『助かったかと言えば一切全然これっぽっちも助かってない』
「彼杵! サヤ姉!」
「あっ! 神哉くん!」
神哉が手を振って二人を呼ぶと、彼杵はホッと安心したような顔をして、沙耶の方はまだまだ不安げな顔を見せる。
自分が殺しのターゲットになっているのだから、それもまた条理。しかも神哉を置いて逃げてきたのだから尚更なことだっただろう。
それは今こうして神哉と合流できたからと言って変化するものではない。未だ自分が殺し屋からターゲットにされている現状は変わらないのだから。
「殺し屋はどうなったんですか?」
「今は平戸さんが対処してくれてる」
「え、またですか……。あの人神出鬼没過ぎません?」
「今は有り難く思っとくしかないな。お陰で俺は抜け出せたわけだし」
後方を振り返り、肉眼で確認することのできない凶壱に向かって内心手を合わせる神哉。狙っていたかの如きタイミングでの登場であり、若干の不信感は残るが、神哉を庇って殺し屋の相手をしてくれているのは事実。有り難く思わなければ罰が当たりそうだ。
「それにしても一体誰なんですかね、サヤ姉を殺すために殺し屋を雇った人。私、許せません!」
「何言ってるの。あたしの仕事上、こういうことは普通に起こりうることよ。きっと店でぼったくってやった誰かの差し金だわ」
「で、でも流石に殺しの依頼をするなんておかしいですよ! せめて訴えるとか、他にも方法はあるはずです! それなのにいきなり人殺しなんて……」
納得いかない彼杵だったが、神哉と沙耶の顔を見て次第に語尾が小さくなっていった。神哉はいつも通り無表情でこの状況を受け入れ、沙耶は不安そうな顔はしているものの腹を括っているようにも感じる。
沙耶や
その覚悟もなく、沙耶はこの仕事をしていたつもりはない。そのはずだったのだが、いざ実際に自分の命が狙われるとなると、膝が笑ってしまう。
そんな震える脚を押さえる沙耶を見て、神哉は口を開いた。
「よし、行くか」
「え、行くってどこへ?」
「……俺の知り合いに、依頼者と殺し屋との仲介屋がいるんだ。そこなら依頼者が分かるかもしれない」
「殺し屋との仲介屋、ですか……。そんな物騒なお仕事あるんですね」
神哉の言葉に、彼杵は苦虫を噛み潰したような顔をする。彼杵はやけに人殺しに関して過敏なところがあるようだ。
「まあそう言うなって。今はそこに頼るしかないんだし」
神哉は言って、一人先陣を切って歩き始める。彼杵と沙耶はそれに続いて、殺し屋仲介屋とやらの元へ向かうのだった。
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その後神哉たちがタクシーを拾い向かった場所は、以前椿の店に行った際に入り込んだ裏路地。椿の店があった場所(現在は爆発により跡形も無くなっているが)を通り、そのさらにまた奥へと進んでいく。
やがて古びた喫茶店の前で神哉の足が止まった。『Judgment』と看板に大きく書かれている、店の名前のようだ。
「基本的に日本の殺し屋はこの店に名前を登録しておくんだ。そして店にきた殺しの依頼を、その依頼に合った殺し屋と結び付ける、ここはそういうところだ」
「日本の殺し屋って、そんなにたくさんいるんですか? 日本人足ります?」
「年間8万人以上行方不明者がいるのよ、この国は。その中にだって殺し屋に始末された人もいるんじゃないかしら」
沙耶は冷静にそう呟いて、ため息を吐く。膝の震えは止まっているものの、それは安心が得られているからではなく、単なる時間が経過したことによる恐怖の希薄に過ぎない。
神哉は沙耶に真の安心を提供してあげるべく、扉を押し開けた。カランコロンと綺麗なベルの音が鳴り、それに反応してカウンターの奥にいる男がこちらに首を向ける。
「おや、いらっしゃいませ。……神哉くん、久しぶりだねぇ」
「久しぶりマスター。お元気そうで何よりです」
ニッコリと優しげな微笑みを浮かべて神哉たちを出迎えたのは、ところどころ白色の混じった髭を蓄えた初老の男。
至って普通な喫茶店のマスターといった様子、どこにも殺し屋との仲介を行う雰囲気は感じられない。
「今日はお友達もご一緒ですかな?」
