第8話(前編)

 ――轟音が大地を揺らす。

「うわっ!」

「クッ……!」

 火柱が上がった直後、アキラと真冬は熱風に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。

「なんだ、あいつ!? いきなり襲い掛かってきやがって……!」

 ガバリと起き上がったアキラが顔を上げ、正面を睨み付ける。唐突に現れた『それ』は、炎を纏った巨大な化け猫で、禍々しいばかりの眼光でこちらを睨み付けていた。

 あれは、間違いなくあやかしだ。しかし、アキラの知識ではそれが何かまではわからない。回答を求めるように真冬の方を見る。と、真冬は深く息を呑んだ。

「炎を纏った大型のあやかし……まさか、あれが火車……!?」

「はっ!? ちょ、待った! そんな、いきなり出会うとかあるか!?」

「知るか! だが、偶然だろうがなんだろうが、出会ったならば調査するだけだ」

 偶然出会う可能性は薄いはずだった。千夏と真冬の頭脳班の分析によれば、火車の行動に法則性はなく、まずはとにかく色々と調べ回るくらいしか出来ることはないという話だった。

 だが、目の前に現れた。それならもう調査などする必要はないはず――アキラはそう考え、眉間に皺を寄せる。

「調査じゃなくて浄化だろ!」

「お前はどこまで無謀なんだ……」

 呆れたようにため息を吐く真冬に、若干の苛立ちを持って反論しようと口を開きかけた。だが、それより先に真冬が鋭く言い放つ。

「僕らだけで倒せるわけないだろ!」

「ぐ……」

 図星だ。いくらアキラが無謀であやかしに対する知識が薄くても、目の前の相手が自分の手に負える実力かどうかくらいわかる。眼前のアレは、どう考えても自分にどうにか出来るようなものではない。

