第3話 スープ
「さあ、みなさん。スープができましたよ」
小城牧師の、よく通るやわらかい響きを持った声が、教会のバザー会場が撤去されて代わりに置かれた木のテーブルについた俺たちの耳に届いた。空腹を抱えた俺たちは、待ちかねて座ったまま足踏みしていたが、その声が聞こえると、わあっと歓声を上げた。
この時ばかりは、小城牧師が、その満面の笑みで言ってくれる。
生きなさい、生きなさい、生きていてください、みなさんにはこのスープを召し上がる価値があるのですよ。
価値!!この言葉が、こんなに重みを持つ場所も少ないだろう。実際、年に一度、自分であくせく働かずとも、「そこにいるだけで」温かいスープが保証されたこの空間に、「どぶ」の連中は、己が生きていてよいのだ、生きる価値があるのだ、人間なのだということを感じることができるのだ。人間にとって、その確認がどんなに大切かは、人生をすり減らした者にしかわからない真理である。年をとっていても、それに気づかぬまま死ぬ者もあるし、若造でも「どぶ」に来て、いやというほどこれを味わった連中もいる。人生なんて不平等なものだ。
小城牧師が、スープをお玉から、お椀に注ぎ始めた。今日は、奥さん方もエプロンにひっつめ髪という、主婦らしい格好で、あちこち動き回っている。他の教会では、お椀を持って一人一人並んで、注いでもらうらしいのだが、ここは違う。レストランのように、テーブルについている者に、自動的にスープが配られる。しばし、自分が「どぶ」の人間だということを忘れることができるのも、このクリスマスの楽しみだ。
俺の前にも、ほかほかと湯気の立つスープがそっと置かれた。周りと少々お椀が違っていて、俺のはスープ皿のような上等のものだ。他になくて、ありあわせを使ったのだろうか。それにしても、今日は人間らしい扱いをしてもらえる、年に一度のお祭りだ。神は信じてはいないが、本能を刺激するこの楽しみが、もし神から与えられている、と言われたなら、ありがたくいただいた後で、ならば全能の神様、毎日スープをください、それ以上は望みません、と答えるだろう。もっとも、そんな野暮な言葉は、小城牧師は決して言わない。信者も、そうでない者も、一緒に食卓を囲むのが大切なのだと言うであろう。
俺は、自前のスプーンで、さっそくスープをかき混ぜた。湯気がたゆたい、ぷんといいにおいがする。これは、いつもの年よりうまそうだ。
玉ねぎ、人参、白菜、ごぼう。ああ、いいな、俺だけが食べてよい、俺だけのスープ、俺だけの食事の時間。
連中も、一言も言わずにすすっている。この至福を、一人でじっくり味わいたいのだ。また明日からは、相も変わらずアルミ缶集め、古紙集め、日雇い土木作業、という日々が続くのだから。他人の干渉しない、自分だけの至福、それが小城牧師からのクリスマスプレゼントだ。彼は、スープを注ぎながら、みんながうまそうにスープをすする様子を眺めて、嬉しそうに笑っていた。スープは、教会の前に設営されたテントの中の仮厨房で作られていたが、もうもうたる湯気で、誰が作っているのかまでは見えない。ただ、例年になくうまいのは確かだった。
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