現(うつつ)と異界(いかい)の境界で

青猫

プロローグ 別れ




「お前の刀は大切なものを守るために振るえ。そして、今よりももっと強くなれ」




そんな言葉が、まぶたを閉じると脳裏に響く。これは、父さんの言葉だ。

毎日家の敷地内にある道場で刀の――といっても切れ味を無くす細工をした刀の稽古をしている時に話す。俺はいつも噛み締めるように聴いていた。心に釘で打ち付けるように何度も何度も……。もう俺の中で名言化していたといってもいい。

なぜそこまでしていたかというと俺自身、父親の存在が憧れだったからだ。父は二ノぞの家の当主のなかで一番の実力者と謳われ、仕事の面でも中核を担っていた。二ノ園家が名家中の名家と言われ始めたのも父の尽力あってのことだ。

だから父さんとの稽古中には全神経を注ぎ技を盗み、磨き、剣技を極めていった。練習中は一日にあった、辛いこと、哀しいことなど負の感情をすべて忘れることができ。父が忙しい中時間の合間を縫って作ってくれた稽古の時間はとても貴重で楽しいものだった。

しかし、十五歳となった今でもそんな時が流れている……ことはなかった。

七歳のころの記憶が呼び起こされる。

早朝五時に目が覚めそのまま軽く身支度を済ませると道場に直行。そこから二時間は父との刀の稽古に没頭する。

今日は刀を刃先を父の稽古着に当てることができるだろうか。何度も切っ先の流れを考えフェイクを交えながら試行錯誤し止められても再挑戦する。それでも、全然父には及ばず嘆息する。


『はぁー。全然ダメじゃん!一体何が足りないんだ』


古い木が香る床に倒れこみながらへそを曲げると父さんは恰幅のいい笑い声をあげる。


『甘い甘い、齢七歳のくせに俺に勝とうなんざ百億万年早いわ。そもそもここで負けたら今の仕事をやっていけない。とうの昔に死んでる』


『くっそぉー!もう一度勝負だ!今度はぜってぇ負けねぇ』


寝転がる俺を父さんはにやにやと見下ろしながら笑う。にやけ顔に語尾に『わ』が付いている時は人を小馬鹿にしている状態だ。

俺はむきになりながらも稽古を楽しんでいた。

時間の流れは一定でも体感的な流れは早く、二時間は過ぎ去り午前七時を迎えてしまう。

俺は壁に寄りかかりながら水分を補給する。渇いた喉を通り胃の中へと落ちていく。冷えた感覚が心地いい。タオルで汗を拭き取ると顔をあげる。父は対面側の壁に寄りかかりながら塩分補給をしていた。


『結局ダメだった……俺には何が足りないんだろ?』


独りごちる俺に対して父さんは天井を見上げて話し出す。


『絶対的なものは経験の差だな。力不足は歴史のなかで身につけていけばいいさ』


『他には?』


『他、か。そうだな……大事なものの存在とかか?』


『大事なものの存在……いつも言っているけど例えば何?』


『ものと言ってもたくさんある。例えば、人の存在だな。家族とかそれと……』


不意に言葉を切る。床の木目を見ていたが顔をあげて父の表情を窺う。それが間違いだった。いや、質問したこと自体が間違いだった。にやりと口の端を歪めていた。片眉が動いているのが腹立たしい。


『…好きな人とか。ほれほれ、春夜はるやも気になる子ぐらいいるんだろ?ほれお父さんに言って味噌。男同士の恋バナしようか』


七歳の俺でもこのノリはさすがにうざかった。


『でも、聞かなくともだいたいは予想ついてるがな』


『俺は気になるな、春夜の好きな人。そういった話全然しないから』


『うわ…!司、いつの間に』


まったく気配が感じられなかった。隣には父さんの同僚であり仕事のパートナーを務めている、八重原やえはらつかさが立っていた。

父と同じく司もいやらしい表情を浮かべている。父さんと長年の相棒とあってかその面持ちはとてもよく似ていた。

 このままやられっぱなしというのは自分のしょうに合わないので反撃させてもらおう。


『俺のことを気にしてていいの?司さ、まだ彼女の一人も出来たことがないんでしょ?この間の合コンも上手くいってなかったみたいだし』


『なっ……なぜそれを!?』


父の相棒は男ながらも髪が長く容姿端麗のために初対面の人からは女性と勘違いされやすい。それを長らく気にしているようだけど、俺にとってはいい反撃材料だ。

司は父をじっと睨み付ける。


錬次れんじ、お前だな話したのは?何で息子に言っちゃうんだよ。せっかくダンディなアニキでいたかったのに』


(どこをどうしたらそんな考えに至るんだよ……?)


