ラストグリッター -Lost azure-

K

序章

篝火への希望


 消毒薬の匂いが仄かに漂う、白を基調とした施設内ではいたる所から激しい警報が鳴り続けている。天井に設置されている非常灯の赤い光が白い通路を真っ赤に染め上げていた。


「こっち!」


 女がゆるく一つにまとめた髪を揺らしながら、小柄でやせ細った少年の手を引き赤い通路をひたすらに走る。

 少年は息を切らしながら、足がもつれそうになっても何とか持ちこたえて女の後ろを必死について走る。女の背を見るその大きな瞳は不安で揺れており、沸き上がる恐怖と不安を誤魔化すように自身が羽織っている着丈の大きい白いジャケットの襟を握りしめている。


 何かから逃げるように先を急ぐ二人だが、避難通路への誘導灯には目もくれず迷宮のように同じ構造の白い廊下を走り続けている。


「ここを曲がればッ――」


 走る二人を遮る様に、正面の廊下の窓が強い力で叩き割られた。女は飛び散る窓硝子の破片から庇う様に、少年の手を引いて強く抱きしめた。硝子の破片は女の背に降り注ぎ、大きな破片の先端がいとも容易く女の肌を衣服ごと裂いた。女の肩や背から滴る血に、少年は驚愕と動揺で震えた。女は大丈夫だと少年の背をさすり、自身の背後に少年を隠すように庇いながら振り向いた。


 窓を割って二人の前に現れた侵入者は、光を飲み込むほど黒い体毛を纏う狼だった。歯茎を剝き出しにして二人に向かって威嚇をしている。その鋭い牙の隙間からは黒い涎が滴り、白い床を汚している。


「グジュ、グるル」

「――退いてッ!」


 女は左手に持っていたコンポジットボウを構え、腰に装着している矢筒から矢を抜き、素早い手さばきで弓から放った。


「グギュアッ!」


 矢は狼の頭を容易く貫いた。致命傷を受けた狼は唸り声を低く上げながら四本脚をよろめかせているが、それが倒れ息絶えるまでを見届けるのも惜しいと女は少年の手を再度引いて狼の横を通り過ぎた。


「ス、ステラ姉さん、怪我がっ」


 少年は震えた声で前を走る女に呼び掛けた。女は顔だけ振り向き、微笑みながら言った。


「大丈夫よ、あとで手当てするから。先を急ぎましょう」

「……」


 女が作った笑みは痛みなど感じていないかのような表情だが、視線を少しだけずらせば見える女の背の傷がそれは真実でないと血を溢れさせながら主張している。

 それでも少年は女の言葉に頷くしかなった。


「ここよ」


 二人が廊下を走り抜けたどり着いた先には、大きなシャッターが待ち構えていた。

 女は少年が羽織っている白いジャケットのポケットから白いカードを取り出した。

 シャッターの傍に設置された端末にカードをかざすと、端末に付属している小さな画面に開放を示す緑の文字が表示される。すると、シャッターが金切り音を立ててゆっくりと上がっていく。

 女はシャッターが上がりきる前に少年をつれてその先へと進んだ。シャッターの先の非常灯は赤く染まっているが、薄暗な通路では警報は鳴っておらず二人の足音だけが響いている。


「……ここは、どこ? 何があるの?」


 不安げな少年の問いかけに女は一旦考えるように間を開けて答えた。


「この先にはね……そう、”希望”があるの」


  女はそう答えると、少年の背を優しく押して前を歩かせた。薄暗い通路を進むと、今度は磨りガラスで出来た扉に行く手を阻まれた。

 二人が扉の前で立ち止まると、その上部に設置されていたセンサーから赤いレーザーが放たれ、二人の全身を照射する。


『スキャン完了。遺伝子登録者を確認。安全確認検査室へ進んでください』


 センサーから合成音声が流れると、扉がひとりでに開き二人を迎え入れた。

 室内は白いライトで点灯されており、またその部屋の先には厚みのある鉄の扉が一つだけあった。二人が部屋の中央にまで入ると自動ドアが閉まり、部屋の天井隅に設置されているスピーカーから合成音声が流れだした。


輝晶竜きしょうりゅう搭乗検査を始めます』

『健康状態 クリア』

『プルト反応 クリア』

輝晶きしょうエネルギー クリア』

輝晶竜きしょうりゅう搭乗許可条件 オールクリア』

『格納庫ロック解除。扉が開きます』


 合成音声が検査項目を一つ一つ発するたびに、耳鳴りに近い程の甲高い電子音が室内中に響く。最後の音声が流れ終えると、二人の目の前に塞がっていた鉄扉がひとりでに開かれた。扉の先は薄暗く、二人が様子を伺う室内からではその先に何があるのかわからなかった。


