第16話 顎髭の酒癖
ギルドの収入源はいくつかあるが、よく知られているのはやはりクエストの斡旋と酒場の運営だろう。
クエストに関しては言うまでもなく、民間から依頼を受けて冒険者に斡旋し、報酬の一部をもらうシステム。
主に事務職の人間が管轄し、俺やルーンが普段従事している仕事がこれだ。
そしてもうひとつ、酒場の運営と言うものがある。
どのギルドにも必ずと言ってもいいほど併設してあるこの施設は、単に冒険者からクエストでもらった報酬を巻き上げる場ではない。
冒険者同士の情報交換や、パーティーの編成。
親睦を深めていざこざを防止すると言う治安面でも一役買っている……らしい。
らしいと言うのも、酒場を運営しているのは同じギルドの事務職員であっても部署が違うのだ。
おまけに働く時間帯も違うのだから、実は彼らの仕事を俺もよく知らない。
俺は基本的に朝から夕方まで。一方の酒場は夜から朝方にかけてを働くのである。
もちろん、昼間にも酒場は開いており、冒険者たちの昼食の世話をしている。
しかしこちらは現地雇用のパートのおばちゃんが働いているにすぎず、あくまでもメインは夜なのだ。
と言うのも、やはり酒の力が強いのだろう。当然飲んでるやつは昼間でも飲んだくれているが、人間の心理としては夜に酒が良く売れるそうなのだ。
酒が入れば口が軽くなり、口が軽ければ情報が動く。
ほかの冒険者を仲間に誘いやすくなるし、もちろん豪勢に金を使ってくれもする。
実際、効率のいい運営だと思うよ。
夜には俺もお世話になっている施設なわけだし、これ自体に文句を言うことはない。
しかし、たまにあるのだ。仕事が被らないが故の――――夜からのしわ寄せが。
「頼みたいことがあるんだ」
「なんでよりにもよって忙しい時間帯に来るんだよ」
本日の相談者はアグニス・リットン。
顎髭を蓄えたいい感じのイケメン兄ちゃんである。
何を隠そうすでに何度か登場しているこの彼は、酒場を運営している冒険者ギルド事務職員の同僚だ。
パプカのスペシャルドリンクを作っている奴、と言った方が分かりやすいかもしれない。
普段昼間には顔を出さず、夜の仕事終わりに酒を飲ませてもらっている。
前に居た街でウェイターをやっていた彼は、新しくできたリールの村の人員募集の札に飛びついて、そのままこの村に職を得たのである。
おまけにウェイターから昇進して、今じゃ酒場の店主なのだ。
出世と言えば出世だが、俺と同じく地位が上がれば仕事も増える。
今まさにその愚痴を吐き出しに来ているのだ、目の前の男は。
「だってお前がオフの時間は俺が仕事じゃないか」
「だからタイミングを見計らえって言ってんだよ。俺もここ利用したことあるけど、さすがにそのあたりは弁えたぞ」
「急ぎなんだよ。なあ、なんとか時間作ってくれないか? この後ちょっと付き合ってもらえるだけでいいんだ」
友人からの頼みとはいえ、今はまだ仕事中。
プライベート中に仕事を持ち込まれるのは大嫌いな俺だが、仕事中にプライベートな案件を持ち込まれるのも嫌いなのである。
俺の眉がだんだんと険しくなっていくのを見てか、横からルーンが声をかけてきた。
「良ければ少し留守番しておきましょうか? ギルド内にいる冒険者さんたちだけなら私だけでも十分でしょうから……」
「ダメだルーン、アグニスを甘やかすな。仕事が終わった後になら話聞いてやるから待ってろよ。一応公務員とか呼ばれてる俺らが、公私混同しちゃダメだろ」
「だからお前の仕事が終わったら俺が……と言うか、違うぞサトー。ちゃんとした仕事の話のつもりだ。公私混同ってのは間違いだ」
そう言って頬を膨らまして抗議のまなざしを向けるアグニス。
――そういうのはせめてジュリアス位の美人がやらないと気持ち悪いだけなんだよ、やめろよ。
「何か問題があればお呼びしますので……」
まぶしい笑顔でルーンが答える。
この子は俺を仕事場から遠ざけたいのだろうか?
