顧問料はいらないよ

 毎日、毎日、うるさい世間様

 本当はもうたくさんなんだ

 少なくとも俺様にはもうたくさんだ


 思想の押し売りなんて、もう間に合っているんだよ

 心の中じゃあ、いつもそう思っている

 人様の考えなんてくそくらえだ

 自分の足で立って、歩いて行けなくなるだけ

 何の関係があるっていうんだ

 俺とお前のつながりは、ただ、「人間やってます」ってそれだけ


 それだけの絆

 そう、だから俺はお前の相手なんかしてやらないよ

 鬱陶しいんだ

 それでも、お前は俺の考えを聞け!

 突っぱっている俺

 実はそれが一番のやっかいもの


 逃れようのないのは人生

 つまりは人間をやり続けるってことだ

 それはきっと人間のやり方の宣伝なんだよ

 そこで「こんなにうまく人間やってる」って

 胸をのけぞらせているんじゃねえ

 この世はな

 お偉いさんだけのもんじゃないぜ


 でもな

 俺様はこの世に一人しかいない

 前にも後ろにもたった一人の「自分」

 知らないものは自分で確かめに行くべきだ

 だから俺は世界にひっきりなしに訴えている

 運命に追いつかれるまで


 世界とだけ手をつないでいくんだ



         アル・アアシャー 「俺様たちの世界」より






「御機嫌よう」

 そう広くもない研究室の奥の窓際に置かれた、年月を経て真っ黒になった古机。

 そこへ窓を背にして座っている中年の小柄な男の声は、かすれていたが、やや甲高く響く。

 部屋も古く、床は分厚い木材で、これもまた古く飴色に変色していた。壁は漆喰塗りで、何度か塗り直されたであろうその壁の色は意外にも真っ白い。

 この部屋の壁が塗り替えられてからここを使ってきた主人が、煙草を吸わなかったであろうことが推測できた。

 そして、何よりもこの部屋の持ち主の性格その他を明示しているのは、書棚から溢れ落ちたような書物の山々だ。それは、床から高いところはヴァイロンの巨躯の腰の高さほどまであり、正面の出窓にまで及んでいる。

 部屋の入り口で、やや毒気を抜かれた形で突っ立っていた、カイエンとヴァイロンは、教授の声に我に返った。

 実は、本の虫のカイエンの書斎もかなりなものなのだが、さすがは学者で、このとんでもない量にはてんで及ばない。


「……御機嫌よう」

 それでも、カイエンは気を取り直して挨拶を返した。

 大公相手に「御機嫌よう」とぶちかましてくる教授のもの言いはやや尊大かもしれないが、こちらは教えを請いに来ている立場だ。それに、カイエンは自分の言葉遣いや態度がアレなので、他の人間の態度にも寛大な方なのだ。

「ご無沙汰いたしております」

 ヴァイロンの方は、一応、教え子なので返答も丁寧だ。

「マテオ・ソーサ教授でいらっしゃいますか」

 カイエンが一応、そう問うと、小柄で陰気な男はうるさそうに手を振った。

「ええ、そのマテオ・ソーサっていうのは、間違いなく私です。さあ、その埃っぽい世間様に繋がっている扉をお締めになってお入りください、大公殿下」

 その声にヴァイロンが扉を丁寧に閉めると、部屋の中はやや暗くなった。

 だが、午後の半ばの室内は、それでも窓から入る午後の日差しで明るかった。

 カイエンがどうしたものかと周りを見回すと、教授は壁際へ顎をしゃくって見せた。

「ヴァイロン・レオン・フィエロ、そこの椅子をここへ持ってきなさい」

 命じられたヴァイロンが見れば、壁際に大きな古い重厚な椅子が二つ、置かれていた。

「君は体も大きいし、力もあるだろう。そいつをこの机の前にすえてくれ。私はこの通り小さくて非力だし、大公殿下はそれ以上だ。君しかいないのだよ」

 ヴァイロンは無言で指示に従った。不満そうな顔などしていない。彼の頭の中では、教授の言っていることはもっともなことなのである。

「すみませんね、大公殿下。殿下とは理由が違いますが、私も近年、足がおぼつかなくなって参りましてね」

 そう言うと、教授は自分の傍から粗末な木製の杖を出して見せた。

「子供の時から走るのが遅くて、運動も苦手だったんですが、四十を超えたとたんに足の関節が痛み始めましてね。死んだ祖父が同じでしたから、きっとそういう家系なんでしょうな」

