放課後のウィッチガール

ピクルズジンジャー

 マリア・ガーネットが通う学校はモールの中にある。

 

 その日の授業が終わったタイミングで、携帯端末にマルガリタ・アメジストからメッセージが入った。今朝交わした約束通り、スポットルームそばのベンチで待っているので早く来て、という一方的なものだった。

 

 パートナーが勝手に決めた一方的な約束に拘束力はないはずだけれど、多忙な仕事の合間を縫ってモールに一人やってきたというのだから無視するわけにもいかない。待ち合わせの場所として指定されたベンチのそばにいく。


 自分の事を待つ、マルガリタ・アメジストの姿は遠くからでもよくわかった。

  

 黒いトップスにシルエットのふんわりしたギンガムチェックのスカートを組み合させ、髪にベルベッドのリボンを巻いている、50年代から60年代の映画女優を参考にしたレトロなおしゃれはさりげないながら結構な気合を漲らせていた。こっちに気が付くと笑顔になってたちあがり、駆け寄ってくる。

 

 その気合を察して及び腰になるマリア・ガーネットを逃がさないというように、マルガリタ・アメジストは右腕に抱き着く。このパートナーは隣り合って歩く時必ず右腕を抱くのだ。自分の特権だと言わんばかりに。


「お疲れ様、マリア・ガーネット。お勉強はどうだった?」

「おかげさまでレポートでAを貰ったよ、マルガリタ・アメジスト」


 とりあえず当たり障りない話を始めながら、パートナーがリードするに任せながらモールの通路を歩く。右腕をを抱きしめてこちらを見上げるマルガリタ・アメジストの青い瞳が明らかに何かを期待している。


 今のこの私をみて何か言うことあるんじゃない? 

 可愛いね、とか、似合ってるね、とか言うべきよね? 

 それって学校のお勉強よりずっと簡単よね?

 

 澄んだ青い瞳が語りかける意図を言葉にするとおそらくそうなる。


 狡猾でしたたかでそのくせ未来のことを考えるのが苦手なパートナーが、右腕にぴったり身を寄せてしみじみと幸福そうにするいじらしい姿にマリア・ガーネットは弱かった。

 目が合うと嬉しそうに微笑んで腕に頰をくっつけたりするものだからつい見入ってしまう。


 実際、マルガリタ・アメジストにその装いはわりと似合っている。わりと、というか、かなり、というか、非常に、というか、まあなんにせよ似合っていることは似合っている。

 少々クセや個性の強い外見の持ち主になれているモールの客たちがちらちら見ていたくらいだし(鉄の腕を持つパンクファッションの女にぴったりくっついている今は余計に注目を集めている)。

 

 同じ家に暮らしているのでマルガリタ・アメジストがファッションアイコンにしている往年の女優の装いを参考にしつつも当の女優のコケティッシュさを再現できないことに悩んでいたことも知っている。そのため清楚な外見に合わせて微調整を施したアレンジのうまさも分かる。


 だから言うべきことは一つなのだ。

 それはわかっている。

 

 その準備として左手でパートナーの髪に触れる。コシが少ないので絡まりやすいしセットが決まらないとよく嘆いているけれど、マリア・ガーネットはその頼りない手触りが好きだった。髪に触れた時に電流を流されたような様子を見せることも含めて。


「……あのさ、マルガリタ・アメジスト」

「なあに? マリア・ガーネット」


 パートナーの声が甘くなる。期待している時の証拠だ。

 だからマリア・ガーネットは考える。


 確かに似合ってるけどそういう格好をしてお願い聞いてもらおうという魂胆がずるいんだよなあもう本当に根性腐ってるんだから等々、もうちょっと様々なニュアンスを込めたいじゃないか……という気持ちから頭を回転させて出てきた言葉がこれだった。


「大学に入ってすぐヒッピームーブメントに飲まれるニュージャージー出身のプロムクイーンって感じでいいね、その恰好」


 きらきらしていたマルガリタ・アメジストの目が一転してじっとりとした目になる。うすうす予想はしていたけれど、マリア・ガーネットの言葉がお気に召さなかったらしい。早口の理屈っぽい口調でぷりぷりと怒り出す。


