第5話ここまでがプロローグ。

視界内に飛び込む景色の一部に、翻る長く美しい髪を見た。

それは下駄箱が置かれた玄関側に、吸い込まれるように。

不意に立ち止まる俺のすぐ脇を生徒が過ぎる。

彼らはきっと、部活に行くのだろう。肩にバッグを掛け友人と親しげに笑う。

小鳥の囀りが聴覚器官の奥の方に響きを奏で、春を感じる。


人間の言う『悪い予感』と言うものは、当たる事が多い。



† † † †



ふうと溜息を一つ、そして一歩。

角に待つ“そいつ“は何をしようと言うんだか。

わあ!とか言って飛び出してきたら無言でエルボーをかませる自信すらある。

さあ、どんなモーションを起こすんだ?


姿を一瞥し、目を合わさず靴の方へ手を伸ばす。


「・・・ね」

「喋るな」

「っ!」


・・・話し掛ける、か。

まあこの場合話し掛ける以外の選択肢は殆ど捨てていいものだとは思ってたけど。

それにしても我ながらに反応が早かった。被ダメージは最小限に抑えられたか?

独り言の様に呟いたその言葉に彼女、五十嵐は言葉を失っていた。

「・・・関わるな。互いに不利益だから」

靴を取り出し、履きながら吐く。

踵で潰された靴を指で整形し、立ち上がる。

「待ってっ」

掠れゆく声色、姿を追う様に伸ばされた手が虚しく空を撫でる。

降りた手、沈んだ顔。初対面の男に訳も解らず詰られる。

・・・流石に幻滅しただろ。もう、話し掛けるなんてこと、してこないだろ。

俺は背中に彼女の視線が刺さるのを感じながら、一人玄関を後にした。



「ただいま」

リビングに入り挨拶。が、珍しく妹が居ないようだ。

・・・お互いの為の最善手だったとしても、やはり未だ心が痛む。

彼女は悲しんだだろうか。傷付か無かっただろうか。

会ったばかりの男に突き放された言い方をされて、腹が立たなかっただろうか。

何にせよ、彼女には嫌われたな。

まあ、それで俺に関わらなくなるのであればそれでいい。

胸の当たりがキュウと締め付けられる感覚を紛らわす様に右手を胸に置き、考え過ぎた頭を冷やす様に左腕をおでこに当て、妹お得意の格好でソファに寝そべる。

右手に心臓の刻む律が流れ込み、バクバクと音を上げる。

「すぅ・・・はぁ」

自然と出ていた溜息を、自己嫌悪の表れだと思った。



† † † †



机の中に可愛らしい置き手紙が入っている絵を想像した時、男なら皆思い描くだろうものは『ラブレター』の一言。

言葉に出来ない想いを文にしたためる女の子の健気な姿を浮かべると、何かグッとくるものがある。


と言うのは、普通の健全男子諸君の話。


俺がもしその状況下に居たとすれば、こう思うだろう。

「・・・果たし状か何かか?」



朝。

いつも通り一人の俺は席に着くなり立ち上がった。

ガタッと椅子を跳ねさせ、少人数の生徒がこちらを怪訝に見やる。

深呼吸をし、再度ゆっくりと席に着いた。

圧倒的に怪しすぎるブツが俺の机に仕込まれている。

席を間違えた訳では無さそうだ。何せ机の中がこんなにも空っぽなのは俺くらいだしな。

ふはは、物を綺麗に扱う点においてこのクラスでのトップは俺だなふはは。

昨晩ノートにコーヒーを盛大にぶちまけて汚したのは内緒。

そんな空っぽな机に喧嘩を売るように自己主張の強い手紙が一つポツンと入っているのはなんの陰謀だ。

差出人の検討は付く・・・というか一人しかいない。

だって、いつもこの時間に居ないはずの人が一人物凄い剣幕でこっちを睨み付けてるし。

封筒を見たら色々終わる気がするが、中を確認しなかったら何されるかわからない。耳の中にセミとか入れられて、『同じ音程で鳴けるまでミミズ鼻啜りの刑』とか、背筋でピスタチオを割るまで続く『極悪非道温泉秘境の巻』とか。

は?


手紙の中身の確認が消去法なのが謎過ぎる件については後々追及するとして、さあて、腹を括って見てみますか。

恐る恐るなんて言葉がこれ程までに的を射た表現になった事は人生初めてだな、とか考えながらキラキラした封筒の中身を取り出し、そこに書かれた丸っこい字に目を向ける。


『突然のお手紙すみません。えっと、聞きたいことがあったので質問します。

最初目があった時から気になってたんだけど、なんで私を避けるの?なんか嫌なことしたっけ?

あと昨日のあれ何!?意味分かんなかったんだけど!

不利益って何が?なんで私と話したらお互い不利益なの?

一枚何も書いてない手紙も入れておくので、返信待ってます。


PS.その読んでるの渡鳥先生の僕がいるでしょ笑』


・・・これはだいぶ厄介な事になったか?

手紙を読み終え、渋々というか嫌々と言うか。そのドヤ顔したり顔の彼女に目を向ける。

案の定「良い方法を思い付いたでしょ!」と言いたげな顔にややイラッとくるが我慢。

幻滅させるはずの言葉に寧ろ興味が湧いてしまった彼女。わざわざ返信書かせる為に一枚余分に入れておく用意周到さ。

ううむ。文面からは感情が見て取れない。怒っているのか、或いは。

何よりも驚くべき点は渡鳥先生を知っている事だ。

陽キャを絵に描いた様な彼女がサブカルチャーに手を出していたとは思いもよらなかった。

先のロジカルシンキングバトルでのやり取りを察するに、このサブカルにおいての語相手が欲しかったと考える事は難しくない。

そうすれば俺に固執する意味もそれとなく見えてくると言うものだ。

何にせよ、俺から何か行動を起こす事は無いな。

先生が来るまで―――

―――寝るか。

返事を書くなんて言う選択肢は無かった。強制Cルートだった。



どうしたんだ。眩しいのかな?

一時間目終了。

国語の先生は滑舌が悪くて何言ってるのかほんとに分からん。おはようございますが『おひゃひゃうごしゃっしゃす』だもん。

それに加えて書くのが遅いから無言になる時間が長い。その間寝てくださいとでも言わんばかりの遅さ。

そんな暇を持て余す授業が終わってから眉間にシワを寄せてこちらを見やる奴が居るんだけど、眩しいのかな。

あんな厳つい顔して。眩しいのかな。

こっち廊下側なんだけど、眩しいのかな。

睨まれてる理由をできるだけ考えないように、あとそいつを見ないようにトイレに行こう。

そう席を立った時にちらりと見えたそいつは何かを必死に書き殴っていた様だった。



トイレから戻ると丁度チャイムが響き、闊歩する若人がぞろぞろと席に着いていく。

休み時間だから休むのは自由だけど教室内で熱唱する奴らって何奴。

ああだこうだと語り合う彼らを横目に、またしても机をまさぐった右手に何かが当たる。

それが何なのかは言うまでもなく手紙だが、第二弾にしては早いお出ましで。

忍ばせた手紙を手に取り外見を眺める。

うーん。きらきら。

可愛いを通り越して幼い。なんかもう手紙覚えたての小学二年生みたい。

小学生からの手紙を開くと、つい一時間前に見たような丸っこい字がやや崩れた感じでデカデカとこう記されていた。

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