女の子が海に行く話

0日目

「ミキちゃんさー。初詣のときに禁煙するって言ってなかったっけ?」

「禁煙するのは簡単だ。なぜなら私は何十回も禁煙している。って誰かが言ってた」

「それってさー……」

 アサミは呆れたようにため息を付く。放課後の屋上。アサミのため息は白くなっている。私はそれを見て笑い、煙を吐き出す。

 煙はすぐに空気と混じって消えていく。どこからか下手くそな管楽器の音が聞こえてくる。

 私たちが見上げる空はまだ水色だったけれど、遠くから少しずつオレンジ色に変わっていっていた。

 私たちは並んで座り、空を見ていた。空を見ながら、私は煙草を吸って、アサミはそれを咎める。それだけ。

「大丈夫。ここなら見つからないよ」

 真冬の放課後に学校の屋上に好んで来る人なんて、それこそ煙草を吸う人くらいだろう。だけど、今日は割と暖かくて、絶好の屋上日和だった。

「それに吸えるようになるまで結構頑張ったし」

 あとは自分は煙草吸わないのに、屋上に付き合ってくれる奇特な人。

「気持ち悪くなったり、頭痛くなったり大変だった」

「なんで、そんなこと頑張るの……」

「映画でカッコいいシーンがあったから」

 アサミは心底呆れたといった顔をして、またため息をつく。

「ここがいくら自由な校風だって、見つかったら退学だよ?」

 確かにうちは自由な校風だ。私みたいに金髪にしていても先生はなにも言ってこない。

「退学か。禁煙より簡単かな?」

「あのねー。退学すると、また入学しないと退学出来ないんだよ?」

「確かに。もう一度受験するのは面倒くさい」

「そうじゃなくてさー。私はミキちゃんと一緒に卒業したいんだよ」

「卒業……」

 私はまた煙を吐く。煙が消えていく空を見ながら考える。私とアサミが卒業するまであと二年と少し。まだまだ先のことに思える。

「卒業まであっという間だよ」

 アサミは日が当たる屋上の真ん中でぐーっと大きく伸びをして立ち上がる。茶色がかった髪が夕日を受けて、キラキラと光る。私はそれを座ったまま見ている。私の染めて傷んだ髪とは違って、アサミの髪はキレイだ。

「まだまだ先だと思うけど」

 二年は長いと思う。これから春が来て、夏が来て、秋が来て、また冬が来る。これで一年。

 卒業するのは、また春が来て、そのまたさらにまたやってくる春のことだ。

「あっという間だよ。だって、やりたいことたくさんあったのに、もう一年過ぎちゃうんだよ?」

 アサミがやり残したことがたくさんあるというのが意外だった。春からの付き合いだけれど、やりたいことは積極的にやるタイプだと思っていた。

「ミキちゃんと海とか行きたかったけど、行かないって言うしさー」

「海はめんどくさい」

 海で身体がベタベタになるのがあまり好きじゃない。シャワー室が汚いのも苦手だ。それに水着を見せるのはなんか恥ずかしい。

「あとはミキちゃんとお花見」

「時期的に厳しかったね」

 私達が仲良くなった時点で桜はもう散っていた。アサミは高校に入る前に東京からこっちに越してきた。だから、中学からの付き合いは当然ない。

「ミキちゃんとお泊りクリスマス!」

「クリスマスは家族と過ごすから……」

「それ断り文句じゃん」

「お泊りはしてないけど、お姉ちゃんとちょっとしたパーティーしたじゃん」

 お姉ちゃんのバイト先の喫茶店で、いつもより少し高いケーキを頼んで、ふたりで食べた。そのあとずっとふたりでおしゃべりをしていた。パーティーというのはちょっと大げさだったかも知れない。