「……あのね、マリア・ガーネット。私はね、普通に似合ってるね、可愛いね、素敵だねって褒めてくれればいいの。それだけで有頂天になれるの。私は所詮量産品だからお手軽に出来てるの。誰かさんみたいにご機嫌取りに余計な手間暇がかかったりしないの。なのにどうしてそれすら出来ないの? そんなに難しいことじゃないと思うのよ、ねえっ?」

「いやだって、それじゃつまんないじゃない」

「面白さはいらないのっ。求めてないのっ」


 むうっとマルガリタ・アメジストは子供っぽく膨れた。

 頭の中ではきっと、また鈍感なマリア・ガーネットが「似合ってる」「可愛い」「素敵だね」といった類の言葉を出し惜しんで普段の意地悪を仕返している、と考えてるに違いない。


 出し惜しんでいるのは確かだけど、別に意地悪をしている訳ではない。

 大事な子のがんばりを安っぽくて便利な一言で気持ちを表すのは勿体無いし、「今日は可愛いね」「嬉しいわありがとう」なワンターンで終わらせたくないだけなんだけど。ラリーは続いてこそなんぼだし。


 ……という、マリア・ガーネットの考える語らいの妙味をマルガリタ・アメジストはとんと理解できないようだった。

 それでも右手に抱きついている所がやっぱりいじましい。このモールではややアッパーな価格帯の服屋が並んだフロアへ連れて行く足取りが強引にはなったけれど。


 あの一帯は、側にあるコーヒーショップに立ち寄る以外は足を踏み入れない場所だ。マリア・ガーネットはさっきパートナーの髪を撫でていた左手で自分の髪をくしゃくしゃさせる。整髪料の関係であまり手触りはよくない。


「……あー、昨日言っていたあれ、本気なんだ?」

「本気よ。それにさっきのあなたの言葉で俄然やる気になったわ」

「じゃあ、可愛いとか似合ってるとか素直に言ってたらやめてくれてた?」

「何言ってるの? そんな訳ないじゃない――」


 むくれてそう答えたあと、何かに気づいたらしいマルガリタ・アメジストはぱっと顔を輝かせた。


「素直に! あなた今素直にって言った⁉」


 この辺は本人が自己申告している通りにたしかにお手軽というか、普段悪だくみばかりしている狡猾な少女とは思えないほど分かりやすい。俗な言葉を使うとチョロい。

 だからこそ、ここぞという時にしか攻めないのだ。勝てるゲームはつまらないし。

 演技であることがわかる態度で、そらとぼけてみせる。

 

「やばい、口が滑ったか」

「ということはやっぱり可愛いし似合っているって思ってることよね? 全くもう、それを思った通りに口にすればいいのよ。簡単でしょ? どうしてそれができないの? 困った人ね、マリア・ガーネット」


 自己申告の通り有頂天になったマルガリタ・アメジストは、お目当てのショップの前に立つ。クールでモードな大人の向けの服屋で、普段のマリア・ガーネットならまず立ち寄らない。フレンチロリータな装いのマルガリタ・アメジストにもそぐわない。それでもかまわず売り場の中へぐいぐい入ってゆき、ドレスの並んだコーナーの前に立つ。


「とりあえずこのお店からにしましょう。あなたにはあの子の見立てたドレスより私が見立てたものの方が似合うって証明するんだから」

「……昨日も言ったけど、あたしに決定権はないんだね。マルガリタ・アメジスト」


 妙な装いの高校生がドレスをチェックしているのを、この店の店員が遠回しに見ている。表情こそ笑顔だが、無軌道なティーンエイジャーが悪さをしないようにと警戒しているのを隠さない。 

 それでもかまわず、ドレスを数着手にするとフィッティングルームへと連れてゆく。


「お借りしてもよろしいかしら」


 近寄ってきた店員へ笑顔で接しながら、マルガリタ・アメジストはマリア・ガーネットをカーテンの内側へ押しこむ。カーテンが引かれる前に、試着するのはあんたの方なの? と言葉にせず驚く表情の店員が見えた。


