ラボφ ~女子句会~

私掠船柊

女子句会

 ブレザーの小さな第一ボタンを人差し指と親指でつまみ、くるくると左回りから右回りに、そしてまた左回りへ、自分の気分に合わせたリズムで回転させてみる。いつまでも繰り返している自分のいたずらな手を、ちらっと見て、それが他人の手であるかのように目をまたたきした。ボタンをとめる糸がほどけそうだと気づき、不満そうに歪めた口をみせて止める。とにかく中途半端な膨れっ面をする早苗は、愛でてほしい一輪の花とはいかないまでも、少しは私に何かを話してくれたなら、とでも訴えたいように振る舞うのである。

 放課後の喫茶店は、聞きごこちのよい軽快な旋律のピアノの曲が奏でられている。原色の見えない漆喰の壁と、太い木の柱だけで組み合わされた店内。テーブルの向かいに座る連れ合いの香織は、退屈そうにまぶたを重くする早苗をほったらかしにしている。唇を一文字にむすんだまま、そこから何かの一言がでる気配もまったくなく、本を読みふけていた。ずっと前からそうしているのんびり屋の雰囲気である。

 早苗は、クリームソーダにさしたストローの先端を、つまらなさそうに唇でくわえる。たまらなくなり、グラスのなかの炭酸水に生まれた小さな気泡を眺めていた。……小さなお星ちゃま、か……。

 やがて飽きて、頁をめくる連れ合いの様子をじっと見つめる。片方の靴先で、床をトントンと叩いてもてあそぶ。あそばせついでに、香織の耳に入ることを算段して、強く鳴らしてみたりもするのだがすぐにやめた。ストローから唇を離すと、鼻から一息をはき、鞄からレポート用紙を取り出す。シャープペンで白い一枚に何かを書いた。できあがった一文を眺めて目が笑う。それを香織へ、押し付けがましいしぐさで差し出した。

 次の頁をめくりかけていた香織は、気づいて片方の手を本から離し、落ちていたものを拾う気取りで紙片を引き寄せる。

「本が好き 読みつづけたら メガネ女子」

 早苗のつくった俳句を読んでみた香織は、するとボールペンをブレザーのポケットから取り出し、受け取った紙を裏返して何やら書きつづる。冷ややかな目で顔色ひとつを変えずに、その紙を、テーブルの上でなめらかにすべらせて、早苗へそれとなく返した。

「大好きよ 髪の毛一本 アホ毛女子」

 ストローをくわえていた早苗は、人工的ではあっても喉の乾きを誘わずにはいられないメロン色のソーダ水の中で、吹き出すように泡をたてた。落ち着いて鼻で深呼吸。気を取り直すように自分の頭の天辺を手でなでつけ髪を整えた早苗は、次にまた別の一枚を用意して一句をつくり、本の世界へ戻りつつある香織へ渡す。

「メガネ女子 あわせる着物は 京小紋」

 香織は、本と句のそれぞれを見ながら、しなやかな黒い髪とブレザーの制服のあちこちを確かめるようにいじりはじめる。そうかしら? 首をかしげ、答えて見せる眼鏡の女子高生。その動作はわずかの間で、眼鏡のフレームを人差し指で上品に触れてみせると、次は一息つきたいように湯気の立つティーカップを、熱くもなさそうな振る舞いで唇につけた。何かを疑う眼差し顔で早苗を見つめる。ふぅん………京小紋………そうなの? 前とは声音の変えた一言をつぶやいた香織は、本を一旦とじる。二通目の便りを同じ要領で裏返しにする。紙がひるがえる音もまったく同じでふたたびペンを走らせた。

 早苗のメロン色のソーダ水は、とけかけた牛乳色のアイスクリームが乗っている。まぶたを手でこすった早苗は、細長い匙を使ってアイスクリームのひとすくいを口へ持って行こうとするところだった。そこへ香織は、彼女のひと味を楽しむしぐさを遮るように紙を返す。

