『旅立ち』
やましん(テンパー)
第1話 『旅立ち』その1
それは、本当に突然やって来ました。
病院まで、歩いて行く途中だったのです。
バイクが二台、なにも見ないまま、ぼくに向かって突っ込んできたのだけは見えていました。
***** *****
白旗神社の前の広場では、盆踊りが始まっておりました。
長年続く恒例のお祭りです。
なぜか、とっくに亡くなったはずの両親が、子供姿のぼくの手を引いています。
大きな音で花笠踊りが響いていました。
そこでぼくは、綿菓子をおねだりしていました。
不思議なことに、たくさんの家々の屋根の上の真っ暗なお空には、赤や青の大きな、はでな絵が浮かびあがっては消えてゆきます。
花火のようだけれど、まるで映画のようにも見えました。
炭坑節が始まりました。
ここは、工業地帯に勤める労働者のベッドタウンでもありました。
それから、ぼくは、綿菓子をかじりながら、両親に両方から手を引かれて、お家に帰ったのです。
「わあ。面白かった!」
ぼくは、そう言うと、お布団の上に横たわったのです。
なぜか、枕元にはお線香が一本、焚かれていました。
ぼくのお顔には、白い布が被されていました。
なんか変なのです。
「さあ、旅に行く準備をしましょう。」
母が言いました。
お金も、いつものお小遣いよりも、いくらか多めに、白い袋に入れて持たされました。
「きっと、遠いからねぇ」
どこかで、時間が逆転したような感じはしたのです。
でも、もう、出発する時間でした。
それは、よく分かったのです。
「じゃあ、ぼく、行くね。」
「がんばってね。」
母が言いました。父は、口をぐっと押し曲げて、黙ったままでした。
ぼくの奥さんのびーちゃんは、無言でおにぎりを小さなお弁当箱に詰めてくれていました。
それからぼくは、そうしたいろんなものの入った、その布袋を肩から提げて、出発したのです。
***** *****
あたりの街の様子は、それまでとは、まったく違っておりました。
たくさんの人が、広いなにもないところを、ただ同じ方向に向かって歩いて行くのです。
その先にまず何があるのか、ほとんどの人は、なんとはなく、知ってはいるようでした。
きっと大きな川に出るのです。
よく見ると、誘導担当のような人が立って導いているのでした。
「行け~、ゆっくり歩け~、ころぶな~、助け合え~、」
それは、鬼さんたちだったのです。
でも、ちゃんと黒のスーツ姿で、あまり周囲との違和感はなかったのですが。
でも、ぼくは、たいせつな事を忘れて来てしまったことに、気が付きました。
そうです、大事な、くまさんと、ぱっちゃくんを、家の中に置いてきてしてしまっているではありませんか。
そこでぼくは、後戻りしようとしました。
すると、たちまち誘導の鬼さんが飛んできたのです。
「ピッピッピー! ダメですよ、あなた、ここは一方通行です。もどってはいけません。」
「大切なものを忘れてきたのです。くまさんと、ぱっちゃくんがいなければ、どこにもゆきません。もう、ここから動きません。」
「それは困るなあ。我々の立場というものがない。わかったよ、生き物でないのなら、現地から取り寄せてあげよう。まあ、よくあるんだ。この先の渡し場のほとりに、『ばあやの店』があるから、そこで受け取りなさい、はい、これ整理番号札ね。」
「ありがとう、鬼さん。鬼さんたちは、スーツなんですね。」
「あははは、まあ、昔は鬼スタイルだったんだが、やはり時代の流れというものがあってねえ。」
「はあ、そうなんですね・・・」
意外とやさしい鬼さんは、ぼくの背中をそっと押しました。
ぼくは、人々の流れに乗って、歩き始めました。
みんな、だいたいは無言です。
でも、うつむいている人もあれば、凛として、しっかり前を睨んでいる人もいます。
おとなりと、世間話をしている人も見られます。
「あなた、どうしたんですか?」
「いやあ・・・がんだったんですがねぇ・・・まあ、覚悟はしてましたよ。あなたは?まだ、お若そうな。」
「はあ、工場で、足場から落っこちましてねぇ。入社して以来、初めてのミスでした。もう、そうはいっても、そろそろ、いい歳でしたからなあ。」
「それは、それは、お気の毒な。まあ、でも、そこに行ってしまえば、皆同じですから、気を落とさずに。」
「はあ。ここまできたらね。もうこれ以上は落ちませんでしょうからね。ははは。」
とはいえ、このはるか先で、実際に何が待ち構えているのかは、正確には、まだ誰も知りません。
***** *****
それは、ずいぶんと長い道のりでした。
お日様も、お月様も、その姿は見えません。
ぼんやりとしたお空は、晴れなのか、薄曇りなのかも、よくわかりませんでした。
もう、丸1日、歩いたでしょうか。
人々は、休憩のお茶屋さんなどが、ずらっと建ち並ぶ場所に出ました。
「勝手に入れえ! 勝手に休めえ!」
鬼さんたちが叫んでいます。
本当に、さまざまなお店がありました。
むかしの日本風なお茶屋さん。
モダンな喫茶店。
トルコ風なお店もあれば、イタリア風なところもあります。
お代は、出身地の最低貨幣でも、紙のお金でも、なんでもいいんだそうです。
ぼくは、『くらしっく音楽喫茶』と書いてあったお店に入ろうとしていました。
そう、そのときでした。
大きな泣き声が聞こえたのです。
「おかあさ~ん。おとうさ~ん! うわ~ん。うわ~ん。怖いよう!」
ぼくは、声がしてきた方を振り向きました。
もう、人垣ができかけていた中に、まだ3歳にもならない位の、小さな男の子がいて、大泣きしていたのです。
どうやら、ここまで、わけもわからずに列にくっついて、歩いてきていたのでしょう。
女性の鬼さんが駆け寄って行きました。
そうして、しゃがみ込みながら、激しくしゃくりあげている男の子の頭をなでてあげています。
でも、相手が鬼さんでは、いっそう泣くばかりです。
彼女は、タブレットのような端末機を持っていました。
「はあ、いまや、ここでもITですかあ!」
ぼくはちょっと拍子抜けしたように思いました。
その女性の鬼さんは、立ち上がって叫びました。
「どなたか、この子のお連れさんはいませんかあ!?」
だれも返事をせずに、お互いに顔を見回すばかりです。
しばらく周囲を調べていたらしきその鬼さんは、それなりに離れていたところにいたぼくに目を付けました。
「あなた、あなた、そう、あなた。いらっしゃい。」
「はあ? なんでぼくが・・・」
しかたがありません、ぼくはそこまで歩いて行きました。
男の子は、ぼくを見上げました。
顔中、クシャクシャでした。
「あれ・・・・?」
そうなのです、ぼくは、この子にちょっと見覚えがありました。
あのとき、バイクが2台突っ込んできた時、ぼくの最後の視線の先にいた、小さな見知らぬ男の子・・・・。
「あなたしかいません。一緒に行きなさい。」
「はああ・・・・・・・」
いささか、まだ、まごまごしている、ちょっと年上の子供姿のぼくの手を、男の子はしっかりと握ったのでした。
こうなったら、断わる事も出来ません。
ぼくたちは、ふたりして、さきほどの『くらしっく音楽喫茶』に入って行きました。
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