Act.5 練磨の日々

 火の粉が舞い、熱波が際限なく押し寄せる光景は、地獄以外の何物でもなかった。

 幼い少女にとって、目の当たりにさせられた現実は、どこまでも陰鬱で、凄惨で、残酷だった。

 だからこそ少女は、より惹き付けられたのかも知れない。

 絶望という名の深淵に沈み掛けた自分を、救い出してくれた存在に。


「初めまして、お嬢さん。ボクは――」


 青年が告げた答えは、少女には聞き慣れない言葉だった。

 だが、その青年が襲い来る竜に向けて放った色鮮やかな光に、少女は見覚えがあった。

 眠りにつく前、父がよく読んでくれた絵本に出てきた、七色の光を操る魔法使い。物語の中で悪さをする魔物を退治する為、その魔法使いは青年と同じ、色鮮やかな力を振るっていた。

 その姿を、迸る光の軌跡を覚えている。

 ほんの僅かな時間、少女は地獄の風景を忘却していた。それが許されるほどに見蕩れていた。

 心労と疲労によって意識を失うその時まで、ずっと。




 次に目を覚ました時、少女は青年が駆る小さな荷馬車に乗せられていた。

 何処とも知れぬ土地を目指す道中、青年は静かに少女に告げた。少女が暮らしていた村は竜によって焼き払われ、少女以外の人間を助け出す事はできなかった、と。

 それはつまり、少女の父もいなくなってしまったという事で。

 それはつまり、病魔によってすでに母も亡くしている少女が、天涯孤独の身になってしまったという事で。

 すまない、すまないと、青年は少女に懺悔し続けた。時には涙すら浮かべ、謝罪の言葉を掛け続けた。

 ところが、そんな事があったはずなのに、少女の記憶には、青年を責めた覚えが一切ない。

 ただ忘れているだけなのか、或いは幼かったが故に、責めるという行為すら思い浮かばなかったのか。

 ただ一つだけ確かなのは、少女が青年に感謝していたという事だ。

 助け出してくれた事に。命を救ってくれた事に。

 青年に憧れを抱く程、強く。

 やがて見知らぬ村に辿り着いた青年は、そこで見付けた孤児院に、お別れだと言って少女を預けた。

 別れ際、愚図る少女の首に紅い宝石の付いたネックレスを掛けながら、青年は優しげな笑みを浮かべた。


「いいかい、お嬢さん。これをキミにあげる代わりに、約束してほしい事があるんだ――」






 瞼を開けると、またもや視界が酷く歪んでいた。

 理由は考えなくてもわかる。学園に入学してから、結構な頻度で見るようになった悪夢のせいだ。

 ただ今回は、今までと少し様子が違った。悲しくて、辛くて、苦しかったのは確かだが、それだけで終わらなかった。途切れ途切れではあったものの、自分を助けてくれた魔術師あのひととのやり取りを思い出せたのだ。

 上半身を起こして両目に溜まった涙を拭い、ゆっくりと息を吐く。

「……何て言ってたんだっけ……」

 別れ際、ミリアに宝物を授けながら魔術師あのひとが口にした台詞。何かとても大切な約束だったはずなのに、今の今まで忘れてしまっていた。

 眠気を払って必死に思い出そうとするが、まるで頭の中に霧が掛かったかのように、記憶は途切れて消えてしまう。

 なぜ自分は、こんなにも大切な記憶を思い出す事ができないのだろう。

 憧れているはずなのに、感謝しているはずなのに、一番肝心な事を忘れてしまっている。

 命の恩人たる魔術師の名を。

 宝物を授けてくれた、優しい青年の名を。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






 現状優先すべきは、素材集めよりも中間試験を無事に乗り切る事だ。

 ……という賢明な判断を下したのは、もちろんミリアではなくエルクである。

 昨日の顛末から、魔術の指導を――当然周囲の者には秘密にしたまま――了承してくれたエルクだったが、ミリアが口頭で自分の実力を伝えるや否や、呆れ返ったように盛大な溜め息を吐いたのだ。


『そんな状態じゃ五番以内の成績なんて夢のまた夢だ。筆記試験はどうにかなるとしても、実技試験で間違いなく落ちる。……よくそれでさっきの条件を受けようなんて思ったな』


