Act.7 試験開始

 優秀な騎士と魔術師の育成を目的として、『騎士科』と『魔術科』という二つの学科に分かれている学園の授業内容にも、共通科目と呼ばれるものは存在する。

 竜関連の知識を学ぶ『竜識学』、『波動滑走機ウェイブ・ライダー』などの機械技術を学ぶ『魔導機学』、『ミッドガイア』の歴史や情勢を学ぶ『史世学』の三つがそれだ。

 無論、両学科特有の教科も存在しているが、今回の試験で筆記科目として出題されているのはその三つだけである。

 正直な話、エルクの一件に関わってしまったミリアとしては、筆記試験が三教科だけで済むと知った時は心の底から安心したものだった。

 残念ながら不得意な教科となってしまった魔術の鍛練に加え、いつ終わるかもわからない竜素材の収集まで行なう羽目に――自業自得とはいえ――なってしまったのだ。日々の時間割りをこなすだけでも一苦労なのに、試験範囲がとんでもなく広いだなんて堪ったものではない。

 不幸中の幸い、とでも表現すればいいのか、とにかくこうして試験当日を無事に迎えられたのは、級友達の力添えのおかげだ。

 渋々ながらも魔術の指導をしてくれたエルクにはもちろんだが、筆記試験の勉強を協力して行なってくれたバネッサとセシリーにも感謝せねばなるまい。

 尤も、その協力を結果に繋げなければ、全てが水の泡となるのだが。

(退学になるかどうかが掛かってるんだもん。最後まで気を緩めずに乗り越えなきゃ!)

 教室に着いて自分の席に座り、筆記用具などの準備をしながら、ミリアは気を引き締め直した。

 筆記試験の開始となる午前九時まで、残りあと僅か。一教科五十分で、休み時間は十分。最後の科目が終われば、そのあと一時間は昼休みなので、筆記試験自体は十二時前には終わる計算だ。

 すでに答案用紙は、裏向きの状態で机の上に置かれている。開始の号令まで裏返さないようにと、担当教師が注意を繰り返している。

 ふと隣を見ると、セシリーがぼそぼそと何かを呟いていた。恐らく、試験勉強の内容を小声で復唱しているのだろう。

 彼女はミリアの視線に気付くと微笑みを浮かべて、「頑張ろうね」と小さな声で話し掛けてきた。

 ミリアも同じく笑みを浮かべて、力強く頷き返す。

 するとその直後。中庭にそびえる時計塔の鐘楼が、開始を告げる鐘の音を響かせ始めた。

 教室内を包んでいた張り詰めたような空気が、さらに強くなった。

「それでは、試験を開始します」

 担当教師の合図によって、生徒全員が一斉に答案用紙を裏返し始める。

 最初の科目は『竜識学』。授業で学び、友達と教え合った知識を総動員すれば、必ず結果は付いてくる。

(よし……! やるぞ!)

 鼓舞するように自分に言い聞かせながら、ミリアは筆記用具を手にした。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






「だはーーーーーーっ! やっとあの重苦しい空気から解放された……」

 静寂なる戦いが終わり、ようやく迎えた昼休み。ミリアとセシリーはバネッサと食堂で合流し、購買部で買った昼食を手に中庭まで歩いてきた。

 大袈裟な身振りで芝生の上に倒れ込むバネッサ。いつも明るい彼女にしては珍しく、少々気が滅入っていたらしい。

 最早放心状態に近いバネッサの右隣に腰を下ろしながら、ミリアは苦笑する。

「まぁ、気持ちはわからなくもないよ。教室に入った時から、言葉にしにくい緊張感みたいなのがあったよね」

「でしょー? 私あーいうの苦手なんだよねー。試験中、何回か叫びそうになったわ」

「ごめん、最後の部分は共感できないや……」

 バネッサらしいと言えばらしいのだが、その気持ちに同意できるかはまた別の話である。

「でも、あんまり気を抜いてもいられないよ? 昼休みが終わったら、今度は実地試験が待ってるんだから」

 バネッサを挟む形でミリアの反対側に腰を下ろしながら、苦言を呈するセシリー。

 すると芝生に寝転ぶ女騎士は、うんざりしたように溜め息を吐く。

「はぁ……、なんて気の利かないパートナーなのかしら。少しはこの平和な時間を享受しようとは思わない訳?」

「気を抜き過ぎないでって言ってるだけでしょ。バネッサの悪い癖だよ?」

「へーへーすいませんねー」

 と、微塵も反省した様子のないバネッサは、そこでようやく上半身を起こした。それを合図に、三人はそれぞれが購買部で手に入れた昼食を自分の膝の上に広げ、会話を続けながら食べ始めた。