 その気持ちはよく分かる。金属製の義手を持っている見た目からパンクスな女がパーティードレスなんが買い求めに来たらそりゃびっくりする。まずマリア・ガーネット自身がこの状況を悪い冗談だとしか思えない。ドレスにはあまり触れたくない思い出もあることだし。


 でも、さっきまで右腕に抱きついていたマルガリタ・アメジストの幸せそうな様子を思い出して気持ちを切り替えた。押し付けたドレスにも黒い色のものは避けている。


 自分たちが今ここにいられるのはパートナーのお陰だ。

 マリア・ガーネットと仲間たちが閉ざされた町から外の世界へ出ることが出来たのも彼女のしたたかさと生存本能を最大限に働かせてくれたからだ。そして今でも彼女は自分たちが永久に幸福に暮らす場所を築くために全力を出してくれている。


 その働きに報いる機会もそうそうない。

 ほんの小一時間、着せ替え人形になることで済むならやすいものだ。覚悟を決めて左側だけ袖を通しているジャケットを脱ぐ。


 ◆◇◆


 字は読めるし、書ける。

 神様がどうして世界を作ったのか預言者が何をして何をやったのかなら大体知っている。

 そこまで難しくない算数の問題なら解くことはできる。

 新天地へ逃れてから作れる料理のレシピの数が増えた。

 簡単なDIYなら得意。

 洗濯物をたたむのとベッドメイクはプロ級だと思う。

 法律の落とし穴のことはある程度知っている。

 ある業界のパワーバランスにもある程度通じている。

 大っぴらにすることじゃないけどちょっとした魔法なら使える。


 でもどうして月は常に同じ面を向けているのか、南半球は真夏にクリスマスを迎えるのか、スカンジナビア半島とバルカン半島の位置関係だとか、フランス革命は何年だったかだとか、原子と分子ってなにがどう違うんだとか、光合成はなにだとかヘモグロビンはなんだとか、何をどうすれば鉄の塊が空に浮くのかってこととか、その辺のことをマリア・ガーネットは一切知らなかった。

 

 九歳からの七年間、さる事情で学校に通えなくなったどころか、まともな教育すら受けられなくなったためだ。


 ついでに言うと、ちょうど九歳だった時期に夢中になったデスゲーム少女小説が数年前に完結していたことも知らず、外の世界に出てきてすぐそのことを知り最終巻を買って読んでみた。

 すると、記憶の中ではあんなにも勇敢で颯爽としていたヒロインは最終巻ではライバル関係だった少年と結婚するか否かで延々悩む腑抜けヒロインになり果てていて唖然としたのだった。

 どんな苦難にも強敵にも知恵と勇気をもって立ち向かうこのヒロインの姿は苦境の中で生きる支えの一つでもあったのに。


「素敵じゃない。愛する二人が祝福されて結婚になるなんてまさにハッピーエンドだわ。現実はままならないんだからフィクションはこうでいいのよ、作り物なんだから」


 ある日、雑談のはずみでその不満を漏らした数日後、早速その小説の電子版をダウンロードして読み切ったマルガリタ・アメジストは微笑みながらそう言った。


「それにしても、あなたこういう小説読んでいたのね。意外だわ、マリア・ガーネット」

「九歳の頃のことなんだから、ほっといてよ。マルガリタ・アメジスト」


 青い瞳に栗色の髪に華奢な体つき、整いすぎている顔かたちを引き立てる白磁のような肌が高価な人形のようなこのパートナーは、くすくす微笑みながら身を寄せる。彼女には何かとくっつきたがる癖がある。困った癖だがしたいようにさせている。


「拗ねないでちょうだい。可愛いって褒めてるんだから」

「可愛いって言葉には、か弱いだとか幼稚だとかって意味もあるんだけど、知ってる?」


 決まり悪いのを誤魔化すのと、正直あまり「可愛い」って言葉にピンと来たことがないので軽い憎まれ口を叩いてしまうのだけれど、きっとそれすら「可愛い」になってしまうのだ。見た目だけは天使みたいなパートナーの中では。