 ……と、実に有り難い苦言を呈されたミリアは、落ち込む所まで落ち込んだ。

 だが幸いにも、エルクはボンクラ、もといミリアを見捨てるつもりはないらしく、


『とりあえず、素材集めは極力後回しにするしかないだろ。特に期限を決められてる訳でもないし、まずは中間試験を乗り切って退学を回避するのが先決だ。早速明日の放課後から、実技主体の試験勉強を始めよう。もちろん時間が余れば素材集めも並行して取り組む。――それでいいな?』


 と、何だか先生と生徒みたいなやり取りを交わしたのだった。……まぁ魔術を教えてもらおうとしている時点で、強ち間違った表現でもないのだが。

「どうでもいいが、やけに眠そうにしてるな、お前」

 食堂での朝食を終えた後、午前の授業が始まるまでの僅かな時間を利用して、ミリアはエルクと放課後の予定を立てる為、中庭のベンチで待ち合わせた。

 着いて早々訝しげな顔で指摘され、ミリアは軽く頬を掻く。

「えっ!? そ、そんな事ない……気がしないでもない、ような気がするようなしないような……」

「……」

「……すいません白状します。眠いです。寝不足です」

 少年から発せられる無言の圧力に瞬殺され、即座に平謝りするミリア。

 対してエルクは、やれやれと言いたげに溜め息を吐く。

「明確な理由はあるのか?」

「あー……、実はね……」

 今もなお残っている眠気を払いつつ、ミリアは昨夜の出来事を語り始めた。




 それは、昨夜エルクと別れて、寮の自室に戻った後の事だ。

 一度に数多くの事象を消化した疲れから、知らず重い足取りになっていたミリアが、ゆっくりと部屋の扉を開いた瞬間――


「あんたあのエルク・ディアフレールと駆け落ちでもするつもりだったの!?」


 という、素っ頓狂な声と台詞に出迎えられたのだ。

 発言者はもちろんと言うかやっぱりと言うか、ルームメイトのバネッサ・ベザリアスである。

 どうやら話を聞く限り、最初にミリアがいなくなった事に気付いたのは、バネッサとセシリーだったらしい。

 姿の見えないミリアを心配して、二人で学園内を探し回っていた所で担任のリンディと出くわし、事情を説明してさらに捜索を続けた結果、『波動滑走機ウェイブ・ライダー』の保管庫の鍵が開いているのが見つかったのだ。

 おまけに、あの時ミリアが保管庫に置きっぱなしにしていた筆記用具――セシリーがきちんと回収してくれていた――が決め手となり、ミリアが『魔導機』を持って学園を抜け出したのだとあっさりバレてしまったのだそうだ。

 その後の展開は知っての通り。『治癒室』にミリア達が運ばれている間に、自室で待機を命じられていたバネッサとセシリーの許にリンディが訪れ、事の次第を告げたのだ。

 その結果が、バネッサの先の発言である。

 さすがにエルクの『呪い』の事までは知らされていないのだから仕方ないが、疲れて帰って来た人間に対して、その第一声はあまりにも遠慮がなさ過ぎる。

 脱力するミリアにお構いなしで、セシリーの制止も利かないバネッサは、夜が更けるその時まで質問攻めを続けたのだった。




「……ってな感じでさ。中々寝かせてもらえなかったんだよね……」

「……」

「で、でも大丈夫! 魔術を教えてもらうからには、気合いを入れて頑張るから!」

 空元気に近いと自覚しながらも、ミリアは両手で握り拳を作ってみせる。

 対して、ミリアのルームメイトに何か言いたげな表情を浮かべていたエルクは、思い直そうとするかのように軽く息を吐いた。

「張り切るのは結構だが、魔術の修行をしたいと言うなら、今の状態だと心構えが足りていないな」

「? どういう事?」

「術者の体調が万全じゃないと、その度合いに比例して精製した魔力が乱れやすくなる。魔力の乱れは暴走を呼び、暴走は術者の危機を招く。それを防ぐ為にも、魔術師にとって体調管理は騎士よりも重要な事なんだ」

