影の王攻略戦《魔法暦94年》 後編(3)

 空中の巨体は太陽の如く全身から炎を噴き出し、一方で動くことなく沈黙している。私は上空に向いていた注意を、衝撃で舞い上がった土煙が消えつつある地上へ移した。あちこちに飛んだ炎がまるで昼間のように周囲を照らしている。人型の影の子が、粉砕された黒い同胞のしかばねを乗り越えて間近まで迫っていた。


 背中から次の魔法弾が送られてくる。魔法兵団長の声がなくとも第二陣形の魔法弾18個が背中に吸い込まれていた。


 第16部隊に向かって近づいてくる影の子は12体ほど。都合の悪いことに標的は右斜め前方に幅を広げ、同時に撃退できない状況にあった。いずれかに魔法弾を放てば他方から攻撃を受ける。


 一度に使用できる魔法弾は1発のみ。状況は最悪だ……。


 私は第16部隊の先頭右側の位置で手のひらを前方に向けて集中すると、火属性の魔法弾を放つ瞬間、腕を右方向に大きくスイングさせた。本来、魔法弾を撃つ際は右腕の位置を固定しなければならない。特に火属性を放つ場合、手元が揺れるだけで火炎が手袋やローブの袖に燃え移る危険性があった。


 あえて禁止された行動を選択し、正面3メートルほどの地面を始点に身体の横方向へ腕を動かしつつ炎の光条を放った。寸前まで近づいた影の子2体を蹴散らし、地面に伸びる丈高の草を燃やし、容易には消えない炎の柱が隙間なく噴き上がる。部隊の正面から右側面を覆う火炎の障壁が出現した。


 禁則を破った代償は魔法具に現れた。かすめた光条の一部が右手の手袋を焦がし、燃えにくい素材であるはずの魔法具を炎に包んだ。とっさに左手で右の手袋をはがして地面に投げ捨てた。ローブの懐のポケットから予備に渡されていた新たな1枚を取り出す。


 第16部隊は聖弓魔法兵団の右端に位置しているため、正面と右側面双方から攻撃を受ける可能性があった。前方から部隊の右側をさえぎる横幅10メートルほどの燃える壁を発生させた結果、迫り来る敵は前方のみに限定された。


「ティータ……」


 目の前の危険を回避しても不安は募るばかりだった。彼女はどうなったのか。第7部隊から噴煙が立ち昇り、生存者の確認はできない。後ろの仲間を見捨てて持ち場を離れることもできない。


 正面から右方向へ作った炎の壁の左端からは、V字型の陣営の反対側が見える。第1部隊は燃え広がる炎の壁に隠れてしまったが、上手く乗り切っているのだろうか。障壁の外側、目と鼻の先を横切る影の子らを正面の視界にとらえながら魔法弾を再度撃つまでの1分間を待った。


 指揮官からの号令は途絶えていた。デスティンは先の爆発に巻き込まれて負傷してしまった可能性がある。命令がなければ自分たちの判断で行動するしかない。


 後ろを振り向いた。額に大粒の汗をにじませた魔法士たちがいた。自分も汗まみれだった。


「砲台役のアキムだ。支援役の魔法士に頼みたい! 単発の魔法弾でも牽制になる。私の横に立って次の魔法弾を撃つまでの間隔を補って欲しい」


 支援役の魔法士たちは部隊の横にできた炎の壁を見て不安が幾分遠のいたのか、自信のまなざしで前方に進み出た。気後れする者もいたが10名以上が脇を固めてくれるのは心強い。先ほど言葉を交わした砲台役にも参加してもらう。それから、


「リューゾ、土属性の魔法弾を頼む。右手の火傷が予想以上にひどいようだ」


 新たにつけ替えた手袋の端から焦げて丈の短くなったローブのそでにかけて、重度の火傷が広がっていた。焼けただれた皮膚から湯気がのぼっている。


 小柄でずんぐりした後輩魔法士がこちらに右手を向けた。傷の回復は任せることにした。


 休む暇なく炎の障壁の左側、部隊の左斜め前方向から新たな影の子が飛び込んできた。支援役の魔法士から火属性の魔法弾が放たれ、人型の1体を吹き飛ばした。


 安心したのも束の間、今度は炎の向こう側、第1部隊から悲鳴があがる。次々と感染するように続く悲鳴と怒号。こちらのように上手く敵の挟撃を回避できなかったのだろう。第16部隊の魔法士からは炎の壁が邪魔して惨劇が目に入らないのが、せめてもの慰めとなった。