 天空から注がれる午後の日光は、柔らかく暖かい。時折緩やかな風が吹き抜ける事もあるせいか、気を抜くと盛大に呆けてしまいそうだ。

 食事がある程度進んだ所で、バネッサが白い容器に入った橙色の液体――恐らくオレンジジュースだ――を一気に飲み干し、ふぅと息を吐いた。

 先程までと違って、真剣さを感じさせる表情で口を開く。

「でもまぁ、セシリーの言う通りね。今回ばかりはふざけてやり過ごしていいような事じゃないし。竜との戦いは命懸けなんだから、下手な真似――」

 と、そこまで言葉にしたバネッサが、突然何かに気付いたようにこちらを振り向いた。不思議に思う間もなく、バネッサは言う。

「あっ、ごめんミリア。命懸けなんて軽はずみな事言って……」

「えっ……? ああ、気にしてないよ。実際バネッサの言う通りだもん」

 バネッサ達はミリアの過去を知っている。だからこそなのか、二人はたまにこうして、自分の発言を改める事がある。

 正直、過去の記憶が部分的に曖昧なミリアは、『こんな事を言われたら嫌な記憶が蘇る』、というのがあまりない。無論、何を言われても平気な訳ではないが、それでも二人はちょっと気を遣い過ぎているように思う。

 もしかしたら、入学式の日に話したエルクとの出逢いの一件が、二人の中でまだ尾を引いているのかも知れない。

「私より、二人の方こそ大丈夫なの? 確かまだ竜に遭遇した事ってないんだよね?」

 二人の顔を交互に見ながら尋ねると、セシリーが伏し目がちに答えを返す。

「私は、正直不安かな。教科書の挿し絵でしか見た事がないから、本物に会ったら腰抜かしちゃうかも……」

「……確かにね。二人で予行練習に出掛けたけど、成果なかったし……」

「? 予行練習って?」

 バネッサが口走った言葉が引っ掛かり、ミリアは僅かに首を傾げた。言葉の響きからして、気分の良くなる事ではなさそうなのは想像がつく。

 後ろめたい事なのか、バネッサは少々困った様子で右頬を掻いた。

「ああ、そういえば言ってなかったわね。実は私達、一度本物の竜に遭遇しておこうと思って、何度か学園の外に出掛けてるのよ」

「ええっ! そんな事してたの!?」

 思わず声を張り上げ、目を丸くするミリア。バネッサの隣では、セシリーもどこか申し訳なさそうに苦笑している。

「いやー本当はあんたも誘おうかと思ったんだけどさ。あんたは昔の事もあるし……」

 と、そこで一旦言葉を切ったバネッサは、口許に手を当て、なぜか意地の悪そうな笑みを浮かべてみせた。

「それに誘おうとした時に限って、ミリアさんたらあの朴念仁騎士様と出掛けたりしてらっしゃいましたからねぇ。どこに行って何をしてらっしゃったのかは存じ上げませんけど」

 おほほほほ、とわざとらしい口調と笑い方で、エルクとの事を冷やかすバネッサ。

 本人は面白そうにしているが、エルクの事情をあれこれ知ってしまった今となっては、ミリアとしてはこの手の弄られ方は反応に困る。

 隣の二人は未だ、エルクに関する秘密を知らない。話していないのだから無理もないが、彼の事はちょっと無愛想な腕の立つ騎士科の生徒、くらいにしか思っていないはずだ。

 もしも二人がエルクの正体を知ったら、一体どんな反応を示すだろう?

