その願い、タダで叶えてあげますよ

 ある日、仕事で上司に絡まれてクタクタに疲れていた帰り道。仄暗い路地裏をトボトボと歩いている時に声を掛けられた。


「すいませんが」


 振り返ると、夜は少し涼しくなるとはいえスーツを纏い目深に帽子をかぶった男が一人。

 不審者丸出しである。


「どうやら、貴方は相当ストレスが溜まっているようですね。どうですか、発散のお手伝いをしますよ? お金は要りません」


 昔流行った殴られ屋という雰囲気はない。

 信じるつもりは毛頭なかったのだがお金が要らないというので、適当に言ってあしらえばいいかと思い、口にした。


「では、上司を地方へ飛ばしてください」


 翌日、会社は妙にバタバタしていた。急に上司に辞令が。地方勤務に降格。

 今までの失態などに対する処分らしいが、何故今なのだろうかという気持ちと引き継ぎなどで考える余裕はなかった。


 あの路地裏を再び通ると、昨日の不審者が立っていた。


「どうでした?」


 思い出した。こいつに願いを伝えたんだったっけ。


「少しは気が晴れましたか?」


 上司に対してイラついていなかったと言えば嘘になる。しかし、ストレスの原因は無数にあって、それが積み重なっていくものだ。


「他にもお願いしたいことがあるけど、お金は必要になるんですか?」


 俺の質問に対して笑顔で答える。


「いえ、不要ですよ」


 それからというもの、何度も何度もお願いするようになった。不思議なことに、お願いしようとした時しか現れない。

 日々がとても楽しく感じる。心に余裕ができると、人間優しくなれるものだな──


 初めて会った日から丁度1か月。

 特に願い事もないのにそこに佇んでいた。少し首を傾げたが、声を掛けようとすると、


「これでこちらの義務は履行終了です」

「え?」

「全く気付かなかったんですか? 私は悪魔ですよ。ではそちらに義務を果たしてもらいますね」


 徐々に頭がぼんやりしていく──ああ、死ぬのかなと思ったが、しばらくしてまたはっきりしてきた。疑問に思っていると、悪魔がぽつり。


 ──しまった、契約相手を間違えた。

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