第80話 叶えたい夢

 ある日、啓が「ぬか漬け」を作ろうと言い出した。雑誌で読んだらしい。

 わたしはわからないながらもを炒ったり、こねたり、野菜の下漬けを手伝った。何日か置いてあげると、ぬかの味が良くなるんだと、冷蔵庫にタッパー漬けした。

「冷蔵庫で作るの?」

「カビないから楽なんだって」

 ふうん、と思う。


 啓は何しろ好奇心旺盛で、たとえば普通の男性なら漬物は女性が……と思いそうなところだけど、自分でやらないと気がすまない。そういうところが魅力的な人だ。ひとつのことに一生懸命になってる姿は、たとえ漬物でもかっこいいから。


「そう言えばね、わたし、実家に夏物を取りに行きたいんだけどね……」

「うん、行くよ。荷物持ってあげるよ」

 んー、まだ聞いてないのに。

「お父さんもお母さんも、考え方が柔軟で、気が合うと思うんだ。だから少しずつ、おつき合いしないとね」

 確かにそうなのかもしれないけど……。


 実は、啓にまだ話してないことがある。話してないというか、その機会がなかったというか。それは……ごく個人的なことなんだけど、わたしたちの未来を変えてしまうことだ。そろそろ言わないわけにはいかない時期になってきた。


 電車に乗って、漬物を持って出かける。

「におわない?」

 と聞いたら、

「よく包んでから持っていけば大丈夫だよ」

 とのんきな返事が返ってきた」


 駅からはそんなに距離がないので、ふたりで歩いた。彼はたぶん、「ひと」が好きなんだと思う。だから、会ったことのない人でも、すぐに打ち解けて、親しい人に変えてしまう。

わたしはあまりそういうの、得意じゃなくて、すぐにひとの後ろに隠れてしまうので見習いたいなぁと思う。


「まぁ、小清水くん! この子のために悪いわね。小さい頃からどうにものんびりしてて」

「お母さん、これ、ボクが漬けたんですけど、おみやげです。 ぬか漬け、食べますか? 始めたばかりなのでまだ味が定まってないんですけど、よかったらどうぞ」

「ぬか漬け? 小清水くんが作ったの? 風……あなた、お料理、相変わらず何もしないんでしょ」

「部屋に行ってます」

 逃げる。


 お母さんと啓は何やら楽しげに話しているんだから、放っておいてもいいかなって思う。啓の自己アピール力は、きっと就職とかにも有利だろうなぁ……。


 トントントン。ノックは3回。

 子供の頃、お父さんに教わった。

「風か、入りなさい」

「お父さん、啓、来てるよ……何か気に入らないの?」

おねえちゃんのときじゃあるまいし。お前を嫁に出す覚悟は出来てるよ」

「そっかぁ……」

 わたしはドアにもたれかかったまま、下を向いた。

「なんだ、話があるのか?」

「うん、相談に乗ってほしいかなって」

「早く言えばいいじゃないか」

「実はね……」


 荷物をバッグに詰めて下りていく。リビングではお父さんも加わって、わりとどうでもいい話をしてたみたいだった。

「終わった?」

「うん、お待たせしてごめんなさい」

 うちに置いてあった夏物は、今着ているものとは柔軟剤の香りが全然ちがって、なんだか妙な気分になった。わたしは半分、すでにこの家からはみ出てるんだなと思った。


「小清水くん」

「はい?」

 わたしはふらふらとソファーに腰掛けて、お父さんの話を待った。たぶんわたしの話だろうから。

「わたしが言うのもなんなのだけど、相談されてね、たまには父親らしいこともいいかなと思ったんだが」

「……はい」


 沈黙が走る。お母さんの笑顔が止まった。


「いつも風の面倒を見てもらって、本当に有難いと思ってるよ。君は計画的に将来のことを考えてくれるから、親としても安心して風を預けられると思ってるんだよ」

「はい、ありがとうございます」

「ただ……わたしも気がつかなかったんだけどね、風にはどうもやりたいことがあるそうなんだよ」


「え、風? 直接言ってくれれば……」

「ごめん。言わないとってずっと思ってたんだけど……啓は、すぐにでも結婚しようって言ってくれてるし、それはわたしもすごくうれしいの。でもそのために啓の進路が変わるのは嫌だなぁって思ってて……」

「結婚の話に引いてた?オレは結婚が最優先事項だったんだけど」

「ううん、ううん、そうじゃない。わたしも結婚憧れるし」


 お母さんが新しいお茶を入れ直すために立ち上がって、テーブルにはカステラがのっていた。お父さんが、

「きちんと話すのが誠実というものだよ」

とわたしに言った。

ドキドキした。頭の中はぐるぐるして、そんなこと言ったら生意気じゃないかしら、とか、呆れられちゃうんじゃないかなとか、いろいろ考えた。


――でも。

「ごめん、啓の期待に添えないかも。わたし、学芸員になりたいの。ずっと憧れてて、ダメなら教員と思ってたんだけど、ゼミで修士、残ってもいいって言ってもらえて……なかなか空きがなくて就職先が必ずしもすぐに見つかるかわからないんだけどね……」


「もっと早く、普通に話してくれたらよかったのに」

「……ごめんなさい。啓の進路を考えてたら、自分の進路のこと忘れてたの思い出したの……。『したい』って思ったこと、叶わなくてもチャレンジしなくちゃダメじゃないかと思って。あの……」

「なに?」

「お嫁に行くのはちょっと待ってもらえますか?……啓のお嫁さんになりたい、そんなの欲張りだと思うんだけど」

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