 隠し通すつもりはないが、知られ過ぎるのも厄介だ、と語っていたエルクの顔を思い出す。彼の性格からして、事情を知る人間を増やすのは気が進まないのだろう。

 似たような過去を持つミリアにだって、エルクの心情は理解できなくはない。事情を知る人間を増やすとはつまり、その分だけ自分の辛い過去を繰り返し思い出さなければならないという事だ。誰だって大なり小なり、抵抗を覚えるものだろう。

 しかしその反面、彼は人に頼る事をしなさ過ぎている、という感情がミリアの中にはある。

 あと少し、ほんの少しだけでいいから誰かを頼ってほしい。

 ……欲を言えば、その誰かが自分であってほしい所なのだが。

「それにさっきも言った通り、成果は全然上がらなくてね。結局一度も竜には遭遇しなかったわ。おかげで私は『魔術科』でもないのに、セシリーさんによる『魔草薬学』の単独授業を受ける羽目になっちゃってさー」

「もうっ、ごめんってばー! 魔草について語り過ぎちゃったのは何回も謝ったでしょー!?」

 ぼんやりしている内にいつも通りの二人の掛け合いが始まり、ミリアは笑みを溢しかけた。しかしふと何かが脳裏を過り、思わず笑うのを止めてしまう。

 突然湧き上がった、違和感のようなもの。何気ない会話の中で生まれた疑問だったからこそ、よりその異質さが際立ったように感じる。

(竜に遭遇しなかった? ただの一度も……?)

 彼女達が『予行練習』と称する外出を、これまでに何回行なったのかは定かではない。だがバネッサは、確かにそう断言したのだ。

 成果がなかったと嘆く二人。それに対して、自分とエルクはどうだろう。鍛練に赴く度、素材集めに出掛ける度、ほぼ十割と言っていい確率で竜が現れ、命のやり取りを行なってきた。

 運が良かった――という表現がこの場合正しいかはともかく――で済ませていい話ではないように思う。作為的とまでは言わないが、何らかの要素が働いているように感じられる。

(エルクに聞いてもわからないだろうけど、でも……)

 この奇妙な違和感だけは、伝えておかなければなるまい。竜に関する事なのだから尚更である。

 ただ問題は、当の本人が今どこにいるのかわからない事だ。

 食堂にいなかったのは間違いないが、そうなるとどこで休憩を取っているのか見当がつかない。そんな状況で下手に探し回れば、貴重な昼休みの時間を無駄にしてしまう。午後の試験の準備もある以上、軽はずみな行動は控えるべきだ。

 よって、取るべき選択肢は一つ。

(遠征先に着いてから、それとなく相談してみよう。訓練中に話す事になっちゃうけど、今無闇に探し回って伝えるよりは効率的だし)

