半球世界の観測者

レインマン

中の世界

最初に断っておこう。私はただの人間だ。


 しかし眼下に広がる異様な光景がその事実を否定する。それほどまでにおかしな景

色だ。何度も見ているが、まだまだ慣れない。


 鮮やかな大自然と切り開かれた平野で構成されたなんとも緑豊かな土地を、透明な半球が覆う。この半球が今私の前に鎮座している。半球の内で生い茂る緑の大地を、半球の外で私が見つめる。


 私の世界同様、半球内にも世界がある。内と外では世界が違い、半球は互いの世界が干渉することを防ぐ境界となっている。それを認識している時点で私は一方的に干渉してしまっているのだからおかしなものだが。


 私は世界の外から俯瞰しているが、この構図はまさに神と人間といえるだろう。もちろんただの例えだ。だから最初に断った。私はただの人間だと。


 半球の中を覗く。平野には家がいくつも建っていて、生活の中心地となっている。


 家は見本的な立方体をしており、並びも均一的で、周囲の自然と不釣り合いに人工的だ。平野以外は草木ばかりで、中心から離れるほど緑が深くなる。全体の大きさは直径五メートルといったところ。私から見ると、博物館でジオラマを一望しているようだ。


 しかしジオラマと決定的に異なる点がある。それは中の世界が生きているところだ。目を凝らしてよく見てみると、米粒程度の人間達が歩いている。何かを運んでいる人間、会話している人間、昼寝している人間、ただ何かをするわけでもなくほっつき歩く人間、実に様々だ。彼らには彼らの生活があり、彼らには彼らの人生がある。植物だって土だってレプリカなどではない。本物だ。


 さて、手元にヘッドフォンが置かれている。このヘッドフォンは半球内とつながっていて、半球内の世界の音を聴くことができる。私はそれを耳に当て、世界を聴くことにする。今この世界では何が起きているのか、観察しようではないか。




 聴こえるのは人々の話声と、川のせせらぎと、風で葉が動く音。ごく普通の環境音といえる。


「お母さん! これみて!」


 ある子供が母に何かを見せている。彼の手元に目線を集中させると、四角い箱のようなものがみえる。

 ああ、あれか。私は見慣れているので、それが何なのかよくわかる。


「また見つかったのね。ありがとうヤン。時間になったらみんなで食べましょうね」


 ヤンというのは子供の名前だろう。


 子供の手のひらに収まる箱は、この世界の食料だ。こんなに緑豊かだが、食べられる野草や木の実を採取するだとか、動物や魚など他種生物を狩猟するだとか、一般的に考えられる食料調達方法はこの世界ではとられていない。

 この世界のどこかに落ちている箱の中身が食料になる。それがこの世界の食料調達方法であり、常識なのだ。


「俺の向かいに住んでるリンって子がいるだろ」


「ああ、あの子ね。確か歳同じくらいだったな。可愛いよな」


「そう! 可愛いんだあの子は。この前箱を分けてあげたらすごい喜んでてさ、今日も行こうかな」


「お前いつの間に手を出したんだ!」


 別のところで青年二人が話している。実に青春期らしい内容に思わず笑みがこぼれる。そして郷愁というのだろうか、懐かしい頃の自分を見ているようで胸がいっぱいになる。

 ここは一つの世界だ。私とは生きる世界が違うが、共通したものを感じることもある。彼らはたとえ小さくても、私と同じ人間であり、私と同じように自分の世界で生きている。


「おい坊主! 箱は見つけたか!」


 黄昏気味の私に水を差すように、男の怒鳴り声が聞こえる。別の場所で何かあったようだ。


「まだ見つけてないよ…今日は調子が悪いんだ…」


「おいおい、もし一個も見つからなかったら家に入れないぞ」


「そんなこと言われたって、見つからないものは見つからないんだよ…父さんだって見つけられなかったことがあるじゃないか」


「つべこべ言わず探してこい! もうすぐ夜になるんだ。時間がないぞ」


「ちぇ、僕が悪いわけじゃないのに」


 先ほど箱が食料だと言ったが、この世界の食べ物は実はその箱だけだった。だからこそ、この世界の人間は必死に箱を探す。

 今会話している彼らもそうだろう。ある家族の父と息子が箱を探しに出たが、息子が一個も見つけられずに帰ってきたのを父が怒っている。おそらくそういう状況だ。


「お前が悪くなかったら神様が悪いって言うのか!!」


 怒鳴り声がさらに大きくなった。


「違うよ!もうわかったから!」


「ああ! うだうだ言ってないで早く行け! この罰当たりが…」


 息子は父が怖くなったのか逃げるように走り出した。


 この世界の住人は神様を信じている。いや、信じているという言葉は適切ではない。彼らは神様が確かに存在していると考えている。

 彼らにとって箱は、知らず知らずのうちに地上に落ちている不思議なものなのだが、その箱を落としてくれるのが神様だとしている。


 父が怒声を荒げたのは息子が神様にケチをつけたと考えたからだろう。世界唯一の食料をくださる存在に対して何を言うんだ、父はそういう心境だったに違いない。


 人間は何かと理由が欲しくなる生き物だ。たとえばあなたの家に毎日好きな料理が知らないうちに提供されているとしよう。いくら考えても、誰がどうやってどうしてこんなことをしてくれるのかわからない。