「アホ毛女子 和菓子が似合う 江戸小紋」

 早苗のまぶたが大きく開いてサジを持つ手が止まる。驚き詰めた目でもないが唇を噛んでみせた。そのとき二人のテーブルに人影がかかった。二人とも、何やってんの? 突然に声をかけてきたのは、後輩の女子高生カザカである。テーブルを挟み、紙とエンピツの静かな戦いをする少女二人の前で、カザカは試合の審判のように間に割って立つ。まばたきしたカザカは、テーブルへ視線を落とす。置いてある紙を取り上げ凝視ののち、ふむふむ……。と独り言。 座っていいですか? うん、どうぞ遠慮なく。俳句? いえいえ、ただのメモだよ。……私は本を読みたいの、でも早苗がね……。香織のとなりに座ったカザカは、背中にしょっていたバッグを膝に置いて、中に入っているものを掻き混ぜてからレポート用紙と鉛筆を取り出した。お二人とも、もしよろしければ……。カザカは白い一枚に筆をはしらせる。

「着物より 冬のオコタで ドテラ着る」

 うむうむ、そうきたか……。後輩と眼鏡の女子高生を前に、早苗は一言。そして頭の後ろに手を組み、遠くの目をつくる。次にふ~んと喉の奥から声をもらしてからあくびがでかかる。

 その定かでない空気へ同じ年頃の少女がまた一人、テーブルの前に静かに立った。いらっしゃいませ。コップを乗せた円形のトレイを手にする彼女は、おさげを左右の耳の後ろに垂らしている。襟の真ん中にリボンを結びつけた鮮やかなワンピース。その服の上に肩からエプロンをかけている。店の中の落ち着いた色合いと比べても違和感がない。そのウエイトレスの少女はさっそく、来店したカザカの前へ水を入れたコップを静かに置いた。

 カザカはテーブルのメニューへ目も通さず、すぐにウエイトレスに好きなものを二品、それとなく注目した。はい、かしこまりました。ウエイトレスは目を閉じたような笑顔で答える。その笑顔でトレイを胸に伏せて持つ腕の曲がり具合は、お気に入りのぬいぐるみを大切に抱いている姿を想像させる。

 カザカとウエイトレスの何でもない光景を眺めていた早苗は、何かを見つけたように口をポカンと開いた顔へと変え、レポート用紙に一句をしたため、裏返しにしてから二人へ渡す。

「桜餅 色と感触 小麦粉生地」

 とにかくもたどり切ったとでもいう表情の早苗を、香織は眺める。それからすぐ、想いを隠した目で、受け取った三通目の紙を裏返しにペンをすべらせた。今までと同じしぐさである。カザカに一度見せてから、元の紙の持ち主へ返した。

「春の味 もちもち感なら 道明寺」

 おまたせしました。パンケーキと紅茶でございます。また現れたウエイトレスが、なごやかな笑顔でカザカの前に、パンケーキを乗せた皿とティーカップをそろえて置いていく。しなやかな指の手は幼さを感じるが、食器をテーブルの決められたところに無駄なく置くしぐさは、大人びている。では、ごゆっくりどうぞ。三人の様子を見たウエイトレスは笑顔を作り替えてまた別の、瞳の色合いをつややかに見せた。

 空いた時の間をうめるように、カザカは、空気をたっぷり含ませた、スポンジのようにやわらかく膨らんでいるキツネ色へ、メイプルシロップをかけてからナイフを入れて、一口をフォークで味わう。一人でいればむやみに食べそうなのを我慢したふうでもある。その次に、用意した紙に鉛筆ですらすらと書いて、二人の先輩に見せた。

「桜餅 笑顔の弟 華のごとく」

 え?……はあ……、早苗は、力の抜けた顔で口を四角にあける。句を読んでから、彼女たちはカザカの弟のトオルを話題にしはじめた。そこでとにかく早苗は、頼まれてもいないのに“小公子”という呼び名にこだわる。しかもその話が長い。とにかく描写がくどい。聞かないそぶりで応じる香織を見た早苗は、じれったそうに一句を書きつけてまた裏返しに渡した。これで四通目である。

「小公子 ヒナタのにおいは 夏の風」

 早苗の額に汗が一雫、書いたばかりのものを取り消そうと、手が恥ずかしげな動きで紙に触れたり触れなかったりする。ついに、まあいいかといった笑顔で手を胸のあたりまで引きもどしたが、眉毛は八の字である。