 じゃれあう二人に気付かれないよう、密かに決断するミリア。

 どんな反応を返されるかわからないが、とりあえず今は友達との談笑を楽しもう。

 羽を伸ばせる時間は、限られているのだから。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






「――ディアフレール。ちょっといいか?」

 それは昼食と午後の準備を終え、『魔導転送門マジック・ゲート』のある正門に向かおうと、教室から廊下に出た時だった。

 やけに深刻さを感じさせる声に呼び止められ、エルクは疑問を感じながら振り返った。

 いつ現れたのかわからないが、声の主であるリンディ・マーフェスは、声色通りの表情で佇んでいた。

「どうかしたんですか? マーフェス先生」

「……こんな事、教師の立場である私が口にするべきではないと思うのだが……」

「……はい?」

「気を付けろ」

「!」

 警告するように重苦しく告げられた言葉に、エルクは思わず目を瞠った。

 あまりにも突然過ぎるその言葉は、意味を理解するよりも前に、エルクに事態の深刻さを感じさせた。

 僅かに戸惑うエルクを他所に、リンディは続ける。

「明確な事は何も言えない。だが今回の実地訓練、何かが起きるのは間違いない。決して、気を緩めないでくれ」

「……先生。どうしてそんな話を俺に?」

 擦れ違うように横を通り過ぎ、去っていこうとするリンディに呼び掛けると、彼女は立ち止まり、肩越しに振り向いた。

「何かが起きるとしたらキミの……いや、キミとクロードライトの傍以外に考えられない。心当たりはあるだろう?」

「……」

 思考を促すような指摘をされて、エルクは黙り込んだ。そんなものありませんと、即答できない自分がいたからだ。

 それに恐らく今、両者は同じ人物の顔を思い浮かべているに違いない。学園の長を勤める、とある男の顔を。

 試験当日は学園長も現地に赴くという記載がなされた試験内容の貼り紙を見た時から、エルクはずっと嫌な予感が拭えなかった。

 彼が何を企んでいるかはわからない。だがリンディが警鐘を鳴らすように、何かが起きるとしたら今日だ。

(……それにしても意外だったな。マーフェス先生がこんな事を言ってくるなんて……)

 学園長と同じ教師という立場から、彼女はエルクとはまた違った視点で引っ掛かりを覚えているのだろう。

 ただ、疑惑はあるが確証がない。そこはエルクと同様らしい。どこか悔しさを滲ませているような表情を垣間見せ、リンディは静かに踵を返す。

「とにかく、私に言えるのはこんな事くらいだ。せめて頭の隅にでも留めておいてくれ」

 姿勢正しく歩いていく彼女の後ろ姿は、いつも以上に凛としていて、不思議と目を奪われてしまう。

 と、何を思ったのか数メートル進んだ所で彼女は再び立ち止まり、背を向けたままこんな事を言った。

「……無責任に聞こえるだろうが、それでも私は、キミ達の帰還を祈っているよ」

 表情は窺い知れないが、身を案じられているのは確からしい。声色が先程より優しくなっているのが、その証拠だ。

 ありがとうございます、とでも返せばよかったのだろうが、エルクがそれを口にする前に、リンディは再び歩き出してしまった。

 規則違反の一件から、正直な所エルクは、リンディにはあまり快く思われていないだろうと感じていた。だからこそ、彼女の方から声を掛けてきたのも意外だったのだが、どうやらそこまで嫌われている訳でもないようだ。

 ただし今の台詞を、あまり額面通りに受け取る気にはなれない。

 なぜなら彼女は、『帰還を祈る』とは口にしたが、『無事に帰ってこい』とは言わなかった。それはつまり、覚悟しているという事だろう。

 仮に何かが起きた場合、決して無事では済まないという事を。

(手厳しいが、あの人らしい言い回しだな)

 いつの間にか、リンディの後ろ姿は見当たらなくなっている。短い会話だったが、覚悟を決めるには充分な時間だった。

 意を決した表情で、エルクも正門に向かって歩き出す。

『シュバルト大森林』へ出発する時刻まで、あと僅かだった。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






「――今から緊急離脱用の『転移石ゲート・ストーン』を配布する。各自持ち物を確認し、取り忘れる事がないように!」

 午後の集合場所となる正門前は、全校生徒が一堂に会している事もあって、かなり騒がしくなっている。学年毎に別々の訓練地へ向かう為、教師陣からの指示があちこちから飛び交い混沌とする様は、まるで本物の戦場にいるかのようだ。

 移動やら点呼やらで忙しなくしている生徒達の輪の中で、ミリアは腰に巻いた革製のベルトポーチの中身を確認する。

(回復薬は入れたし、治療道具も一式入ってる。地図もちゃんと入れてあるから、あとは石を受け取れば完璧! ……のはず)

 思ったよりも荷物が少ない事に、今更ながら不安を覚えるミリア。もっと色々準備した方が良かったのではないかとも思うが、竜との戦闘も考慮しなければいけない以上、装備は身軽である方が動きやすい。