 そう言う間にも、ヴァイロンは二脚の重たい椅子を運び終わっており、カイエン達はそこにかけた。

 椅子にかけた二人を見ると、教授はふんふんと独り合点しながら話し始めた。

「まず、お詫びしておきます。私には助手のなり手もおりませんので、お茶の一つも出せませんが、ご容赦を」

 カイエン達は別にお茶を飲みに来たのではないので、なんとなく顔を見合わせてから、「お構いなく」と答えた。

「ヴァイロン・レオン・フィエロ、君のノートは覚えている。変なノートだったな」

 教授の話は、いきなりがノートの話だった。

 だが、ヴァイロンは言われて思い出した。

 このマテオ・ソーサ教授は、「学生が試験前に友人のノートを写したりしないように」と、学期の途中で必ずノート提出をさせていたことを。

「君はつまらない、真面目一方の優等生だったが、あのノートはよかったな。もう解っていることと、まだよく解らないことをノートの左右に分けて書いていて、ノートが見開きで進行していたので、よく覚えている。もっとも、私ならもう解っているところはわざわざ書かないがね」

 そこが優等生でつまらなかったところだ、と言外に言って、教授は今度はカイエンの方を見た。

 カイエンは緊張した。

 彼女は教育の全てを大公宮で家庭教師から受けたので、こういう教師のものの見方は面白かったが。

「大公殿下、あなた様にお会いするのは初めてになりますが、恐ろしいものですなあ。お顔がそっくりだ……」

 カイエンはいやーな予感がした。

 教授は、その様子からカイエンの気持ちを推測したのだろう。

「ああ、殿下には面白くないことですな。でも、こうしてお会いしたからにはこれは言っておかなければなりませんので、言いますよ」

 なるほど、確かに教授はカイエンのわずかな顔色の変化を読み取ったようだ。

「……私は若い頃、あなた様のお父様の、あの変な集まりに誘われたことがありましてね」

 カイエンもヴァイロンも目を見開いた。

 なんと、ここにも!

「前の大公のアルウィン様でしたか。ああ、あなた様は皇帝陛下の一番下の妹様ということになっておられますが、私は事情を聞かされておりますよ、アルウィン様からね。まだ私は駆け出しの教師でしたが、どこでどうして目をつけられたのか、わざわざ訪ねていらっしゃいまして」

 目をつける。

 カイエンはゾーッとして自分の顔が引きつるのが解った。まさか父があの桔梗館一党に、この教授まで勧誘していたとは。

 教授はそんな様子を見るともなく続ける。

「私はアルウィン様よりもやや年嵩ですから、あの頃のあの方は、大公になられてすぐの頃ですかな。変な集まりに勧誘されまして」

「はあ、それでどうなさいました?」

 カイエンが背中に冷や汗だか脂汗だか知らないものが流れるのを感じながら聞くと、教授はカイエンにも似た土気色の細い指先をふらふら振った。

「非常に危険、かつ怪しい集団へのお誘いと感じましたので、きっぱりとお断りいたしました」

 カイエンは安心した。少なくともこの点では教授は至極まともだ。

「賢明なご判断だったと思います」

 そう言うと、教授は初めてはっきりとカイエンの目を見た。

 同じような灰色の目だが、カイエンの目よりも教授の目の方が白っぽい。カイエンの目の灰色には髪の色の紫に近い他の色が混じっている感じだが、教授の灰色の目は灰色一色で塗り尽くされていた。

「お顔は同じでも、あなたは父上とは違ってまともな方のようですな」

 ヴァイロンは黙ってこのカイエンと教授のやり取りを聞いていたが、不思議な心地がした。

 カイエンとマテオ・ソーサ教授は似ているのだ。

 それは、アルウィンとカイエンの相似とはやや違う種類のものだ。

 だが、似ている。

 教授の足が悪くなったのは最近だろうが、小柄で顔色の悪いところ、不健康そうなところ、何よりもざっくばらんな性格やもの言いが似ている。顔立ちは似ていないが、雰囲気が似ているのだ。