「そうなんだ。……ごめんなさい、自覚が足りなくて」

「今回の事に関しては、お前が謝る事じゃない。とりあえず今日は、あまり難しい鍛練は行わないようにしよう。無理をして体調を崩されでもしたら、それこそ厄介だからな」

 気遣ってくれているのはわかるのだが、言い方が冷たいせいで有り難さが感じられない。

 内心剥れているミリアを尻目に、エルクはベンチから静かに腰を上げる。

「とにかく、まずはお前の力量をこの目で見ないと始まらない。放課後は正門前に集合だ。魔術の鍛練に最適な場所なら、いくつか見つけてある」

「えっ? 外に出るつもりなの? 鍛練をするなら、わざわざ外出しなくても……」

 と、目を瞬かさせるミリアに対し、エルクは呆れた様子で溜め息を吐いた。

「何寝惚けた事言ってる。俺の素性はまだ全生徒にバレた訳じゃないんだ。学園内で魔術師のお前に騎士の俺が魔術の指導をしていたら、疑問に思われるのは当然だろう」

「あっ、そっか。そうだよね……」

 魔術の手解きを受ける事ばかりに意識が向いていた為、肝心な事を失念していた。エルクの言う通り、現状詳しい経緯を知っているのは、学園長とリンディ、そしてミリアの三人だけだ。そんな中で『騎士科』の人間と魔術の鍛練を行っていれば、少なからず不思議に思う者も出て来るだろう。

 自分達に近しい者なら、特に。

「……まぁ、俺もひた隠しにするつもりはないが、知られ過ぎても厄介事が増えるだけだからな。『呪い』の事も含めて、他の生徒には極力気付かれないようにしたいんだ」

「わかった。私も気を付けるよ」

 笑顔で頷き返すと、エルクは感情の掴み難い表情を浮かべて視線を外した。

 信用されているかどうかいまいち不明瞭だが、何も言ってこないなら問題ないのだろうと思うミリア。

 そんなミリアを他所に、エルクは中庭の時計塔を見上げながら口を開く。

「……そろそろ授業が始まる時間だ。じゃあ、また後でな」

 こちらの返事を待たずに歩き始めるエルクを見つめながら、自分もベンチから腰を上げるミリア。

 昨日の顛末から、彼を見る目は完全に変わってしまった。『騎士科』に属しているものの、彼は歴とした魔術師なのだ。秘密にしておきたいと確認し合ったばかりだというのに、やはりどうしても意識してしまう。

 魔術を習い始めたばかりのミリアにだってわかる。エルク・ディアフレールという魔術師は、本来の力が発揮できれば、間違いなくこの学園のどの生徒よりも優秀だ。それこそ、自分が憧れた『あの人』と同等の力を持っているかも知れない。

 一体どれだけの経験を積んで、あれだけの魔術を使いこなせるようになったのだろう?

 辛くはなかったのだろうか。苦しくはなかったのだろうか。

 それに何より――

「エルク」

 呼び止めるつもりなどなかったはずなのに、気付けばミリアは声を掛けてしまっていた。

 自分よりも先へ進もうとしている、少年の事を。

「? 何だ?」

 校舎に向かおうとしていた足を止め、怪訝そうな顔で振り返るエルク。

 魔術師である事を隠している少年。

 自分と同じく、魔術に魅せられた過去を持つ少年。

 だからこそ――

 胸の内に湧き上がった思いを吐露しそうになるすんでの所で、しかしミリアはどうにか押し留めた。

「あ……えっと……。ごめん、何でもない」

「……? 急がないと遅刻するぞ」

 不思議そうな顔付きのまま、エルクはミリアを残して歩き始める。

 遠ざかる少年の背中を見送りながら、ミリアは浅く溜め息を吐いた。

 今のは、呑み込んで正解だっただろう。無遠慮に口にしてしまえば、それだけでエルクを傷付けていたかも知れない。

 それは、聞いてみたいと思ったと同時に、聞いてはいけないという気持ちが込み上げ、結局は噤んでしまった言葉。

 かつて魔術に魅せられ、魔術師を志したというのなら。

 そんな思いを抱かせてくれたあなたの師匠は、一体どんな人だったのか、と。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






