白銀のデザイア

木原梨花

第1話

 あやかし祓い。

 それは、人に危害を加える「あやかし」達を浄化させることを生業とした者たち。

 霊力を持たない者には見えないあやかしと人知れず戦い続ける彼らは、今日もまた平穏を守るために力を振るい続けている。


 静寂を切り裂くように、咆吼が響き渡る。

 放棄されて久しい工場は足元もはっきりとは見えず、荒れ放題の地面に度々足を取られそうになる。それでも、一瞬たりとも気が抜けない。油断すれば、命を取られる。東條アキラはそれを自覚していたからこそ、走る足を緩める気はなかった。

 ――やられてたまるかよ!

 唸り声の直後、地響きが轟く。足元も揺れた。コンクリートの破壊される音に、アキラは慌てて振り返る。巨大な骸骨のあやかしが、周囲の建物を薙ぎ払いながらアキラの方へと迫ってくる。

 赤みを帯びた短髪に、あやかし祓いの組織から支給された外套を翻し、走る。まったく、何なんだアレは。アキラは息を切らしながら眉間に皺を寄せた。

「はぁ……はぁ……クッソ、なんだあいつ、工場入ってすぐ出て来やがった、クソばかでけー骸骨!」

 肩越しに振り返り、巨大な髑髏の姿を見ながらヘッドセットのマイクに怒鳴りつける。イヤホンから「うるさい」と呟く声が聞こえたが、それに文句をつけるだけの余裕はなかった。地鳴りと咆吼に遮られながらも、耳元から聞こえる相棒の声に耳を傾ける。

『がしゃどくろだ。巨大な髑髏のあやかしだな。誘導する、指示に従ってくれ』

 涼しい声で相棒が――氷堂真冬が告げる。彼とはバディを組んで短い。正式に組むようになってからは三ヶ月といったところだろうか。正直に言って、まだ真冬の性格もよくわかってはいない。だが、この状況下であまりにも冷静すぎる。そういう性格なのだろうが、嫌味のひとつも言いたくなる。

「へーへー。お前は遠くから指示出すだけでラクでいいねぇ」

 ふてくされるアキラに、真冬の方も不機嫌を隠さない。

『情報を分析して的確な指示を出すのが僕の仕事だ。文句を言うな筋肉バカ』

「筋肉バカはねぇだろ!? ったく、わーってるよ! お前は俺に指示を出す! 俺はあやかしをぶっ倒す! それが俺達バディの役割分担だってんだろ!」

『そういうことだ。ここは廃工場で誰も使ってない、安心して暴れろ。だが僕らがあやかし祓いになって初めての任務なんだ、ミスるなよ!』

「誰がミスるかよ、バーカ! オラ、とっとと指示を出せ、真冬!」

『わかってる! アキラ、そのまま真っ直ぐ進め。T字路が出て来たら右だ』

「了解!」

 若干腹は立つが、真冬の指示が正確であることはバディを組んでからの三ヶ月間、訓練をしている間に実感した。こいつには、背中を預けられる。ただ、ちょっとムカツクだけで。そう思いながら前方を確認する。工場跡に明かりはない。アキラのいる位置からでは真冬の言うT字路は見えなかった。それでも、真冬が言うのだから間違いないのだろう。

 勢いよく地面を蹴る。所々亀裂の入ったアスファルトに足を取られそうになりながら、それでも全力で駆け抜けた。

 ガシャガシャと姦しい音が追いかけてくる。なるほど、がしゃどくろとはよく言ったものだ。それにしても、スピードが速い。アキラも足が遅い方ではないが、これでは早々に追いつかれてしまう。間に合うか。必死で足を動かす。だが。

 ――咆吼。

 耳をつんざくような叫び声に耳を塞ぎたくなる。これが霊力を持たない人間には聞こえないというのだから、見える世界と見えない世界の格差を感じる。自分も、五年前までは『見えない』側の人間だった。だが、今は見える。ならば、戦うしかない。

 あとどれくらい走ればいいのか。機会を窺う。

 だがチャンスを手に入れるより先に、まるで鞭のような腕が振り抜かれた。

「うおっと!」

 慌てて身を低くして避けたが、あと一瞬遅かったらどうなっていたことか。唸るように飛んできた腕は壁にぶつかり、ガラガラとコンクリートが崩れ落ちていった。

 巻き上がる煙を振り払うように、アキラは更に足を進める。

「うおー……あっぶね! あいつの腕、リーチが長い上にパワーまであんのかよ」

『大丈夫か?』

「なんとかな。壁ぶっ壊れたけど」

『攻撃力が高いのか、厄介だな……』

「作戦は?」

『とりあえず変更はなしだ。T字路を曲がれば更に道が狭くなる。そこからしばらく進めば、がしゃどくろの動きを制御できるはずだ』

「なるほどな、動けなくしてぶったたこうってわけか……いいんじゃねぇの? さっすがインテリ!」

『余計なことを言う暇があったらとにかく走れ!』

「はいはいよっと」

 肩越しに振り返る。がしゃどくろも、必ずしもアキラの位置が分かっているというわけでもないらしい。巻き上がる煙に隠れたせいか、上手く身を隠せたようだ。ひと息吐く。ここで完全に足を止めるわけにはいかないが、少しは体力を回復出来た。

