第5話

部屋の中の空気を揺らすように携帯が鳴った。


時刻はPM10:20。 ぼやけた頭を揺らしながら一言漏らした。


「ああ、またか」


かけてきた相手はすぐにわかった。 別段、相手によって着メロを変えているわけじゃない。


この時間で俺にかけてくる奴なんて一人だけだ。 


ああ今日もこの時間だったんだなと同情しながら電話に出ると、疲労がベットリとへばりついた声で着信相手の声が聞こえる。


「…いま、暇かい?」


暇ではあるが忙しい。 


俺一人だけが感じている粘性の高い空間にもっと酔いしれていたというのが本音だが、親友の誘いを断るほど自分勝手じゃない。


だから俺の言葉はいつもと同じ。


「暇だからとりあえず寄れよ」


「ああ、ありがとう」


礼の言葉さえ重苦しく響く。 


今日も今日とて俺の親友は哀れなことに奴隷のままだった。


やってきた染谷は新しいスーツと反比例するように気持ち悪いくらい青かった。


食事はちゃんと取っているらしいから人間は疲れてくれば血も薄くなるようだ。


あるいはすでに半分死んでるのかもしれない。


また知りたくもない知識をしっちまったな。


「いつも悪いな…このまま真っ直ぐ帰るのは…あれなんだよ」


まだ二十台前半というのにまるで疲れたオッサンのようなことをいう。


というよりも就職して半年足らずというのにその数十倍は年月を重ねているように見えた。


「まあ…ゆっくりしろよ」


染谷の到着前にコンビニで買ってきた一口チョコを差し出す。


染谷曰く、最近甘いものが猛烈に食べたくなるらしい。


疲労を回復するために無意識に身体が欲してるんだろうな。


老人のようなゆっくりとした動きでチョコレートを口に運ぶ染谷の為に缶コーヒーを一本渡す。


これもまた染谷曰く、学生の時には大して好きでもなかったコーヒーをやたらと飲むようになった。 しかもブラックを。


「カフェインで無理やり覚醒しないともはやどうにもならないんだろうな」


自嘲気味に笑う染谷の無理やりな笑顔に心が痛む。


「しかし窓全快にするほど今日は暑いか?」


「ああ…換気だよ、換気」


染谷には『ハーブ』のことは何日か前にさらっと話したことはあるが、その時には特に興味も無さそうだったので、ここは誤魔化しておいた。


あれから俺自身も『スモーク』のことを調べてみた結果、すでに色々な種類のスモーク(と同じような効果を持つハーブ)があることを知った。


この時ほどインターネットの有難さを思い知ったことは無い。 


先人の不の遺産を一心に受け止めた自分たちの世代でこれだけはあって良かったと思えるコンテンツだ。


いまだグデングデンになっていたが、会話には困らなかった。


大概は染谷の仕事の愚痴と最近あったどうでも良いことをグダグダと話しているだけなのだから。


とりとめのない話ではあるが、仕事で心と身体を疲れ果てている会話でさえ、染谷にとっては唯一と言っていいほどに癒しなのだろう。


ふとお互いに学生だった頃を思い出した。


あの頃もいまと同じような会話だったが、それでもお互いに屈託無く笑いあっていたものだ。


なのに今では泣きそうな顔で弱音を吐く染谷の話を黙って聞き、「それは大変だな」とか「ありえないだろ、それ」という返事を返すだけで十分満足できてしまうほどになっている。


俺たちはどうしてこうなってしまったのだろうか? 


いや俺は俺でしょうがない。


問題を起こさないと言うだけで基本的には不真面目であった俺と違い、真面目に勉強をし、仕事場でも努力をし続けている染谷の現状は『もっとどうにかならないのだろうか』と友人であることを差し引いても同情に値する状況だった。


何かが間違っている。 いや間違っているのは俺達なんだろうか? それにしても…。


雲を掴むような疑問をボンヤリと頭に浮かべながら染谷の話を俺は黙って聞いていた。


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