 ◆◇◆


 いかつくてごつい右腕を活かしたいというのがスタイリストとしてのマルガリタ・アメジストの狙いだったらしく、ドレスはどこかメタリックな色味の生地のものを選んでいる。ひらひらしたシルエットのスカートだけは譲れないみたいだが、まあまあシンプルなデザインのものを選んでいるので抵抗感はそれほどでもない。


 自分の姿を映した鏡は直視できないが、いぶかしんでいた店員が段々そのドレスをきるなら小物はこれだとかアクセサリーはこれだとか靴はこれにしたらどうか、なんだったらこっちのドレスはどうかとかいそいそと持ち出してくる。着せ替え人形としての務めを立派に果たしているのだと自信をもっていいのだろうか。


 それにしたって、柄でもないことをするのは恥ずかしい。

 マルガリタ・アメジストが携帯端末のカメラをむけようとしているのに気が付いてあわててカーテンの陰に隠れる。


「ちょっ、何撮ろうとしてるの、止めてって!」

「恥ずかしがることはないわ。ちょっとカメラ映えをテストするだけ。だからお願い、一回だけ、ね?」


 あざとい上目遣いでパートナーがお願いしてくる。店員に救いを求めると、笑顔でどうぞどうぞと勧められてしまった。呆れたけれど、右腕にはまだ先ほどしみじみと幸せそうにしていたマルガリタ・アメジストの余韻が残っていた。

 ほんの小一時間、着せ替え人形になってやろうと決めたのだから腹をくくろう。


「……本当に一回だけだからね。あと、誰にも見せないでよ?」

「勿論よ。誰かに見せるなんてもったいないこと私はしないわ」

 

 ニマニマと笑っている時のパートナーの言葉は信じにくい、それをわかっていてマリア・ガーネットはマルガリタ・アメジストのカメラの前で一瞬気持ちを切り替える。

 閉ざされた町の特殊なショーで、無敗のヒールを演じていた時のキャラクターを呼び出して、カメラを睨んだのちに挑発するような笑みを唇に浮かべた。悪っぽくて艶っぽい、圧倒的に強いヒールの女の子の仮面。


 心から嬉しそうなパートナーの手元の携帯端末が連続してシャッターを切り続ける。その音が鳴りやんでから、再びスイッチを切り替えた。カーテンをシャっとしめて赤くなった顔を抑える。

 

 やっぱりもう、こういう本来のキャラクターに合わないことはやめよう。自分はもともと人前に出て演技やショーなんかするような奴じゃないし。これからは極力表舞台に出ることはなく、裏方として皆の幸せのために働こう……と、何度目かの誓いを新たにしながらドレスのファスナーを左手で下ろした。


 お連れ様はモデルでもされていらっしゃるんですか? とパートナーに興味津々で店員が尋ねているのが聞こえた。恥だ、恥。

 

 ◆◇◆


 マリア・ガーネットは、七年間一般社会と隔絶して場所で生きていた。ある事件に巻き込まれたことから、閉ざされた町に囚われていたのだ。

 その間、生きるだけで必死だったので、学校で習うような一般的な知識や常識に欠けていることを意識している余裕など無かった。


 あることがきっかけで仲間たちとともに町から脱出し、移り住んだ新天地での地盤づくりの立役者はマルガリタ・アメジストだった。彼女がその役割をほぼ一人で努めてくれたのだ。


 天使のような顔に夢見るような微笑みを常にたたえているのが特徴のマルガリタ・アメジストだが、清らかで可憐なその顔の裏側には自分たちが生き延びる為の計算と敵を出し抜き上手く立ち回るための謀略がつまっている。

 状況を把握してベストな道を見極め、その実現のためには力を一切惜しまない。必要とあらば汚れ仕事にも率先して手を染めるし、死ぬほど嫌いな相手であっても自分たちにとって有益と見なせばニコニコ微笑んで同盟を組む。


 そしてその行為を一切恥じない。嘘をつこうが他人を出し抜こうが、罪悪感に苛まれないし自己嫌悪に陥ったりもしない。


 頼んでもないのにこんな世の中に生まれ落ちたからこそ自分たちには生き延びて幸福に生きる権利がある、誰かに遠慮して小さく縮こまる義理はないと心から言い切るような姿勢は、可憐な外見に反して逞しく頼もしい。

