双面神の秘密とイリヤのこだわり

 彼らは大公殿下の双面神ハノと呼ばれた。

 双子の中には、体の一部を共有する者たちがいるが、彼らは違ったものを共有していた。

 であるから、彼ら二人が同じ場所にいる時、彼ら二人は交互に話し、時には相手の見たもの聞いたものを、あたかも自分が見聞きしたもののように話すこともあったという。

 不思議をただそうとする人々に、彼らは揃って同じ言葉を返したという。

 曰く。

 自分たちの共有するもの。

 それは閃き。

 それは瞬き。

 それはこだま

 それは一瞬を切り取った夢のようなものだと。

 はっきりと見えたり聞こえたりするものではなく、いつでも必ず見えるものでもない。

 だから、彼ら自身はそれを白日夢か、一瞬の幻覚のようなものだととらえていると。


 勿論、ほとんどの人々には、それは理解されないものであった。

 だが、彼ら二人の上司である二人。

 軍団長イリヤボルト・ディアマンテスと、大公カイエン・グロリア・エストレヤ・デ・ハーマポスタールだけは違っていたと言われている。

 彼らにも、双子の共有するものと同じようなちからがあったのだ、と言う人もいる。

 とにかく。

 大公カイエンも、軍団長イリヤボルトも、彼ら双子を不可思議なものを見るような目で見ることは、終ぞなかった。





  アル・アアシャー 「海の街の娘の叙事詩エピカ」より、「双面神の秘密」









 大公軍団治安維持部隊の隊長を務める、マリオとヘススの双子は、今年、第十九代皇帝オドザヤ二年で、大公軍団へ入って、十三年になる。

 実は、彼ら二人は、ちょうど十年前に入隊した現軍団長のイリヤよりも先輩になるのである。年齢的にも、彼らの方がいくつか年上だった。

 イリヤが入隊するまで、彼ら二人は、当時の軍団長、アルベルト・グスマンに気に入られていた。そして、二人一緒だと異様に仕事が出来た彼らは、平隊員からトントン拍子の出世を遂げた。

 最初は別々の部署に配属されていたのだが、たまに二人一緒だと、ほとんど話もしないのに、二人の息が合い、まるで一人の人間が三人分の仕事をしているかのように恐しく仕事が早いことが評判となり、その評判が団長だったグスマンにまで響いたのだ。

 だが、イリヤが入隊すると、グスマンの関心は一人、イリヤの上に注がれるようになった。

 イリヤの顔が顔だから、最初のうちは「軍団長、そっちの気があったのかよ」と、いかがわしい方向の噂になったものだが、それも、イリヤが与えられた仕事をこなしていく速さと正確さが知れるに連れて下火となった。

 マリオとヘススの双子の立場ならば、このことは面白いことのはずがない。普通なら、イリヤに対して嫌味の一つも言っただろうし、グスマンにも恨む気持ちを持ったかもしれない。

 だが、元から無表情で感情を全く表に出さないため、「双面神ハノ」と呼ばれていた双子は、突然になくなったグスマンの関心を再び得ようとするそぶりさえ見せず、イリヤに対しても、他の隊員に対する時と態度を変えたりすることもなかった。

 それでも、普通ならば、双子にとってイリヤの抜擢は、面白いことではなかったはずだ。

 だから、先代の大公アルウィンが亡くなり(実のところは佯死だったが)、グスマンが軍団長、当時はまだ帝都防衛部隊はなかったから、軍団長とはすなわち治安維持部隊長のことだったが……を辞めたのち。イリヤがその後任に選ばれた時、副官として彼ら双子を指名した時には、多くの隊員が「双子は断るのではないか」と憶測した。

 だが、双子はそれこそ何の感情もない顔と声で、「承知いたしました」とあっけなく、イリヤの副官という地位を引き受けてしまった。

 以降、後輩の上に、年下でもあるイリヤの命令に背くこともなく、まあ、特に親しくするわけでもなかったが、マリオとヘススは彼らの本分である治安維持の仕事に邁進して来たのである。

 そして三年。女大公カイエンが大公になって三年目に、大公軍団には先帝サウルの命令で、帝都防衛部隊の設立が命じられた。イリヤは軍団長として、今までの治安維持部隊と新しい帝都防衛部隊の二隊の長となり、帝都防衛部隊長には、フィエロアルマの将軍だったヴァイロンが就任した。