 しかし最初はそうやって疑いをもっていても、危険がないとわかると考えることを止めて料理を享受するようになる。


 その状態がしばらく続くと、とうとうあなたはこういうだろう。「神様のおかげだ。感謝します」


 もちろんこれはただの例だが、そう言いたくなる気持ちはわかると思う。人間は得体のしれない現象は、得体のしれない存在のせいにする。


 半球の中の住人も同じことだ。毎日知らないうちに食料が落ちている。誰がやったのか探しても見つからない。だったら神という超自然的な存在を仮定して、そいつがやっていることにすればいい。


 ただ私たちの世界の神様とは大きく違う。この世界の神様は唯一の食料をくれる。それはつまり、神様がいないと生きてゆけないということだ。


 だとすれば当然その重要性も大きくなる。そのため、神様を信じるというよりは神様がいることを事実としている。それほどまでに大きな存在なのだ。彼らにとっての神は必要不可欠な存在だ。


半球の世界はまだ明るいが、ここで静けさが訪れる。もちろんまだ人はいる。何気ない日常というのか、平穏無事な心地よい静けさが世界を支配する。


私はしばらくその世界の雰囲気に浸っていた。


しかしそれも束の間、一人の叫び声で空気が張り詰める。


「子供が溺れてる! 誰か助けてください!」


 私はすぐに川の方を見る。確かに誰かが溺れていた。手足を必死に動かして起き上がろうとするも、パニック状態のためか上手くいかない。


 この川は大人にとっては浅いものだが、深い部分は子供の肩に達するほどだ。子供が体勢を立て直すのは難しい。


 どうしてそんな川に入ってしまったのかはわからないが、とにかく早く助けなければならない。


 といっても別世界の私が介入することはできない。この世界の住人に託すしかなかった。


 近くにいた大人たちがやってくる。しかし、なかなか助けようとしない。


「誰か縄を!」


「誰かが飛び込むしかない!」


 他人任せの発言が続く。私はここで思い出す。そうだ、この世界の人々は泳ぐことができない。


この世界には海や湖などなく浅い川だけがある。それに加えて、川には魚がいない。


飲み水を汲むぐらいにしか使われない浅い川でわざわざ泳ぐ人などいない。泳ぐ必要がないのだ。


気温だって変わることがない。快適な初春の暖かさがいつも漂っている。熱いからと水に飛び込む人もいない。


私は頭を抱えた。


「シュウ! 今行くからな!」


 溺れている子供の父親らしき人物が川に飛び込む。この人物が先ほど怒鳴っていた父親だと気づく。怒声に尻を叩かれた子供が、何かを間違えて川で溺れてしまったようだ。


 父は走って先回りをした後、川に入り、川の中央を流される子供に向かって水の中を走った。しかし泳がないとなると厳しいもので、川に流される子供の速さに追いつくのは難しかった。


 身体二つ分ほど前を通過しようとする子供に向かって、父は飛び込み追いつく。しかし安心することはできない。飛び込んだことで体勢を崩した父は一緒に流されてしまう。


 この世界の川はもうすぐで終わる。それは実は大きな問題が発生することを意味していた。


 そもそもこの世界の川の水源がどこかというと、半球外の世界、つまり私のいる世界にあった。海も湖もない半球内の世界で川が形成されるわけがない。半球内の世界の川は、私たちの世界ありきのものなのだ。


 つまりこの世界の川の終わりは、私の世界に通じている。このままだと彼らは来てはいけない場所に来てしまう。


 そこで私は決意した。手元のボタンを何種類か同時に長押しする。するとプラスチックのような質感の半球は、表面張力で零れないまま形を保つ水のような質に変わった。


 私はその半球に手を突っ込み、溺れる彼らを手ですくい上げると、優しくしかし早く川辺に放った。そしてすぐに手を引っ込めた。


 一瞬だった。私は再びボタンを押して、半球を硬質な状態に戻した。ふう、と一息つき、目を瞑る。


 その時、


 ――パシン!


 急に肩を叩かれ、筋肉が痙攣したようにビクッと震え、まどろみから覚めた。

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