 

 狡猾にして非情、生き延びることや欲望を叶えることに忠実、清々しいほど根性が腐ってるのがマルガリタ・アメジストである。


 彼女の立案する小狡くしたたかな事業計画を耳にするたびに、あんたやっぱり根性腐ってるねと感嘆の意味をこめて評するのだが、その都度パートナーは子供っぽく頰を膨らませて「何度も言うけどそれは人を褒める言葉としては不適切よ」と理屈っぽく怒り出す。

 マリア・ガーネットはマルガリタ・アメジストのその資質に全幅の信頼を寄せているのだけれど。


 しかし、狡猾であることを恥じないこのパートナーにも苦手分野がある。


 生き延びることには熱心だけど生き延びたあとのことを考えるのが不得手なようなのだ。過酷な現実を出し抜くことは得意だけれど、出し抜いた後にはああしたいこうしたいといった夢を見たり描くのは苦手。それどころか本質的に夢や希望というものを信じられないようですらある。

 マルガリタ・アメジストの理屈っぽい言葉の端々からそんな気質がにじみ出ているのを感じる度に、マリア・ガーネットはたまらなくなる。


「私はあなたが神様と共にいられる国を実現する、それが私の仕事なの」


 マルガリタ・アメジストはこういってそれから先のことをマリア・ガーネットに託す。それは自分自身には実現したい夢など何もないと言っているのも同然で、聞かされる方はとてつもなく切ない。


「あたしのことなんて二の次でいいからあんたはどうしたいの?」

 

 自分たちが外の世界でなんとかやっていけてるのはあんたのお陰だから好きなことを叶えていいと何度も言ったのに、パートナーは先のように返答するばかりだ(でなければ何か歯の浮くような言葉を囁いてくれとか自分を可愛がってくれとか逆に可愛がらせてくれとかベタベタすることをベタベタしながら要求する)。


 マリア・ガーネットが神様と居さえすればいい、それこそ自分の願うことだと。

 

 本当にそれでいいのか、と何度も何度も念を押し続けたせいでどうして信じてくれないのかと怒り出したりでケンカになることもあった。

 そこに至ってようやくそれがマルガリタ・アメジストの嘘偽りない願望であることを認めた。


 と同時に、自分の責任というものを感じないわけにはいかない。根性が腐っていてこの上なく頼りになるパートナーの力を活かすも殺すも、幸せにするのも不幸にするのも自分次第なのだ。


 自分はこれからどうしたいのだろう。マリア・ガーネットは考える。


 とりあえず、だれの庇護にも頼らず独立を保ち、平和で安全で、笑ったり泣いたり、たまにはケンカもしたり、そんな風に安全に平穏に過ごせる地盤を築いてそれを維持し続けてゆきたい。それがマリア・ガーネットの基本的な夢だった。

 もう誰からもどこからも、自分たちの暮らしと生活を脅かされたく無い。

 

 それを実現するには何が不足か、不足を補うためには何をするべきか。

 

 考えているうちに、マリア・ガーネットの胸に「このままではいけない」という危機感がもたげてきたのだ。


 外の世界へ出てきた自分たち家族や仲間を狙う組織は数多い。

 無知なままでいるとどこぞの悪い連中のカモになって骨までしゃぶりつくされかねない。なにせ自分たちは女子供しかいない弱小団体だ。その癖に分不相応な資産だけは豊富にある。

 連中にしてみればサバンナに生まれ落ちたシマウマの赤ん坊みたいなものだ。

 でなければ、不慮の死で亡くなった大富豪の遺産を引き継いだ幼い女の子か。

 

 なんにせよ、ぼんやりしていたら餌食になるばかり。


 脱出した後、長い間休眠状態だった先代からの事業を引き継いでなんとかかんとか当たり前の生活が当たり前に送ることができる地盤を築いて余裕らしきものが生まれた頃のこと。