 そして、マリオとヘススの双子は、旧来の治安維持部隊を束ねる隊長に、二人で就任することとなった。

 その頃には、「大公軍団の恐怖の伊達男」の下に、「大公軍団の双面神」あり、と隊員たちには恐れられ、一般市民には頼もしく思われる存在となっていたのだった。


 新帝オドザヤ二年の、一月二日。

 その日。

 前日、一月一日に、大公カイエンの暗殺を企て、それを大公軍団軍団長のイリヤに阻まれた、本物の隊員の制服を奪い、そのミゲル某に変装で成りすましていた犯人の尋問に当たっていたのは、双子のうち、兄のマリオの方だった。

 そこへやってきた、一人の隊員。

 それは、開港記念劇場近くの署の地下室で尋問中のマリオに告げた。  

「ヘスス隊長がお戻りです。容疑者を大公宮の留置場へ移動させることになったとのことです」

 その言葉を聞きながら、廊下の先を見たマリオの視界に入ったのは、弟のヘススの、いつもと変わりのない、無表情な浅黒い顔。顔に続いて目に入った、軍団長のイリヤほどではないにせよ、長身の部類に入るのであろう、恵まれた体格だった。

「分かった」

 だから、マリオは取調室に向かって首をひねり、無防備に背中を廊下へ向けたのだった。

 その瞬間だった。

 ヘススの先ぶれとして来ていた隊員が、マリオの背後から襲いかかって来たのは。

 取調室の外を守っていた隊員二人が止めるいとまもなかった。

 何か刃物が、薄暗い地下の廊下のランプの光の中で、一瞬のきらめきを見せた。

 そして、廊下の向こうからやって来ていたヘススが、急に全速力で駆け寄ってきた。

 そのままでは、マリオは背後から首のあたりをナイフで切り裂かれていただろう。

 だが、ナイフは空を切った。

 マリオは振り返ることはしなかった。背中を向けたそのままに、取調室の中へ身を投げたのだ。だから、首を切り裂くはずのナイフはマリオのいなくなった空を裂いた。

 それから起こったことは、なんとも不思議、としか言いようのない展開だった。

 全速力で駆け寄って来た、マリオの弟ヘススは、驚いたことに、兄を襲った隊員を止めるのではなく、マリオに襲いかかった隊員を取り押さえにかかった、取調室警備の二人の隊員の方へ襲いかかったのだ。

「あっ!」

 治安維持部隊隊長の一人であるはずのヘススが。あろうことか、双子の兄のマリオに襲いかかった隊員を取り押さえている方の隊員に、刃を向けたのだ。

「ヘススたいちょ……」

 二人の隊員は、マリオを襲った隊員の腕を両側から押さえたまま、ヘススにナイフで喉元をえぐられた。

 血しぶきが、廊下から、取調室の中にまで散った。

 その時には、取調室の中で、倒れ込んだマリオが立ち上がっていた。

 その手には、もう腰に下げている大剣が抜き放たれていた。

 彼の後ろでは、手枷足枷をはめられた、百面相シエン・マスカラスが取り調べ机の向こうで立ち上がっている。部屋の隅では、書記の隊員が青ざめた顔で腰の剣に手をかけていた。

 廊下でまだ立っているのは、ヘススと、彼の訪れを告げた隊員の二人だけだ。

「マリオ……」

 廊下に立ったヘススが、そう言ったが、マリオの方は浅黒い顔に無表情をのせたまま、ゆっくりと首を振っていた。

「……ヘススは、今、どこだかわからないが、火事の現場にいる」

 その表情は、いつもの彼となんの変わりもない。だが、その口から出て来た言葉は、普通ではなかった。

 ヘススは、彼の目の前にいるのである。

「ここにはいない」

 マリオがそう言った時には、ヘススの訪れを告げた隊員の両足を、マリオの大剣が薙ぎ払っていた。

「ひぃいいい!」

 深々と両足の太腿を抉られ、前向きに倒れる隊員の向こうに立っているヘススへ、マリオは次の一歩で迫っていた。

 ヘスス、それは今や兄のマリオによって偽物と判断されたが……の不幸は、攻撃を始めたのが、廊下という狭い場所だったために、大剣を抜くことはせず、ナイフを抜いていたことだっただろう。彼はナイフを体の前で構えたが、そんなものはマリオの大剣の前では防御にもならなかった。

