『密入国だなんてダメよダメダメ』

 三月中旬。まだまだ寒さの残るこの季節、今日も今日とて神哉宅たまり場に犯罪者たちは集まる。

 時刻は午後九時を少し過ぎたところ。ダイニングテーブルでいつものようにノートパソコンと睨めっこする神哉しんや、ソファに横になる彼杵そのぎ、眼鏡を上げてしかめっ面でスマホをイジる椿つばき――そんな普段の光景の中に、今日は無視できないイレギュラーな存在がいた。

 綺麗な赤毛の髪をポニーテールに結った、ロシア系の顔をしている美女。見た感じで歳は二十代前半くらいだろうか。時折見せる可愛らしいニコニコ笑顔がグッと見た目年齢を下げにくるが、先ほど神哉の出した缶ビールを慣れた手つきで当然のように飲んでいたため二十歳は超えていると予想する。

 彼女は、壱岐いきイクミと最近名付けられた殺し屋。凶壱の調教によりMに目覚め、自己意思で凶壱に付き従うことにした正直言って意味不明な人物だ。

 一度は沙耶を殺そうとしていたわけなのだが、今となっては彼杵の沙耶、椿に続くお気に入りリストに仲間入りしている。ドMと化した二週間ほど前のあの日から何度かここ神哉宅を凶壱と訪れ、人懐っこい性格が功を成し神哉たちの懐に深く入り込んでいったのだ。


「ギャングでヒットマンで、しかも女の子なのに男の子のフリしてたなんて……リアル鶫誠◯郎じゃないですか!」

「おっ、さすがは彼杵! 見事に的を得ているじゃないか!」


 彼杵と椿が二人だけで共感の嵐を呼んでいる中、ジャンプラブコメ歴代最高単行本数を誇る少年漫画など微塵も知らない神哉は頭にハテナを浮かべる。

 沙耶を殺しに来たあのギラッギラした風貌風格から打って変わって、今のイクミは恐いくらいにマイルドになった。彼杵の質問に対して嘘偽りないであろうことが察せられる綺麗な蒼い目で、丁寧に返答していく様はさながら詐欺に騙されて個人情報プライバシー何から何まで答えてしまうお年寄りのようである。


「ワタシはアメリカのスラム街で産まれマシタ。父も母も分かりマセン、きっと望んで作られた子では無かったんデショウ」

「それは何と言うか、落ち込むなぁ……。わたしもその気持ちは分かるぞ」


 遠い目をして、滔々と言葉を紡ぐイクミ。声の雰囲気から、当時の様子が神哉たちの頭の中に思い浮かんでくる。

 特に椿はイクミの当時の心情を自分の似た境遇、経験と照らし合わせることができ、切ない顔を見せる。イクミの感じていた辛さは、この場の誰よりも理解できるだろう。


「スラム街で生を受けて、ワタシは女として産まれてきたことを何度も何度も後悔しマシタ。スラム街で必要なのは相手を圧倒することができる“暴力”です。女のワタシはどうしても逃げるしか術がありませんデシタ」

「逃げるが勝ちって言いますからね。私もこれまでそうやってきましたよ」

「……彼杵さんはいいデスネ、ワタシもずっとそうしていれば良かったのかもしれないデス。忘れもしマセン十五歳の夏、暑い夜の日のこと、ワタシは初めて人を殺しマシタ。理性のタガが外れた品のない男に襲われそうになって、近くにあった鉄パイプを頭に振り下ろしたんデス」


 自嘲気味に口の端を歪めて、イクミは言葉を続ける。


「その時、ワタシは考えを改めマシタ。生きていくためには、逃げるのではなく戦うべきなのダト。それからワタシは暗殺者としての生活を始めたんデス」

「「「……」」」

「だけど、やっぱり依頼する側からは“女”の殺し屋と見られてしまいマス。殺しの技術をいくら磨いても、全く仕事は来ませんデシタ……」


 当時のことを思い出してか、心悲しそうな表情をするイクミ。しかし、その表情は次に口を開いた時にぱぁっと明るいものへと変化した。


「そんなワタシをボスは“ファミリー”に入れてくれたんデス! 優しく手を差し伸べてくれて、ちゃんと暗殺者として見てくれて、もうボスには感謝してもしきれマセン!」

「ふーん……。……ボスね」

「感謝してもしきれないのに、平戸先輩の従者になっちゃうんですか?」

「ハイ! ボスよりも断然凶壱さんの方がイイので!」

「お前、実はそんなに感謝してないだろ……」


 椿にジト目を向けられて、イクミはペロッと舌を出して可愛く笑う。その返答の仕方は果たして「そんなことない」という意味合いなのか、それとも「あ、バレたw?」的なものなのか。

