第81話 愛が重い

「小清水くんは、出来るだけ早く結婚したいのかい?」

「……収入が伴えば」

「もし、その相手にうちの娘を選んでくれるというなら、一年間、学校に残らせてあげてくれないかな?」

 啓がこちらを見た。なんでか、悲しそうな顔をしているように見えた。


「実際、卒業してすぐに仕事を始めても、なかなかまとまったお金にはならないと思います。結婚式まであげるなら、風さんが大学院に一年進んで、ちょうどいいのかもしれません」

「ありがとう、小清水くん」

「……自分からなかなか言い出せなくて。ごめんね、啓」

「いや、自分のことばかりので風の気持ちをちっとも考えなかったことが恥ずかしいよ。……すみません、今日は失礼します」


 啓はお父さんとお母さんにぺこりとお辞儀した。お父さんはわたしの方を見て、微笑んで「荷物が多いから送っていくよ」と言った。お母さんは、わたしがドアを閉めるまで、心配そうな顔をし続けていた。


 ふたりで後部座席に乗る。

「気分を害してしまったね」

「いえ……ボクは周りが見えてないことが多いんで。風さんがそばにいてくれて、とてもうれしくてそれ以上考えられなかったというか」

 お父さんはバックミラー越しに彼を見ていた。彼は真っ赤になって、恥ずかしそうに俯いた。


「でも彼女の秘密が、その程度のことでよかったです。結婚は考えられないとか、別れたいとか、そんなんだったらもう……」

「そんなに風がいいかい?」

 お父さんは声を出して笑ったので、そんなに笑わなくてもいいじゃん、と思った。

「いや、うちの娘なんだから褒められて嬉しいんだけどもね」


「風さんにも話しましたけど……ボクは中高男子校で、その、女性と接触した経験なくて。大学に入って、この子がいいなぁって思ったのが風さんだったので。……このままずっと風さんだけでいいと思ってます」

「まぁ、風も浮気されたら困るだろうけどね……君の愛はなかなか重いね」

「……かもしれません」


 お父さんと啓はふたりで自然に話をしていたけど……本人の前で話すのはやめてほしかった。とても恥ずかしい話ばかりだったし、……そうかぁ、啓の愛は重いのか。そういう考えは今までなかったなぁ。


 うちから啓のアパートは近いので、すぐについてしまった。お父さんはアパートの位置を確認していた。そして、

「いずれお宅の御両親にもご挨拶にうかがうよ。いろいろ口出ししてしまったが、わたしは君をもう娘婿だと思っているからね」

 父は言いたいことだけ言って、帰って行った。


「よっこいしょ」

 洋服もまとまると意外と重い。

「よっこいしょ、はないんじゃない?」

と啓がけたけた笑った。……笑ったので、ちょっと安心する。一気に張りつめていたものが、解けていく。


「もっと、怒るかな、嫌われちゃうかなって思って」

「怒ってるよ」

「……」

「いいから座って」

 啓のすぐ隣に座らされる。

「そんなに大事なことを、ひとから聞くことになると思わなかった、たとえ御両親でも」

「ごめんなさい、わたしも……結婚て言われてうれしくて……すぐにお嫁さん、でもいいかなぁって思ってた部分があって」


 座ったまま、抱きすくめられる。

「啓、……苦しい」

 今までになかったすごい力で抱きしめられて、逃げようもない。わたしは身体の力を抜いて、啓に任せてしまうことにした。

「どれくらいすきかわかってる?」

「うん、たぶん……」

「お父さんが言う通り、重いよ」

「……啓は啓だから。それも含めて啓だよ。それも含めて、すきだから」


 啓の腕の力が緩む。ふわっと、自然に腕の中に身を委ねる。やっぱりここがすきだなぁと思う。


「学芸員になるの?」

「なりたいの。博物館とか」

「そんなふうに今まで思ったことなかったけど、確かに風は鈍いのに、植物学実習もアウトドア、がんばってたもんなぁ」

「……運動不足だからね。でも最終は低山は当然、トレッキングの基礎できてないとツラいって」

「運動しなくちゃダメじゃん」

「そうなの、それが課題なの」


 話しながら啓はぼんやりして、やっぱり考え事をしていた。わたしの話をしながら、自分のことを考えてるんだなぁと思った。

「啓はさぁ、やりたいこと、ほんとにないの?」

「この間、話したじゃん」

「うん……」

「先に就職して、風が諦めてオレのお嫁さんになってくれるのを待つよ」


 彼はわたしの髪の毛に指を絡めた。

「まだオレのこと、すきでいてくれる?」

「なんで啓がそんなこと言うのよ」

 わたしは笑った。嫌われるとしたら、自分の意見もまともに言えなかったわたしの方だ。ずるいのは、わたしだ。

 けど、啓はそうじゃなかった。寂しそうな瞳をして、わたしの方を見た。


「ごめんね、わがまま、言って」

 ベランダに突然、ポタン、ポタンと音が響いて大粒の雨が降り出した。すごい水量が一気に空から落ちてきた。

「どこにも行かないよ?」

 啓に腕を回し、こつんと頭と頭が触れ合う。

「行かない?」

「ずっと一緒にいるって、約束したじゃない」

 彼はキスを求めてきた。わたしはそれに応じた。やさしくて、ちょっと寂しいキスだった。


「どこかに行ったらやだよ」

「大丈夫だよ」

 そう言うことが正しかったのか、自信はなかった。でも、今はそう言わないと啓が悲しくなってしまうと、そう思った。

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