第三話 柄前と相良
ジョヴァンニは急須と湯呑が乗った盆を持ったまま足を止めた。
相良という警察官の目的は敢志だった。
朝餉の準備をした後の燻る火を再び焚きつけ茶を沸かす。結構な時間がかかるのに居間からは何も話し声が聞こえない。
そしてようやく両親の死を告白し合った部屋で、別の死者の名前が飛び出した。
ジョヴァンニに盗聴の趣味はない。しかし、いつも自分が登場する前に重要な話が始まってしまう。
今回も、縁側を慎重に歩いているところに知った名前が飛び込んできたのだ。
敢志と違い『日報謎怪』で柄前の名を知ったジョヴァンニは、彼を警察官で未確認生物に殺害された男と認識している。
そして襖の向こうではその男の話が始まった。
「柄前殿は、某の師であった。警察の鏡の様な御仁……某はあの方を目標に警察人生を歩んでおりました。なのに……。」
相良は正座した膝の上で拳を握る。
込み上げる熱い雫を抑え込み、鼻をすすった。
「本日はあの方の最期を見届けた伊東殿に、全てを聞く為に参りました。某の師、警察の鏡でもある柄前 肇殿の最期を教えてくだされ。」
またあの射抜くような視線。
敢志はそれに心当たりがあった。あの時は横顔のみだったが、それでも分かるこの使命感に溢れた瞳は———柄前 肇と同じ目だった。
敢志が柄前を見たのは彼が客車から出て行く時のみ、次に会った時彼は既に帰らぬ人となっていた。
そのせいで今度は敢志が拳を握る番だった。
「すみません。」
敢志の表情に相良も何かを悟った。
「俺が見た時にはもう……。」
同時に俯く二人。
「そうでござったか。」
もしあの時もっと早く自分が現場に行っていれば……。そんな悲観的な気持ちになってしまう敢志。
だが、それは相良も同じだった。
「某もあの場に居れば。」
拳の上にポタリと雫が落ちる。
一人にした方が良いと判断し、敢志は静かに腰を上げた。
炊事場に向かう縁側に出た瞬間、背の高い梔子色の髪色が視界に入る。
「またか。」と眉間に皺を寄せたが、ジョヴァンニは「たまたまだ。」と小さく呟いた。
二人して炊事場に退散しようとしたその時
「伊東殿。」
「は、はい!」
涙を拭いた相良が、まだ少し震える声で敢志を呼ぶ。
しかし次ははっきりと凛々しい声で事件の話を再開した。
「もう一つ確認をしたいのですが、事件が発生した客車に木製の箱が存在した、これは間違いござらぬか?」
亡き師を振り払い、仕事の表情になる相良。
その姿に応えようと敢志も少し声量を上げて返事をする。
「はい!」
ジョヴァンニともう一度居間に戻り、きちんと警察官の顔をした相良と向き合った。
ちゃぶ台の上には三人分の湯呑が置かれ、相良は紐で留められた手帳と鉛筆を取り出した。
殺傷能力がありそうなほど先の尖った鉛筆は、主の性格を表しているかのように綺麗に削られている。
今まで出会った警察官とは違う、威圧感でなく熱意を持った相良に敢志はあの事件について尋ねた。
「あの木箱を乗せた客車は一体何ですか?」
「……。」
少し丸くなった鉛筆の芯にヒビが入る。
「それは職務上秘密でござる。」
それで簡単に引き下がる敢志ではない。
「木箱の事は警視庁でも証言しました。しかし、翌日の新聞には取り上げられていなかった。それには何か理由が?」
相良は何も言わない。
だが、返答しづらい質問をされたのは手元でわかる。
何度も手帳に触れ、頁を捲っている。
人相書きや走り書き、何かの証拠品だろうか狐の面の様な絵も見える。
三周ほど手帳を捲り終え、ようやく相良は口を開いた。
「それはお答えしましょう。」
咳払いをする相良に二人は注目した。
「某は今、ある事件を追っています。柄前殿と追っていたとある事件です。ですが、非常に大きな事件故、犯人たちに我々が勘付いたことがバレぬよう細心の注意が払われているのでござる。」
敢志は生唾を飲んだ。まさか自分がそんな事件に巻き込まれていたとは思いもしなかった。
「落ち込むな。」
と、肩に手を添えるジョヴァンニに相良が視線を向けた。
「残念ですがギルバーツ殿も他人事ではござらん。」
ジョヴァンニも変装していたとはいえ、あの客車に乗っていた。
しかし彼は真犯人を見つけただけだとたかを括っていたがそうではなかった。
「昨日の牛鍋窃盗事件も、某の追っている事件の一部である可能性が浮上しました。」
今度は敢志がジョヴァンニの肩に手を置いた。
「犯人に気絶させられた者同士頑張ろう。」
という敢志のにやけた表情に、落ち込んだジョヴァンニの視線が刺さる。
「では先に気絶された君を私の師と呼ばせてもらおうか。」
「やめろよ! そんな不名誉な称号!」
「師よ、お茶が冷めますよ。」
「だーかーらー!」
二人で言い合っていると、初めて相良が微笑んだ。
若者の朗らかな笑顔に空気まで柔らかくなる。
「御二方、とても仲が良いのでござるな。」
「えっ?」
先に反応したのは敢志。
異国を嫌っている自分に向けられた言葉に唖然とした。
「新聞や調書では最近知り合ったばかりだと認識しておりましたが違いましたか?」
「いえ、あっていますよ。」
首を思い切り縦に振る敢志に、相良は目を丸くする。
「そうは見えませぬな。何と言うか……。」
二人を見比べる相良。
「国の境を感じさせない。うむ、これでござるな!」
閃いたとい手を叩く相良の発言に急に恥ずかしくなり、敢志は話題を戻した。
「ところでどうして昨日の牛鍋事件も関係しているんですか?」
「それも秘密でござる。」
朗らかな表情が一変し、職務上の黙秘を貫き通した。
「では、某はこれにて。」
湯呑を煽り、口が触れた場所を拭うと、丁寧にジョヴァンニに礼を言う相良。
横に置いていたサーベルを再び腰に携え、真っ直ぐな姿勢から綺麗にお辞儀をする。
店の前まで相良を送る二人。
「お時間を頂戴してしまい申し訳ござらん。そして伊東殿、ギルバーツ殿……。」
悲しみを耐えながら敬礼する相良。
「あの蒸気機関車事件、少し狂えば柄前殿の遺体は捨てられていた可能性もありました。それでも無事に戻ってきたのは御二人のお力あってこそ。柄前 肇少警視に代わり礼を申します。誠感謝いたす!」
敬礼する右手の血管が浮き上がっている。
「某はこの事件の続投を命じられました。柄前殿の為にも早期解決を目指します。……まだ師の足元にも及びませぬが。」
肌色のみの右手がゆっくり下ろされる。
そして天を仰ぎ、亡き師に誓うように目を閉じた。
「……。相良さん。」
「何でござろう。」
敢志に向けられた瞳はやはりあの使命感に満ちた熱を帯びていた。
「そっくりですよ。」
「はて。」
「柄前さんと相良さん。同じ瞳をしています。」
相良の胸が熱くなる。
「もう柄前さんの意志は受け継がれていますよ———あなたに。」
瞳から大粒の涙が溢れ出た。彼にとって今の言葉はこの難事件と師の死に立ち向かう大きな糧となった。
深々と頭を下げ、来た時より逞しくなった背中が弁柄堂を去っていく。
二人は店の前で突き進む警察官の背中が見えなくなるまで見つめていた。
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