「つーかお前、俺の位置わかってんの?」

 がしゃどくろがアキラを見失っているのでは、真冬がアキラを捕捉するのは難しいのではないだろうか。だが、真冬は冷静だった。

『工場内の監視塔にいる。ここからなら全体が見渡せる』

 そういえば、工場に入ったときに背の高い塔があった。あれのことだろう。なるほど、確かにそこならば安全だし情報分析をする上でもちょうどいい場所なのだろう。

『が、お前の姿は見えていないな』

「でもがしゃどくろは見えるってことな……っと、T字路だ!」

『ここから先は集中しろ! いいか、タイミングを逃すな!」

「はいよっと!」

 タイミングがいいのか悪いのかはわからないが、ちょうど視界を遮る煙も晴れた。がしゃどくろの咆吼が耳をつんざく。本当にうるさいヤツだ。毒づきながら、アキラは全力で走った。

「ここか……よっ、っと!」

 急カーブを曲がりきる。先ほどよりも若干視界が開けて感じるのは、ここから建物の色が変わったせいだろう。先ほどまでは薄暗い壁だったが、ここから急に白っぽい壁になっている。おかげで道幅が徐々に狭くなっているのも確認出来た。

 駆け出した数秒後、ガシャガシャとやかましい音が更に大きくなる。次いで、咆吼。振り返る。不気味な化け物がアキラの姿を捕らえていた。

「よっしゃ、追ってきた!」

『無事に誘い込めたみたいだな』

「ああ、ついてきてるぜ。どのタイミングで攻撃する?」

『あと二十メートル走れ。がしゃどくろの大きさを考えるとそこで動けなくなるはずだ』

「マジかよ! 結構距離あるぞ」

『どうにか耐えろ』

「軽く言ってくれるぜ……」

 それだけアキラを信用してくれているということでもあるのだが。まだバディを組んで短いものの、その程度の信頼関係は結べているということだ。

 それなら、応えてやる。そう気合いを入れて、改めてがしゃどくろの方を振り返った晃だが――

「グオオオオオオオッ!」

「なっ!」

 まるで全てを薙ぎ払うかのように、両手を、そして身体を振り回し、壁に叩きつける。その勢いに負けて、工場の壁が次から次へと破壊されていた。

「なんかすっげえ勢いで追ってくんだけど! しかも壁壊してるぞ! 道が広がってく!」

『なんだと!?』

 さすがにそれは真冬も予想していなかったのだろう。動揺した声がイヤホンから聞こえる。

「お前、高いところから見てんだろ!? 見えてるか、どんどん壁が壊される!」

『……ああ、見える。嘘だろう? ここが廃工場とはいえ、そこまで古い建物ではないはずだ。簡単に壊せるとは――』

 咆吼。真冬の声を遮るように、響く。

「今の、聞こえただろ!?」

『……ああ、聞こえた。だが、そんな、まさか……」

「計算では違ってたとでも言うのかよ。残念ながら現場じゃ計算通りにはいかないんだよ!」

 壁が次々に壊されていく。真冬の当初の予定通り、ひとまず奥へと走る。だが、壁が破壊されている今、がしゃどくろの行く手を遮ることはおろか、動きを抑えることもままならない。

「ああああ、くっそ! おい、道が狭くならねぇぞ! どうする!?」

『どうする、と言っても……』

「迷ってる暇はねぇぞ! 勝手にぶっ倒していいか!?」

『だ、が……そんな方法は……』

 真冬は完全にパニック状態に陥っている。しっかりと計算して行動を決定する分、不測の事態に弱いのだろう。よくある話だ。アキラが高校の頃にもそういうタイプがいた。いつもしっかりしている分、こういうときにどうしたらいいかわからなくなってしまうらしい。

 そういう姿が見られると、ちょっと可愛いと思ってしまうのだが――今はそんなことを言っている場合ではない。

「あーもう! 俺がどうにかする、止めんなよ!」

『なっ……アキラ!?』

 慌てたような声が聞こえる。だが、あえて無視した。こういうときに必要なのは、思いきった行動だ。知能でどうにか出来ないのなら、力でどうにかすればいい。アキラは自らの師匠の教えに従って、くるりと背後に向き直った。

 がしゃどくろがこちらに迫ってくる。もっと状況を整えてから戦うはずだったが、致し方ない。

 両手を前に構える。両手のひらに、自分の霊力を集中させる。具体的に、武器を思い浮かべる。そして――

「内なる我が霊力、剣となりて悪を祓わん」

 呪文を唱える。足の裏から頭のてっぺんまで、一気に熱が駆け抜けた。手のひらに光が浮かび上がる。その光は徐々にはっきりとした輪郭を持っていく。

 生じたのは、日本刀だ。

 あやかし祓いは自らの霊力を実体化させ、武器を生じさせることが出来る。その形状はそれぞれの霊力の質によって異なる。師匠の持つ武器の形を引き継ぐことが多いが、アキラはまさにそれだ。ここまで育ててもらった力を実践で使うのは初めてのこと。本当はもっとカッコ良く使ってやりたいと思っていたが、致し方あるまい。今はとにかく、行動するのみ。