「……ステラ姉さん」

「大丈夫、一緒に行きましょう」


 少年は不安で声を震わせながら女を見上げた。女は少年に微笑みかけて、言い聞かせるように大丈夫と繰り返し言った。そして少年の肩を抱き、前に進ませるように優しく押した。


 二人で鉄の扉を通ると、扉がゆっくりと自動で閉まった。天井のスポットライトが点灯し強い光が室内の中央を照らした。巨大な影が照らされ、目の前に佇むそれに少年は大きく目を見開いた。


 鋭利な牙に爪、少年の五倍は大きな体は銀色の無数の鱗で覆われており、頭部は爬虫類に似た造形だが、二本角が天を突くように伸びている。蝙蝠こうもりのような両翼が生えた巨大なそれは、石像のように身動き一つ取っていない。少年はゆっくりと一歩ずつ近づいた。手を伸ばせば届く距離にまで近づくと、少年の小さな身体はその大きな影に覆われた。


「……これって一体」

「これは、≪輝晶竜きしょうりゅう≫。かつて≪ミネレイ≫たちが世界を救うために使っていた乗り物よ」

「これが乗り物……?」


 女の説明に半信半疑の少年は、未知なる物体への好奇心に負けて目の前に広がる銀の鱗にゆっくりと手を伸ばした。


 その指先が艶やかな鱗の一枚に触れた瞬間、少年が触れた銀の鱗が青白く光り、そこから波紋のように周りの鱗へと青白い光が広がっていった。


 驚いた少年は慌てて輝晶竜から指を離し、距離を取るように後退った。しかし輝晶竜の銀鱗を青く染める光が消えることは無く、その巨大な身体を透き通るような青に染め上げた。


 そして最後に色を持っていなかった瞳の部分が深く鮮やかな青に変わると、骨の軋むような乾いた音を鳴らしながら、輝晶竜は大きな翼を広げさせた。


「あ、う、動いた!」

「大丈夫」


 輝晶竜は蒼い瞳で二人を見下ろした。翼を広げた事によってその巨体がより大きくなる。青く美しい、神々しさを感じるその存在に少年は驚きで更に後退ったが、女が少年の背に触れて落ち着かせるように声をかけた。


 二人の目の前に佇む輝晶竜は、ゆっくりと静かな動作で両足を折りたたみ座るように姿勢を低くしそのまま動きを停止した。

 そして今度は輝晶竜の胸元がハッチのように開き、輝晶竜の体内へと続く足場が二人を誘う様に現れた。その光景を目の当たりにした少年は、女の言っていた通り輝晶竜が生き物ではなく乗り物である事を理解した。


「本当に乗り物なんだ……!」

「そう、これがあればどこにでも――」


 二人が輝晶竜に近づこうとした瞬間、背後から耳をつんざく警報に混ざって危険を知らせるアナウンスが流れ、その直後に轟音が響いた。


『警戒レベル5。≪メテオライト≫級のプルト反応有り。フォールン侵入を確認。直ちに避難してください』


 二人の背後にあるのは、閉ざされた鉄扉だった。そして再び轟音が鳴り、扉の先にある何かが、その頑丈な扉を打ち破らんばかりの怪力で叩いている事に気づいた女は、先を急ぐように少年の背を押した。


「……早く中へ!」


 少年は輝晶竜の体内へと入る事を一瞬だけ躊躇したが、女が普段よりも強い口調で少年へ指示すると、意を決して輝晶竜の中へ飛び込んだ。


 その中は薄暗く、闇の中に微かに見えるのは中央に一つ設置されている座席だけだった。少年がハッチの外の方へと振り向くと、出ていくのを阻止するかのようにその扉が閉ざされ、輝晶竜の体内に少年が一人閉じ込められた。


「ステラ姉さん!」


 ハッチが存在していた場所は鍵穴も取っ手も無いただの壁となっており、少年がその壁を叩いても開く気配は無い。外の音も遮断されたことで外の様子は全くわからない。

 少年は咄嗟とっさに手探りで壁に何か無いか探すが、期待できそうな物に触れることすら叶わなかった。


「どうしたら……」


 途方に暮れていると、突然輝晶竜内の床全体に淡い光が灯る。その光は床から壁へと広がっていき、壁一面に広がる光は淡い光から一層強い光へと変わり、少年は突然の光に目をくらませた。


「!」


 眩しさに瞼を強く閉じて腕で光を遮っていた少年は、腕を降ろしゆっくりと目を開く。暗闇からの強い光による眩しさに未だに目が慣れていないが、自身の目の前に広がるその光景に目を見開かざるを得なかった。


 輝晶竜内の壁は全面がモニターのようになっており、その壁に映し出されている景色は輝晶竜が格納されている室内だった。そして真っ先に少年の視界に入ったものは、壊された鉄の扉だった。厚く頑丈な扉は、まるで紙を握り潰したかのようにひしゃげて床に倒れている。床が遠く俯瞰ふかんしている景色になっている事から、輝晶竜が見る景色がそのまま内部のモニターに映されている事がわかる。