 アメリカ人特有の茶目っ気にはぐらかされてしまった感が否めないが、イクミが凶壱に従くと決めたのだから周囲の者は何も言う筋合い無しだ。


「んで、そのファミリーの一人がサヤ姉の店に行ったらぼったくられて、サヤ姉を殺してこいと命令されたと……」

「ハイッ! 大切なファミリーのお願いとあらば断れマセンから!」

「まあ、なんか感謝しなくてもいいヤツもいるみたいだな」


 そのボスとやらが取り仕切るギャングに加わったのがいつ頃なのか分からない。それによって感謝の念も重さが変わってくる。

 日が浅く構成員との関わりもそこまで深くないのなら負い目無く切り捨てたイクミの対応もまだ分からんでもないが、もし本当に本気で感謝してもしきれないと思っている、もしくは思っていたのだとしたら、やはり心変わりが早過ぎるような気がしなくもない。

 それだけ凶壱の調教とやらが濃密に鮮烈で刺激的な快楽だったということなのだろうか。どれだけ忠誠心感謝の心があったとしても、人はキモチのイイ方を選んでしまう――真理を悟ってしまった神哉は謎に虚しい気持ちになった。


「サヤ姉とは一応和解したんだよな?」

「しマシタヨ! 何故かは知りませんがとっても驚かれてマシタ」

「いやうん、まあ当然の反応だとは思うけどな」

「ここまでのキャラ変……平戸先輩がどんな調教を施したのかめちゃめちゃ気になりますね」

「スゴかったデスヨ……! もう、とにかくビンッビンでビックビクデシタ」


 イクミは恍惚の表情を浮かべて、その頬をほんのり赤らめる。唯一の目撃者である椿は、苦々しい顔でそんなイクミを見つめる。

 しかしながら、目撃者とは言えどもその記憶はあまりにショッキングだったことによりあやふや。R指定が18以上であることは明白だ。


「で、その平戸先輩は今日いないんですね」

「今日は法律事務所の清掃バイトと仰ってマシタ。それが終わり次第来るそうデス!」

「ちょっと前は美術館の警備員やってたのに、今は清掃員ですか」

「そんなコロコロ変えるからホームレスになるんじゃないのか?」

「ツバキさんのご意見はその通りだと思いマス。でも、御主人様はどんな仕事だって器用にこなしマスから!」

「御主人様……」

「その呼び方のせいで『器用にこなしマスから』っていう普通に意味不明な答えも霞むな」


 神哉と彼杵にジト目を向けられ、イクミは本日二度目のてへぺろを繰り出した。

 これで何でも許されると思うなよと言いたいところだが、余裕で可愛いので誰も何も言及しない。殺し以外にも自分の使い方を熟知しているらしい。


「まあ細かいことは置いといて、もっと飲みマショウ!」

「じゃあ、わたしは風呂入ってくるから。あとは大人でゆっくりやるといい」

「おっ、ツバキちゃんが自分からお風呂なんて珍しいですね! いつも神哉くんに追いやられるように入らされてるのに」

「あ、ごめん師匠。風呂掃除してないし、お湯張りもまだでした」

「は? それはこのわたしに風呂掃除をしてお湯を張れと、そう言いたいというわけか?」

「いや、それぐらいやってよ……」

「ふん! わたしはいいもん別に汚れてても!」


 ぷんすか頬を膨らませて、椿は二階の風呂場へと上がっていった。相変わらずの反抗期具合に神哉はため息を隠せない。


「ツバキさん、お怒りデシタネ」

「いつもあんな感じだよ。俺の言うこと何でも怒るし、沸点が低くてすぐキレるから。ホント反抗期真っ盛りで困る」

「でもそれって、ツバキちゃんが神哉くんのこと親として見てるってことなんじゃないですか? 師弟の垣根越えまくりですね。逆にエロくなくてつまんないです」

「理不尽過ぎる……」

「分かりマシタ! ワタシ、ツバキさんのお背中お流ししてきマス! 裸のお付き合いでご機嫌取りしてきマスデス!」


 ビシッと敬礼すると、神哉と彼杵の言葉も聞かずにイクミは階段を駆け上がっていく。少しして風呂場の方から椿のやけに女の子らしい可愛い悲鳴が響いてきた。

 ぶっちゃけ余計に怒りそうな気がしてならない神哉ではあったが、可愛い悲鳴が聞けただけで良しとするしかない。

 お風呂組が裸の付き合いで洗い合いっこの最中、リビング組は晩酌の続きに興じる。


「ここ最近、すっごく忙しいですね」

「そうだなー。静かに細々人騙して生きていくつもりだったんだけど、いつからこんな騒々しくなってしまったのやら……」

「え、なんで私見るんですか、私のせいじゃないでしょ!?」

「まあ、彼杵のせいではないけど始まりは彼杵がうちによく来るようになったことだからな。元を辿っていけば、全ての元凶はお前だ!」

「ひ、ひどいっ! 私はただ神哉くんと仲良くなりたいだけだったのにぃ!」


 彼杵がワザとらしく悲壮な顔をしてみせると、神哉は可笑しそうに口の端を吊り上げる。普段無愛想な顔を崩さない神哉は笑った顔を見せるのが恥ずかしいのか、缶ビールに口を付けて口元を隠してしまう。