「――パートナーを組んだ者同士、早速協力し合っているという訳か。感心感心」

「……余計な感想を述べる暇があるなら、さっさと許可をもらえませんかね、学園長」

 作業机の向こうで、なぜか楽しげな笑みを浮かべている学園の長に対して、エルクはうんざりしながら言葉を返した。

 放課後、外出の許可を取り付ける為、エルクは一人で学園長室を訪れていた。

 授業や休暇以外で学園を離れる場合、色々面倒な手続きを踏む必要があり、その一つが外出許可証という書類に学園長のサインをもらう事だった。

 本来は担任に事情を説明すれば、書類の手続きは教師間でやり取りしてもらえるのだが、エルクの場合、リンディ以外の教師に話せる事が少ない。なのでこうして直接許可を貰いに来た訳なのだが、オズワルドは書類を受け取るや否や、世間話に興じようとする始末だ。

 正直、彼に対してあまり良い印象を持っていないエルクとしては、早くこの場を後にしたい気持ちでいっぱいだった。

「連れないなぁ、ちょっとした雑談じゃないか。もしかしてキミ、私の事が嫌いなのかな?」

「貴重な時間を無駄にしたくないだけです」

「……それ、嫌いって言ってるのと同じだからね?」

 わざとらしく肩を落としながら、オズワルドは机の上で羽ペンを走らせ、サインした書類をエルクへ差し出した。

 黙って受け取るエルクに対し、オズワルドはどこか含みのある笑みを浮かべながら口を開く。

「どうだい、彼女との関係は。上手くやっていけそうかな?」

「……さぁ、どうでしょうね。良かろうと悪かろうと、俺には興味ありません」

「随分な言い方だね。仮にこの件が上手く片付いたとしても、卒業までの間、彼女がキミのパートナーである事には変わりないんだ。良好な関係を維持していくのは必要な事だと思うよ?」

「俺が『普通の』生徒ならその通りだとは思います。ですが残念な事に、俺はその『普通』に含まれていません。俺が望むのは、学園長との取引が無事に終わり、この『呪い』が解ける事。ただそれだけです」

「本当に連れないねぇ。あんなに健気な娘を、そこまで突き放す事もないだろうに」

「……失礼します」

 馬鹿馬鹿しい話に付き合う気はない。この男がどういうつもりなのかは知らないが、例え僅かであろうと時間を浪費したくないのは事実なのだ。

 踵を返し、脇目も振らずに部屋の扉を目指す。そしてドアノブに手を掛け、回そうとした時だった。


「ああ、それとも怖いのかな?」


「……!」

 背後から飛んできた、刃物のように鋭く刺さる台詞。

 告げられた瞬間、回そうとしていた右手が止まる。止まってしまう。

 肩越しに振り返ると、学園長は作業机に片肘をつきながら、エルクを見つめていた。少しばかり相手をなじるかのような、僅かな悪意を感じさせる顔付きで。

「一度失った他者との繋がりを、再び手にしてしまう事が」

 目の前の男に、過去の出来事を詳細に語った覚えはない。物語で言うならあらすじ程度。いつどこでどのような経緯の末、自らの師が命を落としたのかなど、この男は知らないはずだ。