俺は笑いそうになるのを堪えながら本題を切り出すことにした。


『それで司は用事があってここに来たんでしょ?』


『錬次を迎えに来たんだ。今日は二人で寄るところがあるからね』


寄るところ――?

気になるけど訊かないほうがいいよな。父さんは家に仕事の話を持ち込むのはあまり好まないようだし。


『そうだったな。八重原、朝食摂ったか?食べてないなら用意するが』


『頂こうかな。二ノ園家の使用人が作る料理は天下一級品だからね』


自然と二人に聞こえない程度の声音の微笑が溢れ落ちる。

堅い人を装うがどこか子どもっぽさが出てしまう司と陽気さを装うが根は生真面目な父さん。この両者は性格上は反対だが案外気が合っているのかもしれない。

俺は曙光満たす道場を後にした。






今日は俺の誕生日だった。

父さんたちが仕事に行く際に―――


『今日は早く帰ってきてね!あと、司も来てよ。待ってるからね』


二人は微笑みながら手を振って仕事へと向かっていった。

その日は何も変わらない平凡な一日だった。半日学校で授業を受け、家に帰ってくると日課となっている刀の鍛練を積む。外からは使用人や母の声や支度の準備の音が聞こえてきた。

今日で八歳になる。そして、誕生日には久しぶりに司も参加する。心はどこか浮き足だっていた。




午後七時を迎える。

そろそろ父さんと司が帰宅してくる時間だ。今までは仕事の都合上帰るのが遅かった。しかし、最近は仕事のほうも落ち着いてきたと言っていたから早く帰ってくるだろう―――そう思っていた。

 しかし待てど暮らせど二人が帰ってくる気配がない。時間が刻一刻と一時間また一時間と過ぎていく。

仕事のせいだ。

父と司は異者いしゃを狩っているんだ。少しぐらい遅れる。

でも……。

父は今までに約束、主に俺の誕生日は忘れずに帰ってきていた。胸騒ぎがする。


翌日、俺の予想は最悪のかたちで的中してしまう。


朝、目が覚めると部屋の外が異様なほどに騒がしかった。重たいまぶたを擦りながらも下の階へと下りる。

玄関に人が集まっていた。

母さんに使用人の数人。

何があるのか、光景が気になったがために足と足の間を抜けていく。誰も俺に気づいていないようだった。

玄関前に出る。

俺は目を奪われた。

そこには血だらけの司が脱力したように膝をついている。

俺は胸に痛みを感じさせながら必死に叫んでいた。


『つ、つかさ!どうしたんだその傷は……!?』


『はる…や、か……すまない、誕生日に出られなかった……』


『そんなことは今はどうでもいい!』


裸足のまま司のもとまで駆け寄る。

すると、司は力を失ったように座り込み大量の涙を流す。


『ごめん……錬次を、君のお父さんを救えなかった。本当に…本当にすまない……』


司が何を言っているのか理解が出来なかった。いやもしかしたら諒解できていたのかもしれない。ただ、幼さなかった自分はその事実を認めたくなかった。自分の中の父さんは最強でかっこよくて憧れの存在だったから。

だからその時の俺は泣かなかった。心の底から込み上げてくるものがあったが吐き出さなかった。それはまだその時ではないから。

俺は深い深い復讐を誓った。

父を殺した咎人とがびとである闇影やみかげ於茂登おもとを狩るまでは泣くことはできない。

その目的を達するために今俺は、東場とうば八虱やしつ学園に入学する。学園に入って試験で高成績さえ取ってしまえば各部隊に配属され異者と戦闘できる。そこで、咎人とも出会えば……。

静かな復讐心を胸に灯しながら俺は学園の門をくぐった―――

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