第21話 シャンプーの香り

 電車が動き始めて、たった一駅なのですぐに着いてしまう。学校がある、つまり彼のうちがある駅。

 ドアがアナウンスと共に開いて、小清水くんは何も言わずに降りてしまう。続いて彼を追いかける。

 あたふたしているわたしに気がついて、彼が手を引いてくれる。それはいつも通りだったけど、こっちを見ない。


 線路沿いの道を一緒に歩く。

 いつも見慣れた通りが、夜になると人もまばらで道も気のせいか暗く感じる。ちょっと怖い。

「コンビニ。飲み物とか食べ物、買おう」

 この前、彼の家に行った時と同じコンビニだったけど、彼はあのときと全然違う……。怒ってるんだ。


 わたしはふと気がついて、ミニサイズの基礎化粧品セットと、ハミガキを手に取った。あとは……一応、下着? 躊躇しながらも、買わないわけにはいかないだろう。こんなことひとつでも躊躇ためらう自分がいて、本当にわたし、何やってるんだろう、という気がしてくる。

 ささっと、会計を済ませる。たぶん顔、赤いだろうな……。


「終わった?」

「うん」

 啓の家に近づいているのに、コンビニで一息ついたせいか、ちょっとだけ何故か気持ちが落ち着いてきた。……それは逆に彼の家に近づいたからこそ、かもしれない。

 彼がコンビニの袋を持っていない方の手を捕まえたいのに、今は届かない。


 ドアの鍵を開けると、今日は待たされることもなく無言で入るように促された。

 バタンと音がして、部屋のドアが閉まると同時に彼が明かりをつける。

「疲れたでしょう? 一日中歩いたもんな」

 ……さっきまでの態度とはまるで違って、声がリラックスしていた。

「そうだね、いっぱい歩いたよね」

「風、シャワー浴びる? 覗かないから大丈夫だよ。服、貸してあげるよ。大きいかもしれないけど」

「え、あ、大丈夫……」

「一晩中、ワンピースでいるの? 服がヨレヨレになるよ。せっかく似合うのに」

 特に言外に何か含まれているようではなかった。迷ったけど……なんかいろいろ用意したわけだし、ご好意に甘えてしまう?


 ……実際、その流れになるとやっぱり恥ずかしくなる。

 お化粧をすっかり落として、シャワーを浴びる。この間来た時にはこんなふうになるなんて、思わなかったのに、発端が自分だと思うと消えてしまいたいような気になった。

 Tシャツと、イージーパンツを借りて、丁寧に髪を拭いて部屋に出た。


 ベッドにもたれかかってマンガを読んでいた彼が目を上げた。

「お先に」

 恥ずかしくて爆発しそうになる。

 彼が手招きする。

「すっぴん」

「まぁ、したままというわけにはいかないので」

「髪……湯上りだね」

手招きされたまま、わたしは彼に顔を近づけた姿勢で屈んでいた。


「あー、ちょっと、ごめん。ちょっと離れて。飲み物でも飲んでて」

「あ、うん。何かいけなかった?」

「そうじゃない、そうじゃないんだけどさ……オレも潮くさいから、シャワー浴びる。……覗くなよ?」


 まったく読めない。シャワーの音が聞こえる……。仕方がないので、もう一度荷物を畳んだり、基礎化粧品使ったりして待つ。待つ……。


「風?」

「はい?」

「……静かだからいないかと思っちゃった。いるならいいんだ。……まだ着替える途中だから覗くなよ」

 脱力。こんな格好で外に出ていくわけないじゃない。


 よく見ると部屋の中はこの前よりエントロピーが増していて、学校の教科書なんかはぽんと投げてあったり。ベッドの上も、なんだか服が散乱している。

「お待たせー。ああ、さっぱり。潮風ってベタベタするよね? 海は好きだけど」

「そうだね、ベタベタになるね」

「……ドライヤー、使う?」

「借りてもいいかな?」

「いいよ。風は髪長いからさ、乾かさないと……待った」

 また何か考えている。

「髪、拭かせて? 今度は大丈夫だと思う」

「今度?」

「なんでもない、こっちのこと。ほら、髪を拭いてあげるのってロマンだろ」


 男の子のそのロマンって、いまいちわからないなぁと思いつつ、照れくさいけど髪を拭いてもらう。無骨な手でごしごし拭かれる。力加減が難しいのか、頭が揺れる。

「よし、拭けた」

「ありがとう」


「風……ごめん。ちょっとだけ」

 後ろから抱きすくめられた。

「あのね、シャンプーも買ってきなさい」

「……はい?ごめんなさい、借りちゃって」

「同じシャンプーって、匂いも同じでなんか、すごく気になる。いつもの風の匂いと違って、オレの匂いだし……」

 まずい。なんか引きずられて頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。

「いや、いいんだ、忘れて。シャンプーなんか。ほら髪、乾かして」


 背中を軽く押されて、洗面台の前に立つ。

 わたしは覚悟、できてるのかなぁ、といまさら思う。でも、みんなしてることだよね? 怖いと思ったり迷うのはきっと、今だけに違いない。

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