第19話
「起きたか」
膝に乗せていた奴の真っ黒い瞳が見えた時、私はそう言った。
……膝に乗せていたのは、リーフに、「キリシャ君はちょっとワズナさんに冷たすぎませんか?」と困った顔で言われてしまったからだ。
だから、少し優しくしてみた。
膝を貸してやったのは、墨だらけの地面に寝かせるより優しいだろう?
そんな目を向けると、奴も口を開いた。
「自分、生きてたんですね」
残念ながら、クロエ・ワズナは私の優しさには触れなかった。見返りを求めていたわけではないので、別によしとする。
「あぁ、一応、まだ死なれてはこまるからな」
「確かに、自分はまだ正義を体現したとは言えませんしね」
そして、クロエ・ワズナはその目に小さな光を宿らせた後、ゆっくりと立ち上がり、
「さぁ行きましょう! 正義のために!」
と、言って洞窟に進み出した。
「元気なお姉ちゃんだね」
「あぁ、そうだな」
よかった。もう乾いてはいるが、アンモニア臭がするから少しだけ心配していたんだ。実際に死の恐怖を感じると、心を病んでしまうのではないかと。
……どこから来たのかはわからないが、あいつの『正義』への執着は物凄く強い。これからも上手く扱っていきたいものだ。
とりあえず、私は他の皆に「出発するらしいぞ」と伝え、奴を追い抜いた。
いきなり飛び出てきたサラマンダーに、あっさり殺されてしまうと困るからだ。
洞窟の中は、やはりサラマンダーの棲家らしく、彼らの食料である
私は暗赤色の通路を歩いて行く。炭の森を見て予想はついていたが、辺りに生物の気配はない。
洞窟の道幅は広く、ところどころに歯型のような形が刻まれていた。サラマンダーがこの辺りを齧ったのだろうと、すぐ思いつく。彼らの巣は、この奥だ。
確信し、さらに歩みを進める。
「キリシャ。この奥にサラマンダーが二体いる」
「あぁ」
私も気づいていた。押し寄せる殺気と、何よりもこの熱気によって。
「なんだか、熱くて怖いです……!」
「汗が止まりませんよ! それにさっきから殺気が凄いです!」
後ろのリーフとクロエ・ワズナは額に滲んだ汗を振りまき、迫り来るような殺気に怯えていた。
クロエ・ワズナの髪はもともと
彼女らの隣にいるエレンを見れば、そんなことよりも、仄かに光る石のほうがよっぽど好奇心をそそられるようで、触ったり嗅いだり、舐めたりしていた。
人と竜とで危機感の違いが見えたところで、サラマンダーに歩み寄ろう。
「キリシャ君!?」
「行ってはダメですよ! 絶対!」
私の背後からは、止めろという声が。
……確かにそうかもしれない。私は踏みとどまり、考える。
私ならこのまま襲われたとしても、熱気を押し返すなり、身体を吹き飛ばしたりできるが、果たしてそれに洞窟が耐えられるのだろうか?
私は改めて、齧られた痕のある岩壁を見渡した。もう少し奥には、暴れたのか、壁を爆破したかのような痕まである。
私の脳裏を、崩落の危険が過ぎった。
……ただでさえ強度の弱い仄火石が多く含まれているのだ。悔しいが、ここは奴の言い分が正しいか。悔しいが。
なら、戦闘など起こす気にならない方法がいい。
「グラーシア。頼めないか?」
「うむ。我が竜の姿で話をしに行こう」
「そうか。ありがとう」
グラーシアは頷いた後、私たちから離れ、竜となった。
それに気付いた殺気の主が、気配に動揺を
グラーシアは、彼を刺激しないように、ノシ、ノシ、と緩慢な動きで近付いていく。
「ピルルルルル」
すると、洞窟の奥から、蜥蜴の鳴き声のようなものが聞こえてきた。
グラーシアが歩みを止める。
「安心しろ。我らは貴様らを害するつもりはない。むしろ逆だ」
「ピルルル?」
「うむそうだ」
グラーシアの言葉ならわかるのだが、サラマンダーたちの言葉は、全くわからない。まぁ、当たり前なのだが。
そして、私たちにはわからない言語での会話がなされること数分。
グラーシアが私たちを呼んだ。
「近付いてもいいようだ。ただし、我より前には来るなと言っている」
グラーシアの位置は、私たちより10メートルほど先、という程度。だがそれだけ進めばサラマンダーの姿ぐらいは見られるだろう。
私たちはグラーシアに近付いた。
見えたのは、円形の大きな巣を守るように佇む二体のサラマンダー。
この二体は――どうやら
そして、妙な違和感のあるスペースも、タマゴ一個分あった。
「まさか、タマゴが一つ盗まれたのか?」
「ピルル……」
「その通り、と言っている。なんでも、少し前に突然やって来た少女のような見た目の人間に、強奪されたらしい」
「強奪か……」
私はこの辺りの岩壁が抉れているのは、その時の余波だと知った。
「だが、なんのために……?」
そこまでして、サラマンダーのタマゴを盗む理由がわからない。
「茹でて食べるつもりなんじゃないですか……?」
奴がしれっと恐ろしいこと言った。
サラマンダーも含めて、皆が奴を睨んだ。
「す、すみません……」
奴は小さくなって、近くにいた私の背中に隠れようとした。私が避けたので未遂に終わったが。
「あ、ねぇ! もしかして、友達が欲しかったんじゃないかな?」
皆が暫しの間沈黙していると、いつの間にかグラーシアの頭の上に登っていたエレンが声を発した。
「友達が? どうしてそう思ったのかな? エレン」
いつものように息子に対しては声色を変えるグラーシア。
「だって、ピコがそうだったもん」
「確かにそうだね。サラマンダーさんたちのタマゴも、それで無事だといいね」
「そうだね!」
このように、エレンがほのぼのとした発想をしてくれたのだが、今回はそんな期待は、残念ながらできない。
洞窟の中がこれだけ荒らされていることからもわかるように、相手はこれだけ乱暴なのだ……。
「犯人を、捕まえてほしいか?」
私は、落ち込んでいるサラマンダー夫婦に問うた。
すると、こくりと、二体同時に首肯した。
「わかった。全力で探してみよう」
犯人を見つけ出したとして、タマゴが無事である確証はないのだが、それでもやはり、家族は探したいものだろう。
それに、もしもの時でも、ずっと気にかけているよりかはマシなはずだ。
私は、この夫婦に協力することにした。
そして、犯人の特徴などを、詳細に聞いていった。
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