 だというのに、エルクは全てが見透かされているように感じられた。

 当時の自分が抱えた怒りを、悲しみを、柵を。

 そして今もなお、晴れる事のない負の感情全てを。


『師匠が死んだのは俺のせいだ』

『自分の未熟さが、師匠を殺したんだ』

『罪を負うべきは自分自身。裁きを受けるべきは、俺自身なんだ』

『だから俺はもう、二度と――』


 そう、二度と間違えない。間違える訳にはいかない。

 間違えれば、また失う羽目になる。そんなのは御免だ。

 熱を帯びた腹立たしさを抱えながらも、どうにか視線を前へと戻す。そして今度こそ扉を開け、吐き捨てるようにエルクは告げる。

「あんたには関係ないだろ」

 部屋を出て扉を閉める瞬間、垣間見えた学園長は、椅子の背凭れに身を預けていた。

 身を預けて、嘲笑うかのようにこう告げた。

「そうだね。私にとっては些末な事だ」






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






魔よ来たれ、顕現せよエレメント・オン・アクチュアル

 体内で精製した魔力に呼応して、ミリアの周囲に四色の光玉が出現した。が、続く言霊を詠唱せず、ミリアは集中力を絶やさぬように瞑目する。

 学園を後にして、エルクの案内に従い、大平原の外れまで歩いてきたミリア。周囲には白亜の岩がいくつも転がっていて、攻撃魔術の標的として使うにはもってこい大きさだ。

 前言通り、ミリアの実力を見ると告げていたエルクに攻撃魔術を見せてみた所、彼はやや険しい表情で、

「精製した魔力を上手く言霊に乗せられていない。そのせいで術自体の威力も落ちている。もっと集中力をつけて精度を上げろ。中途半端な状態で撃ち出そうとするから暴発するんだ」

 という、まさにぐうの音も出ない厳しい指摘を受けたのだった。

 一度見ただけでここまで的確に注意されると、ミリアとしては居たたまれない気持ちになる。

 しかし、だ。

(……気のせいかな。何かちょっと、機嫌が悪いような……)

 瞑目しながら、正門前で合流した時の事を思い出す。普段から口調や態度に愛想がないエルクではあるが、今は特にそれが強くなっているように感じられる。

 まるで何かに苛立っているような、言葉にし難い威圧感。だがその苛立ちの相手は、どうやらミリアではないらしい。

 だとしたら、考えられる相手は誰か――

「――ねぇ、エルク」

 詠唱までの集中力を高める作業を、十数回繰り返した頃。休憩がてら、ミリアは思い切って尋ねてみる事にした。

「……何だ?」

「もしかして、学園長と何かあった?」

 岩の上に座ってロングソードの手入れをしていたエルクは、ミリアが尋ねた瞬間、作業する手を止めた。

 驚いたようにほんの少しだけ見開かれた蒼い双眸が、ミリアを捉える。

「なぜそんな事を聞く?」

「えっ? うーん、何かちょっとだけ、エルクの機嫌が悪いような気がしたからね。エルクがそんな風になる相手って誰だろうって考えたら、学園長くらいしかいないかなぁって」

「……交友関係が狭くて悪かったな」

「えっ……? ああっ、違うよ! そういう意味で言ったんじゃなくてね!?」

 わたわたと両手を振りながら、慌てて否定するミリア。

 言うほど気にしていないのだろうが、エルクの視線は明らかに冷たい。

 口は災いの元とは、誰が広めた言葉だったか。

「……まぁ、癪に障るやり取りがあったのは認める」

 嘆息しつつ、エルクは磨き終わったロングソードを鞘へと仕舞う。やや顔をしかめるその様子から察するに、学園長の顔でも思い浮かべているのかも知れない。

「最近になって話す機会が増えたからわかる。俺とあの人は相性が悪い。向こうはどう思っているか知らないが、人を喰ったような話し方をするあの人の言動が、俺は嫌いだ。師匠と歳が近いとはいえ、人間性は雲泥の差だな」

「! お師匠さんと?」

 学園長への悪態の拍子に、エルクの口から意外にもすんなりと師匠という言葉が出てきた事で、ミリアは少なからず驚いた。何となく軽々しく話題にしてはいけないのではと思っていたミリアからすれば、少し肩の荷が下りたような気分である。

 今こそ、好機と呼ぶべき場面だろうか。

「……あのさ。お師匠さんってどんな人だったの、って聞いても平気?」

「……」

 躊躇いがちに尋ねてみると、エルクは無言のままミリアを一瞥してから視線を逸らし、どことも知れない虚空を見つめた。

 そうしてどのくらい時間が経った頃だろうか。呟くように、或いは囁くように、少年は語り始める。

「……学園長室でも話した通り、師匠は孤児だった俺を拾ってくれた、流れの魔術師だった。根無し草で気紛れに大陸の各地を転々としている人だったけど、人当たりが良くて優しい性格だった。もちろん、魔術師としての知識も力量も豊富で……。俺の、憧れだった」