「
「あ、もちろん真っ赤な嘘なんでテキトーに聞き流してもらって構いません」
「ふふふ。ご丁寧にありがとうございます。わたくしはこの店の店主をしております、
丁寧に腰を折り、微笑みながら名乗る店主改め時津元治。何も知らずにこの店に入れば、ただただ人の良さそうな店主だなぁという感想しか浮かばないだろう。
まあそもそも、ここまで裏の裏に入り組んだ路地内に出入りする一般人はほぼ皆無なのだが……。
「うわ神哉先輩だっ! チョー久しぶりじゃん! ヤバッ、マジテンション上がる!」
「だ、誰ですかこの黒ギャル……」
「あ、ドモドモ。ここでバイトしてます
ノリの軽い調子で自己紹介すると、その少女は神哉の腕に抱きついて、自身の胸を押し当てる。
その行為に、彼杵はもちろん黙っていない。
「く、黒ギャルビッチだ……! 神哉くんこの女と関係持ってないですよね!?」
「うん、至って健全な仲だよ」
「あはは! 巨乳のお姉さん面白いっすね〜。大丈夫です、神哉先輩ドチャクソヘタレ童貞なんで学生時代いくら誘っても靡きませんでしたからね!」
「さ、誘ってもって……! 誘ってる時点で大罪です! 大きな罪と書いて大罪ですぅ!」
カウンターの奥から出てきて神哉の姿を見るなりキャピキャピした声をあげた褐色肌の少女、長与。時津と同じ制服を着ており、本人も言うように殺し屋仲介喫茶店『Judgment』で現在バイト中だ。
神哉とは二つ違い、高校三年生時に長与は一年生。部活の先輩後輩であり、彼杵が何の根拠もなしに言ったビッチというのもあながち間違いではなく、顔だけはそこそこイイ神哉を何度も誘惑していた経歴を持つ。
「あ、そういやツバキちゃん元気してます? ついこないだ爆発かなんか起こったじゃないすか?」
「あー、師匠ね……。そうか、やべぇ師匠のこと完全に忘れてた」
長与からの指摘でようやく椿の存在を思い出した神哉。今も椿は神哉宅で自室にこもっていることだろう。
ここ『Judgment』は孤児であった椿の親代わりでもある。椿があの爆発してしまった部屋を借りて独り立ちしたのがおよそ二年前、それまではこの店の上階にある部屋で生活していたのだ。
店主の時津、バイトの長与は言わば椿にとって家族に相違ない。しかしながら反抗期に入り、クラッキングで稼いだ金もあって弱冠12歳で一人暮らしを始めてからはなかなか会う機会もなくなってしまっていた。
とは言え今殺し屋がいる自宅に椿を置いてきてしまったと正直に話してしまうほど、神哉の肝は座っていなかった。
「それで? 今日は何の用でお越しかな?」
「……実は、諫早沙耶の殺しの依頼について教えてほしいんだ」
「……そちらの女性ですか?」
時津の視線が今まで沈黙を保っていた沙耶に向く。その視線を感じて、沙耶は俯かせていた顔を上げる。
瞳の奥に在る濁った靄が、沙耶の感情を表現しているように思える。それを感じ取ったからなのか、時津は次のように述べた。
「本来は、クライアントを明かすことはタブーです。なので、今回だけ特別ですよ?」
「ありがとう……。お金はいくらでも払うわ」
「いえいえ大丈夫です。神哉くんのお願いでしたら断れませんからね。断ったら、“オヤジさん”に何されるか分かったもんじゃありませんし」
「やめてくださいよ。俺は、足洗ったつもりなんですから……」
ニヤリと意地悪を言うように微笑む時津に対して、神哉は苦笑。その反応に余計可笑しそうに口角を上げる時津は、カウンターの奥へと消えていった。
「良かったですねサヤ姉! これで依頼主が分かればソイツをボッコボコにして、そんで依頼取り消しにしてやりましょう!」
「そ、そうね……。出来ればいいわね」
彼杵の提案は極端で唐突ではあるが、解決策としてはそれもまたありだ。
沙耶の顔にも少し安心の色が見え始めた。緊張の糸がようやく緩んできたらしい。
かれこれ殺し屋と対峙してから小一時間が経過する。それまでずっと気を張っていただけに、助かる可能性が垣間見えたその時の喜びは大きい。
だがしかし、そう簡単で単純なものでもないのが現実というもの。戻ってきた時津の言葉に、彼杵が声を荒げた。
