第60話 ムーンストーン
「もうダメ……死んじゃう……」
「もう少し」
男の子はみんな、どこかにたくさんの欲望を溜めておけるに違いない。わたしなんかもう、ふにゃふにゃのくたくたで、腰に力は入らないし、感じてるのか感じてないのか境い目がわからない、のに。
啓がものすごく至近距離に現れて、もう少しで唇が触れてしまいそうなほどだ。
「もうダメ?」
「ムリ……」
涙が滲んで、情けなくなる。
「体がついていかないの……」
啓はよしよし、と頭を撫でてくれる。
ぐちゃぐちゃにシワの寄ったシーツが、自分のした事をまざまざと見せつける。体の感覚がおかしくなって、どこがどこなのかわからなくなる。
「立てる?」
「……たぶん」
啓はあれだけの運動量でも普通に立てるのか……とおかしなことに感心する。
わたしはやっぱり足に力が入らなくて、いわゆる腰砕けの状態で、啓にお姫様抱っこでお風呂に連れていかれる。
体を緩く洗われて、浴槽へ。
「遊びすぎたなぁ。ちょっと冷めちゃったね」
「うん……でも眠くなる」
啓と向かい合わせに狭い浴槽に入って、今日は恒例のお湯の掛け合いもできない。
「風……風!」
ハッとなると、目の前には啓。
「風、寝てるよー。もうちゃんと洗って出よう。洗ってあげるからさ」
浴室に上がって、頭からざぶざぶと洗ってもらう。こだわりなんだと思うけど、啓の使ってるシャンプー、絶対、サロンので、泡が細かくて香りが心地良い。男の人の指って、シャンプーしてもらうとすごく……。
「風、寝てるからー。起きて」
あー、もうダメ。
「啓、眠いー」
「じゃあ、ちゃんと洗って出たら、何かごほう……」
意識がピーンとなる。
「はい。指輪が欲しいです」
「……早いね」
「……誕生日なの、ダメ?」
啓がわたしの前にかがみ込む。
「全然ダメじゃないよ。むしろ、オレが、誕生日とか無視して今にでもあげたいくらい」
「ほんとに?」
「……もっと早く言ってくれれば今日の散財しないでもっといい指環買えたのに……」
「そういう、すごいのはまだいいの。ささやかな、でも毎日……つけられるような」
自分で言っていて恥ずかしくなる。まるで首輪をつけろと言っているみたいだ。
「一緒に選ぶ?」
「んー、選んでもらうのもうれしいけど、一緒に選ぶのも楽しそうだよね?」
「オレは……確かに一緒に……いや、選んでくるから!」
十分にのぼせて赤くなっていたけど、啓は明らかに照れていた。
「あのね、ひとつだけお願いが……」
「ん?」
「……誕生石なんだけどね」
「ダ、ダイヤモンドとか言う!?」
「違う、違う」
わたしは啓の驚き具合に笑った。
「パールかムーンストーンなんだけど……」
「パールが良くないの?」
「パールはピンキリだし、冠婚葬祭ぽいから、ムーンストーンがいいなぁと思うんだけど、リクエストして、いいかなぁ?」
お風呂を出たあと、啓は何も言わないで考えていた。わたしの髪を拭いて、乾かしながら、
「なんか、リクエストっていいよね。やっぱりペア? ペアがいいのかなぁ?」
妄想モードに入ったらしい。
「んー。これかなぁ? それともこんな感じが似合うのか? ムーンストーンってかわいい石だよね、オレがつけても大丈夫かな……?」
啓が一瞬、スマホ片手にピキンと固まる。
「あー、ごめん、プラチナとか買えないかも……結婚指輪のときには……そのときはダイヤがいいよね?」
相変わらず忙しい人だなと思う。
「ええ!? まだ結婚指輪なんて先のことまで考えてないよ」
「……ちゃんとした収入が入るようになったら、すぐにプロポーズするから」
「じゃあ、それまで浮気しないでね」
わたしは面と向かって、ボソボソと啓に告げた。もう、あんな想いはこりごりだ。
プロポーズと言ったって……。
そんなに一口にぽろっと言えることじゃないのになぁ。うつ伏せになってスマホを覗く、啓を覗く。
「あ、何それ? プロポーズとか、エンゲージとかでしょ。ただの誕生日の記念が欲しいの!」
「そうは言うけど男だってさ、指輪にロマンを感じないわけには……」
「ロマンー!」
手近なクッションで彼をぱふんと殴った。
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