 気を引き締め、バネッサ、セシリーと共に配布物を渡している列に並んで、係りの者から『転移石ゲート・ストーン』を受け取る。

 明度の高い青色に染まった、掌に収まる程の大きさの石。本来これは、真珠のような光沢のある紫黒色の鉱石、つまりは『精魔石エレメント・ストーン』なのだ。

 の石は組み込んだ魔力や術式に反応して、様々な色に変化する性質を持っている。それ故、組み込んだ術式に応じて、名前を変えて呼び分けているのだ。

 一人一個という事は、パートナー間で二個。一個の石で二、三人は転移できるはずなので、片方は万が一の為の予備という計算なのだろうか。

「『魔導転送門マジック・ゲート』もそうだけどさ、転移って便利な魔術よね。歩いたら何日も掛かるような距離でも、一瞬で到着しちゃうんだから」

 右手に持った石を眺めながら、実に能天気な声を出すバネッサ。その隣で相棒の様子を見つめ、セシリーは苦笑する。

「私達は使うだけだからね。でもゲートを設置するのって、凄く難しいらしいよ? 繋げたい場所同士の正確な座標を術式に組み込まないと、大変な事になるんだって」

「……何よ、含みのある言い方するじゃない。大変って、具体的には?」

「座標のズレがそのまま身体に伝わって千切れ――」

「ギャーギャーッ! さらっと恐ろしい事言おうとしないでよ! まさにこれからその転移を使おうとしてんのに!」

「聞かれたから答えただけなのに……」

 しょんぼりするセシリーの隣で、ミリアも若干引き気味に苦笑する。ゲート同士の転移でそういう事が起こり得るなら、石を使った場合でも起こり得る可能性は充分ある。が、まだ入学して一月とはいえ、そのような大惨事が起きたと耳にした事は一度もない。

『教団』によって徹底管理されている魔術と機械技術が、月日を重ねる毎に向上しているという事実の表れなのかも知れない。

 そんな風に思った瞬間だった。


 ――万能じゃない。


 ミリアの脳裏に浮かび上がった、少年からの戒めの言葉。

 忘れようと思っても忘れられない。悲痛という言葉を形にしたような、あの声と、あの表情だけは。

「おーいミリアさーん。心ここにあらずなようですけど、もうじき出発しそうですよー?」

「! あっ、ごめんごめん。ちょっと筆記試験の結果が気になっちゃって……」

 こちらを覗き込んでくるバネッサに、作り笑顔を返すミリア。

 するとバネッサは殊更嫌そうな表情を浮かべて、寒気でも走ったかのようにわざとらしく身体を震わせた。

「うへぇー、真面目過ぎでしょあんた……。ただいま絶賛試験中だってのに、もう結果気にし始めてんの? 頭下がるわー」

「……物好きなガリ勉って言われてるようにしか聞こえないんだけど?」

「鋭いッ!!」

「胸張らないで!」

 からかうバネッサに鋭い切り返しで応じるミリア。おかしそうに笑みを溢すセシリーも含め、三人で相も変わらずなやり取りを続けている内に、新入生の集団がゲートに向かって進み始めた。

 一度に二十人くらいの生徒が、祭壇のような正方形の白い台座に上がり、発生した眩しい光に包まれて姿を消す。そんな光景を繰り返し見続け、いよいよミリア達の番となった。

 ゲートの両端に立った二人の教師が、式句となる言霊を同時に唱え始める。すると祭壇の四隅にある水晶のような球体と、台座に刻まれている魔法陣から、徐々に白い光が発生し始めた。

 視界が白く染まり、見慣れた学園の景色が消え去っていく。

 そうして三秒も経たない内に、一色に塗り潰されたはずの景色が急速に本来の色を取り戻し始めた。

 転移した先に広がっていたのは、ミリアの予想よりも遥かに鬱葱とした緑多き風景だった。

 灰茶色の仮設テントが建ち並ぶ、やや楕円形状に開けた野営地には、前情報通り清らかな水を湛えた泉がある。地面はある程度均されており、テントの外にも備品が整頓して置いてある為、若干人の手が加えられた感はある。

 だが、野営地の外に視線を向けると、景色がかなり変わった。

 大森林、と名付けられるのも当然だと頷けるほど、広範囲に連なる深緑色の木々。天を衝かんばかりにそびえる大きさの木もあれば、太い幹で多くの枝葉を支える逞しい木もある。

 巨大な白亜の岩石が所々に転がっている地面は、緑の苔や落ち葉に覆われていて、少々滑りやすそうだ。巨竜の鉤爪を思わせる太い木の根が露出している箇所も多く見られ、凹凸の目立つ地面は、整備された街道などとは違って格段に足場が悪く見える。

