番外 堺くんの失恋②

 シャワーを浴びながら、考えてみる。……一体、なんでこんなことになったんだ? 俺が恋愛感情なしでも……と言ったって、無節操に女の子を抱いたりしない。

 Aちゃんとして、Bちゃんとして、ふたりが友だちだったら、よっぽどふたりが口が固くない限り、問題になるだろう。面倒事は避けたい。


 なのに、よりによってちーは、小鳥遊さんの親友だ。有り得ない……。彼女がたとえ結婚するとしても、俺と小鳥遊さんの間にやさしく横たわった思い出にキズがつく。

 ……結局、俺は小鳥遊さんがまだすきなんだ。どうしたって忘れられるはずがない。


 あー、キスまではしたんだけどなぁ。

 あの、柔らかい髪にもう一度触って、その香りを嗅ぎたい……。なんであのまま、攫ってしまわなかったんだろう。啓に義理立てしたわけじゃないのに。


「ねえ、堺って、下の名前、辰巳たつみ? で合ってる?」

「あ、ああ。そうだけど」

「辰巳って呼んでいい?」

「ダメ。そういうの、ナシだろ」

 Tシャツと下着、という、我ながら優柔不断な格好でシャワーから出ると、ちーが、

「ケチ」

と言ってこっちを見たあと、変に顔を赤くしてうつむいた。


「お水、飲……」

 まぁとりあえず事の次第を見て、決めようとキスをする。軽く、唇を舐めるように口づける。

「ダ、ダメ。キスはやめようよ……」

「ああ」

 遊びだからキスをはしない、とか、そういうポリシーがあるのかもしれない。言われる通りにする。


ショートカットの髪をかきあげて、耳元や首筋、鎖骨まで丁寧に口づける。ちーは息は乱れてきても声は出さないように気にしてるみたいだった。夜中だし、近所の手前もあるから別に構わなかった。


 何しろ「抱く」と言っても、ただ男にとって都合のいいことだけをして済ませればいいというわけではない。女の子に、それなりの代償を払わなければならない。それは、たとえちーが相手でも同じことだ。


 指先で体の線をなぞりながら、そっと胸に……。


「ごめん、ごめん、ごめん! ごめんなさい!」

「なんだよ。彼氏でもいるの? 浮気相手は困る」

「……違うの、逆なの、わたし、初めてなの……」

「……」


 しばらく口がきけなくなる。はぁ?

 クラスで、理学部で、いちばん遊んでると噂の女が? ないだろう?


「……俺で捨てるつもりだったと」

「辰巳、いつもやさしいし。そのときもやさしいって聞いたし」

「名前で呼ぶなよ……」

「ごめん」

 そのときもやさしいとか、誰が吹聴して回ってるんだか。


「辰巳が風を好きだってこと、ずっと知ってるから……わたしを抱いても問題にならないと思ったの。辰巳につき合ってる彼女は絶対いなくて、わたしは抱いてもらえればいいんだから」

「女の考えることってよくわかんない。でもひとつ言えるのは、初めての子とはしない」

「なんで?」

 ちーは胸元を押さえて起き上がった。

「『思い出』とかになるのも嫌だし。そもそもで済まないじゃん。そっちには特別なことだろう?」


 ちーは下を向いて、いつになく真面目な顔で考えているようだった。これで納得してくれればいいんだけど、と思いながら服を身につける。


「他の人で捨ててくる」

「は?」

「そしたら抱いてくれる?」

「なんでそうなるんだよ……大丈夫? やっぱりまだ酔ってるんじゃないの?」


「わたし、辰巳がすきなんだよ。……風がいたから言わなかったんだよ。でもさ、風もお嫁に行くし、わたしの失恋確定でも告白はしてもいいでしょう?」


 俺はちーの頭を上からポンポンと軽く叩いた。

「お前、言ってることめちゃくちゃ。悪いけど小鳥遊さんが本当に結婚する日まで、誰ともつき合うつもりないから」

「……不毛じゃん」

「不毛とか関係ない。啓がもしいなかったら、俺が彼女の一番になれるって信じてるし……何かあったらすぐに駆けつけてあげたいんだ」


「辰巳、純粋ピュアい」

「名前で呼ぶなよ」


「わかった。じゃあ、初めてなのはどうしようもないんだけど……辰巳が風にしたかったみたいにして? もう、されるままになるから」

 なんの気まぐれなのか、たまたまちーがいつもよりしおらしく見えたからなのか、俺はちーにキスをした。

 でも、小鳥遊さんにしたみたいにはしない。だってあれは、彼女と俺だけの思い出だから。


 なんでちーと、小鳥遊さんから卒業してるのかよくわからないけど、こうすることで何かがひとつ、変わるような気がした。そう、かけ違えたボタンを正すように。

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