サムデイズ

夕星 希

第1話

「こちら地上管制は当機に目的地外着陸ダイバードを指示します」


航空管制官は機長との交信のあと、大きく息を吐き、着けていたインカムを外した。コントロール・ルームからの視程は、10メートル以下となり、フランス・ルドリー空港の空港システムは悪天候のためその機能すべてが停止しようとしていた。駐機場からは特殊車両や飛行機が次々と消えてゆく。 


「ここは空港のはずよ?飛行機はいったいどこに消えたの?」


出国審査を終えたばかりの乗客のひとりが不安をもらしていった。

このような大寒波は10年に一度、クリスマス・シーズンから新年にかけての今のこの時期にヨーロッパ全土を襲う。特に今回の擾乱は、アルプス山脈を越えたハンニバル軍も、とうてい太刀打ちできない勢いだ。 


電光掲示板にはキャンセルの赤い文字が次々と並ぶ。フランス語そして英語のアナウンスが流れ、私はそれを聞き漏らさないように他の乗客同様、一点を見つめて聞き入る。あちこちで悲鳴のような溜息が漏れる。新年を故郷で過ごすはずだった人々は、見ず知らずの人とここで年を越し、三日三晩も過ごす羽目になるなど、誰が予想しただろう。空港は一時、500人ほどが住まう仮宿舎になった。


「職員たちは5時が来たらさっさと家に帰ることができるのに、なぜ俺たちはこんな所でムハッラム(イスラム教で1月のこと)を迎えないといけないのだ?」


航空会社のカウンターは、キャンセルの手続きをする客、次の便の予約をする客、ひと言苦情をいわなければ気がすまない客、そして、ミール・クーポンと薄いブランケットを配る空港職員らが入り乱れ、収集のつかない状況だ。どこから現れたのか、ロスト・バゲージの賠償請求書を書く代筆屋、そして携帯電話のレンタル屋たちも今が稼ぎ時とばかり、商売に精を出す。人の弱みにつけ込んだ輩ばかりかと思えば、自分のものであるブランケットやミール・クーポンを老人や子どもなどに譲ってしまう若者も少なからずいる。


エプロン灯の灯影の下、除雪車が轍を残しては行ったり来たりしている。

カーゴ・ローダーに積まれた手荷物の搬出作業はなおも続く。

人工大理石の床は堅く冷たい。たぶん世界で一番最悪な寝床だろう。設備というものは目的がひとつ違ってしまえば、何をどうしようとそれ以上の利便性を生むことは難しい。


夜9時。健気な親たちは、やっかいな寝床や暗闇、風の声に怯える子どもたちを自分のそばへ引き寄せ、彼らが眠りにつくまで子守唄を歌い、安眠を手助けする。

いっぽう恋人たちはというと、どんな場所でも自分たちの世界を作り出すことができる。相手が寒いと感じるときには抱擁と愛の歌を、寂しく不安なときには、二人の将来を語り合う。そしてお互いの手と手を重ね、眠りにつくのだ。女性から、のちも続く尊敬を集めたいならばこの男性のように優しく、かつ大胆に振舞うに限る。


深い愛情の頂きから少し離れた谷間には、若い、しなやかな若枝を風に泳がせるような姿が見える。バレエ・ダンサーらしきその少年は、長く伸びた脚を真横に開き、上半身は床にのめり込ませるようにして倒す。ふたたび脚を前後に、やわらかなカーブを描いて半身をそらせていきながら、熱った息をゆっくり吐いてゆく。精神修養のようにも見えるストレッチングだ。彼は独り立ちが早すぎて、親であれば多少寂しさを感じるタイプかも知れない。自分と他人を比べて一喜一憂したり、大きく見せようとする気負いもない。人間は多くの矛盾を抱えた生き物であることも少しは理解している様子である。私はそんな大人びた少年に対して、興味を持ち始めていた。


空港の朝はエスプレッソやカフェ・オ・レの薫香で溢れる。

仮宿舎の住人たちはその匂いを合図に朝食へと向う。食事後はふたたびゲルマン民族の大移動のように居場所を探し、あたりをうろつくという行動を日課とする。いっぽう農耕民族の私たちは、刷り込まれた雛のように、元からいた場所に再び舞い戻る。涼しい切れ長の眼で彼は私をちらっと見たが、ふたたび読みかけのペーパーバックに目を移す。どちらかというと小説よりも、ニュートン力学や量子力学、応用化学などといった形而下学の本がお気に入りのようである。


ペーパーバックとはよく考えて作られたものだなと思う。なぜなら、全体が軽い。重さにしておよそ170グラムほど。同じ内容のものだと日本の文庫本では200グラムある。その差30グラム。10円玉30枚に相当する。これは案外大きな差だ。この軽さのおかげで、寝転んで読んでも腕が疲れない。そして画期的なのはカバーがないことだ。これがあるゆえに、読みすすめていくうちにずれたり、取れたりしてそのつど直さないとならないが、ペーパーバックにはその煩わしさがない。さらにその大きさ。見開きにすると顔の半分は覆える。少年がたまにこれをアイマスク代わりにして寝ているのを見かけるが、インクが鼻の頭につくことを気にしなければ価値としてはかなり有用である。


暴風をともなった雪はあらゆる方面から吹きつけている。複層ガラスの外側には空気中の水分が霧氷のようになって凍りつき、鋭い造形美を見せている。

パソコンのメーラーには「至急」や「要返送」のメール・メッセージが数多く届いていた。先日からまともに連絡が取れなかったこともあって、設計事務所内では私が海外に高飛びでもしたような騒ぎになっていた。

残念ながらそのメールはほとんどが仕事がらみで、興味を惹くような件名サブジェクトラインは見られなかった。


今日は大晦日だ。日本は夕方6時を回ったところだろうか。あと数時間もすれば年が改まる。私はいつもこの時期に決まって考えることがある。地球や宇宙の運動についてだ。たとえば暦についていえば、地球が太陽の周りを一周する間に366.25回の自転が行われていて、この端数の0.25回を4年に一度合算し調整したのが閏年である。古代エジプトの天文学者たちが一千年にわたり、星の動きを観測して導き出した統計学的暦法だ。それはユリウス暦へ、そしてガリレオやコペルニクスといった天文学者たちに引き継がれるにいたる。その後、ニュートンという科学者が天体の運動の秩序を観測し、力学などの物理学への大きな転換期を迎えるにいたる。もし古代の天文学者たちが1日でも観測をさぼったら、あるいは途中で観測を完全にやめてしまっていたら――


ライプニッツという哲学者は、「人類は神によってあらかじめプログラムされた計画通りに動いている」と説いた。だから天文学者が観測をさぼることなど、ありえないと考えたであろう。宇宙で起こることすべてが神の思し召しということなのだ。だとすれば、この空港で過ごす時間も、何か意味があることなのかも知れない。時間は多少かかったが、工務店への変更事項や、段取りをまとめ、先方へ添付書類にして送ることができた。

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