靴屋が見せた世界

 ポケットから取り出した小瓶に妖精を入れ、主人は部屋を後にする。

 年季の入った扉を開け、質素なリビングを横切り、そこには似つかわしくない重い鉄扉をくぐる。

 ビニル床タイルが敷き詰められた真っ白な廊下をいくらか歩き、広いリビングに出た。先ほど通ったリビングとは違い、新鮮な日の光が差している。


 そのリビングでは、一昨日靴屋に訪れた女よりほんの少し若い、けれど昨日の少女ほど幼くもない娘が優雅に本を読んでいた。


「やったぞ! 今日は二匹も獲れた! 三日目の朝も見つからなかったからもしかしたらと思っていたが、まさか一度に二匹も獲れるなんて!」


 娘を見つけた主人が、舞い上がるように声を上げた。


「あら、あなたったらそんなに興奮しちゃって。ということは、私にも一匹くれるのかしら?」


「何を言っているんだ。君はこの三日で溜めておいた二匹を食べちまったろ。別に靴を買うのは同じ姿でもいいと言っているのに。少女の姿の時だけ声を出すのが君の悪い癖だ。もし妖精たちが警戒したらどうする」


「だって、私は妖精の食べ過ぎで声帯が成長しなくなったもの。大人の姿で話したのなら、それこそ彼女らを警戒させてしまう元になるわ」


 まあいい、と男はキッチンへ向かう。どうやら機嫌が良いらしい。




 あの時、男は目を疑ったものだ。

 まだガス灯もない時代、男が治めていた街に貧乏な靴屋があったのだが、急に美しい靴を作り始め売り上げを伸ばしていた。屋敷へ主人を呼び問い詰めると、妖精の仕業だと言う。


 冗談にしてはつまらないものだったから靴屋の夫婦の首をすぐに刎ねたが、どうやら妖精の話は本当だったらしく、靴屋に残っていた革が靴に姿を変えていった。

 何人かの遣いを向かわせると、靴を縫い続けて疲弊した妖精を瓶に入れて持ち帰ってきた。


 それは靴に勝るほど美しかったのだが、当時妖精を食すと若返れるという噂が流れていたものだから、惜しいと思いながらも夕食に出させ口にしてみた。

 するとどうだろう、しわがれた妻からは皺が抜け、二十ほども若返ったのだ。


 幸運なことに、靴屋に現れる妖精が尽きることはなかった。

 それからこの地主夫婦は靴屋を取り込むように新しい屋敷を建て、食した妖精の幸運までをも取り込んだのか、徐々に権力を握れるようになっていった。


 その後も男が靴屋の主人になりすましては革を用意し、翌朝妻が靴を買っていく。

 こうして妖精を食し続けた夫婦は、かれこれ二百年ほどの月日を過ごしてきた。もちろん、若い体のままで。

 だが、どうしてか妖精を食すごとにその効果は薄まっていき、一匹で得られる若さは僅かになってしまった。

 続けて食べてしまったからか少女の姿まで若返った女だが、三日も経てば老婆に戻ってしまうだろう。


 近代化の波と言うのは素晴らしいもので、今では靴屋の外の昼夜を操作できるようになった。きっと日が沈むころには二、三匹獲れているはずだ。

 だから次の収穫は私が食べる番だ、とリビングの娘は思う。


 と、キッチンから男の口笛が聞こえてくる。

 今朝、と言っても靴屋の外ではまだ半日も過ぎていないのだが、その収穫に男は満足しているようだ。


「こいつら、昔からずっと素揚げが美味いんだよな」


 油で満たされた鍋を火にかけると、男は瓶を取り出した。

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新編:靴屋と妖精 めめ @okiname

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