 回顧するように目を細め、どことなく優しげな口調で語るエルク。

 そんな少年の横顔を、ミリアは黙って見つめ続けた。相槌を打つ事すら、今は野暮な真似だと思えた。

「師匠がいなければ、間違いなく俺はその辺で野垂れ死んでいた。師匠が俺を見つけてくれたから、俺は魔術師を志す事ができた。……どれだけ感謝しても足りない」

 瞳を閉じ、言葉を切ったエルクの表情は、先程までより明らかに曇っていた。

 今この瞬間にも、彼の脳裏には浮かび上がっているのだろう。自らの師が、耐え難い結末を迎えた時の光景が。

「だが師匠は死んだ。俺みたいな未熟者が、『魔術は万能だ』などと自惚れてしまったせいでな」

「エルク……」

 再び目を開けた少年は、厳格な表情で少女に視線を送り、鉛のように重い口調で言い放つ。

「クロードライト。お前は魔術師に憧れていると言ったな。それ自体を否定するつもりはない。だが憧れを抱くあまりに、自分の目を曇らせる事のないように心掛けろ。魔術このちからがどれだけ神秘的なものに見えようと、所詮は人が生み出した技術でしかない。できる事には、限界がある」

 お前は『こちら側』へ来るな。自分と同じ末路を辿るな。

 彼の蒼い双眸からは、そんな意思がひしひしと感じ取れた。だがそれは決して、ミリアを案じているからではない。目の前にいる誰かが、自分と同じ境遇になる事を戒めているに過ぎないのだ。

「……少し喋り過ぎたな」

 不器用そうに視線を逸らしながら、静かにエルクは立ち上がった。岩の上から地面へ降りると、ロングソードを腰の剣帯に戻し、ミリアを一瞥する。

「向こうでしばらく剣を振ってくる。俺が戻るまでは、さっきと同じ鍛練を繰り返せ。ただし不調を感じたら、絶対に無理せず休憩を取るようにしろ。いいな?」

「……うん、わかった」

 有無を言わさぬ台詞を一方的に投げ掛け、エルクは背を向けて歩き出す。

 どこか悲しげな背中を見送りながら、ミリアは思う。彼は恐らく――いや、間違いなく、自らの魔術ちからで大切な人を守れなかったのだ。

 かつて魔術師に助けられたミリアとしては、破壊の権化たる竜を退けるほどの力を持った魔術と呼ばれるものは、きっと不可能を可能にする奇跡のような力だと、そんな風に思っていた所があった。

 だがそうではない。そうではないのだ。

 エルクが大切な師匠を失ってしまったように。

 ミリア自身が、大好きな両親と二度と言葉を交わせないように。

 魔術にも、実現できない事はある。

(でも……。それでもね、エルク。私は――)

 魔術このちからで、誰かを助けられる存在になりたい。

 しかし、その意志を口にするだけの力量が、資格が、今の自分にはない。

 そう理解しているからこそ、自らの不甲斐なさが悔しくて、ミリアは両手を握り締める。

 そんな事しか、できなかった。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






 エルクと共に魔術の鍛錬を行うようになって、早一週間。彼の的確な指導のおかげか、授業中の失敗の回数が目に見えて減ってきた事に、ミリアは内心喜んでいた。

 が、あまり気を抜いてもいられない。なぜならこの一週間、試験勉強と魔術の鍛錬に時間を割いてしまった為、肝心の素材集めが全く進んでいないからだ。

 そもそも竜素材とは、『魔草』などと違って探せばその辺に落ちている訳ではない。竜と相対し、討伐した結果、ほんの僅かな確率で身体の一部が『灰化』せずに残る物なのだ。

 つまりは、その奇跡のような確率が的中するまで、幾度となく竜との死闘を繰り返さなければならない事を意味している。オズワルドもその辺りの事情を察しているからこそ、素材集めに関しては、特に期限を設けなかったのだろう。

 いかに中間試験で五番以内の成績を取らなければならないとはいえ、すでにエルクの足を引っ張ってしまっている事実を、ミリアは申し訳なく思うばかりだった。

「――あっ! 実地訓練の内容、貼り出されてるみたいよ」

 斜め前を歩いているバネッサが快活な声を上げた事で、やや重苦しい思考を続けていたミリアは我に返った。

 昇降口傍のエントランスに置かれている、全校生徒への連絡用の大きな掲示板の前には、大勢の生徒が足を止めている為、人だかりができている。貼り付けられている白い用紙には、試験内容の詳細が挿絵と文章で学年毎に記されているようだ。