 肉と、そして骨までもを断ち切る、嫌な音がした。

 偽ヘススの両腕が、手首のあたりで断ち切られ、廊下へ落ちていく。

「わぁああああああああ」

 そこで、声を出したのは、マリオでも偽ヘススでもなく、手枷足枷をつけられた百面相シエン・マスカラスだった。

 マリオは振り返らなかった。

 だが、彼は振り返るべきだったのだ。

 その時には、百面相シエン・マスカラスの両腕両足から、手枷足枷が外れていた。彼は扉が開く前に、なんらかの方法で手枷足枷の鍵を解いていたのだろう。

 がつん。

 百面相シエン・マスカラスは、重たい木の手枷を、思い切りマリオの首から背中のあたりに叩きつけていた。

 これには、マリオもたまらない。

 大剣こそ手から離さなかったが、マリオは取調室から飛び出す百面相シエン・マスカラスを止めることが出来なかった。

「ひゅうひゅう!」

 百面相シエン・マスカラスは、廊下に出ると、そこにうずくまった両腕を切り落とされた偽ヘススへも、両腿を切られた、恐らくは偽隊員も一顧だにせず、廊下を走り去っていく。その手にはいつの間にか、誰かから盗み取ったらしい剣が握られていた。

「驚いたね! 大公軍団の双面神ハノは、すげえや! でも、こうじゃなくっちゃな。面白みがねえ!」

 廊下の向こうへすごい速さで駆け去る百面相シエン・マスカラスを、おのれの首の後ろを押さえたまま見送るマリオへ、百面相シエン・マスカラスの憎らしい言葉が降り注ぐ。

「罪人が逃げたぞ! 取り押さえろ!」

 マリオは廊下に顔を出して、階上へと叫んだが、恐らくは無駄だろうということはわかっていた。

 偽のヘススが、この地下の取調室まで来ているのだ。

 階上の治安維持部隊の署員は、どうなっていることか。

「あの。隊長、そこのヘスス隊長は……?」

 そこで、マリオの後ろで、書記をしていた隊員が恐る恐ると言った具合に聞いて来た。

「ああ。これはさっきの百面相シエン・マスカラスが、あらかじめ仲間に施していた変装ですよ。……私の弟ではありません」

 答えながら、マリオはその両目の奥で見ていた。

 燃えている。

 マリオが今、自分の目で見ているのは、新開港記念劇場の近くの署の地下にある、取調室だ。だが、同時に頭の中でちらちらと瞬くように見えるのは、まったく別の場所の風景だ。

 燃えるその建物には、見覚えがあった。

「奇術団コンチャイテラ。なるほど、あれはもう廃棄されたということですね」

 マリオには、弟のヘススの考えていることなどは分からない。

 ただ、見えるのだ。聞こえるのだ。

 弟が見ているもの、聞いていることの一端が。瞬きの間の幻のように。これは、ヘススの側でも同じだった。だから、今頃、ヘススはこの署の異変を悟っていることだろう。どの程度までかはわからぬにせよ。

「ああ。今度も後手後手なのでしょうか。……忌々しい。早く殿下と団長には起きて働いてもらわなくては! 私たちだけでは、到底、手が回りませんよ」

 マリオは、廊下でのたうちまわっている、偽隊員や偽ヘススには、もう、目もくれなかった。

 地下室から階上へ続く階段を上がっていきながら、マリオがなおも呟いたのは、以下のようなことだった。

 それは、どうやら瀕死のイリヤへと向けられているらしかった。

「……ああもう。軍団長でしょう、あなたは。大公殿下を庇ったのは上出来でしたが、それで死んでしまっては、つまらないとは思わないのですか。この先の世界を、大公殿下と共に生きたいとは思わないのですか! 早く起き上がって、この街のために役立ちなさい!」