「で、大公殿下、今日は殿下の新しいお仕事のお話でしたね」

 教授は灰色一色の目に、ややからかうような色を浮かべた。

「そこのでかい男以外にも、二人から手紙をもらいました」

 そう言うと、教授はカイエンの前に三通の手紙を出して見せた。

 みれば、一通はヴァイロンの真面目そうな文字。もう一つはどこかで見たことがある四角い文字だ。最後の一通の字にははっきりと見覚えがある。

 サヴォナローラ。

 なんだよ。しっかり手紙書いてたんだ。

 何が、「私は面識がございませんが」だ。

 カイエンは今度会った時こそ嫌味の一つも言ってやろうと決めた。

「この手紙は棚からなんとかで将軍になった男からですな。ジェネロ・コロンボ。あれも変わった学生でした」

 教授はため息をついた。

 豪腕ジェネロは、学生時代から目立っていたらしい。

「戦術学での成績は普通でしたが、考えつくことが突飛で呆れるような行動力がありました。当時から生き残ることの重要性をよく知っていた学生でしたよ」

 死なない男、の原点は変わっていないらしい。

「では教授」

 カイエンは、やや乗り出した。

「この度の我が大公軍団の帝都防衛部隊の顧問のお話、お受けいただけるのでしょうか」

 そう聞くと、教授はにやり、と嫌な感じで笑った。

「それは、これから、お話することにご同意いただけるかどうかによりますなあ」

 カイエンはこの時、もうすぐ誕生日を迎えるとはいうものの、まだ十八歳。

 対して教授の方は父のアルウィンよりも年嵩の四十代半ばにさし掛かった年齢に見えた。ヴァイロンとても彼にとっては息子のようなものであったろう。

 だが、教授はなんだか嬉しそうだ。

 カイエンにはそれが意外だった。

「どんなことでしょう」

 カイエンが聞くと、教授は自分の椅子の中にぐっと背中をつけ、白くて小さい手を組み合わせた。

 そして、意外極まる言葉を口に乗せた。

「大公殿下。大公殿下はどうして帝国軍や大公軍団には女性軍人や女性隊員がいないとお思いになりますか」

 と。


 カイエンはしばらく、何も言えなかった。

 あまりにも意外な質問であったからだ。

 まず、帝国軍も大公軍団も、募集するのは男だけで、女の募集はしていない。

 表立って、このことに疑問を持つものなどいない。

 カイエンはここで言うまでもなく女である。

 そして、大公という地位にいる。

 それでも、このことに対する疑問を持ったことはなかった。

 女でありながら大公という地位にある。

「女でありながら」

 カイエンはそこに何の疑問を持ったことはなかった。

 教授の発言はそこを直撃してくるものであった。

 カイエンは答えようとしたが、唇が魚のようにパクパクするだけで、言葉にはならなかった。

 心の中では、様々な言葉が溢れている。

 女は男よりも非力だから。

 女は男のように働けないから。

 女は子供を産み、育てなければならないから。

 女は、

 女は。

 いや、様々な言葉が溢れてはいない。

 言葉で考えれば、大した理由なんてない。

 だが、現実問題として、イメージはできる。

 戦場で、剣の技量が等しい女と男が刃を合わせたら。

 女が力で押し負ける。

 それでも、彼女に一般の兵士以上の能力があったとしても。

 結婚すれば、妊娠すれば、もう戦士ではいられない。

 妊娠した女が戦場に出ることはありえず、出産すれば乳母でもつけない限りは子の養育に当たらねばならない。

 だがそれは義務というよりは、本人の希望でもあるだろう。

  カイエンの後宮を守っている女騎士三人の中で、一番年上のブランカは結婚、出産の後に再士官した。

 だが、士官とは言ってもそれは傭兵としての士官だ。

 それでも、それは彼女の家族が彼女の子供の世話ができるという環境があり、しかも彼女が仕事をしなければならない家庭の事情によって可能になったものだ。

 だが、ブランカの例を見るまでもなく、それは「絶対的」なものではない。

 それなのに、社会はそういうものとして流れている。

 男が女を養うべき、という考え方もあるだろう。

 習慣、肉体的なもの、理由にはいくつもが絡み合っている。

 はっきりいえば、危ない仕事は体の丈夫な男がすればいい。

 女の一番の仕事は子供を産み、育てることだから、だろうか。

 でも、でも。



 カイエンは慎重に答えた。

「女性は兵士として勤め上げることが難しいから、でしょうか」

 それが精一杯だった。

 男なら、結婚しても子ができても兵士として同じように、ずっと、死ぬか年取って退役するまで勤められる。

 だが、女性には出来ない。

 マテオ・ソーサ教授は、そう言うカイエンを、真面目な表情で見守っていた。

 ヴァイロンは言葉もない。ただ、見ているだけだ。

「まあまあのお答えです」

 教授は真面目な顔のまま、言った。

「ですが、本質をとらえてはいませんな」

 そう、言いながらも、彼は厳しく付け足した。

「大公殿下はどうしてご自分が大公になれたとお思いですか」

 カイエンは震えた。

 ゆっくりと教授の顔を見上げる。

「父が……父がそう、望んだから」

 そう言っている自分に戦慄する。

 あああ。

 カイエンは次の教授の質問がもう解ってしまった。

「そうですか。では、大公殿下自身は大公におなりになりたいとお思いでしたか?」


 天地がひっくり返った。

 この世には、兵士になりたかった女が何人いたか。

 今までの歴史の中で。

 そうだ。

 兵士だけではない。

 役人になりたかった女が。

 医師になりたかった女が。

 ……になりたかった女が。

 何人いるか?

 彼女らはみんな、諦めてしまったのか?

 いいや、それとも?


 幻影のように、カイエンは見た。

 マリアルナ。

 幼馴染の彼女の顔を。

 彼女は医師になりたがっていた。

 でも、なれないままに病で亡くなった。

 あの苦しみ。


 はしり去るなにをか得んと人の世にぶちのめされる朝に戻れば


 カイエンは、教授に向かい合った。

「教授、教えてください。私に何ができるのかを」

 マテオ・ソーサ教授はしっかりとうなずいた。

 土気色の痩せた小さい顔が、やや紅潮しているように見えたのは、カイエンの見間違いだろうか。

「わかりました。お教えしましょう。でも、この件に関しては顧問料は受け取りませんよ、大公殿下」

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