――いや、きっと善意の塊なのだろう。
同僚が困っているのを見過ごすことはできず、その障害なら自分が一肌脱いで取り除いてやろうと言う、天使か何かかな? と思うような善意の心でいっぱいなのだ。
残念ながら俺にそのようなものは備わっていないが、ルーンの顔を立てるという意味合いで、ここはアグニスの話を聞いておいてやるべきだろう。
* *
相談窓口と諸々の仕事をルーンに預け、俺はアグニスと共に酒場の裏側、厨房へとやってきた。
調理機材が整然と並び、ファンタジー世界には似つかわしくないほどの清潔感を漂わせている。
「で、頼み事ってなんだ? 急ぎってからにはそれなりに大変なことなんだろうな?」
「ああ。頼みってのはその…………酒が飲みたいんだ」
「よし、じゃあ俺は仕事に戻るよ。あとは一人で頑張ってくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくれサトー! 俺がこんな頼みごとをする理由は分かるだろう!?」
俺の服の裾をつかんで離さない、情けない姿をさらす男、アグニス・リットン。
この男は酒場の店主と言う立場でいながら、アルコールの類が全く飲めぬと言う。
「職を変えろ」
「ド直球!? ちょっと前に昇進したばかりなのに辞任なんてできるか!」
「ならなんで酒場で働いてるんだよ。事務職なら他の部署がいくらでもあるだろうに」
「まあそこはいろいろあってと言うか……採用してくれる部署がここしかなかったと言うか……」
民衆から公務員と呼ばれるだけあって、ギルド職員の採用基準はこの世界においてはなかなか難しいらしい。
読み書きそろばんなどの初等教育は、地域や街によってまちまちで、場所によっては識字率が驚くほど低い場所もあるほどだ。
つまり、貴族や商人ならまだしも、一般人に関しては一般教養が低い世界なのである。
そしてギルド事務職の中では、比較的採用基準が低いのが酒場経営であり、勉学に自信のない人間は、こぞってそちらへと就職するのだ。
「……まあいいや、で? お前が飲めないってことは知ってるけど、「酒が飲みたい」って意味は分からん。一応職務中なんだから、俺が酒を飲むってのは無理だぞ?」
「それなら大丈夫だ。サトーには……俺が酒を飲んでるところを見ていてほしいんだ」
ますます意味が解らん。
「俺はその……下戸と言うわけじゃなくて、酔ったら数分ほど記憶が飛んでしまうらしいんだ」
「それを下戸と言うんじゃないか?」
「いや、それがな? どうも飲んだ後の周りの反応が、必ずと言っていいほどドン引きなんだよ。わけを聞いても苦笑いでスルーされるし……何か変なことをやっているんだとは思うんだが」
「うーん、つまりその変なことをしないか見張っててほしいってことか? そういや、そもそもなんで酒を飲まなきゃなんないんだ? 一応仕事の話なんだよな?」
「あれ? 言ってなかったか? えーっと……これをやらないといけないんだ」
アグニスが差し出したのは一枚の紙きれ。
酒場の店主についての職務について書かれた書類だった。
指さされた一文を読むと【その地方における地酒の宣伝】と書かれている。
「宣伝?」
「ああ。ウェイター時代には無かった仕事でさ、いくつかある地酒を試飲して、その特徴を店の中に貼り出すんだよ」
そう言えば前の職場にもそんなのが貼ってあったな。
【すっきりのど越しさわやか!】とか【後味が残るコクの深い味わい】とか。
「他の人に頼みたいところなんだけど、一応規定に書いてある職務だからなぁ」
「バレたら減棒は確実だな――訳は分かった。協力してやるよ。飲んだ時のリアクションを見てどんな味か予想すればいいんだな? つっても、あんまり正確なのは期待するなよ?」
「助かるよサトー! 仕事終わりに奢ってやるからさ、その時のサトーの感想とすり合わせて宣伝文句は考えてみるよ」
アグニスが用意した地酒は4種類。
こちらの地方では酒造りも盛んなのだろう。やけに種類が多いようだ。
お猪口に一杯ずつ注ぎ込み、それぞれの瓶の前に並べてみる。
「じゃあ順番に端から飲んでみるか。アグニス、準備はいいか?」
「お、おう……覚悟はできてる。何か変なことをしだしたら、とにかくすぐに止めてくれ」
「酒を飲むのにそこまで覚悟を決める人間を初めて見たよ……えっとまずは『リール村特産、大吟醸・夜露死苦』――――なにこれ、一昔前の暴走族?」
やたらと昭和臭のするネーミングセンスに首をかしげていると、視線の端でアグニスが酒を煽る姿が映った。
「うっ!」と言ううめき声を漏らしたと思えば、その場に膝をついて崩れ落ちてしまった。
「お、おい! 大丈……」
「……た」
「は?」
「体が火照ってきちゃった」
「目を覚ませ!!」
俺はアグニスを殴り飛ばした。
だって、目の前で男が肩から服を脱ぎだしたんだぞ?