 刀を鞘から抜き放つと、アキラは勢いよく地面を蹴った。

「うおりゃあああああっ!」

 上段から振り下ろした刀が、がしゃどくろに受け止められる。それでも、ある程度効果はあるらしい。霊力で作った武器は、通常の武器よりも強度が増す。そして何よりも、あやかしに対しての効力が高い。まだ新人のあやかし祓いでどこまで通用するかは不安があったが、この様子ならどうにかなりそうだ。

 とはいえ、相手の力も、強い。

「くっ……ぅ、ん……うわっ!」

 がしゃどくろの咆吼と共に、腕が大きく薙ぎ払われる。その勢いでアキラも吹き飛ばされた。壁に叩きつけられる。

「ぐっ……!」

 息が止まる。耳元で焦ったような声が聞こえた。

『大丈夫か!』

「な……んとか、な……けど、動きが鈍ったぞ!」

 這々の体で起き上がりながら、がしゃどくろを見上げる。シュウシュウと煙を上げているのは先ほどアキラが斬りつけた場所だ。苦しむように蠢いている。どうやら効果はあったらしい。

 それでも、激しい咆吼に代わりは無いが。

『ほとんど変わらないように聞こえるが……』

「声はな! 動きはちゃんと鈍ってる、このまま突っ込む! いいな!」

『いや、いくらお前が筋肉バカでも――』

「うおおおおおお……ッ!」

 真冬の言葉を無視して駆け出す。このバカ! と耳元で聞こえたが、気のせいだということにした。

 日本刀を大きく振り上げる。崩れた壁を足場にして、高い位置から振り下ろす。

 ――キィィィン……!

「くっ、ぐっ……うおりゃっ!」

 何度も。

 何度も、何度も。

 がしゃどくろの身体を削り取るように刀を振るい続けると、徐々にその動きが鈍っていく。

 甲高く響く刃の音。

 悲鳴を上げるように吼えるあやかしの声。

 動きは、確かに鈍っている。

「弱ってきた! うっしゃ、このまま行くぜ!」

『ああくそ、勝手に暴走しやがって……』

 強引な攻撃を続けたせいだろう、真冬もやけくそのように声を上げた。

『頭を狙え! たたき割れば動きを止められる!』

 それでもきっちりアドバイスをくれるのだから彼らしい。ニヤリと口元を緩めながら、アキラはその声に応えた。

「頭だな! なら、まずはヤツの胴体を……叩き斬る!」

 振り抜いた刀はしっかりとその身体を捕らえた。一瞬の火花。直後、がしゃどくろの骨がえぐり取られた。

「グオオオオオオオッ!」

 苦しみの悲鳴を上げ、がしゃどくろがその場に崩れ落ちた。

「よっしゃ、倒れた! 頭を……叩くッ!」

 上段から、頭のど真ん中に。全力で、自分の全ての力を込めて。

「うおおおおおおおお……りゃああああっ!」

 全霊力を、手のひらに集中させて。その身体を――斬る!

「グギャオオオオオオ……――」

 響く断末魔。直後、崩れ落ちたがしゃどくろは、徐々に動きを失って――息絶えた。

「いよっしゃあ! 倒した!」

『まだ終わっていないぞ! あやかしが消滅した後に残る結晶を回収しろ!』

「わかってるっつーの!」

 動かなくなったがしゃどくろから、シュウシュウと煙が上がる。その身体は徐々に小さくなり、小さな光を放ち――結晶になった。

「おっし、回収完了……白銀の結晶、か……」

 あやかしは、命を落とすと結晶になる。白銀の結晶。この結晶をそのままにしてしまうと、再び汚染されてあやかしに変化するらしい。

『なくすなよ。それを持ち帰って司令官に渡すまでが任務だ』

「わかってる。これを浄化して、あやかし祓いは終了、だろ? しっかり持ち帰らせてもらいますよ」

 しっかりと釘を刺してくるあたりさすが真冬と言うべきか。さっきまで動揺していたとは思えない持ち直し方に、アキラは苦笑する。だがそれくらいでちょうどいい。

『わかっているならいい。無事に終わったなら合流するぞ。組織に戻る』

「了解っと」

 通信を終える。アキラは手に握った結晶を、ジッと見つめた。

「……これがあやかしとの戦い、か……」

 冷たい風が吹き抜ける。破壊された工場は、組織の司令官がどうにかしてくれる。今回のこれは、恐らく老朽化が原因ということになるのだろう。この力を感知出来ない人間は、何が起きているかも知らないままだ。

 それでも、誰かが戦わなければ、あやかしは人を襲う。それだけは、止めたい。

 それが、アキラの願いだ。

「……とりあえず、真冬と合流しますかね」

 白銀の結晶を握り締める。ゆっくり眠ってくれ。そう語りかけながら、アキラは真冬の元へと歩き出した。



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