 そんなことを考えていたある日、結論はあっさり出た。


 とりあえずまず勉強がしたい。


 そもそも自分はものを知らなさすぎる。あるべき夢を叶えるにも材料が足りなさすぎるのだ。

 勉強するために学校へ行きたい。


 ◆◇◆


 最初に入ったショップから似たような系統の店をいくつか回り、ドレスを数着、小物やアクセサリー数点、靴数足を買い求めたマルガリタ・アメジストはご満悦だった。休憩に入ったコーヒーショップでにこにこしながら甘いラテを飲んでいる。

 反対にマリア・ガーネットはぐったりとテーブルに突っ伏していた。結局しばらく着せ替え人形をやりつづけたのだから。疲れた。こんなに疲れたのは久しぶりだ。


「……前もって言っておくけど、もう二度とこういう着せ替えごっこはやらないからね。人をマテル社のお人形扱いできるのも今日だけだから、マルガリタ・アメジスト」

「あらそう? 残念だわ、マリア・ガーネット。一月に一回くらいやってもいいと思ってたんだけど」


 椅子にならんだショッピングバッグの数を見てぞっとする。これを一か月に一回……。

 羞恥心につきあう疲労もあるが、会計の際に気前よくカードを切っていた姿を思い出しても不安になる。ここ最近大口の仕事が続いていたので懐具合にゆとりがあっても不思議じゃないがこの使い方は流石に気になる。


「あんたこんな金の使い方してたらそのうち破産するよ?」

「あら、心配してくれるのね。ありがとう」

「大体、こんなに服だのなんだの買っても着る機会ないじゃない。わかってんの?」

「心配しなくても機会は増えるわよ。あの子の建国記念パーティーに出席した後はドルチェティンカークイーンとして大小色んなパーティーに招かれることも多くなると思うから。小規模でカジュアルなものなら今日のドレスでも十分素敵だわ」


 えらく自信満々でマルガリタ・アメジストは言い切る。必ずそうなると確信があるらしい。

 その後すぐ、茶目っ気を漂わせながら付け足した。


「それに機会がなければ作ればいいの。私とデートに出かけるとか」


 くたびれたマリア・ガーネットには言い返す気力もない。


 ◆◇◆


「結構なことじゃないか。私としては異論はないが」


 学校に行こうと思う、と、長年のビジネス相手である紳士に相談してみると、氏はこともなくあっさりそう言った。


「そもそも今までなぜ君は雑用係に甘んじていたんだね? あの身分証があれば大抵の学校なら編入は可能なはずだが。実際仲間の中にはハイスクールに通いだしたものもいるだろう。計十三人分を用意するにはそれなりに費用を要したのだから元をとりなさい」


「普通の学校は遠慮したかったんだよね。こっちの世界の高校や大学じゃあ、あたしみたいなのは目立つから」


 鉄の義手の外殻を外し、呪文が刻まれた人工骨とそれを覆う魔力の波動で出来た繊維をむき出しにした状態でマリア・ガーネットは嘯いてみせる。紳士は骨に刻まれた文字を記録しながら呟く。


「ほう、人の目を気にせず堂々とこの腕を晒す我が道をゆくタイプだと思っていたが買いかぶりだったかい、ドルチェティンカークイーン?」

「普通の高校生相手に異世界間交流の生きた教材をやるのは今は遠慮したいってだけ、エンターテイナーは廃業したことだし。あとそのクイーンってのはやめて」


 ドルチェティンカーとは自分たちが受け継いだ団体名で、亡き母親とそのパートナーが立ち上げたものだ。前身は異世界にある吹けば飛ぶような小国である、らしい。

 不本意であるがマリア・ガーネットは現在その代表的な立場にいる。その為なのかなんなのかパートナーや仲間たちはふざけて女王様女王様と呼び続けている。マリア・ガーネットとしては気詰まりでしかたがない。閉ざされた町で出演していたショーではヒールの女王様を演じていたが、あれは演技で本来の自分ではないのだから。

 仲間に呼ばれても閉口するのに、ビジネスパートナーであってもプライベートでは親しくお付き合いしたいタイプではない紳士にそう呼ばれるのはシンプルに不愉快だった。相談を持ちかけておいてなんではあるが。


「できれば異世界の教育機関がいいんだけど」


 閉ざされた町から家族と仲間を連れて脱出する際に力を借りたこの紳士に、マリア・ガーネットは世界に唯一の右腕を診せている。紳士の職業は医者で、副業は異世界の魔法技術の粋を調べてどこかに売りさばくことだ。