 マリオのその様子は、日頃、感情をまったく表さない彼を知るものがそこにいたら、その異常さに恐怖を感じたであろう激しさだった。






 マリオが、偽のヘススに襲われ、百面相シエン・マスカラスを逃してしまい、一方で、ヘススの目の前で奇術団コンチャイテラの見世物小屋が炎上した、その翌日。

 大公カイエンと、大公軍団軍団長、イリヤは覚醒した。


 カイエンとイリヤは、真っ白な光の中にいた。

 イリヤの夢世界の裂け目から、遠慮のない指が中に差し込まれ、世界がばりばりと壊された。

 緑色の太陽がぐしゃり、と潰れると、すごい光の渦がカイエンとイリヤの上へ降り注ぎ、彼ら二人の体が、外の世界へと引っ張られていったのだ。

 あっ、と思った時、二人は共に自分の懐中時計を取り出していた。

 夢の中では、止まっていた時計。

 それが、動き出したなら。

 それは、帰れるということだったからだ。

「動き出したぞ!」

 カイエンは、取り出した自分の時計の蓋を開けるのももどかしく、その文字盤を見るなり、叫んでいた。

 回る、回る。

 今や、時刻を指し示す長針と短針が、ぐるぐると巡り、「今」を指し示そうと異様な動きを示していた。

 現実の世界でなら、時計がこんな動きをすることなどない。

「わぁ。ほんとほんと。すっごぉい。これで戻れますねえ」

 さっきまで、逆転攻勢でカイエンから責め立てられていたイリヤは、本当にうれしそうに自分の腰のベルトに銀の鎖で繋がった懐中時計を見た。

「これで、さっきのことが誤魔化せると思うなよ」

 カイエンはそう言いながら、イリヤの手の中の時計を見、灰色の目を大きく見開いた。

 その様子を見たのか、イリヤの方もカイエンの時計を見る。

 そして、彼もまた、意外な思いに鉄色の目をちょっとだけ見開いた。

 その時にはもう、二人は引き寄せられるように、光にのまれ、何も見えなくなってしまっていた。

 だが、二人の目にはしっかりと刻まれていた。

 相手の持っている時計が。

 彼らはそれまで、相手の前で自分の時計を取り出したことなど、多分一度もなかったことを思い出していた。彼らが会って、話すとすれば、それは仕事の上のことであり、時間を気にするのは会う前か、会った後かだったからだからなのだろう。

 その時計は、大国、ハウヤ帝国の大公であるカイエンが持つには粗末な、本体の蓋にも、竜頭にも、宝石どころか金の象嵌さえない、彼女の身分からすれば粗末とさえ言える銀時計。

 そして、大公軍団の軍団長とはいえ、貴族でもないイリヤが持つには贅沢な、蓋も本体も銀で作られ、蓋には精緻な彫刻がなされた時計だった。

 その蓋一面を覆っている、精緻な草花文様。  

 その二つの時計は、どこか似通っているように見えた。

 カイエンもイリヤもそのことには気がついたが、もう、夢から引きずり出される光の中で、目が見えなくなってしまっていた。



 カイエンとイリヤが目覚めると、彼ら二人の寝かされていた部屋に集まっていた、すべての人々の喉から、安堵のため息が漏れた。

 奥医師とアキノやイリヤと同郷の外科の医師によって、二人の容態が確かめられる。そして、カイエンの方は動かしても問題ないとの決断がなされ、その体はヴァイロンによって抱きかかえられて、彼女の寝室へと移された。

 一方、イリヤの方はちょっと厄介だった。

 彼は常日頃、大公軍団の宿舎で寝起きしている。それは、大公宮の敷地の中にあったが、大公宮の本体とは別の建物だ。ハーマポスタール出身の隊員の多くは、実家から通勤していたし、結婚して家族のいる隊員は街中に家を持って、そこから通うものが多かったから、大公軍団の宿舎といえば、未だ独身の隊員、それも、地方から出てきた者たちの住むところだった。

 軍団長ともなったイリヤが、そこに未だに住んでいることの方がおかしいことだった。彼の地位と、得ている俸給からすれば、街中に一軒家を借り、手伝いの者を雇って住むのが普通だったのだ。

 だが、イリヤはその多忙さゆえに、敷地内の宿舎にさえ帰れないことが多くあり、未だにそこに住まっていたのだ。

 二人の医師は、彼を宿舎の部屋へ戻すことには難色を示した。

 ナイフの傷は腹腔まで達し、内臓を傷つけていたのだから、もっともなことで、傷がふさがったとはいうものの、イリヤはそのまま、リリの部屋の隣の部屋に残されることとなった。

 蟲によって、イリヤの内臓の傷は修復され、外科の医師によって外側の傷も縫い合わされていた。だが、目覚めてみれば、イリヤはすぐには起き上がることなど出来なかった。

「飲み物の摂取を明日から始めてみよう。気分が悪くなるようなら、水からだね。飲み物が消化され、わずかでも排出が出来るようなら、暖かく柔らかい食べ物から始めよう。なに、意識が戻ったんだから、もう簡単には死なないよ」

 イリヤやアキノと同郷の、プエブロ・デ・ロス・フィエロス出身の外科医師は、イリヤの脈をとりながら、にこにことうれしそうだ。古老の言葉と、古い伝承が証明されたので、うれしいのだろう。

 夢のことも知っていて、根ほりは掘り聞かれるのには閉口したが、イリヤは別にそのことで言葉を惜しむつもりはなかった。大公軍団長などという仕事をしているのだ。今後も大怪我をする可能性はある。その時にこの外科医師に恩を売っておいて悪いことはない。

