第54話 キスの種類

堺くんのキスは優しくて、わたしの全てを知ってしまうようなキスだった。

 キスをする度に息苦しくなることはなく、呼吸に合わせてキスを重ねてくれる。次第に酩酊したような気持になって、吐息が漏れて、彼のキスもどんどんわたしの弱い所をついてくる。

 ……このまま、この海に流されてしまったら……

 わたしはこの人をすんなり受け止めて好きになってしまうかもしれない。


「どうしたの?」

 体を少し離すと彼が聞いてきた。

「もしもなんだけど……もしもね」


「うん」

「このままつき合うことになったら、浮気、しないでいてくれる?」

「浮気が問題なんだね?」

 こくり、と頷いた。

「啓を嫌いになったわけじゃないんだ」

「……『理加ちゃん』? 知ってるんでしょう?」

「あー、それなんだ。啓はすごい血相変えてたから何か大きな原因があるのかと思った」

 なんだか話が全然見えなかった。


「結論から言うと『理加ちゃん』とは何も無いよ」

「……なんで?」

「小鳥遊さんも聞いたじゃない? 『オレの彼女』発言」

 あれもまた恥ずかしくて、下を向くしかない。

「『この子しか好きにならないから』って強烈だよなぁ。恩情ゼロ」

「でも啓酔ってたし」

「だけどちゃんと断ったし、小鳥遊さんのこと、みんなの前で公言したじゃん? あれはすげーよ。みんな、あの後、啓が怖くて小鳥遊さんには話しかけられないって言ってたもん」


「そうかなぁ。でも、今はわたしの知らないところでなんかあるんでしょう?」

「そうだなぁ。すっごい追いかけっぷりだよ。小鳥遊さんいないときはすごいよ。お昼誘って来たりね」

「誘われて一緒に行くの?」

 大きな声が出てしまう。

「行かないけど……大抵、啓は小鳥遊さんと一緒でしょう? でも、たまに別々の時があるとさ、向こうもずる賢くて、一年生とオレら上級生の交流みたいな感じでグループ作っちゃって、啓の隣は自分が座る、みたいな?」

 どう考えても面白い話にはならなかった。その子のところに言って、「わたしが彼女なのよ!」って陳腐な台詞のひとつでも吐いてみたかった。


「つまんないことだけど、そこで義理でもにこにこしてる啓のことなんか考えられない」

「じゃあ、小鳥遊さんは俺とはつき合えないね?」

 思わぬ発言に顔を見ると、堺くんは笑っていた。

「俺はいい顔したがりだから、どこへ行っても、誰とでも仲良くなってにこにこしちゃうから。そういうの、イヤでしょう?」

 わたしは大きく瞳を見開いたら。

「このままさっきの勢いで小鳥遊さんを押し倒して、俺のものにするのは簡単だけど、その後、つき合い始めたら辛くなるでしょう?」

「なんか意地悪……」

「じゃあ、もう一度、どこまで行くかしてみる? たぶん、俺のほうが啓より経験あるよ」

 堺くんがわたしを試しているのがよくわかった。大体、ふたりは喧嘩したところで友だちなんだ。


「ドンドンドン!」

 すごい音にビクッとなる。

「お迎えの時間ですな、シンデレラ。その気になったらまたいつでもどうぞ」

「ドンドンドンドン!」

「あー、待てよ。……さっきの内緒ね」

 ガチャッとカギを外すと、堺くんを避けて啓があろうことか入ってきた。

「お前、靴脱いで」

 言われて靴を脱ぐと、脱いだ靴は玄関の方に放った。


「風、ごめん! 泣かせるなんて、オレがバカだった」

「軽蔑してもいいけど……あの子、特に嫌いなの。あの、チャラチャラしたピアス、すごく嫌い」

「オレだって。好きなのは風だけだっていったでしょう? あとはどうしたらいいの?」

 わたしは黙って、下唇を噛み締めた。いっそ唇が切れてしまえばいいのに。


「ひとつめ、あの子の話はしないで。ふたつめ、あの子にはグループでも一緒にいられないってはっきり言って。みっつめ、あの子に『嫌いだ』って言って」

 啓も、堺くんも一瞬、口を噤んだ。

「『嫌いだ』って言うのは強烈じゃない?」

 堺くんが助け舟を出す。

「強烈な方がいいよ。言わなくちゃわかんないんでしょ? ちーちゃんとかと、女子のやり方で話してもいいけど」

 また、ふたりは固まった。


「わかった! オレが悪いんだから、全面的に風の言う通りにする。堺、驚いたかもしれないけど、風だって生身の女の子だから、嫉妬もするんだよ」

「……あのさぁ、女子のやり方って? 後学のために」

「例えばわたしがセンターで、左右にちーちゃんと美夜ちゃんで、その子ひとりだけ呼び出して話をつけるだけよ」

 わたしはにっこり微笑んだ。けど。堺くんとキスしたことがバレないか、すごく心配だった。堺くんから言うことはないと思うけど。


「荷物は持つから、帰ろう、ね?」

 堺くんに頭を下げる。

「堺くん、ありがとう。いつも迷惑かけてごめんなさい」

「いや、小鳥遊さんならいつでも待ってるよ」

と、啓には見えないように、にっこりと笑った。わたしは顔に出てしまうけれど、啓が荷物を持って靴を履いているあいだ、声には出さないで、

「またおいで」

と唇の動きがそう言っていた。


 夜の街はどっぷりと星が見えないくらいで、よく見ると満月だった。啓が何事もなかったかのように、

「キレイな月だなぁ」

と言った。


 啓の部屋に着くなり、ドアは乱暴に閉められていきなり壁ドン状態になる。何も言わずに啓は、いたるところに口づけをする。耳たぶを噛まれる。首筋にはあざを、溺れそうなキスを、両手を押さえられ、胸元に手が届く。下着の下の素肌に、手が触れる。啓しか、触れたことの無い場所……。


「靴脱いで」

 急いで靴を脱ぐ。そして彼に合わせて服を脱ぐ。……さっきまで堺くんに抱かれてしまうかもと思ってたのに、わたしも都合のいい人間だと思う。


 ベッドに倒される。勢いのせいで、ベッドがみしっと音を立てる。


 啓がわたしを下に見下ろして、不意に顔を背ける。

「堺とキス、したでしょ?」

 なんでそんなことが……と、自分で自分の唇に触れる。

「……わかるんだよ、そういうの。何でかな? わからなくていいのに」

 啓の視線はどんどん下を向く。

「怒りたいけど、怒れない。だめだー、スッキリしない……」

「なんで?」

「ん? なんで怒らないのかってこと? だってオレが原因だし。あんな子のことに振り回されてて恥ずかしい。風だけって、約束してたのに……」


「堺のほうが、キスうまかった?」

「それって比べるものなの?」

「まぁ……男としては気になるところ?」


 ベッドの上に起き上がって、わたしからキスをした。突然のことに、啓は驚いていた。わたしは、たまにはこれくらい、と思って、無いスキルを駆使して攻められるだけ攻めてみた。

 二人とも息が乱れて、啓は、「風、キスが上手いんだね」と言った。

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