 

 黒光りする鉄で出来たマリア・ガーネットの右腕はただの義手ではない。中に使い魔を宿した、世界に一つだけの魔法の腕である。なにせこの腕は金属でできているにも関わらず生きていて、しかも肉体に合わせて成長している。

 異世界と交流があたりまえになっても、成長する金属の義手なんてこの地球の文明が再現しようとするとおそらくあと数十年はかかる。


 この右腕の研究結果をどこぞの企業や国の研究機関に売り込めば、法の目を掻い潜って十二人の少女と一人の大人を逃すのにかかった経費の数倍以上の利益が懐に入るはずだ。

 

 今は何をするにもこの紳士の庇護に頼っている状態だ。亡き両親の莫大な遺産を引き継いだみなしごにっとっての後見人のような存在でもある。

 ある契約のおかげで一応快く顧問役を買ってくれている紳士だが、この状態にいつまでも頼るのは危険だ。契約が無効になった時のことを考えると安穏としていられない。


「あたしたちはこれから異世界の連中相手に渡り合わなくちゃいけなくなる。こっちの世界の知識もそりゃ必要だけど、うちはこの通り弱小だし構成員は女子供ばっかりだ。足元見られたり、舐められないためにも向こうの知識や常識を身につけたいんだ」

「成程、聡明な女王陛下だ。ドルチェティンカーの未来は安泰といったところかい?」


 紳士は薄い唇の端に半笑いを浮かべる。実に実に嫌味なことだ。

 よくまあマルガリタ・アメジストはこの男を手玉にとってからかったり妙な友情を築けるものだ、とマリア・ガーネットは心の中で感心する。


 冷徹な紳士に診察されて、人工骨に収まっている使い魔のアスカロンが警戒して唸っている。アスカロンの核である赤い宝石から放たれるぴりぴりと波動が神経を震わせる。大人しくするようにマリア・ガーネットは使い魔をなだめた。


 紳士は器具を使って丹念に右腕を調べている。この結果はしかるべき機関に金銭と引き換えに受け渡される筈だ。そこで開発される魔法の兵器のヒントとして役立てられるのだろう。

 その兵器や、兵器の開発売買にまつわる者たちが、どこかの浅はかな子供たちをまどわして不幸にするのかもしれない。


 診察の様子をじっと見つめながら、自分たちが幸せをつかむために支払った代償の大きさを、マリア・ガーネットは意識せずにいられない。自分たちが幸せになるためにどこかの子どもが不幸になる。


 それは認められない。

 悪い妖精の国や、悪質なウィッチガールビジネスの犠牲になる子供たちは自分たちだけで十分だ。


 それを回避するためにも、こうありたいという未来を描く術や知識が欲しい。


 そんな理想論を正直に明かせばこの紳士は必ずバカにするはずなので、マリア・ガーネットは黙っている。それでも何かを察している紳士は鼻で笑いながらもこう告げた。


「モールにいけば、異世界の実学を学べるスポットがあるはずだが? 上級の学校に入学するための予備校もあるとも聞く。利用してみたらどうかね」



 なし崩しに異世界間交流が始まって20年以上経つ。


 その過程で、スポットと呼ばれる小さなゲートをくぐって気軽に異世界へ行き来する技術が生まれ、ゲームや小説のような異世界の世界を実際に体験する新種の娯楽として実用化された。やがてそれは娯楽から公共サービスに応用されるようになった。

 この世界にいてはなかなか学ぶことのできない、異世界の言語や技術を学ぶための専門的な学校が運営するスポットもあった。学校によっては、様々な事情で学ぶ機会を失った子供たちの学習を支援するコースを備えているところもあった。

 何せ異世界には戦乱や紛争が多すぎる。そしてわけもわからないまま異世界の争いに巻き込まれてしまう、地球の子どもたちの数もまた多い。


 

「最終的にこちらの求める情報を教えてくれるならいちいち嫌味ったらしくふるまわなくたっていいのに」

 