 そうでなくとも、腹に傷があるとなると、なんだか体の中心が頼りなくて、体がシャキッとしない。そこから何か、体の力が抜けていくような頼りなさがある。

 起きてすぐに、治安維持部隊の双子のマリオが、偽ヘススに襲撃され、イリヤを刺した、奇術団コンチャイテラの百面相シエン・マスカラスが逃亡したことも聞いたが、マリオやヘススは軍団長のイリヤの抜けた穴を埋めるので手一杯だとかで、イリヤの前には現れなかった。

 そんな中。

 一月五日。

 カイエンとイリヤが覚醒して、二日ほど経ってから、イリヤの元を意外な人物が見舞いに訪れた。

 もっとも、この人は大公カイエンの見舞いのついでに、と、イリヤの枕頭へやってきたのだ。

「おお。なんだ、もう元気そうではないか」

 そう言って、執事のアキノの案内でイリヤの寝ているリリの隣の部屋に入ってきたのは、このハウヤ帝国の大元帥、そして大将軍のエミリオ・ザラの渋い枯れた顔だった。

 アキノは大将軍を部屋へ案内すると、すぐに自分は他に用があるので、と下がって行ってしまった。

 よく考えれば、大公軍団軍団長とはいえ、大公の家臣にすぎないイリヤの元へ、帝国の大元帥が見舞いに来るのはおかしなことだ。

 だが、エミリオ・ザラの母親は、イリヤと同じプエブロ・デ・ロス・フィエロス出身だ。そして、蟲を体内に寄生させているという事実の上でも、今や、イリヤとエミリオ・ザラは同類項なのだった。

「アキノに聞いてな。同郷プエブロ・デ・ロス・フィエロス出身の血筋とは知っておったが、お前も蟲付きだったとは、驚いたぞ」

 ザラ大将軍は、平服姿だった。それでも、一国の軍を束ねる男ともなれば、侵しがたい迫力がある。

「どうだ? 蟲の大神たる方に救われた気分は?」

 蟲の大神。

 それは、もしかしてもしかしなくとも、カイエンのことを指しているのだろう。

「いきなりそんなこと訊かれても、よく、わかりませーん」

 イリヤは開き直っていたこともあり、また、このザラ大将軍の質問は予期していたことでもあり、その返答はいつも通りのとぼけたものとなった。

「ほうほう。死にかけても、生来の気質は変わりようもないようだな」

 ザラ大将軍は、イリヤの枕頭の椅子に座り込んだ。

「わしもアキノも、今までお前の役割が今ひとつ、わからずにおったが、今度のことでしっかりと掴めたわ。今までは、同郷の血筋とは言っても、関わりの薄い者と思っておったが、それにしてはアクの強い男だと、うっとおしく思っていたのだよ」

 イリヤは苦笑いするしかなかった。

「知っておろうが、わしは母親がプエブロ・デ・ロス・フィエロス出身でな。わしの中にも、蟲がおるのよ。これはあのアキノと同じだが、わしのはお前のもののように小さいので、大公殿下のように歩くのに支障をきたすほどではなかった。だから、軍人になり、それなりに活躍もし、ついにはこうして今は大将軍と呼ばれるまでになったのだ」

 ここまで言うと、ザラ大将軍は一回、口を閉ざした。

「これがまた、微妙な塩梅なのだな。今度のことを、さっきアキノから聞いてきたが、大公殿下の場合には、蟲が、それも大きな蟲が生まれつき体内にいたから、本来死ぬべき運命の子供が生きながらえた。だが、わしらの場合には逆だ。通常は蟲などおってもおらんでも関係ない。だが、今度のお前のように、本来なら死ぬべき事態に陥った時に、そばに大公殿下のような大きな蟲の宿主が居れば、生きながらえることもある、と言うことらしい」

「便利ですよねー」

 イリヤは無責任に、そう言ったが、自分自身でも、真実、そう思っていたわけではなかった。

「お前、生還するまでの間、どこにいた?」

 たくさんの枕で体を支え、寝台の上に半身を預けていたイリヤの、やややつれはしたが秀麗な顔を見る、ザラ大将軍の褐色の目には、付け入る隙もなかった。

「あー。そこまで追求してきますかー。……俺の『夢世界』とか言う場所でしたよ」

 イリヤがそう言い、夢の中での出来事を、リリに聞かされたことと、リリと一緒に、彼の刺された傷だと言う、空の裂け目を白い桔梗で埋めたことを中心に、かいつまんで話すと、ザラ大将軍は静かにうなずいた。

