第二章

 朝の京急線は人で溢れ、品川での乗降数には目を見張るものがあった。

 秋の薫りこそしないが、暑さも和らいできた九月末。それでも黒く着飾ったサラリーマンはまだ眠そうにしながら電車に揺られている。

 主要駅を過ぎると車内にはスーツケースを引きずる人が目立ち始めた。

 自分と違うところは、この人たちは仕事なのだろう。行きたくもない遠方へ無理なスケジュールを組まされているのか、顔に全く柔らかさが見えない。いや、単に慣れているだけかもしれない。時折乗り込んでくる大学生の若者たちは旅行気分。九月に休みなのは大学生の特権だ。少しだけ、うらやましく思える。

 終点一つ前に国際線ターミナル駅がある。てっきり多くの人が降りるものだと思っていたが、客は顔色一つ変えず目を閉じたまま。

 結局、スーツケースを引きずる者は皆、国内線ターミナル駅まで揺られたのだった。


 飛行機を使って旅行なんていつぶりだろう。彼女は近場の旅行を好んだ。強いて言うなら山奥の温泉宿に行った、その程度だ。

 終点のホームに降りると意思など関係なく、人の流れに飲み込まれる。大小様々なスーツケースを引きずりながらなんとなくの行列が出来ていく。これは東京らしい光景だと思う。

 ホームの端がそれぞれ空港のターミナルビルになっていて、何処まで続いているのか先の見えないほど長いエスカレーターが現れる。自分の荷物が一人旅しないよう、手綱を強く引きながら歩いた。どれほど歩いただろう、存在すら忘れていた駅の改札を抜けると、一気に空港の匂いがしてくる。


 一段広くなっている場所は、集合場所として有名なロビーだった。ランドマークである「太陽の塔」の下には、これまた大学生のような若い学生たちがたむろしている。近くにあったサンドイッチ店でテイクアウトを済ませ、もう一つエスカレーターを昇るとようやく出発ロビーに着いた。

 さすが大都会の空港、良い盛況ぶりだ。チェックインを済ませてからスーツケースを預けてとりあえずサンドイッチを食べた。変な緊張と興奮のせいでイマイチ味は判らない。

 緑茶で口をすすぎ電光掲示板を見れば出発まで三十分を切っていた。


 手近な保安検査場に向かうと検査官だろうか、招いてくれる女性スタッフの笑顔が眩しい。搭乗口の場所を訊くとかなり反対側だと言われ、小走りでクリーンエリアを駆けた。

 これまでに何度か空港を利用したことはあったが、いつ来てもこの独特の色は胸を打つ。精悍な顔の保安検査員、巡回している警備員、行方不明の客を走って探すグランドスタッフ、そして搭乗ゲートはゲームで言えばボス戦直前の厳かな門番のよう。そのどれをとっても、まさに日常では得られない新鮮な気持ちが心地良い。

 少し息を切らしながらもゲートにQRコードを読み込ませ、いよいよ飛行機への搭乗が始まった。

 続々と流れ行く客に混ざりブリッジを歩くとこれまた客室乗務員が笑顔で応対をしている。軽い会釈をして客室へと進む。

 席は窓側だ。一人ということもあり、多少のわがままが効いたのかもしれない。早々にシートベルトを締めて待っていると、ようやく客室アナウンスが始まった。


 「皆様、おはようございます。本日もワン・ワールド・アライアンスメンバー、日本航空をご利用頂きまして、誠にありがとうございます――」


 淀み無く読まれ続けるアナウンスは、最近のニュースキャスターのそれとは全く訳が違うほど気持ち良く、心を高ぶらせてくれるものだった。そうこうしているとプッシュバックが始まり、大きな鉄の鳥はその古巣を後にするため全長三千メートルの滑走路に向かって静かに動き出した。そして飛行機は一時停止をし、室内警告音とともにすさまじい加速を始める。次第に身体にかかる重力を味わっていると、次はあの浮遊感が襲ってくる。大気圏を抜けるかのような上昇をすれば、既にそこは上空二千メートルの世界だった。


 「皆様、当機は只今、羽田空港を離陸致しました。五分遅れての出発となりましたので、九時五十分、北海道は釧路空港に到着予定でございます――」

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