傷ついた翼

一ノ瀬 愛結

第1話

朝の通勤ラッシュの時間を過ぎ、人波もまばらになりつつある駅の改札口。

安西真澄あんざい ますみはふと足を止め、小脇に抱えたファイルの間から

未開封の手紙を取り出した。

昨日届いた郵便物の中に混じっていた”滝本結衣たきもと ゆい”からの手紙。

大き目の封筒の中には結婚式の招待状と真っ白いこの封書が入っていた。

真澄の口から大きなため息が漏れる。

いっそ読まずにこのまま・・

自販機の横に置かれたゴミ箱に向かう足が、躊躇い気味に止まった。

綺麗な弧を描く眉をきゅっと寄せ、今度は浅く息を吐く。

あきらめたように首を振ると、また書類の間に差し戻しホームへと続く

階段の方へ踵を返した。

瞬間―――――ドンという衝撃を肩に感じ2・3歩よろめく。

抱えていたファイルが下に落ち、弾みで書類が床に広がった。

あわててしゃがみ込み、散らばった書類をかき集める。

「大丈夫ですか?」

澄んだテノールに顔を上げた真澄の瞳が大きく見開かれた。

…天使?

思わず呟く。

真澄がぶつかった少年は、そう思わせるほど美しい佇まいを魅せていた。

明り取りの高窓から差し込む光を背に受け、柔らかそうな癖のある髪は

亜麻色に輝き、色白のほっそりとした輪郭を鮮やかに彩っている。

日本人離れした彫りの深い顔立ち。

長い睫に縁取られた大きな瞳は光の加減か・・黒紫に見えた。

少年は真澄の傍らに屈み込み、手早く書類を拾い集めると、軽く汚れを払い

すっと差し出した。

「ごめんなさい」

「いえ・・わたしこそ…」

間近で見るとその美貌はますます際立つ。

どきどきしながら受け取った書類をファイルに挟み直すと、目を逸らすように

立ち上がった。

「あの…」

少年が何か言いかけた時、列車の到着を告げるアナウンスが構内に流れた。

これを逃したら依頼人クライアントとの待ち合わせ時間に遅刻する。

軽く会釈をし、一段抜かしに階段を駆け上がった。


ふぅ・・

飛び乗った列車のなかで安堵の息を吐く。

細い手首には不似合いながっちりとした腕時計を眺めた。

真澄の兄が愛用していた品だ。

…約束の時間にはなんとか間に合いそう。

真澄が勤務する『宮沢探偵事務所』は今存続の危機に瀕していた。

所長を務める宮沢省吾みやざわ しょうごはのんびり構えているが年中閑古鳥が鳴き叫んでいる状況に気が気でない。

久々に大仕事となりそうな依頼が舞い込んできたというのに、打ち合わせに

遅刻してクライアントの機嫌を損ねては元も子もなくなってしまう・・


列車が音もなく地下に入る。

真澄は車窓に映る自分の姿に目を遣り、少し乱れた髪を手櫛で整えた。

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