奇跡の時間

来条 恵夢

アサシン

「――よろしく頼むぜ、相棒」


 短い返答とともにぶつりと回線は切られ、チヒロは、風の吹く街角を見下ろした。


 チヒロが腰掛けているのは十二階建ての雑居マンション屋上のへりなので、それなりに見晴らしがいい。

 何も知らない他人に見られれば自殺志願者と確信されること請け合いだが、チヒロ自身は、こんなところで死ぬつもりは欠片かけらもない。


「あー…空飛べそ」

『まーたアタマ悪そーなコト言ってますねー、チヒロ君は。そーんなコト言ってるから、アサシン内でも浮いてるんですよー』


 唐突につながった回線越しに、大人か子どもか判別つけがたい、しかしとりあえず性別は女だろう声がチヒロの脳に殴りかかる。

 うたうような言葉の暴力に、だがチヒロは、平温を保って腕時計を確認した。

 正午丁度。昼シフトの開始時刻。


「相変わらず時間通りだな、トーコ」

『あったりまえですよー。わたしは、チヒロ君とは違って優秀完璧なオペレーターですからねー。まーったく、どんな前世の因縁でキミと組むことになったのか、毎日毎日不思議で不思議で、うっかりケーキなんて間食しちゃうじゃないですかー』

「そこは食事も喉を通らない、じゃねぇのかよ」

『脳の活動には糖分が必要なんですよ? まあ、筋肉に頼りきりで生きてきたチヒロ君は知らなかったかもしれませんけどー』

「いつも思うんだが、お前がその無駄口を閉じれば地球温暖化問題は粗方あらかた解決するんじゃねぇの?」

『えーと、チヒロ君の意味のない会話にばかり付き合ってられないので、先進めますねー。ちゃんとついて来てくださいねー。ついて来れないようならおいて行きますのでごめん遊ばせー』


 こぶしを握る代わりにため息を押し流し、チヒロは、腕にめた携帯端末を操作して近くの地図を開く。

 ホログラムで映し出されるそこには、アサシン――暗殺者、という禍々まがまがしい名の政府機関の本部が転送してきた、赤く明滅する光点が存在する。


『今回のターゲットはですねー、メグロ区在住のマサキ・ユキカちゃん、なんと十歳ですー。ちなみに、通報はお母様からいただきましたー。なんでも、家庭内暴力を振るっていたのだけど、とうとう、家屋を破砕するに至って通報に踏み切られたそうでーす。家族のきずなって何でしょーねー』

「んなニュース番組みてぇな情報いらねぇよ、とっとと現状説明しやがれ」

『ちょっとはアタマ使わないと、しわ一つないつるんっつるんになっちゃいますよー? あ、もう手遅れですかねー?』

「よし、今すぐ俺の目の前来い、手前テメエの脳にしわなんてものがあるのか確かめてやる」

『やですよー、わたしがチヒロ君にお目にかかるのは最期さいごの日ですからねーきっとー。やだもう、チヒロ君のせいで横道れちゃったじゃないですかー』


 誰のせいだって、と言葉は重ねず、チヒロは、地図上の赤い光が移動したことに目を細めた。

 無意識のうちにホルダーの銃を確認し、かたわらに置いていた簡易飛行装置に手をかける。


「移動する。説明続けてくれ」

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