「なるほど。お前の夢世界が壊れぬよう、大公殿下とリリエンスール様が力をお貸しくださったと言うわけか」

 ザラ大将軍は、イリヤの言うことを、いちいちアキノから聞いてきたイリヤが生還するまでの状況と照らし合わせているらしい。

「まあ、そっちはもういいわ。もう済んだことだからな。わしが今日、カイエン様だけでなく、お前の見舞いなんぞもする気になった理由が、お前にわかるかな?」

 これには、イリヤは目を瞬かせた。

「えー。同郷の蟲付きの先輩として、哀れな後輩を見舞いにいらしたんじゃないんですかぁ?」

 そう言いながら、イリヤは、あっと気が付いていた。エミリオ・ザラを中心として、カイエンが生まれた時からこの帝都ハーマポスタールに存在するという、獣人の村プエブロ・デ・ロス・フィエロス出身者が作っているという、名もない『結社』のことに。今度のことで自分にも「蟲」がいることが分かったことから、そこへの勧誘に来たのかも、と思ったのだ。

「あーあー。まさか、このやっとあの怪物アルウィンの残していった『盾』から逃げ出した俺ちゃんを、今度はそっちに勧誘しに来たんですか!?」

 このイリヤの言葉を聞くと、ザラ大将軍はにんまりと笑ったものだ。

「そうそう。お前はつい先年まで、桔梗星団派の手先だったのであったなあ。まあ、あの『盾』とかいう集団は、カイエン様をお守りする上で役に立つかも知れん、ぶっ潰すにもまだ時期尚早と、ほっぽっておいてやっただけだが」

 さすがのイリヤも、ザラ大将軍の老獪な言葉を茶化すことは出来ないらしい。

 黙っているイリヤへ、ザラ大将軍は、意外な言葉をぶつけて来た。

「お前、目が覚めてから、カイエン様とは会ったのか」

 この言葉を聞くと、イリヤはもう話の進む先が見えて来たのか、嫌そうに眉を寄せた。

「いいえー。ぜーんぜん。起きるなり、殿下は自分のお部屋に連れてかれちゃいましたもん。まー、殿下は腹に穴が開いたわけじゃないですから、大事をとって寝てるだけ、って聞いてますけどー」  

 腹を刺されたイリヤはともかく、カイエンの方は、イリヤとリリだけが知っていたことだが、死にかかったイリヤの「夢世界」を支えているために自分の蟲の力を使っていたから意識を失っていたのだ。その「お勤め」が終わった彼女は、順調に回復している、とイリヤはアキノたちから聞いていた。

 イリヤが目を覚ました時、一番近くで泣きそうな顔をしていたシーヴなどは、彼の仕事……カイエンの護衛という仕事の性格上、カイエンが大公宮から出ない以上、彼もまた大公宮の奥殿にずっと居るためか、毎日、イリヤの部屋に顔を出す。

 イリヤがカイエンの様子を聞くのは、多分、シーヴからのことが多かった。

「そうかそうか。でも、さっき聞いたお前の『夢の中』とやらでは、たんと話す時間があったのではないのかな?」

(来た来た)

 イリヤは予想通りの話の展開に、その場から逃げ出したくなった。だが、傷はふさがったとはいえ、まだろくに食事も出来ていない体は、寝ている寝台に引っ張られているかのように重かった。話の続く先から逃げ出すには、気絶でもするしかないだろう。だが、そんなことをしたら即座に張り倒されて覚醒させられそうだった。

「たんとでもないですけどぉ、話したことは話しましたよ。でも、普段は仕事の話しかしないでしょ。お互い気まずくて、困り果てましたよぉ」

 もうしょうがないと、イリヤは正直に話した。

 カイエンが「イリヤのため」にあの現場へ駆けつけ、そして彼を助けるために意識を失うことになった。それを知ったら、あのカイエンへの執着を隠そうともしていない、ヴァイロンやエルネストはどう思うのか。それが分かっていないカイエンを見て、うっかり始めてしまった、きわどい話のことを。

(殿下の方はどうなのかっていうことなのよ。あんたは誰かを本当に愛してるの? 恋したことがあるの? ヴァイロンと皇子様の気持ちに、答える気持ちをちゃんと持っているの)

(ヴァイロンも、あの皇子様もぉ、あの怪物アルウィン……あんたの父親アルウィンに周到な魔法をかけられた、気の毒な連中なんだよ。殿下を欲しがるように、殿下のものになるように、そう心に刷り込まれちゃったんだから)

 そんな言葉を使って、カイエンを追い込んで、気付かせようとして。

 そして、最後の最後で失敗したのだ。

 すべてを話すには、カイエンに気が付かせるには、自分のことも話さねばならなくなることを、感情が高ぶりすぎて、うっかり忘れていたのだった。

(あーあー、じゃあ、殿下の夢の話は、しばらくはおあずけですねぇ。……それにしても、俺は俺が不思議。なんだって、あそこで殿下の前に出ちゃったのかねぇ)