 そして少年の背筋を凍らせたのは、モニターの隅に映る白い床に広がる大きな血溜まりだった。――その血溜まりは一体誰のものなのか。


 先ほどまで室内にいた女は何処に行ったのか。少年は画面に喰いつくように女の姿を探すが、画面内からでは確認が出来ない。壊れた鉄扉の方へ逃げたのか、この画面には映らない場所にいるかのどちらかだった。


『……あーあー。ちょいと強くやりすぎちまったなぁ生きてるか? まぁ、どっちでもいいか』


 雑音混じりの掠れた男の低い声が輝晶竜内全体に流れる。少年は驚いて辺りを見回すが、自分ひとり以外は誰もいない。男は誰かに向けて問いかけていたが、その返事も無い。


『エサにして引き摺り出す予定だったんだがなぁ』


 「アァ、ダリぃなぁ」とぶつくさと呟く男の姿がモニターの下部から現れる。男は頭を掻きながら床に広がる血溜まりを一瞥してから、顔を上げた。

 ボロボロの布切れの様なマントを身に纏い、頭を覆い隠すフードからは痩せこけた頬に土気色の肌の骸骨を思わせる顔が覗いている。そして今にも飛び出してきそうな程に見開く充血した白目に、穴が開いているかのような真っ黒な瞳で、男は輝晶竜をまじまじと観察する様に見ていた。


 男の方から少年の姿は見えていないはずが、画面越しに目が合っているかのような錯覚に、少年の背筋に悪寒が走る。不気味な雰囲気を醸し出す男は、思案するように顎を掻き、一度咳払いをしてから顔を上げ、口を開いた。


『あー聞こえてるか? まぁ聞いてくれこれは脅しとかじゃねんだがよぉ俺はお前と取引がしたいんだでもこのままじゃ埒が明かないだろ?だからよぉ』


 呼吸の一間を置くのも惜しいのか、一息で男はそこまで言うと少し待てと言って小枝のような骨ばった細い左の手のひらを向けてしゃがみこみ、その姿が画面から消える。男が輝晶竜の中にいる自分自身に向けて呼びかけている事に気づいた少年は息を呑んで男の行動を待った。


 そして再び現れた男の右手に掴まれているそれを見て、それが何なのか――”誰”なのかを理解した少年は絶叫した。


 男が首根を掴んで見せつける様に差し出された人物は、顔は俯いて確認する事は出来ないがその特徴的な艶やかな深い紫色の長髪と衣服から、少年と共にここまで来た女で間違いなかった。


「ステラ、姉さん……」


 女の力無く垂れ下がる両腕や頭からは血が止めどなく流れ落ちて血溜まりを更に広げている。少年は、輝晶竜に閉じ込められた瞬間に鉄扉を打ち破って侵入し女に致命傷を負わせたのがこのくたびれた風貌の男であるとやっと理解した。


『ちと頭を強く打ちすぎちまってるがまぁギリギリ生きてるぜ今ならまだ助かるかもしれねぇどうだ坊主お前が今すぐそこからでりゃこの姉チャンを見逃してやってもいいぜ悪くない取り引きだと思うんだがなぁ』


 男は更に一息で捲し立てる。衝撃的な光景を前にした少年には男の早口で紡がれる言葉は殆ど耳に入ってはいなかった。少年の視線の先にいる女は力無く項垂れており、指一つ動かさない。


 呼吸をするのを忘れるほどに動揺した少年は、眩暈をおこし足をもつれさせて背後にあった座席に座り込んだ。すると座席が僅かに振動し、ひとりでに伸びてきたナイロン性に近い頑丈なシートベルトが少年の腰を椅子と固定させた。


「!」


 我に返った少年は慌ててシートベルトを外そうとするが、何故かそのベルトには解除機能が備わっていなかった。引きちぎろうと両手で引っ張るが、頑丈な作りの所為でびくともしない。拘束具となったシートベルトによって、少年は立ち上がる事ができなくなってしまった。


『おいおいホントに死んじまうぞいいのかよ――」

『クヌヤ チシエルゴ ヌアルベト』


 次に輝晶竜内で響く不快な男の声を掻き消す様に、か細く囁くような"声"の不可思議な言語が次々と少年の脳内に流れる。


「あ、な、なに……?」

『アイ ザス メリアセリ オエレス ル――』


 声は止むことなく少年の脳を直接揺さぶる様に響く。しかしそれは絶妙に心地よく、身体の内側に潜んでいた睡魔の様な何かが沸き上がり、少年の全身の感覚を曖昧にさせていく。冷気を纏う白い靄が少年を包む様に輝晶竜に広がり、瞬く間に少年の視界を白で塞いだ。


『エルゴ カクエルエ――おやすみ』


 最後に少年に届いた声は、幼い少女の声だった。

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