少年老い易く(4)

 後輩ひとりと仲良くなってから数日が経過した。9月14日、魔法研究所の一室にて他の研究生たちと一緒に先日の魔法研究会議の議事録を整理している時だ。周囲が唐突に慌しくなった。何ごとかと耳を澄ますと遠くから聞こえていた靴音が部屋の外でぴたりとやんだ。


 ドアが開くと同時に現れたのは、武装した数名を引き連れたデスティンだった。


「アキム・ミヤザワ。おまえに影の王との接触および情報漏えいの嫌疑がかけられている」


 いったい何を言っているのか……理解することはできなかったが、私の態度など意に介すことなく、鎖かたびらを着こんだ男2名に両肩をつかまえられた。


「デスティン、どういうことだ?」


 銀髪の青年は、魔法研究所長エキストの署名が記された書簡を見せびらかすように広げ、険しい顔で口を開いた。


「アキム。君の奇抜な発想には以前から感心していたが、まさか影どもの仲間だったとはな。驚いたよ……。君の発言したとおり、2日前に村がひとつ全滅した。報告によると、村は黒い染みがあちこちに残っていたそうだ。影の日以外に被害が出ることなど前代未聞だ。今年に限って偶然言い当てられるはずもない。君はどこかで今回の情報をつかみ、知っていたのだな?」


 ばかなことを……。取り乱しさえしなかったが、腕を後ろ手に締め上げられて苦痛に顔がゆがんだ。関節を利用した捕縛術に感心したのも束の間、痛みが全身を硬直させる。


「何より、以前から気味の悪いコートを羽織った白塗りの男と研究所内外で交渉していたことが動かぬ証拠となっている。君とは切磋琢磨してきた間柄だっただけに何とも残念だ」


 デスティンは武装した魔法士たちに目配せした。魔法士2名は私を後ろ手につかまえたまま部屋の外へ引っ張り出した。


「100年近く使っていなかったらしいが、魔法研究所の地下牢に投獄する」


 彼は冷たい言葉を残すと姿を消し、後は他の魔法士たちに任せて階下へ引きずっていった。


 というのは、影の王が出現してレジスタ王国が名を変える以前に使用していた囚人用の部屋らしい。今まで立ち入り禁止になっていたが100年近い時を経て再び開放された。


 100年来の囚人……自分が歴史的な人物になるとは想像の範疇はんちゅうを超える。


 鋼鉄の扉が開くと地下牢はカビの香りが充満した密室だった。四方を石壁が覆い、入り口から向かって左側の高所にある窪みから薄暗い室内にささやかな陽光が差し込んでいる。全面、至るところに亀裂が走り地中の土砂が入り込んでいた。


 風が背後から吹き抜けるたびに砂埃が部屋中にたちこめる。途中まで飄飄ひょうひょうとしていた私は徐々に恐怖の念を募らせた。


 牢獄という名から鉄の檻が片面にかけられた小さな個室を想像していたが、どこか別の用途につくられた部屋のようだ。間取りも広く個人を閉じ込めておくには無駄が多い。


 出入り口の方向は鉄製の板が壁一面に張られ、中をのぞき見ることのできる小窓が複数取り付けてあった。言葉に出したくはないが、ある名称が頭に浮かんだ。おそらく、かつて牢屋ではなく「拷問部屋」だったのだろう。





 ギィ……と重い金属音を奏で、分厚い鉄製の扉が閉められる。魔法士たちは無言で去っていった。砂利じゃりが周囲に散乱する闇の中に取り残された私は地面に両手をついて運命を呪った。暗いだけでなく汗がにじみ出るほどの暑さが皮膚の表面にまとわりつく。目が慣れてくる頃に改めて周囲の様子を確認した。


 軽く運動できる広さがある反面、元々牢獄ではなかったことを証明するように衣食住に関係した設備は一切なかった。つまり排泄物を処理する場所、便所がなかった。地下に囚人用の便所があれば1日に何度か連れ出すことはできるだろう。しかし、悲しいかな。設備がないだけでなく囚人の取り扱いにも不得手なのか、一切配慮がなかった。


 排泄の我慢を続けていたが、遂に限界に達してしまい部屋の隅に砂利じゃりを盛り付けて獣の如く用を足した。たちまち牢獄の隅の一角は糞尿を垂れ流す場所となり、時間とともに異臭を放つようになった。覗き窓から笑い声が聞こえる。羞恥心がじわじわと身体を締めつけてきた。心が痛む……。ほどなくして私のプライバシーは消滅した。


 牢獄に入って半日ほど経ってからデスティンが牢を訪れた。奥から漂う悪臭に対して怪訝けげんそうな表情を浮かべ、食事を準備することを言い捨て帰っていった。後ろ姿だったが、みじめな元同僚の姿を見てほくそ笑んでいるように見えた。


 最初の夜は眠れなかった。薄暗い空間では昼夜の感覚がない。混乱に加え唐突に強いられた羞恥心で頭が正常に働かなくなっていた。床に散乱した砂利を手で払った場所に寝転び、汗をかきながら部屋の一点をじっと見つめていた。何かあるわけではない、目の焦点が偶然あっただけだった。翌日の昼になってから、ようやく目を閉じささやかな休息に身を委ねた。


 睡眠を摂ったことで少しずつ思考能力が回復しはじめた。昨日の訪問者はデスティンだけだ。私を投獄した件については緘口令かんこうれいが敷かれているか、皆が了承したかどちらかだ。


 誰が何の目的で私を虜囚りょしゅうせしめたのか。研究所の地下で解答を求めた。主犯格は、書簡を作成したエキスト魔法研究所長か銀髪の魔法兵団長のいずれか、あるいは双方だろう。


 「役に立たない」文献を愛読していたことが問題だったのか……以前からうとまれていた行為だったが、魔法研究への貢献を考えると現時点ではまだ利用価値があるはずだ。表向きの理由になったとしても、真意は別にあるだろう。


 デスティンにとっては魔法研究会議を有効に進めたいとの理由も考えられる。邪魔者がいなくなれば、議事進行は以前よりスムーズになる。同時にエキスト魔法研究所長に対抗する反対派への見せしめだということなら余計に合点がゆく。


 ひとつの心配が頭をよぎる。見せしめだとしたら、私を助けようとする人間はデスティンの言うことを聞かねばならない。ティータ……。デスティンは彼女に対して好意だけでなく、賢く魔法力の高いパートナーという特別な視線を向けている。


 妄執もうしゅうが何をもたらすのか、幼なじみに何か悪いことが起こらなければ良いが……無力な自分に腹が立って仕方がなかった。


 食事は1日に1回、お世辞にも一人前とは言えない量が配給された。動いていないため不足している点は我慢できた。問題は糞尿による異臭だった。9月の残暑は地下で更なる猛威を振るい、排泄物の分解を早めた。自身の悪臭によって貴重な食事を前にしても食欲が出ないことがある。時折、手で土砂をかき集めて掃除したが限界だった。


 そう言えば、知らない間に「糞尿囚人ふんにょうしゅうじん」というあだ名をつけられるようになった。覗き窓から不名誉極まりない言葉が何度も投げかけられた。情けない……生き恥をさらしている。

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