 しかし、その対抗策は次の彼杵の言葉ですぐに瓦解してしまった。


「とか何とか言って、実は神哉くん結構楽しんでますよね?」

「ははっ。まあ確かに、ずっと一人でやってた時よりも楽しいよ」

「わ……ッ! 神哉くんが笑った! しかも声出して! 今の超レアですっ! どこですか一体今のどこが神哉くんのウケポイントだったんですか!?」

「うるさい」

「アイダァ! 神哉くんいけずやわぁ……」


 神哉にデコピンを喰らい、おでこを押さえながら何故か京都弁を話す彼杵。傍から見れば、仲の良いカップルのワンシーンと捉えられるだろう。

 それでも神哉と彼杵はその関係にない。出会ってから一年以上経ち、彼杵はずっと神哉に好きだと伝え続けてきたものの、神哉は見向きも振り向きもしない。

 いつまでもめげずにアプローチをかけまくる彼杵も彼杵だが、一切靡く気配のない神哉も神哉だ。両者共に、思考言動が世間一般から少しズレているのかもしれない。


「おーっす! みんなのカズが来ましたよー」

「うわヤバ……。ナルシスト拗らせ過ぎ、マジキモい」


 インターホンが鳴ると同時に和人の声が聞こえ、リビングに駆けてきた。彼杵は和人の言葉にドン引き、本気で嫌そうに顔をしかめる。


「あのさ彼杵ちゃん、俺だって人間だぜ? そんなに冷たい目されたら泣いちゃうって」

「目バッキバキですけど?」

「昨日の朝からずーっと彼女ターゲットとベッドでいちゃついてたからな〜。寝不足なんだわ」

「キモ。女の子が可哀想です、今すぐ◯◯しした◇◇を自分の口で吸い出しに行ってください」

「彼杵落ち着け、ハッキリ言い過ぎだから」


 際どいどころかガッツリエグめの下ネタをかます彼杵に、神哉はやんわり注意喚起。この物語は全年齢対象であるため、彼杵の台詞後半全カットもしくは伏せ字を使用する場合があるのでそこんところ悪しからず。

 神哉と彼杵二人っきりの晩酌に、和人が加わり再度乾杯。神泡ことプレモルを喉に流し込み、三人とも歓喜の吐息を零す。


「あ、そーだ神哉。あの噂聞いたか?」

「どの噂?」

「ほら、例の密入国の噂……!」

「……あぁ、全く知らないわ。何それ」

「なんか、今この街に密入国者が海渡ってやって来てるんだとさ。一説にゃアメリカのギャングが捕まった仲間を取り返しに来たんじゃねぇかって話もあるくらいだぜ?」

「へぇー、ギャングねぇ……」


 どこで仕入れたのかも分からない和人の噂を聞き、神哉は声に出して反芻。

 そして次の瞬間。


「え、ギャング!?」

「うぉ……! ビビったー、久々に神哉の表情変化見たわ」


 突然立ち上がった神哉に驚く和人。それもそのはず突然立ち上がったことにプラスして神哉の目は点になっているのだ。

 今晩は珍しいことに神哉の表情がコロコロ変わる。変わらさせられていると言っても間違いではないが。


「あはは。もしかしたら、イクミちゃんの所属してたグループだったりして」

「え、イクミちゃんって誰?」

「彼杵、その“もしかしたら”、マジだったら洒落にならないぞ……」

「ほぇ? と言いますと――」


 ――彼杵が神哉の言葉に首を傾げて問いかけようとしたその時だった。

 派手な音を立ててリビングの大きな窓ガラスが割られ、外から筋肉質な巨体の外国人が四人、それぞれに銃火器を手に持って入ってきた。男たちはもちろん土足、窓ガラスを破って入ってきた時点で律儀に脱いで上がってくるわけもない。


「……ほらな、もしかしちまった」

「ここ最近、私たちやっぱりすっごい忙しいですね」

「え、状況読めてないのオレだけ?」


 銃を突きつけられ、三人は手を上げながら各々そう口にした。

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