 今からこんな景色の中に放り込まれるのかと思うと、自然と表情が固くなる。

 平坦な道のりではない上、運悪く竜に遭遇すれば戦闘は免れないであろう事を踏まえると、石を回収しつつここまで戻ってくるというのは、かなり骨の折れる作業だ。

「うっはー……。何よ、この魔の巣窟感……」

「まさに一筋縄じゃいかないって感じだね……」

 木々の隙間から陽の光は射し込んでいるが、空が開けている野営地と比べると、森林の中はほんの少し薄暗く感じる。

 ややざわめいている新入生一同と同じく、バネッサとセシリーも口々に感想を漏らしている。

 そんな二人とは対照的に、ミリアは姿の見えない相棒を探して、右に左に視線を投げてみた。が、近くにそれらしい人物はいないので、しょうがないなぁと溜め息を吐く。

「ごめん、二人とも。私、エルクの事探してくるね。もう始まっちゃうはずだから」

「あらまぁ。着いて早々見せつけるような真似すほぶッ!!」

「うん、わかった。お互い試験、頑張ろうね」

 優しい笑顔で快く送り出してくれたセシリーに、ミリアは大きく頷き返して、その場を後にした。

 ……ちなみにバネッサの語尾がおかしかったのは、セシリーが彼女の横っ腹に肘鉄を入れたからである。

(エルク、どこにいるんだろう? ここへ来る前に点呼は取ってるはずだから、いないはずないんだけど……)

 生徒達の間を擦り抜けながら、忙しなく辺りを見回すミリア。

 時折擦れ違う教師陣が、懐中時計で時間を確認している。恐らくもう、野営地の各所で開始の準備が整おうとしているに違いない。

 宛てもなく歩き回っていると、やがて前方に、見慣れた青色の髪を見つけ、小走りで傍らへと近付く。

「もうっ、少しは私の事探そうとしてよね。到着しても姿がないから心配したじゃない」

 今日はまだ一度も顔を合わせていなかったというのに、ミリアは挨拶もなしにそう切り出した。

 しかし、やはり相手も手強い朴念仁である。不満を口にしてみせても、涼しい顔で切り返してくる。

「……別に今すぐ集まる必要もないだろ。訓練開始と同時に、パートナーは同じ座標に飛ばされる。前以てそういう説明があったと思うが?」

「こういうのは気持ちの問題なの!」

「……それはどうも」

 明らかに煩わしそうなエルクの態度に、内心拗ねた子供のような腹立たしさを抱えるミリア。

 以前は彼にあしらわれると、寂しいと思う気持ちの方が強かったのだが、いつの間にか、相手にしてもらえないと不満を持つようになってしまった。

 妙な心境の変化だなぁと感じる度、思わず溜め息をついてしまいたくなる。

「あっ、そうだ。あのねエルク――」

「ごきげんよう、新入生諸君」

 気を取り直して昼休みの出来事をエルクに話そうとしたその時、野営地の中心に置かれた講壇の上から、学園長の声が聞こえてきた。

 エルクと二人、身体ごと壇上の方へと向き直る。

 何かしらの魔術による効力なのか、彼の声は拡声器でも使っているかのように、広範囲に響き渡っている。

「午前の試験はどうだったかな? 手応えを感じている者も不安に思っている者も、まずはお疲れ様と言っておく。……だが気を抜いてはいけない。キミ達にとっての本番は、寧ろこれからだ。ここは本物の戦場であり、キミ達は戦わなければならないのだ。本物の、化物と」

 ああして少し高い位置で話しているオズワルドを見ていると、入学式の時の事を思い出す。

 以前からエルクは彼に対して嫌悪感を抱いているようだが、ミリアからすれば、あの堂々とした立ち振る舞いは、素直に尊敬できるものだと感じる。

 そんな事を考えつつ、ふとミリアは隣の少年に視線を送ってみた。そして、彼の表情を目にした途端、微かに心臓が嫌な跳ね方をしたのがわかった。

 壇上のオズワルドを見つめるエルクの顔には、明らかに敵意のような感情が浮かんでいる。微かにだが眉間には皺が寄り、蒼い瞳にはやや剣呑とした光が垣間見える。一体学園長との間で何があれば、こんな表情になってしまうのだろう?

