出来タ。

――それは、我々の為ではなく、友人の為であったかもしれナイ。デスがそれはどうでもいいことデス。貴方が、貴方への悪意を恐れなガラ、それでも誰かを救おうとシタ。それこそが、光属性を生まれ持つことなどよりも、尊い事なのデス。

そして、それこそが我々『国』が守るべきものなのデス」

 ジュメレは理想論だと言いマスガ、と付け加えて、メイリーは立ち上がる。テーブル越しに、レオンの手を取って、優しく握った。メイリーの目尻が柔らかく下がる。


「その心を、どうか誇って。この先どんなに貴方を傷付ける悪意があっても、忘れないで。貴方は、とても優しく、勇気のある少年デス」


 初めて見たメイリーの笑顔は、とても、優しい顔だった。

 レオンの眉が下がる。涙目になりそうだったのを、寸前で堪えたらしく、ふるふると首を振った。そうして、メイリーの手を握り返す。

「ありがとうございます、メイリーさん」

 メイリーは頷いて、食堂に行きまショウカ、と微笑んだ。

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