 第1部隊に飛びかかった影の子らは、Ⅴ字型の魔法兵団の左翼を側面から侵食していったようだ。密集していることに加え、供給役の魔法士は無属性の魔法弾を発射する「複数の番号」が施された手袋を大量に使い分ける都合上、混乱を防ぐ目的でその他の魔法具を支給されていなかった。選抜された供給役の魔法士たちは個人で魔法攻撃できない。なすすべもなく影の子に組み付かれて餌食となったに違いない。


 身体中を黒く覆われ、苦しみぬいた末に死へ至る。皮肉な結末が待つ彼らから断末魔なのか痛ましい絶叫が轟いた。


 隣の第15部隊からは一向に魔法弾が射出されなかった。先頭に立つ砲台役の魔法士が血の気を失った顔に大量の汗を浮かべていた。第15部隊の魔法弾供給役18名は、龍の頭によって噛み砕かれた第14部隊の真横にいたが、ティータが火属性の大砲弓バリスタを撃つときまで正常に機能していた。私から8メートル離れた砲台役の男も体調には異常なさそうだ。


 第16部隊との違いは、陣営の反対方向に位置する第1部隊が壊滅する様子をまざまざと見せつけられていることだった。


 原因に思い至った。魔法弾を供給するには共通のイメージを思い描く集中力が不可欠だ。火属性の連結魔法弾を撃つ場合、全員が炎の燃える様をイメージしなければ魔法は発動しない。


「恐慌だ……」


 言葉がこぼれ落ちた。かつて文献で読んだことがある。別世界を維持する完璧な経済システムが、人間の心理状態に異常をきたすことで瓦解がかいした例を思い出した。恐慌状態に陥った魔法士がいる第15部隊は、魔法兵団として機能しなくなったのだ。


 1分が経過した。第16部隊の砲台役である私の手のひらから再び炎の光条が飛び出した。支援役だけでは対処しきれなかった複数の影の子は、唐突に発生した火炎の直撃を受けて地上から消え失せた。光条の向かった先、離れた場所から火柱が上がって黒い液体の残骸が周囲に飛び散る。


 悲鳴の位置が変わった。第1部隊を食い尽くした影の子らは、第2部隊との交戦に入っていた。時折生じる炎のわずかな隙間から様子をうかがう。第1部隊が存在していた場所には正体不明な……黒い液体に覆われたまま横たわり、はいずりまわる異形の物体が多数残されていた。奇妙にも魔法士のローブは着たままだった。


 第2部隊も半壊し始めたときだ。第3部隊の先頭にいた砲台役が現れ、第2部隊の集団ごと炎の帯でぎ払った。見間違えるはずはない。赤髪の長身魔法研究士、レッドベースだ。


 第3部隊の砲台役を任されていた赤髪の魔法士は、V字型陣形の右翼側、第16部隊に張られた炎の壁を見て魔法兵団の全滅を阻止する冷酷な決断をしたようだ。影の子が多数侵入した味方の集団を炎の光条で撃ち抜き、火柱の下敷きにした。


 燃え盛る炎に巻かれ、敵に襲われつつも生きたまま焼かれる魔法士たちから罵声ばせいが沸き起こる。理不尽を叫ぶ声は続けて同箇所から放たれた火属性の帯にかき消された。第2部隊の屍の上には、第3部隊の側面全体を守る幅15メートルもの灼熱の障壁が現れた。


 一方、第16部隊に所属する魔法士の命を繋ぎとめていた炎の壁は、勢いが弱まるたびに支援役の魔法士が火属性の魔法弾を撃ち込んで形状を維持していた。

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