 うっかり自分のことを話の俎上に載せてしまい、カイエンに気が付かなくていいところまで知られてしまったのだ。

 そういう、カイエンと話したことは、さっき、夢の世界の話をした時には、意識的に端折ったところを、イリヤはしょうがないとばかりに一気に吐いた。 

 案の定、ザラ大将軍にはそんなことはお見通しだったらしい。

 彼は、いきなり大上段から真っ直ぐに斬りかかって来た。

「お前も、前の大公……あの怪物アルウィンに、役目を振られた一人なのだろう? ヴァイロンや、あのシイナドラドの皇子のように、カイエン様に執着し、一度出会ったらもう側から離れられないように、魔法をかけられた一人のはずだ」

 魔法。

 それは、イリヤが腹を刺されて死ぬ前に、カイエンに言った言葉と同じだった。夢の中で、ヴァイロンとエルネストのことを説明するのにも、使った。

(……うゎ、すごい。……はたき落とすの、もう、間に合わないわ、って思って……あー、ダメだ、殿下死んじゃう、って、思ったのにぃ。無意識で自分の体で庇っちゃうなんて……う、嘘でしょ。洗脳っておそろ……し……。さすがは、あの人、あの……怪物、の、まほう……だ)

 洗脳、魔法。

 それが、あの怪物アルウィンが、使った方法だ。

 ザラ大将軍は、イリヤが黙っているのを見ると、やや気の毒そうな顔つきになった。

「なのに、どうしてお前は今まで、カイエン様への執着心を押し殺してきたのだ? 今度のことで、さすがにカイエン様にも暴露ばれたのではないかな。なにせ、お前は命を張って、カイエン様を庇ってしもうたのだからな」

「はーい、多分バレましたー」

 イリヤはミイラ取りがミイラになったというか、墓穴を自ら掘った自分の浅はかさに、もはや自分を投げ気味だった。

 最初はカイエンに気付かせようとして、攻め立てていたのに、はっと気が付いたら気が付かなくていいことまで知られてしまって、逆襲されていたのだから。

「ヴァイロンとあの皇子様エルネストのことを話題にして、今度の殿下を庇っちゃったことを誤魔化そうとしたんですけどね〜。庇っただけならともかく、もう死んだと思ったから、口が勝手に動いちゃってヘンなこと言い残しちゃいましたから。まあ、殿下が奴らの気持ちをちゃんと分かってないのは事実だしぃ。……それなのに、最後の最後で失敗しちゃってぇ。どう誤魔化そうかと思ってたとこで、目が覚めて、現実に戻って来れたんで、助かりましたよぉ」

 ザラ大将軍は、ここまで聞いてため息をついた。

「お前、それは助かってなどおらんぞ。ただ、時間稼ぎになっただけだ」

 憐れむようにイリヤを見る、ザラ大将軍の目は、取ったは取ったが、よく見て見たら残念なイキモノだった獲物を見る狩人のような目だ。

「それでは、カイエン様の方は、お前を呼びつけて問いただしたいとお思いだろうな。今は、お前が動けないから我慢しておられるのだろう」

 イリヤは大人しくうなずいた。

 そして、しばらく考えてから、言いたくなさそうに、だが、言って相談するのは今、このおっさんにしか出来ない、と思い定めたので口を開いた。

「殿下って純真単純だから、相手に押しまくられて好きだって言われると、自分もそいつが好きだって簡単に思い込んじゃうでしょ。まー、ヴァイロンさんの時はまさしくそうでした。まー、ヴァイロンさんは、あの人も殿下と同じ純真純粋の人だったから、別に問題にもならなかったですよね。でも、皇子様エルネストの時は、さすがに皇子様のがっつきぶりがひどすぎたって言うか、あれは正しく婦女暴行罪だったんで、アレでしたけど」

 ザラ大将軍は、渋柿でも食べたような顔になったが、話は邪魔せずに聞いてくれた。

「それねー、それが厄介だと思ってたとこなんですよぉ。今度のことで、殿下もうすうす、俺のことに気が付いちゃったでしょ。でも、俺はねえ、もう、しょうがないから言っちゃいますけど、殿下には好かれたくないんです」

(殿下には好かれたくないんです) 

 えっ。

 イリヤのこの言葉には、さしものザラ大将軍エミリオも、カッと目を見開いた。

「俺はね、あの怪物アルウィンのしたいようになんか、絶対に!、決して!、完全に!、動いてなんかやらないんです。これは、もう殿下を初めて直に見た瞬間から、俺は決めていたんです! 実際には、六年前に初めて殿下に呼びつけられて、殿下の執務室に入った瞬間にやられてたんですけどねぇ」