 ミリアはバネッサ、セシリーと共にできるだけ掲示板の傍まで近付き、やや緊張しながら用紙に目を通してみる。

 開示された実地訓練の内容は、次のようなものだった。


 訓練地――『学園』より北西約二〇〇キロ先にある『シュバルト大森林』。

 訓練内容――まず森林の奥地に設営された野営地から、各々別の場所に転移して試験開始となる。あらかじめ森林地帯のどこかに『精魔石エレメント・ストーン』を設置した祭壇が複数あり、その中の一つを見つけ出して石を回収し、制限時間内に野営地まで帰還する。

 詳細――制限時間は五時間。竜との遭遇、及び戦闘が予想される為、治療薬等の持ち込みは自由とする。万が一不測の事態――移動困難な負傷など――に陥った場合のみ、試験開始前に配布される『転移石ゲート・ストーン』を使用して離脱する事が許可される。その場合、採点は石獲得の有無と試験者の移動距離によって行う。

 備考――『騎士魔導連合教団』からの定期報告によれば、出現する竜の階級ランクはアメシスト級までとされている。アメシスト級には翼竜種も少なからず含まれている為、迎撃方法を模索しておく事を推奨する。


「……試験地は『シュバルト大森林』だってさ。聞いた事あるか?」

「確か、治療薬に使える『魔草』が群生してる森だったと思うけど……。結構竜が出没するって言われてる地域のはずだよ?」

「マジかよ!? 入学したばっかの俺達に行かせるような所じゃねぇだろー!」

 すでに内容を読み終えたであろう生徒の何人かが、口々に愚痴やら感想やらを溢している。が、主にざわついているのは新入生のようだ。

 ミリア達と同じく掲示板を眺めている上級生らしき生徒のほとんどは、自分達に提示された試験内容を静かに吟味している。やはり一年以上多く経験を積んでいる分、新入生よりも余裕が感じられる。

 そんな上級生の様子に気付いていないのか、周囲の新入生達と同じく、不安げな表情のセシリーが呟く。

「やっぱりみんな、だいぶ浮き足立ってるね……」

「当然でしょ。訓練って言ったって、本物の竜との戦いを想定して組まれてる試験なんだから。新入生なら誰だって怖気づくわよ」

「そう言う割には落ち着いてるね、バネッサ」

「まぁねぇー♪ そこらの奴とは心臓の作りが違うから」

 縮こまっているセシリーとは対照的に、明朗快活な様子のバネッサ。自分の腕に自信を持っているからなのか、気負いのようなものは一切感じられない。

「あんたはどう? 緊張してる?」

 太陽のように明るい表情のバネッサに問われ、ミリアは一瞬考え込んだ。

 こういう時、ミリアは自然と胸許の銀細工を握ってしまう。

 目に見える形で、何か力を得られる訳ではない。だがこうしていると、不思議と気分が落ち着くように思う。

 時間にしてほんの数秒だったが、自らを鼓舞するには充分だった。

「全然してないって言ったら嘘になるけど、覚悟はできたよ。学園の生徒として、竜なんかに負けられないからね」

「あら頼もしい。少しでいいからウチの魔術師さんにも見習ってもらいたいもんだわー」

「もうっ! バネッサの意地悪!」

 やや頬を紅潮させてむくれるセシリーに、バネッサはにひひーと悪戯っぽく笑ってみせる。

 微笑ましい友人達のやり取りを一通り眺めてから、ミリアはもう一度掲示板に視線を向けてみた。

 何か見落としている情報はないだろうかと文面を読み返していると、最後の方に気になる部分を見つけた。

 それはまるで、手紙の追伸のように、貼り紙の下の方に付け加えられている文章。


『なお、新入生諸君の実地試験には、視察の為ヴァレンティア学園長も同行される。新入生諸君は相応の気概を持って試験に臨むよう留意されたし』


(……これってもしかして……)

 読み終え、内容を反芻してみたところでふと思う。やや自意識過剰な捉え方かも知れないが、ミリアにはオズワルドがこう言っているように感じられた。

 キミ達二人を監視しに行くからね、と。

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