 押し黙ったアキラに、真冬は吐き捨てた。

「言い返せないなら今はヤツの行動パターンをしっかり見極めろ!」

「ハルさんとショコラ先輩に連絡しろよ! あの人らがいれば戦える!」

「それは当然だが、いきなり突っ込むことになるとは――ッ!」

 言葉の途中で真冬が息を呑む。視線はアキラの背後。もしや、と感じた次の瞬間、真冬が叫んだ。

「アキラ、避けろ!」

「……ッ!」

 真冬の声と同時に背中を駆け抜ける悪寒。アキラは勢いよく地面を蹴って、その場から飛び退いた。

 直後、一瞬前までアキラがいた場所にあやかしが――火車が飛び込んで来る。そのまま勢いよく通り過ぎた火車が、塀に飛び込んでガラガラと崩れ去る。

「うわっ! あれ、ヤバイな……」

「このままだと街が破壊される……近くに大きい公園がある、そこなら破されるものは少ないはずだ!」

「了解! んじゃ、そこまであいつを誘導する!」

「このまま東の方向に――……ッ!」

 指示を出そうとした真冬が、唐突に息を呑む。

『見つけた……見つけたぞ……』

「この、声は……」

「は? 声?」

 何かが聞こえるのかと、耳を澄ます。だが、アキラの耳が声らしきものを捕らえることはなかった。

 ただ――何か、空気が振動しているような気がする。まるで、認識出来ない音が空気を震わせているような。

『氷堂真冬……こんなところにいたか……クク……お前の命……お前の魂……お前の力……我が霊力の糧となれ……』

 空気が震える。やはり、何かいるのは確かなのだろう。だが、認識が出来ない。眉を寄せるアキラの隣で、真冬は声を震わせる。

「そ……うか……お前、だったのか……火車……!」

 火車――その名前に、アキラは息を呑む。

「は!? お前、火車の声が聞こえてんのか!?」

「……ッ!」

 直後、真冬がその場に崩れ落ちた。

「おい真冬!?」

 自分の身体を抱き締め、まるで何かに怯えるようにガタガタと震え始める。ギュッとその身を守るように小さくなったまま、掠れる声で、呟く。

「き、こえる……火車の、声……」

「ま……マジかよ……」

 耳を澄ましてみる。だが、やはり声など聞こえない。聞こえてくるのは――

「この音……ッ!」

 燃えさかる炎の音と、甲高い金属音。それらを夜の闇に響かせながら、火車が再び突っ込んでくる。

「チッ、また来やがった! おい、真冬、公園まで引いて――」

「あ……ぁ、あ……」

「おい真冬! しっかりしろ、真冬!」

 怯え、震え、その場に崩れ落ちる。尋常じゃない。こんな状態になってしまうなんて、思いもしなかった。身動きも取れない様子の真冬を見下ろす。

 だが、そんなことをしている余裕はない。火車は容赦なくこちらに向かってきた。

「くっそ! こっちに来い!」

 真冬の腕を引っ張り、とにかく走り出す。とりあえず、先ほど真冬が言っていた公園へ。こんなに狭い場所ではまともに戦うことも出来ないし、街を破壊してしまう。

 あやかしの姿を普通の人間が認識することは出来ない。声に至っては能力を持っていても簡単に聞こえるものではない。だがそれでも、破壊されたものはそのまま直ることはないし、霊力のない人間にも見える。だからこそ、できるだけ被害が出ない場所か、被害が出ても問題のない場所で戦うようにと言われているのだ。

 今は真冬がこの状態だ。とにかく、もう少し戦いやすい場所に行かなければ、護ってやることも出来ない。普段冷静な真冬がこんな状態になるなんて尋常ではない。あのあやかしがそれだけ恐ろしい力を持っているということなのか。それとも、また別の理由があるのか――

 いや、今は考えている場合ではない。

「はぁ……は……くっそ、アイツ、動きが早い……」

 逃げるアキラと真冬を追って、火車もこちらに向かってくる。あやかしは、動きは派手だが遅いという場合が多い。だから人の足で走っても逃げ切れるものなのだが、火車が相手ではどうやら難しいらしい。あっという間に距離が詰められてしまう。

「は……はぁ……はぁ……」

「おい、真冬! お前、もっと早く走れないのか!?」

「き、こえ……る……あの、声が……」

「お前……どうしたんだよ、おい!」

「殺……される……」

「はあっ!?」

 殺される――何を根拠にそんなことを言うのか。だが、握った腕は震えている。これは冗談を言っているような様子ではない。

 何か確信を持って殺されると言っている。ならば理由があるはず。真冬にだけ聞こえている声に、何か理由が隠されているのだろう。

 しかし、原因を探っている暇はない。火車が炎を巻き上げて、こちらに突っ込んでくる。

「やべ、来る! 真冬、右に飛ぶぞ!」

 飛ぶ――というよりも、転んだという感じだった。真冬の身体を強引に引き寄せて、かろうじて横に飛ぼうとする。だが、アキラの腕力だけで成人男性一人を引っ張れるわけもなかった。

 真冬の身体が、その場に倒れる。

「真冬! おい、立て!」

「あ……」

『……捕まえた……』

 空気が振動する。火柱のようになった火車が、眼前に迫っていた。

「真冬!」

『お前の命……お前の魂……お前の力……我が霊力の糧となれ!』

「あっ……あああああ!」

 禍々しい気配が夜の闇を震わせる。真冬が悲鳴を上げる。直後――

 炎を巻き上げ。

 火柱のようなそのあやかしが。

 真冬を――

「マジかよ!? 真冬が……呑み込まれた!?」

 ――姿が、完全に消える。

 絶望するような瞳が、脳裏に焼き付いている。あの瞬間。真冬が、息を呑んだその瞬間。

 ……真冬は、炎に呑み込まれた。

「真冬! 真冬!!」

 アキラの眼前に広がるのは、瘴気に満ちた炎だけだった――



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