 紳士に与えられた偽造の身分証で手にすることが出来た情報端末でどこかよさそうな教育関係のスポットについて調ながらマリア・ガーネットが呟くと、マルガリタ・アメジストは微笑みを浮かべたまま答える。


「そこがおじさまの可愛らしいところよ、素直に親切にしてあげられないところなんて好きな女の子に意地悪しかできない男の子みたいじゃない?」

「可愛らしい、ねえ……」


 やせぎすの猫背で、神経質そうにメガネを光らせた嫌味で底意地の悪い中年男をそう表現するセンスはマリア・ガーネットにはない。それからマルガリタ・アメジストがあの紳士を〝おじさま″と呼ぶのがちょっと気に食わないのだがそれは黙っておく。

 

 ◆◇◆

 

 そのような経緯で、マリア・ガーネットはモールの中にあるスポットルームを介して、異世界の学校へ通うことになった。


 異世界間を地続きに行き来して大量の人員や物資を運ぶ界壁越境トンネルの実用化が実現されて十年近くになろうとしても、まだまだ異世界間交流の中心はスポットである。

 スポットはショッピングモールで展開する新種のアミューズメントとして発展してきた歴史をもつ。

 その結果、ショッピングモールの周辺には自然と異世界出身者が多く集うようになった。


 閉ざされた町から逃れてて来たマリア・ガーネット達に紳士が提供した新天地は近くにそんなに有名ではない大学のあるありふれた郊外の町だ。かつては大規模な工場もあったためか、元々住民の人種や民族構成の偏りも少ない土地だったようだ。毛色の変わった女子供だけの集団が移り住んできた不信感も、隣近所に愛想よく礼儀正しく振舞っているうちになんとか薄れていったように思える。


 そして、かつてあった工場の跡にできた最寄りのモールには、異世界関係者だと分かる人々が無数にいた。現在、世界各地のモールの周辺の町がそうなっているように。

 羽根がある、尻尾がある。地球上では見られない目の色、肌の色の人が当たり前いる。ここではマリア・ガーネットの赤い瞳も目立つ右腕もそこまで注目されない。どうしても人目を引く右腕も、攻撃的なファッションを纏っていると新種のアクセサリーか何かと誤解してくれる人も多い。良識的であることを誇りに思っていそうなある種の大人からは眉をひそめられることもあるが。

 

「それで今日はなんの勉強をしたの? マリア・ガーネット」

「まだ基礎的なことばかりだよ、マルガリタ・アメジスト。科学とかこの世界の歴史とか数学とか……。ああ、異世界公用語は始まったけど」

「よかったら教科書みせてくれる?」

「いいけど……あんた公用語なら読めるんじゃなかった?」

「耳学問だもの。文法だとか正しいことはよくわからないの」


 ドレスの話題もひと段落したタイミングだった。

 マリア・ガーネットはマルガリタ・アメジストが求めるまま、異世界公用語の教科書を手渡す。それを受け取るとパートナーは楽しそうにパラパラめくって目を通す。


 知性と創造を司る魔法の使い手なので、どんなことでも新しい知識や情報に触れることは快いことのようだ。好きな音楽を聴くような様子で教科書に目を通すマルガリタ・アメジストを見るのはマリア・ガーネットにとっても楽しいひと時だった。着せ替え人形になってるよりずっといい。

 

 でもその時間は長くは続かない。一通り目を通すとぱたんと教科書を閉じて返す。


「ありがとう、マリア・ガーネット。お陰で大体のことはわかったわ」

「……どういたしましてマルガリタ・アメジスト」


 持って生まれた魔法の質のおかげなのか、パートナーには文字で記された知識をさらさらと理解し吸収してしまうことができた。


(不本意であるとはいえ)ドルチェティンカークイーンとしては右腕のこの能力は心強いけれど、試験や課題に追われる学生の立場に復帰するとなんとなく鼻白んでしまう。


「あんた見てると単語一つ覚えるのに苦労してるあたしって本当にバカだなって思うわ……」

「卑屈にならなくたっていいのよ、私のこれは単なる体質だもの」


 そうはいうものの、学校に通っているものが通っていないものに勉強を教わるのはかなり恥ずかしいという気持ちは消えない。





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