 不安に近い疑問を抱くミリアを他所に、学園長の話は続いていく。

「始める前にこんな話をするのはなんだが……実を言うとね、この実地訓練では多かれ少なかれ、毎年必ず脱落する生徒が出るんだよ」

 いきなりとんでもない話題を放り込まれた事で、生徒達が俄かにどよめいた。そんな生徒達の間に見える、講壇下に並んでいる教師陣も、微かに慌てているようだ。

「学園長! なぜそんな話をここで――」

 衝撃を受けた者達を代表するかのように、異議を申し立てようとするリンディ。

 しかし、オズワルドは彼女の方を見ずに右手で制し、真剣な顔付きで話を続ける。

「脱落した生徒のほとんどは、今まで竜に遭遇した事のない者達だった。本物の戦場で、本物の竜を目の当たりにして、心が挫けてしまうんだ」

 オズワルドは一旦言葉を切ると、ゆっくりと生徒達を見回した。

「キミ達の中にも、少なからず恐怖を感じている者はいるだろう。だが、それを恥じる事はない。これはあくまでも試験であって、キミ達は学園の生徒なんだ。自分の命をなげうってまで、竜に挑もうとする必要はない。もしも命の危険を感じたら、恐怖に立ち向かえなくなったら、迷わず『転移石ゲート・ストーン』を使って離脱してくれ」

 その言葉は、学園の長である人間が口にするべき言葉ではなかったかも知れない。戦闘ではなく逃走を促しているのだから、育成機関の支配者としては失格だと思う人間もいるだろう。

 なぜこのタイミングでこんな話を? と、ミリアも疑問に思い掛けた、その時だった。

「……だがもしも」

 壇上のオズワルドが、付け加えるかのように発言し始めた。

 彼の言葉には続きがある。その真意を、まだ語り尽くしてはいないのだ。

「だがもしも、ほんの少しでも竜に立ち向かう気概が、勇猛さがあるのなら、左胸に守護者の紋章を持つ者として、どうか戦ってほしい。恐怖を振り払い、彼らを駆逐し、勝利をその手に掴め。……諸君らの健闘を祈る」

 そう締め括ると、オズワルドは優しげな笑みを浮かべた。

 選択権はキミ達にある。例えどのような決断を下そうとも、私はそれを責めたりしない。

 都合の良い解釈だと思われるだろうが、少なくともミリアには、オズワルドがそう語っていたように感じられた。

「私からは以上だ。――マーフェス先生、開始の合図を」

 数歩後ろへ下がりつつ、リンディに進行を促すオズワルド。立ち位置を変わる際、両者は短く言葉を交わしていたようだが、なぜかその時だけは声が響いて来なかった。

 起動と停止の術式でも組み込まれているのだろうか、とミリアは適当に当たりを付ける。

「各員、準備は整っているな? 決して最後まで気を抜かず、障害を乗り越え、再びこの野営地まで帰還せよ! ――ではこれより、実地訓練を開始する!」

 それは、リンディが高らかに号令を上げた直後。講壇を中心として、均された地面に紺碧色の光を発する魔法陣が出現したのだ。

 生徒全員を別々の場所へ飛ばす為の転送術式なのだろう。陣に描かれている不可思議な記号や模様は、よく見ると『魔導転送門マジック・ゲート』の台座に刻まれていたものと微妙に違っている。

 驚き目を瞠っていたミリアは、ふと腰の辺りに違和感を覚えた。

 何だろうと視線を移すと、ベルトポーチの隙間から、魔法陣と同じ色の光が漏れ出している。恐らくは中にある転移石ゲート・ストーンが、地面に出現した魔法陣の術式に反応しているのだ。

 あと数秒で転送されると感じ、ミリアが何気なく顔を上げた時だった。

 魔法陣から発する光がどんどん強くなる中、壇上に佇んで成り行きを見守っているオズワルド。その顔が、視線が、こちらを捉えている――ような気がした。

(今のって……)

 残像のように脳裏に焼き付くオズワルドの姿。勘違いかどうかを考える暇もなく、瞬間移動の証である眩い光は、ミリアの視界を包み込んでいった。

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