「お前……まさか、それは、それ……」

 ザラ大将軍は、生まれて初めて見る、異国の珍生物でも見るような目で、イリヤを見つめていた。この話を始めた時には、攻勢だったザラ大将軍だったが、今や、完全に引き気味になっている。

「あ、やば、って思ったから、徹底的に『好きな子いじめ』にすり替えたんですけどぉ。それでそのまま、殿下が大公のお仕事にくじけて、俺の前からいなくなってくれればいいと思ってたんですけどね。でも、殿下はいなくなってくれなかったぁ」

 ここまで聞いて、エミリオ・ザラは質問する力を無理矢理に自分の中から引っ張り出した。心の底で、ここまで案内してきたきり、さっさと消えた執事のアキノに思い切りの罵倒を浴びせながら。

「そ、そうか。まあ、それはそれで、いいとしよう。……お前は、そんなにまでして自分を押さえつけていたのだな。その反抗心ばかりは、あの怪物アルウィンも予想できなかっただろうて。まあ、よくヴァイロンの時だの、あの皇子殿下が出てきた時だのには、我慢したものだな」

 ちょっとタガが緩んだ感じになっていたイリヤは、この言葉に素直に反応した。

「あー、そうでしたねえ。ヴァイロンの大将の時は、アキノのおっさんに粘着して済ましましたよー。他に方法がなかったからねぇ。……で、皇子様の時は、朝に裏の庭の噴水のとこで、待ち伏せして罵倒してやったもんね」

(皇子様、あんたは殿下の横に立つものだってよ。それでね、俺は殿下の命令する事、全部をこの手でし遂げなきゃあいけないんだってさ)

 この強姦魔、と罵倒した上で、エルネストに言った言葉は、今でも後悔などしていない。

(うるせえな。……この強姦魔が。不用意に俺の前をうろちょろしてると、逮捕、拘禁、拷問するぞ)

 きっと、エルネストの方は、イリヤのあの台詞を聞いただけで、イリヤの中の真実にたどり着いていただろう。

 イリヤがそこまで話すと、もう、ザラ大将軍は、ふんふんと事実を確認するための所作をするに止めることにしたらしかった。

「そうかそうか。よう分かったわ。……お前があの怪物殿下アルウィンの選んだ中で、一番の難物だったということはな」

 そう言うと、もうザラ大将軍はイリヤの枕頭の椅子から腰を上げていた。

「……よう分かった。わしはこれで帰ることにする。……もう、お前はお前の好きなようにするがいいわ。わしらの結社に誘う必要もなかった。ま、よしんばお前と殿下が……なことになったとしても、もう、蟲の依り代であることが判明したお前だ。殿下に、あの皇子殿下エルネストのような悪さは出来ないのだからな。どうにでもなるが良い」

 ザラ大将軍の最後の言葉は、ほとんど独り言のようだったので、聞こえなかったイリヤは首を傾げた。

「えー? なに言ってんのぉ。聞こえないよー。え? もう帰っちゃうの? ちょっと、俺から聞くだけ聞いといてさっさと帰っちゃうとか、なんなの、もー」

 もう、話は終わったとばかり、そそくさとザラ大将軍は部屋を出て行ってしまった。扉が閉じられる音を聞きながら、イリヤは不満そうに、口を尖らせた。

「結社への勧誘話じゃなかったのぉ。もう、アキノのおっさんといい、獣人の村プエブロ・デ・ロス・フィエロス関係の人たちは、ことここに及んでもなお、なーんか、重大なことを隠してるんだよねえ。それを聞き出してやろうと、こっちも恥ずかしい話までしたのにさあ。もうちょっと、ってところで逃げていくんだよね」

 ま、いいか。

 イリヤは枕にもたれかかりながら、息を吐いた。

 現在、最大の問題は、カイエンがここへ自分の気持ちを探りに来ることだ。

 だが、アキノやサグラチカ、それにヴァイロンに見張られているカイエンが、一人でこのイリヤの病室までやって来ることなど、できるはずがない。


 イリヤは知らなかった。

 自分が今、寝かせられている部屋が、リリの部屋の隣だということは、彼も聞いていた。

 だが、そこが歴代の大公の子女が住まう区画で、大公のカイエンの住む区画からは、裏廊下を通ればすぐにたどり着く場所だということを、彼は知らなかった。

 その、裏廊下を通るのは、カイエンの他には、今、リリの世話をしている、数少ない人間だけだということも。

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