Travelers・Link
ミカヅキ
プロローグ
この世界はあんまりに残酷で、悲劇的で。だからこそ美しい、と、人は言うけれど。
そんな美しさなら知らないままでいたかった、と。
そう言った彼女は、哀しいくらいに美しかった。
プロローグ
――マンホールから落ちたら、そこは書庫でした。
「……どうしてこうなった?」
少女の、同年代よりは少し低い、しかし女性らしい高さと子供らしい幼さを持った声が薄暗い――電気はついていないのだろう――部屋に虚しく響く。天井に届きそうなほど高い、本がぎっしりと詰められた少し古びた棚。大量のそれらに囲まれている目の前の光景は、彼女にとってなかなかに圧巻であった。
それはもう、気が遠くなりそうなほど。
――落ち着こう。そう、失神しそうな意識を取り戻さんと少女、もとい山田 純は頭を振った。セミロングの黒髪がそれに合わせて左右に揺れる。
「どうしてこうなった」
同じ言葉をもう一度繰り返して、純は遠い目を本棚に向けた。勿論、返事が返ってくる筈はない。
確か、そう。私は学校から帰宅途中だったのだ、と。現実逃避という名の失神をしそうな脳をもう一度揺さぶり起こして、純は記憶を辿った。
いつも通りの時間。いつも通りの帰宅通路。確かに年齢としては中学二年生に当たりはすれど、なにか特殊な力があるとかそんなことはなく、霊感すらない極々普通の日本人中学生である。強いて彼女が人と違う部分を言うなら、家が剣道の道場であるくらいだった。
――そして今日、帰宅途中にマンホールに落ちたのだ。
よし、ここからおかしい、と、純は頭を抱えた。
蓋が抜けたのかなんなのか、マンホールに足を踏み入れた途端、純は確かに浮遊感を感じた。そこから先の記憶はぼんやりしていて思い出せないが、確実に落ちたのだろうとわかる。
どういうことだ。しっかりしてくれ水道局! などという、純の心の叫びは当然水道局に届くはずは無い。
「……とりあえず、ここ何処……?」
一旦思考を止めて周りを見渡す。が、囲む本棚に阻まれてそれしか見えない。
仕方ないので立ち上がって本棚の列から抜け出ると、少し部屋の概要が見えた。どうやら、そこそこ広い部屋にずらりと一列に本棚が並んでいるようだ。本棚の片側の端は向こうの壁にくっ付いていて、隣の棚列に抜けることは出来なさそうだった。となると、自分が今立っている場所が通路なのだろうと予測を立てる。横を見やれば遠くに出入口であろう扉が見えた。
「……マンホールから落ちたら普通地下水道じゃない?」
いやそもそも高所から落ちて無事では済まないだろうけど、と、自分で自分の思考回路にツッコミを入れながら、純は己の体を見下ろす。純の体に痛みは感じず、見たところ傷らしい傷もない。ならば、とそこまで考えて、一つ嫌な予測が立った。
「……まさか天国じゃないよね? 天国ってこんな書庫じゃないよね……?」
いやいやそもそもまだ死にたくないし、と頭を振って、嫌な想像は一旦隅に置くことにした。とりあえず、と純は出入口であろう扉に向かう。そうしながら、物珍しさについキョロキョロと周りを見渡した。それどころではないのはわかっているが、年相応の好奇心には勝てない程度に、純は好奇心旺盛な少女であった。
なんか沢山本があるなぁ、難しそうなのばっかりだ、などと思いつつ足を進めていく。すると、ふと、難しそうな重層な本の中に一つだけやけに明るい色合いの本が純の目を引いた。
「何だろうこれ、……『えいゆうたちのぼうけん』?」
妙に気になって、純がしゃがんでその本を手に取ると、どうやら子供向けの絵本のようであった。なんとなくぺらりと表紙を捲る。が。
「……ページが無い……?」
本来あるべきページがない。一枚も。何故こんな壊れた絵本を保存してあるのだろう、と思いながら仕方なく本棚に戻すと、横に地図資料集のような本を発見した。
同じように手に取って表紙を捲る。
そこには見慣れた世界地図が――
「……は?」
――訂正しよう。『地名以外は』見慣れた世界地図がページいっぱいに広がっていた。
ユーラシア大陸である筈の場所は『フロリダ大陸』、アメリカ、南アメリカ大陸である筈の場所は『ミルドフィード大陸』、アフリカ大陸である筈の場所は『ラーフィット大陸』、オーストラリア大陸である筈の場所は『リアシルド大陸』と、日本語でしっかりと書かれている。思わず純は膝を打った。
そうか、この世にはそんな地名が存在したのか! と――
「――そんなわけない!!」
虚しくセルフツッコミを入れて、純はもう一度地図を見下ろした。文字は日本語で、マンホールの先には地下水道ではなく書庫らしき部屋。
これはもしやアレなの? 漫画とかで見るようなアレなの? と、ぐるぐると純の脳裏に疑問と推測が渦巻いて、彼女をさらに混乱させた。だが、どれだけ見ても目の前の文字は変わらない。
「……いやいや、私は中学二年生だけど厨二病は患ってないし。頭がおかしくなったわけでもないし……」
――でもこの状況でそれしか思いつかないじゃん。そう、純の脳内で誰かが言う。
もしかして夢なんじゃないかな。そう願いながら、純は頬を抓った。鈍い痛みは確かに存在して、現実は非情であった。
誰かそんなわけないだろ馬鹿だな、と笑ってほしい――純以外に人の居ないこの部屋で祈るにはあまりに儚い祈りを抱いて、彼女は空を見上げる。
彼女が出した結論を、他ならぬ彼女が受け入れられないのだ。
――そう、
「私、もしかして、『異世界トリップ』ってものを体験してるんじゃないの……?」
言葉にすれば、その非現実さは現実味を帯びてしまう。
失神に、必死に耐えていた脳味噌は遂にキャパオーバーを迎え、純の意識は闇の中に遠ざかっていったのだった。
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