 そういう友人をほっといて香織は、自分の鞄からやっと便箋ふうの白紙を一枚取り出した。テーブルの上ですらすらと書く。ペンを止めて紅茶を一口飲んでから二人へ渡す。

「緑園の 小さな瞳に 小公子」

 ため息にも聞こえる小さな深呼吸をすると、香織はまた本を開いた。

 パンケーキを食べ終えたカザカは、紅茶をひとすすり。それから息をすって、止めて、ふぅと一つはき、テーブルで頬杖をつく。眠そうなまぶたを束の間みせてから一句を案じた。

「小公子 力しごとは 姉まかせ」

 わざとらしく口をとがらせたカザカは、舞台の裏方はねと、ただただ、お茶をにごす。弟のことは何でも心得ているといいたげな済まし顔のカザカではあるが、それを見た早苗は、突然、テーブルの表面を両手でドンと叩きながら立ち上がる。何かを訴えそうな厳しい様子。ところが眉尻だけが釣りあがっていて、目と口は笑っている。そのままにゆっくり座り直して、新たな一句を突き付けた。

「小公子 掃除と洗濯 姉ゴロ寝」

 ああ、そういえば、そうだったかな……。とぼけた返事をしたカザカは、目を細めて、黙って紅茶を飲む。読書が中途半端になっている香織も、早苗のあとに続いて句を連ねる。

「小公子 料理も丁寧 姉の嫁」

 カザカの顔がしだいに赤くなっていく。早苗は口をへの字に曲げてじっと見据える。だが冷たそうなだけの演技にしか見えない。香織は、まぶたを閉じて腕組みした。こちらは本気で憂いているようだ。

 水がひいて、そこから木の杭が顔を出す。

 眼鏡の彼女は見るに見かねた様子である。それ以上、カザカの先輩二人は、何か言うでもなく問い詰めるでもない。なになにとカザカは見つめ返すが、とにかく制約を求めているふうの視線を浴びながら、紅茶を飲む。だが、何事もなく飲んでいるしぐさがこわばってきた。カップを口元から離したその次、白い陶磁器がテーブルの上で小さな音をたてる。彼女は顔を覆い隠すように食器のとなりで突っ伏した。

 事情を知らない者が一見すれば、過酷な窮地で泣きはらしているように見える後輩の女子高生は、ショートカットの髪を見せるだけで、顔を腕の中にうずめたままである。香織は結んでいた口が半開きになる。早苗は、両手を胸のところで花の蕾のようにからめ合わせて、うろたえた。

 ところが、ふいにカザカは頭を上げて、からみついた空気をほどくように、両腕を頭上へ背伸びしてのばす。腕を下ろしたら舌をペロっと見せた。かわいげのある反省の顔かと思ったら、そのまま舌なめずりをした。それから一句をつくりはじめる。

「少年と 蜜におもふは 乙女なり」

 三人それぞれが違う表情で腕組みした。乙女ね・・・。………オトメ………。そう、乙女で……。

 そのとき、ウエイトレスがテーブルの前にふたたび現れ、金属製の水差しで三人のコップに水をついでいく。テーブルの紙を盗み見て口に手をあてる。あら、ふふふ、お困りのようですね、しばらくお待ちくださいませ。

 ウエイトレスはテーブルから一旦はなれ、カウンターへ戻り水差しを置くと、腰に結んであるエプロンの紐をしめ直す。そのまま奥の扉の向こうへ、急かしい歩みで姿を消した。

 ほんの数分すると、ウエイトレスは、女子高生がよく使う肩掛けバッグを持ってきた。バッグにはネコとクマのぬいぐるみがぶら下がっている。お待たせしました。ちょっと座らせてくださいな。早苗の隣に着くと、中から筆、墨、硯、紙をテーブルにそろえる。しかもその勢いで、サバの缶詰めに爪をたてる“ネコ耳男の娘”のフィギュアまでが出てきてしまった。

 突然の店開きで少女たちは、引きぎみの見つめる顔でウエイトレスを取り巻いてしまった。特に早苗は目を皿のように大きくする。あら、いけない、これだと時間がかかるわね。ウエイトレスはそうつぶやき、腕の動きに目が追い付けないほどのすばやさで、首もとに結わえてあるリボンの形を整え、同じ早さで紙以外をバッグへもどすと、代わりに毛筆のペンを一本だけ取り出した。それではお客様、どうぞ。そこで三人は、代わる代わる言葉を紡いでいく。