「諫早沙耶の殺害……そのような依頼はきておりませんね」
「は? きてない!? じゃああの男にサヤ姉を殺すよう命じたのは誰だって言うんですか!」
「そう言われましても……。うちの店に登録されていない殺し屋の依頼までは分かりかねます」
「まあまあまあ、落ち着いてくださいっす巨乳のお姉さん。コーヒーでも飲んで心落ち着かせてください」
今にも胸ぐらを摑みかかる勢いで時津に詰め寄る彼杵に、長与がコーヒーを差し出す。
彼杵はカップを掴み取り、それを一気飲み。普段は砂糖とミルクをドバドバ入れるのだが、上手くいかない現実に苛立ってブラックのまま飲んでしまったことにより、渋い顔を隠せない。
「ここに名前を登録してない日本の殺し屋はほぼ食っていけない……。日本で殺し屋として稼ぐためには、必須事項だ」
「え?」
「やっぱり、アイツは日本の殺し屋じゃないってことだろうな」
「それって、つまりどういうことですか……?」
「だから要するに――」
要約しようと口を開いた途端、神哉のポケットのスマホが着信音を鳴らした。画面を確認してみると、椿からの着信だった。
ついさっきまで完璧に忘れ切っていた椿からの着信は、弟子の神哉にとって恐怖そのもの。怒られるのかもしれないと、神哉は嫌々ながらスマホを耳に当てる。
『し、神哉ぁ。早くっ、帰ってきてくれぇ』
「師匠? 大丈夫ですか?」
『ヤバいんだよぉ、わたしにはもう、何が何だかなんだよぉ! 頼むからっ、早く帰ってきて!』
ブチッと一方的に通話を切られ、神哉は近くで通話に聞き耳を立てていた彼杵と沙耶の顔とを順番に見合わせる。
「何でしょう、緊急事態ですかね?」
「分からない。念のため、俺一人で行くよ」
二人にそう告げて、神哉は自宅に向けて駆け出した。
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「ワタシ、心を入れ替えマシタ! これからは凶壱さんの従者として尽くしていく所存でありマス!」
「……は?」
一体全体現在眼前にて何が起きているのか、神哉には到底理解できそうにない。
帰宅して間も無くのこと、荒れ果てた自宅のリビングに絶望する暇も無く、否が応でもそちら側に意識を向けざるを得なかった。
「え、誰……?」
そこには、変わり果てた殺し屋の姿があった。変わり果てたというか、女性になっていた。否、元々女性だったと言うべきか。
黒コートのフードを脱いだ殺し屋の女。綺麗な赤毛をポニテに結った、西洋顔の美女。神哉の予想通り、外国人で間違いないようだ。
だけども一体誰がフードの中身が女性だと思っただろうか。
「いやぁ、ちょぉ〜っと調教したらコロッと堕ちちゃってさぁw。でもいいことだよね、本来の自分、ありのままの姿でいるっていうのはw! 元々Mの素質があったみたいなんだ!」
「ウフ……///。御主人様、ワタシがMになるのは貴方の前だけデスヨ」
ケラケラと、心底愉快そうに笑う凶壱。そしてそんな凶壱にべったりくっついて何故か頬を火照らせる殺し屋の女。
もう何が何だかさっぱり分からない……――神哉は内心理解することを諦め、地べたに体育座りする椿の肩を優しく叩く。
「師匠、ここで何があったんですか? 見てたんですよね? 話してくれませんか」
「あ、アソコがアレしてコレがコッチでマタとタマが……ウッ、なんだ、全然思い出せないっ!」
見てる側の記憶が曖昧になるほどの調教とは、どれだけショッキングな光景だったのだろうか。現役女子中学生ハッカーには刺激が強すぎたのかもしれない。
「よし決めたw! 君の名前は、今日からイクミだ。
「アァ……///、御主人様から直々にお名前頂けるなんてッ! ワタシ、イクミは感激デスぅ!」
ニコニコいつも通り楽しげな凶壱、強烈で劇的で衝撃的なキャラ変を元のキャラが固まる前にしてしまったイクミ、そして頭を抱えて震える椿。
地獄のようなこの状況に、神哉は取り敢えず彼杵と沙耶に戻ってくるよう連絡を入れた。誰しも、一人でここにはいたくないだろうと思われる。
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