第四章

 旅の一日目は天気に恵まれ、広い空が何処までも続いている。

 とりあえず昼時ということもあり、到着早々だがお昼を食べようと思った。朝のサンドイッチはもう消化してしまったようだ。とはいえ、今いる道東地方は中心部となる都市が釧路くらいしかない。その他のほとんどがあの有名な「釧路湿原」なのだ。意気揚々と車を走らせたはいいが、目的地すらカーナビに入れてもいなかった。路肩に車を寄せて地図とにらみ合う。


 とりあえず釧路に来たのだから釧路湿原は絶対行きたい。折り目のついていないスーパーマップルとるるぶを広げて駐車場らしきものがないか探す。すると、地図の上方に聞き覚えのある場所があった。

 「摩周湖か・・・」

 それは釧路地方の名物湖、観光スポットだ。何かのテレビだったろうか「霧の摩周湖」みたいな異名があった気もする。るるぶによれば晴れていると摩周ブルーという綺麗な湖面が拝めるらしい。これは見てみたい。

 しかし問題が一つ。有給を取ってきているこの旅、日数の余裕はそれほどない。だから今晩の宿は最低でも十勝地方で探したい。摩周湖は逆方向にあるため行ってしまうと十勝に着くのが遅くなりそうなのだ。

 「うーん」

 悩んでいると何故か朝の京急線で出会った大学生集団がチラっと脳裏をかすめた。あの頃は適当に遊んでそれなのにとても楽しかった。

 たぶんあの子たちなら行くはず。そう思った。



 昼食はどこかレストランでもあれば、そういうことにして摩周湖へのルートを探した。

 摩周湖へは釧路市街を経由するルートもあるが、せっかくだし自然の中でドライブをしたい。地図をみれば釧路湿原道路という農道なのか市道なのか判らない道がある。エル字型に延びる道はまさに絵に描いたような道だ。


 「――マモナク、左方向デス。ソノ先、シバラク、道ナリデス」

 釧路湿原道路は地図の通り、湿原の中に一本の長い道路が引かれているのだが、電線がやけに目立つのが少し残念だ。自然と人工の対比としては面白いんだけれど。

 道路としては交通量も少なく快適なドライビングルートだった。遮るものが何もないので自然とアクセルを踏み込んでしまい、法定速度を少しオーバーしてしまう。それでもバックミラーを見るといつの間にかジモティーに追突されそうになることが多々あった。おとなしくウインカーを出し譲ってあげると、ジモティーは更にガソリンを撒き散らして眼前から消えていく。これが北海道かぁとまた一つ感心した。

 しばらく運転すると湿原道路も終わりに差し掛かり、国道との交差点が見えてきた。摩周湖方面に向けて北上をしていると右手に小さなレストハウスのような建物が現れる。スキー場にあるレストハウスのようなこじんまりとしたお店だ。駐車場にはすでにかなりの車が停まっていて、ちょうど一台空きがある。

 吸い込まれるようにして初日の昼食場所が決まった。


 暖簾をくぐろうとするも何がメインの店かが判らない。ガラス戸の向こうには木彫りの椅子とテーブルがあっておそらく定食屋っぽい。引き戸を開けた。

 店内はお世辞にも広いとはいえないほどで、四人用のテーブルが四つある。右手奥は厨房のようだ。テーブルは一人客や二人客で占められていて、やはり定食のようなものを皆食べている。

 「いらっしゃいませー」

 「一人なんですけどいいですか」

 「どうぞー。靴脱いでもらってお二階に」

 なんと二階もあるとは。昔行った蕎麦屋のような造りがどこか懐かしい。

 靴を揃え急な階段をゆっくりと上れば座敷席が六つある。階段近くの席を陣取り、メニューを開いた。

 「名物は『ザンタレ』ですよ」

 水を渡しながら先ほどのお母さんが言う。写真がないので何かと思ったがよく見ればメニューの横に見覚えのある文字がある。

 「これが北海道名物のザンギですか」

 「そうですよぉ。ただウチのはそのザンギに特製のタレをかけてるんです。だから『ザンタレ』ね。正真正銘、シンプルなザンギじゃないけど、味は保証するからさ」

 お母さんの笑顔が眩しい。

 「じゃあこれお願いします。ライスもセットにして」

 「はい、お待ちくださいね」

 ザンギとは北海道版の唐揚げだとるるぶに書いてあった。確かご当地料理だったはずだ。思えば、他の客もそれらしきものを食べていた気がする。


 ザンタレを待つ間、鞄に忍ばせたるるぶと地図を広げ、今後のスケジュールを立てることにした。

 これから摩周湖に向かいそこから戻る形で途中、釧路湿原を観よう。今日の宿泊予定地はやっぱり帯広になりそうだ。もう少し東に行けば世界遺産になった知床半島もあるが、旅の後半に慌しくなるのは避けたい。今回は諦めよう。

 おおまかな今日のルートを地図で追っていると料理が運ばれてきた。


 「お待たせしましたー。ザンタレねぇ」

 「・・・おぉ・・・」

 息を呑むとはこのことだろう。

 ゲンコツ大のザンギが五、六個ある。大皿に山のように積まれたザンタレは、なんというかそびえ立つ岩山のようだった。目を丸くして失笑していると、

 「みんな驚いてくれるんですよ」

 と、お母さんは笑いながらご飯を渡してくれる。

 「食べ切れなかったらパックに詰めてお夜食にでもどうぞ」

 そう言うとパックと輪ゴムを隅に置き、一階へせかせかと注文をとりに行った。


 一呼吸おいてから割り箸を手に取り、ゲンコツ大のザンタレを掴む。外見だけではなくしっかりと重量もある。ご飯を受け皿にして、いざ。

 小切れ良い音を奏でる衣は薄すぎず厚すぎず、存在感をしっかりと主張している。その衣に包まれた鶏肉も柔らかくジューシーだ。美味しい。そして何よりザンタレの「タレ」が至高の味を生み出している。このタレ以外では表現できない味が癖になり、気付けば一つペロッと平らげていた。

 食の宝庫である北海道で口にした最初の食事。それは大満足の「ザンタレ」だった。


 食べながらネットのグルメサイトでお店を調べてみるとその高評価に目をみはってしまった。これを食べたくてわざわざ札幌から来る人もいるらしい。自分は決してグルメな方ではないが、この為だけに訪れる価値は絶対にあることは判った。

 しかしながら流石に一人で六つも食べられるはずはなく、お母さんはこれを見越してパックを置いていったのだ。四つまで腹に収め、残り二つのゲンコツをパックに詰める。ふたが閉まりきらないから文字通り詰めた。閉まっていないふたを輪ゴムでキツく縛り、席を立った。

 テーブルに置かれた番号札は会計の伝票代わりのようだ。札を手に、急階段を戻る。こちらに気付いたお母さんがすでにレジを打ってくれていた。


 「御馳走様でした。美味しかったです。夜食にまた頂きますね」

 溢れそうなパックを掲げ、お礼をした。するとお母さんが、

 「これに入れていくといいよ」

 と、ビニール袋をくれた。どこまで親切なんだろう。

 「ありがとうございます。また来ます!」

 「ありがとうね。お待ちしていますよ」


 お母さんの笑顔に少しばかり淋しさを覚える。

 まだ旅は始まったばかりじゃないか。

 始まったばかりなのに、ここで満足したい自分がいる。

 もっと素晴らしい出逢いが、体験があるはずなのに。

 そんなもどかしさを振り切ってくれたのは、お母さんの一言だった。



 「摩周ブルー、見れるといいねぇ」

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