 ウエイトレスは耳に入れると、筆を走らせ一首を組み上げ、書きとめてみた。

「乙女とは 見るも触れるも 不確かな 目のあらざるも 花は咲くかな」

 店内を流れる音楽は、いつのまにやらヴィヴァルディの曲に変わっていた。

 今日のちょっとした放課後、少女たちの雨風、日差しは、いつもの通りのようだった。違うといえば、彼女たちがもしも忘れてしまうとしても、テーブルの上には、いくつもの紙片が気象の痕跡を残すかぎりである。

 ふぁ~~っ。早苗が口を大きく開いてあくびをし、両腕を天井に向けてのばす。まあ、早苗ちゃんたら………。それを見て笑顔をこぼしたウエイトレスは、ハンカチをポケットからすばやく取りだした。

 そのまま、また早い手さばきを見せるのかと思わせたが、ゆっくり片腕を差しのばして丁寧に、あくびの後の目尻に浮き出た涙をふきとった。……ああ、ありがとう、なづきちゃん……。早苗の頬は微妙に赤くなった。



   ※



 お風呂からすでにあがり、部屋着を身にまとうカザカの顔は、畳の部屋に入ったところで、にんまりとゆるめている。カザカは、テーブルの上を見つめて、これはうまそうだとつぶやいた。

 今夜の晩ご飯は、トオルの手作り親子丼。居間の真ん中に座布団を二枚そろえたテーブルが一つ。その上に丼鉢が二つ。

 弟は学生服の上にエプロンをかけたままの姿で、まだ支度をととのえているところだった。カザカは座布団にあぐらを組んでから、エプロンをかけている少年へ一枚の便箋を、意味ありげな目で渡す。味噌汁の入った椀をテーブルに置いていたトオルは、支度の手を止めて紙を受けとった。小さな声でよんでみる。

「小公子 いつも助かる ボタン縫い 白魚な指 爪は桜の艶やかな」

 少年は、まばたきもせず、紙に目をこらす。

「……ふむ……」

 自分の言葉を思いとどまる中学生の少年は、考えている顔のまま、部屋の中を目的もなく行っては来たりで歩きはじめた。まるで緑に囲まれた小さな庭園を散策でもしているかのような歩調である。だからといって、いつまでもそのままでいるわけにはいかない。料理がさめてしまう。丼と弟を交互に眺めるカザカは咳払いで合図した。それで少年の足が止まり、疑問を浮かべた唇が結んだり緩んだりしたのち、

「ありがとう、でも……お姉ちゃん以外の言葉もあるようだけれど……」

 戸惑い気味な少年の表情が、目と目を通して姉に移る。親子丼を前にしてカザカは沈んだ表情に変わった。おおげさに肩を落として、心にぽっかり穴があいたとため息をつく。放っておいたら、カザカはふて腐れて、とぼとぼと部屋を出ていきそうな雰囲気である。すると、少年は姉の隣に寄り添い立って笑顔をかけた。

「でもいい歌だと思うよ。大切にするね、お姉ちゃん」

 弟の柔かな髪からシャンプーの香りがただよう。それがカザカの鼻を束の間につつんだ。すると、膝の上に置いている、拳ダコをこしらえた彼女の両の手が、恥ずかしさを握りつぶすようにぎゅっと固めてみせる。

「お姉ちゃん、支度はすんだから、ご飯にしようか?」

 弟のすすめに応じて、うんうん、と二度うなずき返したカザカ。トオルはテーブルをはさんで、カザカと向かい合わせに正座した。カザカは弟の顔をふっと見ながら、いいにおいと言って照れ笑い。

「いただきます」

 弟のつつましやかな一声で、姉は丼鉢の中へ箸の先を入れる。黄色にくるまれた柔らかい鶏肉を、ふぅと冷まして一口。頬っぺたが落ちそうな笑顔を隠さずに、甘味が深いのは、どのようにして作ったのか尋ねる。

「うん、砂糖を使わずミリンを煮詰めてみたのだけれど」

 また一口を食べて、鼻から、ふふぅんと声をあげたカザカは、口の中の手作り料理と一緒に顔がとろけてしまいそうだった。他の誰が作るものに比べても何よりものご馳走。嫁に出すのはもったいないと思わずひとこと。

「 嫁?」

 うん、そうそうと幸せそうに返してくる姉を見つめて、トオルは首をかしげた。



ー了ー

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