 それにしても、なんで私とのことばかりなのだろうか。他にはないのか。例えば、彼氏がほしかったとか、バイトがしてみたかったとか。

「たしかに! あのときもらったマフラー愛用してます!」

 知っている。今もアサミの首には私があげた朱色のマフラーが巻いてある。

「でも、海行きたかったのです!」

「わかったわかった。今年は行こう」

「やった! いつ行く? 明日?」

「いや、明日は行かない」

「えー」

 アサミは残念そうな声でそう言うけれど、明日行くわけがない。まだ全然冬で、海に行っても絶対寒いだけだ。海は夏に行くものだと思う。

「夏になったらね」 

「夏かー。遠いね」

 そう言ってアサミは笑う。それはさっきまでの笑顔とは少し違っていて、少し寂しそう。そんな風に見えた。

 風が吹いて、アサミの髪を揺らす。「さむー」とアサミはマフラーに顔をうずめる。アサミの表情が一瞬見えなくなる。

「でも、やっぱりあっという間だったよー。楽しいことばっかりだったもん」

 鼻を赤くしたアサミはまた笑う。さっきとは違う。ぱっと花が咲いたような、そんな笑顔。その笑顔を見れば、本当に楽しいことばかりだったのだろうと誰もが思うはずだ。

 だから、少し意地悪をしたくなる。

「うん。煙草を吸い終わるのと同じくらいあっという間だった」

 私は吸い殻を携帯灰皿に入れて、新しい煙草を咥える。だけど、アサミがそれをさっと奪ってしまう。

「煙草と一緒にしない」

「でも、煙草は新しいのに火を着ければまた吸えるよ」

 こうやって。とまた新しい煙草を咥え、火を着けようとしたら、アサミがまたその煙草をさっと奪い取ってしまった。

「だからダメだって! もう煙草はおしまい! 本当に退学になっちゃうよ!」

「まあまあ。一服して落ち着きなって」

 ライターを差し出すと、アサミはもう! と怒ってしまった。私は笑いながらごめんごめんと謝る。

「煙草辞めたら許してあげる」

 アサミの眉間にグッと皺が寄る。どうやら本気で怒っているらしい。

 新学期が始まってから、煙草をやめろとアサミはよく言うようになった。それまでは吸っていても、呆れと諦めとどこか無関心が混じったような態度だったのに、どうしたのだろう。

「ミキちゃんは私と卒業したくないの?」

 眉間に皺を寄せたまま、アサミは私をじっと見る。

 ズルい。

 私はアサミから視線を外し立ち上がる。まだ風は吹いている。

 別にそんなに本数を吸っているわけじゃない。学校では基本的に我慢している。たまに我慢出来なくて、ここに来るだけだ。

 吸い始めたのだって、映画で見たかっこいいシーンに憧れただけ。

 だから、禁煙なんて簡単のはずだ。

「わかった」

 私はポケットから煙草を取り出して、くしゃりと握る。ついでにひねる。これでもう中の煙草は吸えない。

 もったいない。なんかカッコいいからとソフトにするんじゃなかった。

「はい」

 煙草だったものをアサミに見せつける。

「おー! 素晴らしい!」

 アサミは立ち上がり、私の手から潰れた煙草を奪い取り、助走をつけて、思いっきり……。

「おりゃあ!」

 屋上の外へ投げた。

 煙草を放物線を描いて視界から消える。落下地点は昇降口のすぐ目の前だろう。

「グッバイ。シガレット」

 満足そうにアサミは煙草を投げた方向を見つめている。

「バカ! 先生に見つかったらどうするの!」

「えーっと……」

 アサミの大きな目が泳ぐ。絶対なにも考えてなかった。先生に見つかったら卒業どころではない。二人揃って退学かも知れない。二人で同級生より一足早く学校から去ることになる。

「グッバイ! 屋上!」

 アサミは屋上の出口に向かって走り出す。

「あ。待て!」

 私も慌ててアサミに続く。

 階段を一気に駆け下りて、下駄箱で靴を履き替えて、昇降口から飛び出す。

 帰宅部の人はとっくに帰っていて、部活中の人は部活に励んでいる。そういう中途半端な時間に昇降口から校門に向かって走る人なんていない。そんな場所を私とアサミは校門に向かって走る。

 校門を走り抜けて、しばらくして、顎は上がり、私の足は限界を迎え、立ち止まる。息が切れる。心臓がバクバクする。足に力が入らない。運動不足だ。振り返ればまだ校門が見える。

 前を行くアサミも立ち止まり、私を見ている。膝に手を置き、息を整えようとする私と違って、少し息が上がっているくらいで、なんともなさそうだ。

「煙草。辞める気になった?」

 夕暮れを背に立つアサミの表情はよく見えない。

「き、禁煙なんて、簡単だからな」

 息を整えながら、なんとか返事をする。

「約束だよ」

 そう言って、アサミはヘヘッと笑った。表情はまだよく見えなかった。

「ミキちゃん……」

 アサミの悲しそうな声。

「鞄忘れた……」

「あっ」

 私も忘れた。

 

 青春全開で走り抜けた校門を二人してまたくぐるのは、とても恥ずかしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る