殴り飛ばしたって正当防衛(?)の範疇だよ、きっと。
「うっ……サトー……」
「わ、悪いアグニス! つい気持ち悪――いや、びっくりして……」
「アタイ、痛いのも嫌いじゃないわよ……」
「だから目を覚ませ!!」
追撃を喰らわせた。
アグニスが言っていた”ドン引きする行動”とやらはこれのことだろう。
そりゃこんなにも気持ち悪ければ引きもするし、アグニスの名誉のために口をつぐむ気持ちもわかる。
「あれ? 俺は一体…………何があったんだ?」
「お、もう戻ったのか……やっぱり、記憶はないのか?」
「あ、ああ。やっぱり迷惑な感じだったか? どんな様子だった?」
「……知らない方が幸せなことはある」
「ホントに何があったんだ!?」
気を取り直して二本目『ピニアス葡萄農園、シャルドール・レモン』
「葡萄じゃねぇのかよ!!」
「よ、よし……行くぞ!」
ごくりと酒を飲み込んだアグニスは、今度は倒れ込みこそしなかったがよろめいて机に手をついた。
またオネエになるのかと身構えたが、どうにも先ほどの様子とは違うようだった。
「ふむ、それで君かね? 僕とおっぱいについて語り合いたいと言うのは」
どこからか取り出した丸メガネを顔にかけ、きらりと光らせたアグニスの口から変態的な言葉が飛び出した。
「め、銘柄によって性格も違うのか……つーかその丸メガネどっから出した」
「そんな些細なことはどうでもいい、それで? 君はどのようなおっぱいが好みなのだ。私としては大きさはどうでもいいのだが、やはり形が……」
「はい次行こう次!」
折り返し地点三本目『爽やかなレタスの風味、舞い降りた天使の歌声・バナーナ』
「何一つ合ってねぇし!! と言うかこれ酒なのか!?」
どんどん酒っぽくなくなっていくが、なんでこの地方の地酒はこんな挑戦的な銘柄が多いんだろう。
「さあサトー君! 夕日に向かって駆けだそうじゃないか! 青春が僕らを待っている! もっと熱くなろうぜぇ!!」
「爽やかっていうか暑苦しい! 寄るな!!」
「はぁはぁはぁ……」
「ぜぇぜぇぜぇ……」
つ、疲れる…………
お猪口一杯で数分間人格が変わるアグニスがこれほど厄介だとは思わなかった。
最後の一杯でどのような性格になるか――ちょっと気になるところではあるが、最後の一杯を飲ませる前に、少し休憩を挟んだ方が良いだろう。
「なあアグニス、ちょっと間をおいてから最後の酒を――――ん?」
三杯目を飲んでやたらと暑苦しくなったと思えば、途端に静かになったアグニスの様子がおかしかった。
先ほどまでのペースならばすでに酒は抜けて素面に戻っているはずなのだが、床の一点を見つめてたたずんでいたのだ。
「ヒック」
「あ、アグニス……?」
「てめぇーばかやろー!! 酔ってねぇーよ!!」
「酔ってんじゃねぇか!!」
顔を真っ赤にし、目を血走らせてアグニスは叫ぶ。
お猪口三杯でどんだけ酔っぱらってるんだこいつ!
「お、落ち着けアグニス! 表にはまだ客がいるんだぞ!?」
「ああん!? てめぇ俺の酒が飲めねぇってのか!?」
「会話が全然かみ合わ……ごぽぁ!?」
無理やり押し込まれた酒瓶から、俺の胃袋へと最後の地酒が流し込まれた
その過度に過ぎるアルコール臭にむせ返った俺は、アグニスを押し返して酒瓶のラベルを確認した。
『酒豪御用達・酒神(アルコール度数90%)』
「度数90%!? こんなのほとんどアルコールじゃ……!?」
目の前の光景が反転する。
最後に見たのはアグニスが酒神を一気飲みする姿と、鏡に映る爆笑しながらアグニスに酒を勧める――自分の姿だった。
* *
「どうしてこうなった!!」
意識が戻るとそこには完全に酔いつぶれたアグニスと無茶苦茶に荒らされた厨房の姿があった。
それらの原因は間違いなく俺とアグニスだが、あいにくとその記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっている。
アルコール怖い。
意図してではないにせよ、これからはもう少し考えて酒を飲むことにしよう。
「おらぁ! 注文まだか、遅いぞ!!」
「こっちは頼んだものが来ないぞ! どーなってんだ!!」
「はーい! 今すぐ!!」
酔いつぶれたアグニスの代わりに、現在店主の仕事を肩代わりさせられているのは俺である。
中央のドS上司に連絡を取って事情を話すと。
『減棒!!』
と言う一言をもらって念話を切られた。
おまけに特別残業として、アグニスの体調が元に戻るまで店主としての仕事全般を押し付けられてしまったのである。
慣れない仕事に、いつもと変わらない程度の客数にもかかわらず随分と難儀させられる。
これをほとんど毎日やっているのだから、アグニスへの評価を改めなければならないな。
「皆、あまりサトーを困らせてはいけませんよ? 彼は素人なのですから、もう少し温かい目で見てあげないと」
「そう思うなら今日くらいは来店を遠慮してもらえませんか、パプカさん」
「あっはっは。馬鹿言っちゃいけませんよ、サトー。一日の締めは必ずウェイターさん……ああ、店主になったんでしたっけ? 店主さんのお酒を飲むって決めてるんです。せっかく同じ地域で働くことになったのですから、この日課はやめません。と言うことで、わたしのお酒まだですか?」
「……すみません。あれはアグニスしか作り方を知らないので、私には作れません」
「……ああん? 今なんて言った? あれを飲まないと私の一日は終わらないのですよ? それが無いとはいったいどういう了見ですか!?」
「そんなこと私に言われても……ってうわっ!? ちょ、やめっ……魔法の詠唱をこんなところでしないでください! おまっ、誰が片づけると思ってんだ! やめろ! 仕事が増える!!」
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