夢花火


どん。ドン、どん。


 和太鼓の音が響く。その音を聞きながら、天体望遠鏡越しに空を見やる。生憎、雲で星空は隠れてしまっていた。先程まで見えていた夏の大三角形も、もう曇天の向こう側だ。小さくため息をつく。


 夏祭りは人が多いから苦手だ。別に人間嫌いと言う訳ではないが、どうも嫌煙してしまう。浮かれてはしゃいで、高い金を出して冷凍の焼き鳥やタコ焼きを食べる。正直、理解し難いと思う。


 バーナーにかけたパーコレーターが頃合いか。コーヒーをマグカップに注ぐ。アウトドアに必要な基礎はそこそこにできる自負がある。夏はまだしも、天体観測の本命は冬だ。まして観測に長丁場はざらなのだ。


 どん。ドン。どどん。


 太鼓の音に耳を傾ける。かすかに見える花火の光。今年は流星群観測のチャンスながら曇天と祭りの花火に邪魔されて、願いは叶わないかもしれない。


「大原先輩みーつけた」


 予想だにしない声に俺は、目をパチクリさせる。


「中野?」


 同じく天文部の中野由里子の浴衣姿で息を切らしながら、山路を登ってきていた。


「お、お前、なんて格好で──」

「大原先輩を探してたんですよ、夏祭り行きましょって、言ってたじゃないですか?」

「あ、あのな。俺、ああいう人の多いトコロは苦手だって、前にも言ったと思うんだけど──」

「それは前に聞きました」


 ニッと笑って言う。その目はまるで諦めませんよ? そう揺るがずに答えていて。


 俺は自分の髪を無造作に掻き上げる。人付き合いが悪い俺に、人好きのする中野。天文バカというレッテルを貼られている俺と、天文のことに興味の薄い中野。


 正直、こいつが何で俺に執着するのか意味が分からない。


 多分、物珍しい珍獣にも近いのかもしれない。先輩と一緒にいると退屈しませんから、と退屈な男に向けて満面の笑顔で言う。まったく理解できない、と肩をすくめる。


「ベガ、デネブ、アルタイル」


 中野は、夏の大三角形の方向へ、指で三角をなぞる。


「先輩が教えてくれたから、バッチリです」


 そう笑んで。雲で隠れて見えないのに。


 俺は仕方なく、予備のマグカップにコーヒーを注いでやった。ただし砂糖もクリープも持ってきてないので、ブラックだが。それを苦そう半分、でも幸せそうに飲む。意味がわからない。

 太鼓の音、祭り囃子、中野の笑顔。もう何がなんだか俺には分からなかった。


「先輩は本当に忘れているんですね」


 クスッと中野は笑む。


「は?」

「あの時は冬の大三角形でした」


 と空を指でなぞる。中野は空を見上げて目を閉じた。


「あ──」


 思い出した。

 受験に悩んでいた中学生の話を、冬に聞いてやった記憶がある。高校受験の合格基準に自分の学力では届かない、うんぬんかんぬん。彼女──つまり、中野か。熱心に喋ってはブラックコーヒーを飲み干して、苦い顔をした。あぁ、そういえば。こんな顔だったと今更ながらに思いながら。


──なんでその学校目指してるの?

──親が……。

──親が高校受験するの?

──へ?


 その時の彼女の顔がおかしくて、今さらながらに笑みがこぼれる。でも中野は、勉強に励んで志望校に合格して、今は俺の後輩になっていた訳だ。


 優しい言葉をかけることなんて、全くできなかったのにな、と思う。

 風が凪ぐ。


 さわさわと、ざわさわと。


 肉眼でも分かるくらいに、雲が動いた。

 と、太鼓を打つ音が止まった。


「え?」


 それは光で弧を描く。まるで雨のように無数の線を引いて。


「先輩はロケット開発の技術者を目指しているんですよね」

「あ、あぁ」


 流星群に圧倒されて上手く言葉に出来ないまま、思わず中野を見る。


「私が、そのロケットの宇宙飛行士になりたい、って言ったら笑いますか?」

「笑わない。前にも言ったけど、夢を語ることは誰もがしてもいいと思う。結果はまた別物だと思うけど」


 それはあの時、中野に俺が言った優しさも気遣いもない一言。俺はこんな性格なので、こんな風にしか言えない。


「もう一つ、夢があるんです」

「聞くことしかできないけど?」

「──先輩と夏祭りに行きたいです」


 俺は中野の顔をじっと見る。今この瞬間に流れる流星雨に、まるで目を向けることもできずに。


「祭、もう少しで終わるけど?」


 中野はただ真っ直ぐに、俺を見る。俺は小さく息をついた。

 どん。ドン。どどん。

 盆踊りの和太鼓がまだ鳴り止まない。


 











 

 どん。ドン。どどん。


 太鼓の音によく似ている。モニターからのエンジンの稼動音を聞く。新型エンジンによる本国製ロケットの打ち上げが目前に迫っていた。


「夢叶えやがったなぁ」


 宇宙飛行士になる倍率は宝くじにも等しい。1000人を超える志願者から一人。そして知力、体力、センス、その全てを総合して生き残ったものが、コクピットに乗るのだ。


「中野、緊張してないか?」


 俺が通信機に語りかける。


「先輩」


 ニッと笑んでいる声がすぐに返ってきた。


「私、もう苗字は大原ですよ」


 今ココでそれを言うか。なんの公開処刑か。もっともスタッフ全員が知っている公認の事実でもあるが。囃し立てる拍車と口笛は無視することに徹する。


「行って来い」

「先輩のエンジンで行ってきます」


 機器系統はモニター上は異常なし。あいつ──嫁も緊張していない。天気は快晴、微風で打ち上げには問題ない。


 どん。ドン。どどん。


 鮮明に蘇る和太鼓の音と、エンジンの音が重なるのはどうしてか。

 帰り道に買った、お守りを今でもあいつはつけている。


 どん。ドン。どどん。


 俺も、同じお守りをその手で握っている。


 どん。ドン。どどん。


 不謹慎だなと思うが、あいつが帰ってきたら夏祭りに行きたい。あの日と同じように、焼きそばを食べて。かき氷を食べて。射的をして。あいつの方が上手くて。


 どん。ドン。どどん。


「先輩、大好きです」


 打ち上げ直前のその通話に耳を疑いながら。


「打ち上げ成功です!」


 スタッフの喧騒、歓声も耳に入らず。ただ脱力して、また夏祭りに一緒にいきたいと思う俺はなんて単純なんだろう、と思いながら。


「俺もだ、バカ」


 素直じゃない一言は、歓声と拍手でかき消されたのだった。

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